2日目:大清水〜尾瀬沼〜燧ケ岳〜元湯山荘
| 5月29日(木)午前3時30分、バスは大清水に到着した。外は真っ暗だ。もう少し明るいだろうと考えていたので、心細くなる。4名の乗客は戸倉のバス連絡所で降りてしまったので、真っ暗な大清水に残されたのは、私と40代くらいの女性の二人だけであった。私達は土産物屋のベンチで朝食を摂りながら、夜が明けるのを待っていた。 4時近くになり、辺りがうっすらと明るくなってきた。すると、軽自動車がやってきた。乗車していたのは一人の男性で、燧(長英)新道で燧ケ岳に登るのだという。それならば、私と同じだ。「では後ほど」と男性は言い、まだ薄暗い沼田街道の林道を歩いていった。 |
![]() 【尾瀬沼登山口】 |
![]() 【登山口】 |
4時03分、私も歩き始めることにした。登山口を入ってすぐ左側にある祠に手を合わせて歩き始める。沼田街道の林道は幅が広く、砂利が敷かれている。歩いているうちに、辺りが一気に明るくなってきた。林道の両脇には新緑のブナが茂り、時折ムシカリの花が咲いている。私は睡眠不足のために重たく鈍くなっている体を、ウォーミングアップするようにのんびりと歩いて行った。 5時00分、一ノ瀬休憩所に到着する。とても眠い。私は休憩しながら、自分の体調が不安になった。頭の回転が遅く、体に力が入らない。しかし、歩かなければと腰を上げ、5時10分、再び歩き出した。 一ノ瀬休憩所からすぐの三平橋を渡ると、左側に本格的な登山道の入り口が現れた。 |
| 看板には、尾瀬の生態系を乱さないようにする配慮から、靴底に付着した種子を落とすよう、指示が書かれている。私は人工芝マットで念入りに靴底を擦ってから、入山した。 始めのうちは、沢沿いの登山道を歩く。水音が心地よい。階段状に整備された登山道は歩きやすく、朝日に照らされた山々を眺めながら高度を上げていくうち、体の鈍さが抜けていった。登山道はやがて、木道となった。この木道は、ハイカーが湿原を踏み荒らさないよう、尾瀬全域57kmに渡って設置されているそうだ。これだけの木道を設置する労力は、並大抵ではないだろう。感謝しながら木道を歩いた。 |
![]() 【沢沿いの道】 |
![]() 【三平峠】 |
三平峠に近づくと、木道の上に残雪が目立ってきた。始めは20cmくらいだったが、30cm、40cmと増えてくる。私は左右の木道を踏み抜かないよう、注意しながら歩いていき、日光国立公園尾瀬の入り口である、三平峠に到着した。 辺りは雪で覆われている。これは予想しなかったことだ。鳩街峠から尾瀬ヶ原に入山する道に残雪は無い、との情報を得ていたので、大清水から尾瀬沼への道も同じくらいの融雪状況だろうと思い込んでいたのだ。本来なら、この残雪を見て燧ケ岳の雪深さを想像しなければならないところなのだが、どうもこの日は頭がボケていたのか、「この融雪状況で水芭蕉は咲いているのか」と、花ばかりが気になっていた。 |
| 三平峠から尾瀬沼までは下りだ。雪の下り斜面は、注意していても滑ってしまう。私は一度、大きく転んでしまった。幸先が悪いなぁ、と、濡れた服を拭きながら、チラチラ見え始めた尾瀬沼に向かって歩いた。 6時35分、三平下に到着する。燧ケ岳を逆さに映す尾瀬沼は、水面際に霧が発生し、幻想的な風景だ。「きれい・・・」とただ一言しか出てこない。私は眺めを充分に堪能した後、長蔵小屋へ向かった。 長蔵小屋へ続く木道の周辺で、待望の水芭蕉とリュウキンカに出会った。白色と黄色のコントラストが美しい。よかった、花にはまだ早いかと心配していたが、たくさん咲いている。 |
![]() 【尾瀬沼より燧ケ岳】 |
![]() 【水芭蕉とリュウキンカ】 |
