教えて!アスラン
少ないながらも与えられた自由時間。いつものようにディアッカと廊下を歩いていたイザークは、前方に隊の仲間を見つけ、歩調を緩めた。
赤服三人と、緑の軍服。アスランを取り囲むようにして、ニコル、ラスティ、ミゲルが楽しそうに話している。
イザークは少し眉間に皺を刻んで、だがそのまま通り過ぎようとした。ところが、ニコルの甘えるような声に、その足が止まった。
「アスラン、教えて欲しいことがあるんですが…」
「何だ?ニコル」
応えるアスランの声も、イザークに向けられるものよりは随分と甘い。何だか面白くなくて、イザークはニコルを睨みつけた。
せいぜい、足手まといにならないよう、エース殿にでも教わって精進するんだな。
心の中でそう毒吐いて、嘲笑を刷いた。しかし、もちろんニコルはイザークの方を見ることはなく、ただひたすらにアスランを見詰めている。
「プログラムの計算法則についてです。ちょっと分からないところがあって」
情報処理は得意なつもりなのですが、詰まってしまって。恥ずかしげに苦笑するニコルに、アスランはすぐに「俺に手伝えることなら」と了承を返した。
それに、すぐ横で聞いていた二人が、即座に反応する。
「あ、アスラン。だったら俺にも教えてくれないかな?」
「俺も俺も」
ミゲルの尻馬に乗り、ラスティも手を挙げる。ニコルだけに良い思いをさせてなるものかと言う気迫がひしひしと感じられた。
それを感じ取って、ニコルの表情が笑顔のまま固くなった。邪魔をしないでください、と無言のうちに二人へと圧力を掛ける。しかしラスティはまだしも、ミゲルは年の功だけあって面の皮が厚いのか、張り付かせた笑みのままそれをやり過ごした。
もちろんアスランは、そういった周りの雰囲気にも気付いていない。
「いいよ。じゃあ、後で談話室でやろうか。あそこなら広い机があるしな」
皆で一緒に、と笑顔で言われて、残りの三人は言い返せなくなる。もちろん、誰もがアスランと二人きりで過ごしたいと考えているが、こう言われてしまっては仕方がない。自分たちの邪な心は億尾にも出さず、笑顔で「談話室な」と相槌を打つ。
「ふん、暇人が!」
イザークが小さく吐き捨てると、今まですっきりとそれを無視していたニコルが、突然刺々しい視線を返してきた。笑顔を崩さず、目元だけを変えているのだから、怖い。どうやら、ミゲルとラスティに邪魔をされて、ご立腹の様子だった。
「何ですかイザーク。羨ましいなら羨ましいって言えばいいじゃないですか」
「な、何を!俺は羨ましくなんて…」
「なら黙っててください」
イザークの言葉を切って捨てて、ニコルは花のように微笑んだ。
「エースのアスランに教えてもらえば、僕やラスティ達の能力も上がって、良いことじゃないですか」
「だったら俺でも良いだろうが!俺だってお前達よりは」
「いやです」
痛烈な切り返しの連続に、言い争っているニコルとイザークよりも、周りのほうが気まずい雰囲気になった。ラスティとディアッカは何とか二人の間に割って入って宥めようとし、逆にミゲルはどうにか二人を煽ろうと隙が出来るのを伺っていた。一人アスランだけ、状況を把握できずに、眉間に皺を寄せて怪訝そうな顔をしている。
「ささ、アスラン。イザークなんか放っておいて、行きましょう」
「え…あ、ああ…」
そそくさとニコルがアスランの手を取り歩き出す。引っ張られるままに連れて行かれた彼だったが、後ろからイザークの金切り声と、それを宥めるディアッカの声が聞こえてくると、何だか胸が苦しくなってしまった。これが日常になりつつあることが、嬉しいのか悲しいのか分からない。あえて近い言葉を捜すなら、「疲れる」だな、と心のなかで思って、溜息を吐いた。
