ハンカチ

そわそわとしたその様子に、最初に気がついたのは意外にもイザークだった。しかし、彼の神経質な面を思えばそれは当然のことだったかも知れない。

「何だ、ニコルの奴」

朝から何かと動き回っているニコルを目の端に捉えながら、イザークは鼻に皺を寄せた。犬猿の仲とも言えるアスランに付いて回るニコルに対し、イザークの心象はあまり良くない。胡散臭げな目つきで睨みつけながら、談話室のソファーに腰掛け支給されている飲料をあおった。

それを受けて、ようやく傍らに座すディアッカもニコルに目をやった。確かに、イザークの言うとおり、朝から彼の様子がおかしい。だが、ディアッカはその理由を知っていた。

「ああ、そうそう、明日アスランの誕生日らしいよ」

「誕生日…」

初耳だった。思わず漏れた自分の声に、イザークは恥じるように横を向いた。

「べ、別に!俺には関係のないことだ」

素直じゃない。ディアッカはそう思ったが、口には出さずにいた。出したが最後、血を見ることは明らかだからだ。ただ、その代わりとばかりに、皮肉げな苦笑を片頬に貼りつかせ、飲料を口に運んだ。

「まあ、ピアノっていう武器を持つニコルには、イザークじゃ適わないだろうしねぇ」

「何?」

まるで自分を嘲るようなその響きに、イザークの口許が微かに震えた。急降下した周囲の雰囲気に気付かぬはずはないだろうに、それが目に入っていないかのように、ディアッカは話を続けた。

「だぁーって、誕生日ともなれば、ロマンチックなムードも必要だろ?」

ピアノなんかをBGMに迫られたりなんかしたら、女なら誰でもイチコロだ。そうにやにやと笑いながら、ディアッカは席を立った。滅多にないイザークをからかう機会だからか、その声はいつになく弾んでいる。

面白くないのはイザークだ。

「俺には、ロマンチックなムードが似合わないとでも?」

「いんや、だって今、関係ないって言ったじゃん」

揚げ足を取るその言葉に、イザークの中で何かが切れた。少なくとも、すぐ側で彼ら同様に喉の渇きを潤していたミゲルは、その音を聞いた気がした。

やばい。そう思ってミゲルはイザークを宥めようと口を開くが、後一歩遅かった。

「見ていろディアッカ!俺が完っ璧な誕生日の演出の仕方を教えてやる」

肩を怒らせ引きつった笑みを貼り付けながら、イザークは足音も高らかに席を立った。すでに立ち上がっていたディアッカに指を突きつけた後、鼻息荒く、足を踏み鳴らしながら談話室から去って行く。

後に残されたディアッカに、ミゲルは小さく溜め息をついた。

「あーあ、いいのかよ。あんな風に焚きつけて」

「いーのいーの、今ちょうど娯楽が少ないしさ」

すわ下克上かと、ミゲルはディアッカをまじまじと見つめた。いつもの彼ならば、部屋での仕返しを恐れて泣き言を言う場面だからだ。

だが、よくよく見ればディアッカの頬が不自然に引きつっている。

掛ける言葉が見つからぬまま、ミゲルは彼の肩を軽く叩いた。

「で、何で俺がその演出とやらを考えなきゃいけないの」

自室のベッドの上で、ラスティは突然現れた珍客を見上げた。

そう、突然現れたのだ。自室でゆったりと休んでいた自分を叩き起こして錠を外させ、ずかずかと踏み込んできて仁王立ちし、そして更には、隣の部屋にも響きそうな大声で、「考えろ!」と叫んで。

「うるさい!つべこべ言わずにさっさと考えろ」

ああ、また。お前のほうがうるさいよ、と泣き言を言いながら、ラスティは途方に暮れた。とにかく何か答えを得ないことには、この客は出て行く気がないらしい。

「考えろって言われても…そうだな、じゃあ、イザークの誕生日ってどんな感じ?」

「俺の…?」

「そう。その通りにやればいいんじゃない?」

何でもいいやと適当な気持ちになって、ラスティはぞんざいに言葉を継いだ。だが、思いのほかイザークはその答えに満足したようだった。彼は顎に手を当て、確認するように何度も小さく頷いた。

