幕間

辞表を書いておいたほうが良いかも知れない。そうひとりごちると、女は、溜め息をついて夜空を仰いだ。令嬢然とした彼女がそういった仕草をするとひどく絵になったが、残念ながら、今、その姿を目にする者はいなかった。

パーティー会場を出て、庭に下りるだけで、周囲の雰囲気はがらりと変わる。ちょっとした迷路をも備えたその庭は、人が隠れるにはもってこいの場所だった。手入れはされているものの、鬱蒼と茂った木々の連なるその様子は、まるで森に迷い込んだかのようだ。そう、このように人が隠れるにはもってこいだが、逆に探す側には、迷惑な話だった。

今、この庭には、彼女を含めて四人の人物がいるはずだ。黒い燕尾服の青年、白い燕尾服の青年、評議員服の青年、そして、赤いドレスを着た彼女。その誰もが探し、もしくは探されている。

「とりあえず議員を捕まえないとね」

このままここで突っ立っていても仕方がない。そう口にして足を踏み出した途端、近くの茂みががさりと揺れた。噂をすればと思い顔を向けるが、比較的目立つはずのあの評議員服は、見当たらなかった。代わりに目に飛び込んできたのは、今にも闇に溶け込みそうな黒い燕尾服。

「あなた…」

声を聞いて初めて彼女の存在に気づいたのか、燕尾服の青年――いや、少年と呼んでも良い年齢かも知れない――は、白い顔を上げ、翡翠の瞳を大きく見開いた。その表情は、あどけないといっても良いもので、彼女の好感を得るのに充分な力を持っていた。

だから、少年が慌てて走り去ろうとしたときに、彼女は、咄嗟にその腕を掴んだのだ。

「逃げているんでしょう?こっちよ」

「アスラン!」

しばらく青年は凍りついたように動かなかったが、背後で名を呼ぶ声が上がると、弾かれたように肩を揺らした。

「アスラン、ごめん、僕が悪かったよ!謝るから、出てきて」

これはきっと、先ほど見た白い燕尾服の青年だ。幾分幼い口調だが、そうに違いない。

彼女はそう当たりをつけると、目の前の青年を伺い見た。彼は、恐慌状態にあるのか、目を四方八方に忙しなく動かしながらも棒立ちになったままだ。これでは埒が明かない。

掴んだ腕をぐいと引っ張ると、案の定、何の抵抗もなく身体がついてきた。そのまま、ぐいぐいと引きずるようにして、近くの木陰に身を潜める。

自分の赤いドレスが目立たないかと気にはなったが、青年を隠すために、女性は、彼に覆いかぶさるように身を屈めた。こうしてみると良く分かるのだが、この青年は、見た目よりも細身であるようだ。先ほど掴んだ腕も、男性のものにしては、華奢だった。しかし、その細さはけして不健康なものではなく、むしろ、瑞々しい若木のようなしなやかさを秘めたものだと、彼女には感じられた。

「どこにいるの、アスラン!」

不意に、近くなった声に、彼女たちは身を縮ませた。横目に伺えば、すぐ傍を白いズボンが通り過ぎていく。思わず息が止まった。

「アスラン!ねえ、お願い、出てきてよ」

声が、ほぼ真上から聞こえてくる。真剣な声に、時折、鼻をすするような音が混じった。泣いているのだろうか。

少々気の毒になったが、今、自分が考えるべきことはそのような些末事ではない。女性は、今までの流れを頭の中で整理しながら、自分の下にいる黒い燕尾服の青年――アスランに視線を向けた。

アスラン…彼女たち、プラントの人間にとって、この名から連想される人物は一人しかいない。先の大戦で命を落としたパトリック・ザラの息子、ザフトのエースパイロットであり、ネビュラ勲章を受けながらも、第三勢力へと加担し、戦後、姿をくらました人物――アスラン・ザラ。

まさかとも思ったが、イザークの様子を思い出し、疑惑が確信へと変わる。聞く話によれば、イザークは、大戦中アスラン・ザラと同じ隊に所属し、ライバル関係にあったという。その執着には、凄まじいものがあったそうだ。