「…で、どうしてあなたがここにいるんですか?」
所変わって談話室。約束通り、ニコル、ラスティ、ミゲル、そしてアスランの四人は、そこで機器を立ち上げ、まずは処理速度の計算をしていた。しかし彼ら以外にも、なぜか同じ机にイザークとディアッカも陣取っている。
冷ややかなニコルの言葉を受けても、イザークはへこたれなかった。へこたれはしなかったが、眉間に皺を寄せはした。後ろから見守っているディアッカが、腫れ物を扱うかのように、その彼の顔色を伺っている。一体いつ怒り出すかとも知れない。地雷原を歩いているような心地なのだろう。
だが、そこでアスランがついに地雷を踏んだ。
「イザークも何かわからないことがあるのか?」
「そんなもの、ない!」
即座にイザークの背後に、不穏な空気が立ち込める。歯軋りしそうな勢いで、きつくアスランをねめつけた。
だが、睨みつけられたアスランの方は、全く気にもしていないようだ。少なくとも表面上はそう見える。彼はそのままのさりげない口調で、さらにイザークを追い詰める言葉を紡いだ。
「だったら、部屋に戻って身体を休めた方が良いんじゃないか?」
怪訝そうなその声に、悪気は全く感じられない。だが、逆にその素直な言葉がイザークの神経を逆撫でした。大きく息を吸い込んで、途端、大音声を響かせる。
「貴様に指図されるいわれはない!」
「あー…まあ、放っておいてやってよ」
喚くイザークの肩に手を添えて、ディアッカが苦笑する。
「何だとディアッカ!」
軽くあしらうようなその口調に、イザークの米神に青筋が立つ。しかも、それに追い討ちを掛けるように、ミゲルが上機嫌に口を挟んできた。
「色々難しいお年頃なんだよな、イザークは」
「ミゲル!貴様まで」
混ぜっ返すミゲルに、喚くイザーク。
徐々に収拾がつかなくなりつつある状況に、ラスティが歯止めを掛けようと間に入った。
「ま、まあまあ、イザーク。落ち着いて…」
「うるさいうるさいうるさぁい!」
だがやはり、ラスティの言葉ではイザークを宥めることは出来なかった。逆に火に油を注ぐ結果となってしまう。
叫び止まないイザークに、遂にアスランが一瞥を加えた。
「お前が一番うるさいだろう。…もう、仕方がない。ニコル、俺の部屋に行こう」
そう言い捨てて、即座に端末を片付け始める。ニコルだけを促して、本当に自分の部屋に行くつもりだ。
彼のその行動に、皆は一様に呆然とし、一人ニコルだけが、満面の笑顔でアスランに倣い片づけを始めた。それを見て、ラスティが慌てて追いすがる。
「あ、アスラン…俺やミゲルは?」
「後で見るから。まずはニコルのを片付ける」
淡々と言って、最後にアスランは、申し訳なさそうに苦笑した。その顔を見ると、ミゲルもラスティも否を告げる気にはなれなくなってしまう。
だが、イザークは違った。
「…っダメだダメだ!ここでやれ」
「何でお前に指図されなきゃならない」
アスランも然る者。先程のイザークの言葉をそのまま返して、つんとそっぽを向く。
そのアスランの行動に、ニコルが上機嫌で付け加えた。
「そうですよ。僕はアスランと二人っきりで仲良くお勉強してきますから、イザークはお気になさらず」
「ま、待て!」
イザークの制止も振り切って、ニコルはアスランを促し部屋を出て行った。その背中を見送りながら、ディアッカが一応年長のミゲルにお伺いを立ててみる。
「あーあ、行っちゃったじゃん。どうするよ」
「ニコルのことだから、安心は出来ないかもなぁ。相手はあの鈍いアスランだし、そろそろ実力行使にでも出ないと、このままお友達、ってオチになっちゃうって思ってるだろうし…」