ラスティはこのとき何故こんなことを言ってしまったのかと、後々大いに後悔することとなる。

「…で、イザーク。これは一体何のつもりなんだ」

「何って、誕生日パーティーだ。他の何に見える」

明けて、当日。アスランは同僚たちと共に、豪勢な食卓を囲んでいた。確かにこれは、誕生日を祝うパーティーなのかも知れない。しかし、それを用意した人物がよりにもよってイザークであるということが、釈然としない思いをアスランに抱かせた。

「さあ、ありがたく食え。俺の手料理だ。」

偉そうに宣言して、イザークは、甲斐甲斐しくもアスランの小皿に料理を取り分けた。

不気味だ。毒でも入っているのではないか。

アスランの心の声が聞こえでもしたかのように、ニコルが間合い良く言葉を挟んだ。

「アスラン、こんなもの食べたら胃薬があってもお腹を壊してしまいますよ」

「何だとぉっ!」

イザークは肩を怒らせて怒鳴っているが、正直アスランもニコルに賛成したい気分だった。しかし、せっかく用意してもらったものを食べないわけにはいくまい。アスランは決心すると、ゆっくりと皿を引き寄せた。

「いや…大丈夫だ。頂く」

そっとフォークで肉片らしきものを取り、口許に近づけた。色も良い。形も良い。香りも良い。なのにどこか不安が付きまとうのは何故なのだろう。

考えるほど不安になるのだと、一思いに口に押し込み、そのまま租借した。鼻で嗅いだときとは別種の香りが口内を満たす。何故これほどまでに異なるのかと、アスランは目を剥いた。

不味い、などという言葉では表現しきれぬ味だった。

「感動して言葉もないか」

目を白黒させながら何も言えずにいるアスランを良いように解釈して、イザークは悦に入っていた。

「食べ終わったなら、プレゼントの贈与だな」

とにかく自分の考えた計画を進めたいらしく、イザークは食事も早々に終止符を打たせ、何やら綺麗に包装された包みを取り出した。桃色の包装紙に紺色のリボン。この宇宙空間でどうやって用意したか知れないが、随分と上質な包装だった。

食事から解放された安堵から、アスランは何も考えずにその包みを受け取った。ちなみに、他の皆は食事を丁重に断っているため、アスランのみがイザークの料理の犠牲となっていた。

「アスラン、貴様の誕生を何よりも嬉しく思う。また一年貴様が健やかであるように」

柄にもないイザークの言葉に、アスランの顔が目に見えて凍った。だが、イザークがしきりに中を見るように顎をしゃくるので、アスランは命令されることに眉根を寄せながらも、仕方なく包みを開けた。中から出てきたのは、簡素なハンカチだった。しかし、肌触りの良さから包装同様上質なものだと知れる。

艦内で用意したことを考えると、過ぎた品だった。ラスティやニコルとは違い、イザークは自分の誕生日を知りもしなかったはずだ。だから休日にプラントで買い求めたものとは思い難い。恐らくはイザークの持ち物の中から、新品に近いものを選んだのだろう。

アスランが感謝の気持ちを口にしようと、顔を上げた。しかし、その言葉は発せられる前に思考から消えた。

いや、思考が真っ白に消えた。

「何するんですか!」

ニコルの叫びが場をつんざき、ラスティとミゲルが声もなく席から転げ落ちた。まるで喜劇のような反応だったが、彼らの目の前で繰り広げられている光景は、それに値するものだった。

エースパイロットの頬に、そのライバルが口付けている。

二人とも男とは思えぬ容姿の持ち主であり、何ら醜悪な光景ではなかったが、しかしディアッカの背筋には怖気が走った。自分が悪いのか。これがイザークをからかった罰なのか。

「何してるんですか!」

焦れたニコルがまた同じことを叫んだ。そうしてようやく、イザークがアスランから唇を離す。

「何って…おまじないだ」

「おまじないぃ?」

いまだ固まっているアスランを除き、その場にいる他の人々は皆、イザークの言葉に目を剥いた。だが、イザークは平然とこうのたまった。

「そうだ。普通するだろう」

するはずがないと、誰もがそう思った。

ザフトで誕生パーティー。演出はイザークです。

正直、イザママのちゅーはビビりました。あの溺愛ぶりからいくと、誕生日はさぞや凄いのでしょう。


Copyright © 2003-2005 skisaki, some rights reserved.