来て良かったと、心から感じた。そして、目指す燧ケ岳を眺めた。見た目では雪が多いようには見えない。天候が崩れるような空でもない。私は、大丈夫、登れる、と感じた。 7時15分、長蔵小屋に到着する。小屋の裏道に迷い込んでしまったので、職員らしき男性に道を尋ねた。男性は燧(長英)新道への道を親切に教えてくださったが、最後に「かなり雪がありますよ」と付け加えた。そして、口には出さなかったが、顔に「大丈夫かな」という懸念が現れていた。この時、詳しく話を聞けばよかったのだが、登る気いっぱいの私は、「そんなに心配してくださらなくても大丈夫よ」という気分でいた。 7時28分、燧新道の登山口に到着する、入り口に立てられた看板には、毎年雪融け時期に多くの遭難事故が発生していることが書かれている。そうなのね・・・と、私はたいして気にもせず、燧ケ岳登山を開始した。 |
| しかし、すぐ、長蔵小屋の男性が話していた「かなり雪がありますよ」の言葉を実感することとなった。登山道は登り始めて5分で残雪が30cm程となり、しだいに40cm、50cmと深くなっていく。私は想像していたより雪が深いな、と感じながら、木に付けられた道標を頼りに登っていった。 だがしばらくして、道標を見失ってしまった。その事実の恐ろしさに気が付くと、急速に血の気が引くのを感じた。「怖い・・・」と、思わず口に出し、泣きそうになる。しばらく立ち尽くしたが、大きく息を吸い込み、トレースを探してみた。雪融け時期なので数日前のものは消えてしまうが、それでもいくつかの足跡がある。それになにより、今朝、大清水で出会った男性が、この道を先に歩いているのだ。 |
![]() 【燧新道 登山口付近】 |
![]() 【登山道より尾瀬沼が見え始める】 |
足跡を辿って数m登ると、前方に道標を見つけることができた。よかった・・・よかったと、心底安堵した。そして、今までは足元ばかり見て歩いていたな、と反省した。たとえ一瞬でも道に迷いたくはないので、これからは数十m先の道標を確認しながら、足元にも注意しつつ登っていこうと決めた。 雪はさらに深くなり、1m程となった。しかし、この登山道は道標がたくさん付けられているので、慎重に歩けば道を外すことはないだろうと感じた。2時間程登った頃、登山道から尾瀬沼が見えるようになった。残雪の会津駒ケ岳も望むことができる。登山道では未だに誰一人、会うことはなかったが、広がる景色が寂しさを紛らわさせてくれた。 |
| 前方右側に、爼ー(まないたぐら)が見えてきた。延々と登っているような錯覚に捕われていたところだったので、ゴールが近いことを知って安堵する。この辺りから、登山道がだんだんと急斜面になってきた。滑りやすくなってきたので、軽アイゼンを装着する。サクサクと、アイゼンが雪に食い込む音がして、残雪の山を登っているのだと改めて実感する。そして、急坂を登り終えたところで雪が無くなり、この山で初めて、乾いた土の上を歩くことができた。嬉しくなってアイゼンを外すが、しかし、すぐにまた、残雪の急斜面となった。再びアイゼンを装着するのが面倒なので、滑りながらもなんとか登っていった。そして再び乾いた土の道となり、9時55分、ケルンのあるミノブチ岳に飛び出た。 | ![]() 【爼ー 2346.0m】 |
![]() 【ミノブチ岳より爼ーを望む】 |
ミノブチ岳では、今朝、大清水で出会った男性が休憩していた。私はこの山で、初めて人に会ったことを嬉しく感じた。「何度か足跡に助けられました」と挨拶すると、男性は「早かったね」と言ってくださった。早いのかしら・・・と時間を計算してみるが、登山口からミノブチ岳まで2時間30分もかかっている。早いとは言えない。歩みの遅い私とは違い、スタートが15分早かった男性は、すでに登頂済みで下山中なのだそうだ。 男性にプロセスチーズをいただき、話がはずんだ。そろそろ歩き始めようと腰を上げると、男性が 「山頂への急坂はちょっと気を抜くと、あっという間に滑り落ちるから気をつけてね」 と、アドバイスをくださった。しかし、長蔵小屋の職員の「かなり雪がありますよ」のアドバイスに続き、私はまたしても「滑り落ちるから」のアドバイスを真剣に受け止めず、後にその言葉の本当の重さを知ることとなった。 |