「あなた…」

確信を言葉へと変えようとした瞬間、彼女の声を遮るように、新たな人物が現れた。

「貴様!アスランをどこへやった」

なんと陳腐なタイミングだろう。形容詞の使い方に間違いがあるのを知りつつも、彼女はそのような感想を抱いた。“陳腐”、これ以上に、今彼女が感じている脱力感を、的確に表す言葉はないに違いない。図らずも、逃げ、追っているすべての人間が、この場に会したのだから。

「君、たしかデュエルの」

「イザーク・ジュールだ。人を呼ぶときは名を使うんだな、ストライク」

自身のことは棚上げして、彼は胸をそらした。いや、彼女の体勢では、彼らの姿を目にすることはできなかったが、伝わる雰囲気だけで、その様子が分かりすぎるほどに分かったのだ。

困ったことになった。彼女は、自分の体の下にある青年を見つめながら、思案した。できることならば、彼を議員に会わせてやりたい。しかし、今の状況では、白い燕尾服の青年にまでも見つかってしまうだろう。第一、この体勢から起き上がり、すごすごと現れるのは、いかにも間抜けだ。彼女の美学が許さない。

彼女が悩んでいる間にも、頭上では不毛な会話が交わされていた。

「君が、アスランを隠したの?」

「はあ?何を言っている。貴様こそ奴をどこへやった!」

「誤魔化さないでよ!アスランを返して」

「貴様…」

本当に知らないのか?と、吐息とともに困惑を吐き出して、議員の声色が下がった。迷いを含んだ沈黙の後、彼は、ゆっくりと言葉を継いだ。

「アスランがいないなら、貴様に聞く。なぜ、このパーティーに現れた」

すぐ下から、息を呑む様子が伝わってきた。つられて目をやれば、暗闇の中でも、青年の体が震えていることが、はっきりと分かる。

議員の詰問は、彼女自身も感じていた疑問だった。ここは、公の場。言い方は悪いかもしれないが、彼のような立場の人間が出てくるべき場所ではない。

「貴様らは、自分がいかに微妙な立場にいるのか、分かっているのか。キラ・ヤマト、貴様はいいだろう。ザフトはもちろん、地球軍内でも貴様の顔を知るものはほとんどいないだろうからな。だが」

議員の言葉の続きを知ってか、彼の震えが一層酷くなった。その怯えきった様子に、彼女は、議員の言葉を遮りたいとさえ思ってしまう。だが、今気づかれるわけにはいかない。彼女は、口をつぐんだ。代わりに、二人の様子が少しでも目に入るようにと、姿勢を変える。生垣の隙間から、どうにか議員の顔を見ることができた。

「アスランは、違う。あいつの顔は、ザフトはもちろん、プラント内でもかなり知れ渡っている。地球軍に対しても、ある程度の露出があるだろう」

常になく沈鬱な声音で続けられる言葉を、ここでようやく遮るものがあった。それはもちろん、先ほどまで憤慨していた白い燕尾服の青年だったが、その声音は、打って変わって神妙なものになっていた。

