Trail1:衝動





 俺は、暗闇の中に立っていた。
 目蓋を開けても、閉じても、目の前が真っ暗なのは変わりない。

「おい、誰かいるのか……?」

 呼びかけても、誰も答えてくれなかった。
 だが、出し抜けに前方に光の裂け目が出来た。針のように細い光は、徐々に膨張して扉の形になった。光の向こう側に人影が現れ、音もなく、俺に向かって歩いてくる。

「おい、あんた達は誰だ?」

 光の向こうから現れたのは、一人ではなかった。フードを被った彼らには、俺の声が聞こえていないのか。歩みを止めず、無言のまま眼前まで迫ってくる。先頭の奴は、両手に何も持っていなかったが、武器を隠し持っているかもしれない。咄嗟に避けようとしたが、両足が暗闇にくっついて動かない。
 ぶつかると身構えようとした時、彼らは俺の背後に現れた。否、俺をすり抜けていったのだ。

(俺は、死んでいるのか……?)

 列の真ん中を歩く者の腕には、赤子が抱かれている。産着に包(くる)まれ、気持ちよさそうに、すやすや眠っている。赤子の髪は、俺と同じ灰色で、綿毛のように柔らかそうだ。
 俺をすり抜けていった者達の行く手には、紅色の大理石で出来た細長い台座が設えられている。否、全体は白く、何故か上面だけが赤黒く染まっているのだ。特殊な石か、あるいはここで何かが行われているのかもしれない。
 扉の向こうから現れた者は、全部で七人いた。彼らは、台座を囲んで立つ。

 ――よく見ていろ。

 あの声だ。直に声が聞こえるようになったのは、いつからなのか。相変わらず姿が見えず、冷淡な声だけが、頭の中でこだまする。
 赤子を抱いた者は台座に近寄ると、産着を解いて、赤子を台座に寝かせた。何と、赤子の左腕には、俺の腕と瓜二つのあざが刻印されていた。だが、まだ紋章はどす黒くなく、ほんのり赤みがかっているくらいだった。

「魔王に魅入られし者、魔王サレプスの魂の器となるべく生まれてきた肉体よ」

 台座の横に、楕円形の鏡が現れた。鏡面の中心に、どす黒い煙が渦を巻いている。

「災いの根元、悪魔族の王サレプスよ。汝は、闇の女神オーフェンの造りし深き魔界へと帰らん」

 朗々と響きわたる老人の声に、掲げられる杖。やにわに、火の付いたように赤子が泣き出した。左腕に刻印された悪魔の紋章が見る見る薄れ、煙となって鏡の中に吸い込まれた。

「再び紋章が『魔王に魅入られし者』に戻らぬように、五つの封印が解かれぬように」

 一人がのこぎり状のナイフを取り出すと、小瓶に入った水で刃先を濡らした。杖とナイフを持った二人を除き、残りの五人が、それぞれ赤子の両手両足と頭を台座に押さえつけた。

「……やめろ!」

 男は、ナイフを垂直に構えると、いきなり赤子の左胸に深々と突き刺した。
 ぴたりと、泣き声が止んだ。刃先を舐めるようにして、鮮血がにじみ出る。俺は、赤子に駆け寄って、ナイフを奪い取ろうとしたが、体が透けて、柄に触れることすらままならない。
 男は、ナイフをもう一本取り出して赤子の左肩に押し当てると、上下に引いて腕を切り落とし始めた。
 骨を削る乾いた音が聞こえる。そうこうしているうちに、両手両足が切断されていく。断面からあふれ出した血は、台座を赤く染め上げる。そうか、ここでは、幾度も『魔王に魅入られし者』が手に掛けられているのか。

「こんなむごいことが許されて、良いのか……!?」
 ――これは『悪魔の紋章』を消すための儀式だ。神官どもは、我が魂が、肉体となる器に宿らぬように『魔王に魅入られし者』を抹殺する。奴らは、ただ殺すだけでは飽き足らず、四肢と頭を分断した上で燃やす。肉体は灰になるまで燃やされ、決して埋葬されない。

 今まで沈黙していたあの男が、口を開いた。

 ――奴らは、この世に、我が肉体を留まらせてはならないと考える。我が肉体の証となる紋章を、魔界に帰すことで万事解決しようとしている。そこに、お前の意志など、存在しない。
「やめろ、話しかけるな!」
 ――もし、儀式を受けていれば、お前の命はとっくに亡くなっていただろう。神官どもは、赤子だけではなく、自我が芽生え始めた小僧をも手に掛けるのだ。この儀式は、何百年も前から行われている。

「俺は死にたくねぇ!」

 俺は、頭を抱えて、その場にうずくまった。ずっと騙されていたことを思い出すと、腸が煮えくり返る。
 もし少女――彼女は未知といった――と出会わず、親父とアーサーさんの話を盗み聞きしなかったら、俺は殺されていたに違いなかった。世界の中心にある神殿は『神に選ばれし者』として洗礼を受ける場所ではなく、『魔王に魅入られし者』を抹殺するための場所だったのだ。

 ――お前は、この非業を断ち切りたいと思わないか? 罪なき者が死ぬのは嫌だろう。生き残ったお前には、その資格がある。
「こんな場所、滅んでしまえ……」

 目を開けて、直視したくなかった。耳を塞ぎ、あの男の声を聞きたくなかった。


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