| 私は男性に頭を下げ、爼ーに向かった。再び残雪の斜面を、トラバース気味に歩いていく。そして10時40分、爼ーに到着した。ここでは秋田から来たという男性二人が休憩中だった。挨拶を交わし、一緒に柴安ー(しばやすぐら)に登ることになった。ただ、柴安ーへの残雪の急登は、ここから見ると傾斜がきつく、難易度が高いように感じた。しかし、私はあの急坂を登らないことには見晴新道を下れないので、行くしかない。 残雪の急登は、ステップが刻み込んであるので、そこに自らも足を蹴り入れながら登った。最大傾斜は45度程あり、手も使いながら難儀して登った。遠くから見るのと、実際に登るのとでは大違いだ。 慎重に、慎重に登り、山頂近くでやっと雪の無い道に出た。そして11時15分、燧ケ岳山頂である柴安ーに到着した。 |
![]() 【急登を下から見上げる】 |
![]() 【燧ケ岳山頂より至仏山を望む】 |
山頂では、大展望が開けていた。南西には尾瀬ヶ原が広がり、その向こうに至仏山が見える。これから下ろうとする樹林帯と、その麓の下田代十字路に並ぶ山小屋も見える。山頂と尾瀬ヶ原の標高差は950mくらいだが、なかなかの高度感だ。私は景色を眺めながら昼食を摂って、山頂での時間を満喫していたが、秋田の二人はしばらく休憩してから、往路を下っていった。 11時50分、見晴新道での下山を開始する。山頂近くは赤茶の小岩がゴロゴロしており、雪ばかり踏んでいた今日の私には新鮮な風景に映る。10分程下るとハイマツが姿を見せ、12時08分に温泉小屋道との分岐点に着いた。 |
| 温泉小屋道を右に分け、さらに見晴新道を下ると急坂となった。しかも、残雪が道を隠している。私は道標を探したが見付からなかったので、トレースを探した。しかし、頼りの踏み跡は、たった一人が付けたもののようだった。しかも、数日前のものらしく、不明瞭だ。踏み跡を辿って下ると、10m先に雪で隠れている道標が見えたが、さらにその先の道標は見当たらなかった。道が分からない・・・と、私は急に不安に襲われた。この道は燧新道より歩かれていないので、遭難しやすいかも・・・と血の気が下がる。と、その時、急坂でアイゼンを装着していなかったので靴底が滑り、5m程ボーゲン状態で下ってしまった。 ボーゲンは止めることができたが、私はそのまま雪の上に座って考え始めた。怖い・・・この道は下れないような気がする・・・と、漠然と感じた。登山道は雪で隠れている、頼りの踏み跡の主は一人、この辺りの道標は発見し辛い。残雪の深い樹林帯で迷ってしまったら、今日中に下山できないかもしれない。遭難騒ぎを起こすのは嫌だ。どうしよう・・・と気持ちが焦る。落ち着け・・・落ち着いて考えよう・・・と、空の青を見上げて心の焦りを増幅させないようにする。そして、道に迷った時の原則を思い出した。 |
“迷ったら来た道を戻れ” 時計を見る。12時20分。ざっと頭の中で計算し、遠回りになってしまうが、もう一度山頂に戻り、燧新道を下って尾瀬沼から段小屋坂経由で元湯山荘に向かえば、日没までに到着できるだろうと予測する。もう一度、空を見上げる。大丈夫、こんなに晴れ渡っている。よし、もう一度山頂を目指そう。 私は雪の上から立ち上がり、再び山頂を目指した。大丈夫、焦るな、焦るな、と自分に言い聞かせて急坂を登る。最近、調子に乗りすぎていて、山に対する慎重さを無くしていたのだな、と反省する。直前に、燧ケ岳の残雪状況や、登山道の状況などを役場などに問い合わせて確認しておけば、こんなことにはならなかったのだ。 12時56分、再び柴安ーに到着する。40分、登り返したことになる。ここから、目指す柴安ーに数人のハイカーが休憩しているのが見えた。心細くなっていた私は、彼らが出発しないよう願いながら、アイゼンを装着し、爼ーへの急坂を下り始めた。登った時も急坂だと感じたが、下りではさらに難儀に感じる。45度くらいの斜面を、ストック無しで下る大変さに汗が噴出す。 |
