選択
選択すべき岐路に立ったとき、彼は何を選んだのか。
「アスラン、聞いたよ」
キラの言葉は大概が突然で、アスランは咄嗟に身構えてしまう。
昔はこんなことはなかった。キラの前では自然体でいられた。だが、この戦争が二人の間柄を変えてしまった。
地球連合軍とザフト、引いてはプラントとの間に休戦協定が結ばれて、まだ2日と経っていない。キラとアスランは、戦闘による目立った外傷は見られなかったものの、念のため精密検査を受けさせられて、今日ようやく解放されたところだった。
検査の間ずっと、アスランはジェネシスの中でのことを考えていた。
守ろうとしたもの。守れなかったもの。
せめて、残されたもの達を守りたかった。エゴでもいい。それで死ぬとしても構わない。
カガリが止めてくれなければ、きっと自分は笑いながら死ねた。
「死のうとしていたんだって?」
ちょうど考えていたことを尋ねられて、アスランはびくりとその身を震わせた。視線を上げれば、キラがいつもの微笑を浮かべて、こちらを見詰めている。
違和感のあるその表情に、背筋を冷や汗が伝う。
「僕を残して死ぬなんて、許さない」
一瞬のちには、手首をきつく掴まれていた。
「痛…」
怖い。食い込むようなキラの力に、アスランは本能的な恐怖を感じた。
どうにか逃れようともがくが、びくともしない。
そのときだ。
「何をしている!」
苛烈なまでに響き渡る怒声。
いるはずのない人物を目にして、アスランの瞳が驚愕に見開かれる。
「イザー…」
目を向ければ、確かに想像したままの人物の姿。アスランはキラに掴まれたままである手のことも忘れ、食い入るようにかつての戦友を見詰めた。
必死に唇を湿らせて、どうにか言葉を紡ごうとする。
「ど、うして…ここに?」
「あのバカが死にそうになっていたからな。俺が助けた」
『あのバカ』とは、言わずと知れたディアッカ・エルスマンのことである。
事もなく敵軍の兵を助けたと言い切り、イザークは胸を張る。
変わらないその様子に、アスランは顔を和ませた。それを見て、イザークも満足気に微笑する。
「そんなことより…」
打って変わって鋭く眦を上げると、彼はキラへと視線を移した。
「貴様、アスランを放せ」
「アスラン…何なの、この人」
聞くからに鬱陶しそうなキラの声に、アスランは眉を顰める。言って良いものかと数瞬迷ったが、今は休戦中なのだからと自分に言い聞かせて、ぎこちなく口を開いた。
「イザーク・ジュール。デュエルの…パイロットだ」
「デュエル?」
アスランの言葉に、キラの眉が綺麗に弧を描く。意外なことを聞いたとでも言うようなその表情。
「ああ、あの、僕にやられっぱなしだった…」
くすり、と笑んで、アスランを掴んでいない方の手で、口許を覆った。
イザークは一瞬何を言われたのか分からず、眉根を寄せたまま固まっていたが、すぐにキラの意味するところに気付くと、これ以上ないというほど目を見開いた。
「何…?貴様、ストライク…!」
いまにも掴みかからんとばかりに拳を震わせ、キラを睨みつける。
キラはキラで、その姿をどこか楽しそうに眺め、イザークを煽るようにアスランを引き寄せた。
「なら、尚更アスランを渡すわけにはいかないよ」
「キラ…!」
慌ててアスランが抵抗しようとするが、キラ相手では全力で暴れるわけにもいかず、結局封じられてしまう。唇を噛んで睨みつけても、彼は冷ややかな視線を返すだけで、力を弱めるような素振りすらなかった。
挑戦的なその行動に、イザーク眦が吊り上がる。
「アスラン…この男、貴様の何なんだ?」
「え…キラ…キラは…」
困惑したアスランの科白に重なるように、くすくすと笑うキラの声が響いた。
「恋人、でしょ?」
「な…キラ、何を…!」
突然の言葉に、アスランは赤面しながらキラを睨みつけた。冗談にもほどがある。
しかし悪びれもせずキラは舌を出し、イザークの様子を窺う。
案の定、イザークはわなわなと全身を震わせ、射殺しそうな眼でキラを睨みつけていた。
はっきりと眼に見える憎悪。嫉妬。嫌悪。
その感情がアスランにも少なからず向けられているのを見て、キラは唇を歪めた。
声にはせず、「可愛さ余って憎さ百倍ってやつ?」と呟く。
「アスラン…この人、潔癖そうだねぇ…」
ゆうるりと、その瞳が細められていく。剣呑な雰囲気を纏いながら、こちらを切るように睨むイザークを見据えた。
