偶像の価値

幼いあの日にはもう戻れないと、彼女は知っていた。だからこそ、婚約者を前にして、背筋を伸ばし、毅然と言い放つことができたのだ。

「敵だというのなら私を撃ちますか?ザフトのアスラン・ザラ」

それは、恍惚すら伴って。

はじめて会ったとき、彼は「婚約者」である彼女をいかにして扱えば良いのか分からない様子だった。彼女の言動があまりにも想像していたものとかけ離れていたためだけではなく、ただ単に、女性との距離の取り方が分からず戸惑っているような。しかし、二度目、三度目と回を重ねることで、次第に彼女の前で間誤つくような素振りは減っていった。

「今度、コンサートを開くことになりましたの」

うららかな光の差す昼下がりの庭で、彼女は彼と、お茶を楽しんでいた。春の陽気に緑は萌え、白いテーブルをけぶるように見せている。空気すらも輝いて見える、美しい庭、美しい光景だった。

彼女は十代の前半にして、すでに一生の仕事を手に入れてた。いや、それはすでに、生まれたそのときに手に入れていたものといっても良い。彼女はそうなるべくして生まれたのだから。

「コンサート…ですか」

「ええ」

二人の会話は、いつも長くは続かない。だが、なぜか沈黙に気詰まりな思いをすることはなかった。それは、彼女が自然と話題を切り替えていたためだったのかも知れない。

彼女は本当は、彼に「コンサートに行く」という約束をして欲しいと思っていた。しかし、そのようなことは億尾にも出さず、笑顔で違う話題を振った。

「そういえば、前にいただいたピンクちゃんの様子がおかしくて」

「え…本当ですか?いったいどこが…」

「言葉が、上手く話せないようですの。掠れたような声になってしまって…風邪でしょうか」

「いえ、風邪ではないと…。音声回路か、スピーカーかな。配線も確認したほうが良いかも知れない」

「お願いしますわ」

「はい、分かりました」

彼と長く会話をするには、マイクロユニットを持ち出すのが一番だ。そして笑顔を見るのにも。

彼女はまた柔らかく微笑むと、膝の上に収まっていた「ピンクちゃん」を彼に差し出した。

目の前で器用に配線を操る彼を、彼女は嬉しそうに見つめていた。たまにティーカップを手に取り口もとに運ぶが、彼女がそうしている間にも、彼の手は、無駄のない動きでハロの中を行き来していた。

「本当に、アスランはピンクちゃんたちのことに詳しいのですね」

「それは、まあ…つくった人間ですから」

「それでも、すごいことですわ」

彼女に褒められたことで、彼は居心地悪そうに視線を外した。

「ラクスのほうが、すごいですよ」

「あら、どうしてですか」

「その、あなたは、すでに自分の仕事を持っているし…それをまっとうしているでしょう。俺…私は、まだ先のことなんてじっくりと考えたこともないし…」

そこまで口に出して、彼は、急に黙りこくった。思わずといった様子で口に手をやり、また、それを彼女に見られたことに気づき、俯いてしまう。

彼は、弱音を吐くことを極端に忌避する傾向があった。それは、彼の置かれた環境がさせていることのように、彼女には見えていた。優秀でなければならない。当然のように向けられる期待は、まるで呪いのようだ。

彼女は、締め付けられるような痛みに、胸を押さえた。

「私の価値は、どこにあるのでしょうか」

「え?」

彼女は、ティーカップをテーブルに置くと、おもむろに口を開いた。その顔は、いつもどおりの笑みを浮かべてはいたが、どこかちぐはぐな印象を彼に与えた。

「アイドルとして求められている私の価値は、確かにあるのだと思います。でも、その私と、私自身は違います」

穏やかな風が、彼女の髪をなぶった。木漏れ日が揺れ、テーブルの上でくるくると踊る。それが、彼女の表情に微かな変化を映していた。

「私は…アイドルでなければ、必要とされない…価値のない存在なのでしょうか」

風に揺らされた配線が、彼の手の甲をかすった。そこではじめて、自分の手が止まっていたことに気がつく。だが、作業に戻ることはできなかった。彼女の言葉が、頭の中で反響するようにまわっていた。

彼女は、今日はじめて彼から視線をそらすと、遠くに立つ樹木を見た。しばらく気持ちを落ち着けるように瞬きを繰り返し、一度ティーカップを見てから視線を戻す。その瞳には、いつもの力が戻っていた。

「…今の話、忘れてくださって結構ですわ」

「いえ!」

彼はとっさに、工具を離して立ち上がった。

「いえ…忘れません」

立ち上がった自分に呆然としながら、彼は、彼女が見ていた樹木に視線をさまよわせた。いつもそこにある緑なのに、今は吸い込まれそうな深さを感じる。いや、それだけではなく、目に映る全てが、はっきりと鮮やかに輝いていた。

彼女が視線を追って樹木へと到達すると、それを待っていたかのように、彼は、視線をハロへと戻した。工具をまた手に取り、配線の中へもぐらせていく。

「…もう少しでなおりますよ」

「ええ」

彼女は、視線を返さずに応えた。

まだ、幼かったあの日。穏やかで、甘い思い出として今も残る、もう戻れないあの日。

短っ!久々にラクアスがやりたくなりました。でもシンアスもやりたーい。ルナアスもやりたーい。ミアアスもやりたーい!(2005-03-22)

婚約者時代の二人って、スーツ CD の印象が一番強いです。天然ラクスに振り回されるアスラン。…ラクスは実際には天然ではないと思うけど。(2005-03-23)

静かな話が好きなんですが、私が書くと、訳分からなくなる傾向があることに今気づきました。(2005-03-28)


Copyright © 2003-2005 skisaki, some rights reserved.