意味ありげに目配せするミゲルに、心得たとばかりにディアッカが片目を瞑った。
「まあつまり、勉強のお礼に、僕が手取り足取り腰取り教えてあげます…って流れになるかもってことだよね」
「だ、だめだって、そんなの!」
ディアッカの言葉に、ラスティが我に返ったかのように声を張り上げた。だが、ラスティはそれ以上言葉を続けることは出来なかった。
「え、あ…い、イザーク!」
イザークが、突然部屋の外へと飛び出していったからだ。
アスランとラスティの部屋には、余分なものはほとんどない。ただ、その簡素な部屋に、何枚もの写真が飾られていた。共に親を亡くしている二人は、思い出や記憶を他の人間に比べ、より大切にしているように見えた。
「こうしていると、昔を思い出すな」
「昔って…まるでおじいさんみたいなことを言わないでくださいよ」
アスランの机にラスティの椅子を寄せて座り、二人は端末に向かっていた。
作業をしながらぽつりと呟かれた言葉に、ニコルは少し切ない気持ちになる。アスランを大切に思っている。だが、自分がどれだけ彼を思おうとも、彼を癒すことはきっと出来ない。
アスランはそんなニコルの様子にも気付かず、遠い目をして微笑んだ。
「すごく手の掛かる幼馴染がいてさ。幼年学校時代なんか、あいつの宿題を片っ端から手伝ったりして…」
それは、とても幸せそうな笑顔だった。思わずニコルは見惚れてしまったのだが、それとは別に胸が締め付けられるように痛くなって、顔を歪ませた。
彼のその様子を見て、アスランは何か勘違いをしたのだろう。慌てて苦笑しながら付け加えた。
「あ、ニコルはあいつよりもずっとしっかりしてるぞ。だから、ニコルがあいつに似てるから思い出したとか、そういうのじゃなくて…」
そうして、ひとしきりその「あいつ」についての話が続く。いい加減なヤツだった、とか、いつまでも子供で、とか。そして、最後に「それでも優しい良いヤツなんだ」と少し顔を赤らめながら呟いた。
ニコルは、針で心臓を刺されたような痛みに、再度顔を歪ませた。それを見て、またアスランが我に返る。
「…って、何言ってるんだろうな。すまない、忘れてくれ」
「いっそ似ていたら良かったのかも知れませんね」
「え?」
ニコルの呟きは、低すぎて聞こえなかった。
「いいえ、何でもないです。ねえ、アスラン。その人ってもしかして、あの写真の人ですか?」
気を取り直したように笑顔を向けて、サイドボードの写真を指し示す。そこには、茶髪の少年と仲良さそうに肩を組むアスランがいた。
「ああ…良く分かったな」
「仲良さそうですから」
本心とは違うことを口にして、ニコルはふわりと微笑んだ。
それを見て、アスランも安心したように目を細める。
「うん…そうだな、今までで一番親しくなれた友人だと思う」
「羨ましいです」
間髪空けずに返ってきたニコルの言葉に、アスランは眉をひそめた。
「ニコル…?」
羨ましいとか、そういった言葉は適切ではないような気がした。友人関係というものはそれぞれ相手によって異なるものであるし、逆にニコルとの関係は、他の何物にも代え難いと言うのに。
怪訝そうな顔をするアスランに、ニコルはうっそりと微笑みかける。
「ねえ、アスラン。僕とも仲良くしませんか?」
その手が、ゆっくりとアスランの肩口に伸びた。
「あ…そこっ…ん…」
「ここですか?アスラン」
「あぁっ…そう…上手い…」
部屋の中から聞こえてくる押し殺したような声に、イザークは顔が沸騰していくのを感じた。
「な、な、な…っ!」
アスランの自室の前。その扉に貼り付いて、イザークは絶句していた。
同じように、そのすぐ横で耳を扉に貼り付けながら、ラスティ、ミゲル、ディアッカも室内の異様な雰囲気に生唾を呑み込んでいる。