「君が死にたがったなんて聞いたら、どんな反応するかな…?」
「やめ…っ!」
咄嗟に上げようとした制止の言葉を、寸でで留めた。
不用意に声を上げれば、イザークが不審がる。それだけは避けたい。
だが、不運なことに、すでに彼は二人の様子に疑念を抱いていた。
「さっきから何をこそこそと…」
「別に?ただ、アスランが自殺したがったって話」
ああ、とアスランの唇から絶望の溜息が零れた。侮蔑の色に染まっているだろうイザークの目を見ることが出来ず、瞼をきつく閉じる。
だが次の瞬間、自分の身体が宙に浮く感覚に、アスランは閉じた眼を見開いた。見れば、キラの手が腕から離れている。突然のことに咄嗟に反応できないでいると、今度は別の方向に引き寄せられた。
強引ではなく、どこか優しさの滲むその腕に、縋りつきたくなる衝動に駆られる。
目を開ければそこにはイザークの顔。どうやら彼が、キラの手からアスランを引き剥がしたらしい。
その証拠に、彼の背後で口惜しそうに顔を歪ませるキラの姿が見えた。今にも掴みかからんとしているが、イザークの出方を窺うように、拳をきつく握っている。
「アスラン、貴様が考えた末にそう判断したのなら、俺は何も言わない。だが、貴様が死んでも俺は生きる」
はっとして、アスランは面を上げた。イザークが、自身の母、エザリア・ジュールについてのことを言っているのだと気づいたのだ。
エザリアは、アスランの父パトリック・ザラと共に、急進派の先鋒だった。この戦争の拡大を招いたものとして、裁判に掛けられる可能性もある。その子のイザークにも、相応の重圧が圧し掛かってくることだろう。
ジェネシスのことにしろ、パトリックの行動にアスランが責任を感じるならば、イザークも同様に思っていて不思議はないのだ。
「それに、お前は生きることを選んだんだ。死ななかった」
彼のものとは思えないほど淡々とした言葉に、その裏に潜む激情を思った。
アスランは知らずその頬を濡らし、イザークを見詰める。
高潔を尊ぶ彼のことだ。自殺など、どんな理由があろうと許せるものではないだろう。
死して安らかに眠るよりも、生きて苦しみ高みを目指す。
そんな彼が自分にこう言ってくれるその真意は、途方もなく深いに違いない。
「アスラン…!」
自分を呼ぶキラの声で、アスランは現実に引き戻された。
イザークの顔を見て、困惑したように瞬く。あれほど敵視していた自分に、こんなに優しくしてくれるなんて、思いも寄らなかった。
一方、イザークはイザークで、アスランと向き合いながら自身の行動に疑問を感じていた。あれほど鼻に突いたライバルに、こんな言葉を掛けるだなんで、自分でも考えられない。
だが、二人の思考は、すぐに引き戻される。
「許さない…君は僕のモノでしょう…?」
低く唸るような声を上げたのはキラだ。
まさに一触即発、というそのとき。
「あら、皆さん。こちらにいらしたのですね」
ふんわりとした桃色の髪をなびかせて、ピンクの妖精が降り立った。
一瞬、その場の空気が固まる。
「ラクス…」
アスランは咄嗟にイザークの腕から逃れ、彼女の元へと走った。
「あらあら…どうしたのです、アスラン」
彼の肩に優しく手を置きながら、ラクスはキラとイザークの二人に視線を移した。アスランからは見えないように、にやりと笑う。およそアイドルとは思えない、凶悪な表情だ。
「ふん…!」
鼻息も荒く、イザークは踵を返した。
一方キラは数瞬ラクスと睨みあったが、ついには大きく舌打ちをして、その場を後にした。
「ラクス…?」
アスランが不思議そうに彼女を見る。
どこかあどけないその様子に、ラクスは目を細めた。
「お茶の用意をしましたの。キラとイザーク様の分もあるのですけれど…」
「俺が二人の分もいただきますから」
寂しげなラクスの仕草に、アスランは慌てて笑顔を向けた。
それを聞いて、ぱっとラクスの表情が明るくなる。
「本当ですか?じゃあ、カガリさんも待っているので…」
行きましょう、と手を引いて、嬉しげに微笑む。
アスランはしばらく頬を染めて、握られた手と彼女の顔とを見比べていたが、やがて遠慮がちに微笑を返して、頷いた。
「そうですね。行きましょう」
本編最終回のその後。
イザーク飛び立ってましたが、すぐに帰ってきたとかその辺は妄想で。