「どういう意味なの。僕たちは、何も悪いことなんてしていない」

「貴様の基準ではな。しかし、法は許さない。アスランは、軍規を犯した。国防長官を害しようとし、脱走、最新鋭の機体を奪取…今は亡命中の身だ」

「そんなの!だって、アスランは平和の、プラントのために…」

「だが、プラントにはあいつの居場所はない」

低く告げられた言葉に、青年は、冷水を浴びせられたように固まった。しかし、しばらく経つと、耐え切れなくなったように小刻みに身体を揺らし、その顔を歪ませた。

「君に、何が分かるっていうの」

吐き捨てるような物言いに、議員の顔も歪む。

「何だと」

「君なんかに、アスランの何が分かるっていうの!」

間髪を入れず激情をほとばしらせ、青年は、一歩足を踏み出した。地を押さえ込むように踏みつけて、仁王立ちになっている。

「アスランには、僕がいる!ラクスだって、カガリだって」

その声はもう、ほとんどが嗚咽に飲み込まれていた。

「プラントが、何だっていうの!オーブに、いれば、良いじゃない!」

涙さえにじませる青年の姿に、議員の顔が更に歪んでいった。青年の幼い仕草も、その言動も、何もかもが気に食わないとでもいいたげに、青い瞳に苛立ちが宿る。

緊迫した目の前の光景に、女性は身動きひとつ出来ずにいた。だが、そのとき、不意に体の下の気配に動きがあった。慌てて目をやれば、四つん這いの姿勢で自分の下から抜け出した黒い燕尾服の青年が、垣根を分けて、まさに出て行こうとしているところだった。止めようとしたが、間に合わない。彼女は舌打ちした。

「キラ」

唐突に割って入った第三の人物に、睨み合う二人は、ようやく互いから視線を外した。驚いた表情で、彼をただ見つめる。

「アスラン」

どちらの声なのか、それとも両方か、ひどくしわがれた声が彼の名を呼んだ。

彼は、登場しただけで、それ以上何をするでもなく、その場にたたずんでいた。きっと、彼自身も、何かがしたくて飛び出したのではないのだろう。呆然とした表情を見れば、彼女にもそれが分かった。

「アスラン、行こう。君にはプラントなんて必要ないんだ」

最も早く立ち直った白い燕尾服の青年が、手を広げ、彼に差し出した。それをまた呆然と見つめ、青年は、碧の瞳を揺らした。そして、大きく喉を上下させ、視線を自身の手へと向ける。

そこでついに、議員が動いた。

「何も分かっていないのは、貴様のほうだ」

ずかずかと足を踏み鳴らして二人の間に出ると、黒い燕尾服の青年をかばうようにして、白い燕尾服の青年に対峙した。白い燕尾服の青年は、それを見て今まで以上に顔を歪ませる。行き場をなくした手を握り締め、唇をわななかせた。

「はいはーい、そこまで」

まさに一触即発というそのとき、丸みを帯びた女性の声が、場に割って入った。母親のたしなめる声にも似たそれに続き、赤いドレスの女性が現れる。

「さあ、あなた!」

突然、女性は、白い燕尾服の青年を指差した。脈絡のない彼女の登場に毒気を抜かれ、彼は口を開けたまま固まっていた。それは、他の二人も同様だった。だが、それにも構わず、彼女は青年の前までつかつかと歩み寄ると、その腕を取った。

「あなた、私と一緒に踊って頂戴」

「何で僕が」

彼は、彼女の腕から逃れようと身をよじったが、上手くかわされてしまった。腕はいまだに捕らえられたまま、しかも、相手は女性である。手荒なこともできず、青年は、ただじっと黒い燕尾服の青年へと視線を送っていた。

「あら、女性に恥をかかせるつもり」

彼女はそれも許さず、腕を引いて、ぐいぐいと会場へと向かおうとする。女性とはいえ訓練を受けた彼女の力は相当なもので、足に力を入れて留まろうとする青年を半ば引きずりながら、残る二人から離していった。

「あ、ねえ、ちょっと待ってよ!」

慌てた声が腕の先から返ってくるが、彼女は取り合わなかった。ただ会場の明かりだけを一心に目指しながら、先ほどの彼らの様子を脳裏に思い描く。

なぜだかとても、腹が立った。プラントに彼の居場所がないということは、事実だ、それでも。

なぜだかとても、腹が立ったのだ。

逃走劇の続きを書こうと思い続けてはや3ヶ月。…いや、本当です。書こうと思ってたんです。でも、書いてはボツにし、書いてはボツにし…もうこの辺りで悪循環から抜け出したいので、とりあえず何も考えずにアップすることにしました。ボツになるかも知れないけれど(2005-07-19)。

すみませ…3ヶ月どころかもう軽く半年を越えてしまいました…。しかもまだ続いていたり(2005-12-29)。


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