「あ、あ、アスラン!」
「あららー…」
「時すでに遅し、ってやつ?」
ディアッカの何気ない言葉に、他の三人が勢いよく振り返る。それぞれの顔には、言いようのない絶望が浮かんでいた。
「あ、イザーク!」
茫然自失の体で部屋に踏み込もうとするイザークに、ラスティが追いすがる。だが、それを片手で振りほどいて、ふらふらとイザークは扉に手を掛けた。
ラスティは扉の向こうに広がっているだろう光景に目を瞑り、逆にミゲルとディアッカは顔を赤くしつつもしっかりと目を開けていた。イザークはほとんど無意識のまま、部屋に足を踏み入れた。
そこには、睦み会う二人の姿があるはずだった。
ところが。
「あれ、どうしたんだ?皆…」
返ってきたのは、アスランの間延びした声。
二人は確かに仲良さそうに身を寄せていたが、それはベッドの上ではなかった。机の前に座って、ニコルの手元を覗き込むようにアスランが顔を近付けている。
「…アスラン、お前ら、何やってるわけ?」
「何って…見れば分かるだろう?マイクロユニットの製作だよ」
見れば、確かにニコルの手元にはハロのような物体が鎮座している。
「アスランに教えてもらっていたんです」
ニコルが椅子の上で身を捩り、四人の方へと微笑みかけた。それを受けて、アスランが嬉しそうに口を開く。
「ニコルは手先が器用だから、上手いな。そうだ、ミゲルたちもやってみるか?」
話を振られたミゲルは、遠慮する、とばかりに両手を挙げた。ラスティはやりたそうだったが、彼がアスランにそう答える前に、またしても邪魔が入った。
「…こ、こ、腰抜けぇっ!」
叫んで走り出したのは、言わずと知れたイザークだ。それを見て、慌ててディアッカが後を追う。しかし、クルーゼ隊のナンバー・ツーであるだけはあり、彼の姿はすでに遥か彼方に消えていた。
「ああ、イザーク!ちょっと待てよ!」
イザークを追って走り出すディアッカを見送りつつ、アスランが怪訝そうに眉根を寄せる。
「…どうしたんだ、あいつ…」
「うーん…まあ、イザークにも色々あるんだよ」
ラスティが、複雑な笑顔を向けながら、アスランに相槌を打つ。それに被さるように、ニコルがアスランの腕を引いた。
「そうですよ、アスラン。イザークなんて放っておいて、続き教えてください」
甘えるように見上げて、にっこりと微笑む。
アスランはつい頷きかけたが、ミゲルの手がその腕を捕らえた。
「ちょっと待った!俺やラスティがいるのを忘れるなよ。お前の時間はもうおしまい。続きは俺たちの番だ」
「僕の番はまだ終ってませんよ」
ニコルとミゲルの間に、目に見えない火花が散る。
ラスティは逃げ出したい衝動に駆られたが、アスラン一人を置いていくわけにはいかない、と足に力を入れて踏ん張った。しかし、当のアスランは三人の異様な雰囲気にも気付かず、のんびりと小首を傾げる。
「あ…じゃあ、イザークも部屋に行ってしまったようだし、皆で談話室に戻るか」
そのアスランの声に、臨戦態勢にあったミゲルとニコルが、途端強張りを解く。
「ああー…まあ、いいけどよ」
「じゃあ、早速行きましょうか」
さっきまでの険悪な雰囲気は一体なんだったのか。突然睨みあうのをやめると、二人はアスランの両隣をそれぞれ陣取った。そのままニコルは腕に、ミゲルは肩に手を回し、談話室へと歩き始める。
取り残されたラスティは、慌てて彼らの後を追った。
「あ、ちょっと、待ってくれよ!」
彼は、涙目だった。
記念すべき二万打キリリクです。杉さま、リクエストありがとうございました!
「アスランが皆に愛されている」とのことでしたが、クリアできているでしょうか?