![]() 【滑落した柴安ーの急坂】 |
と、その時、アイゼンを装着しているにも係わらずスリップし、尻餅をつくような形で滑落し始めた。あっという間の出来事だった。急坂なので、お尻で滑ったまま、止まらない。滑り落ちるにつれ、ジェットコースターのように、どんどん加速されていくのが分かる。あぁ、もう、信じられない・・・と思いながらも、滑り落ちていく先にハイマツが生えているのを確認した。よし、ハイマツに掴まろう、と構える。そして、高速でハイマツ帯に突っ込みながらも、枝を両手で掴み、なんとか止まることが出来た。20mは滑り落ちただろう。ミノブチ岳でアドバイスしてもらった「ちょっと気を抜くと、あっという間に滑り落ちるから」とは、こういうことだったのだ。しかし、ここにハイマツが生えていなければ、どうなっていただろう。そのまま崖に転落していたのだろうか。想像すると、身の毛がよだつ。私は、ここにハイマツが生えていた幸運に助けられたのだ。 |
| 私は、冷たく、痛くなってしまったお尻と腿をかばいながら、慎重に雪の上から立ち上がり、残りの斜面を下っていった。鞍部を過ぎ、再び爼ーへの登りにかかる。先ほど見えたハイカーたちは、まだ居るだろうか。居てほしいな、と思いながらピークに近づくと、4人の男性が顔を出した。 私はこの時ほど、山で人と出会って嬉しかったことはない。あぁ、人に会えた・・・と安心した。今まで、とても喉が渇いていたが、やっと水を飲む気持ちの余裕が出てきた。彼らは御池から登ってきたそうだが、雪が深かったので、燧新道を下ることにするという。私は、同じ道を歩く人が増えたことを、心強く感じた。とは言え、まだ危険があるかもしれない。私は最悪の事態に備え、ルート変更の連絡をしなければ、と考えた。 |
![]() 【ミノブチ岳より尾瀬沼を見下ろす】 |
![]() 【尾瀬沼の湖面】 |
爼ーではJフォンの電波状態が良好だったので、父に電話をかけた。私が登山届けを提出したのは両親だからだ。心配を掛けさせたくないので、道が分からなくなったことや、滑落したことは話さず、新しいルートの説明だけをする。そして、私の到着が遅いからといって遭難騒ぎにならぬよう、今日の宿泊先である元湯山荘の事務所(尾瀬林業)への連絡をお願いする。 再び、下山を開始する。焦りと不安は、彼らに出会ったことで消えていた。ありがたいことだ。ミノブチ岳に着くと、スキー板を持った若い男性が居た。「2本滑りました」と、ナデッ窪を指差す。白い斜面には、滑らかな筋が付けられていた。 ミノブチ岳からはアイゼンを装着して、ひたすらサクサク下るという状況だった。こんなに時間がかかったかしら、と疑うほど長く感じた。尾瀬沼はまだかな、まだかな、と何度か口に出して言ってみた頃、尾瀬沼を一周する木道に出た。15時00分だった。 |
| 15時05分、沼尻へと向かう木道を歩き始める。今までの雪道と違い、歩きやすくありがたい。しばらく歩くと、木道が尾瀬沼に沿うようになってきた。沼は水をたたえ、風でさざ波が立っている。沼尻休憩所に近づくと、前方からミノブチ岳で出会ったスキーヤーがやってきた。前方からということは、ナデッ窪を滑り降りてきたということだ。すごい・・・。 私は持ち合わせの水が減っていたので、沼尻休憩所でジュースを買おうを考えていた。しかし、軽食と飲み物が置いてあるはずの休憩所は、営業していなかった。近くのそば屋も今年は休業だそうで、沢の水を補給するしかない状況になってしまった。 |
![]() 【段小屋坂の沢】 |
![]() 【下田代十字路より、夕暮れの至仏山を望む】 |
下田代十字路へ続く道は残雪があり、燧ケ岳の裾野を、沼尻川を左に見て進んでいく。燧ケ岳を下山した時、もう雪はないだろうと思っていたので、30cm〜50cmはある雪に気が滅入る。土の上を歩くのとは違い、速度が落ちるのだ。トレースがしっかりついているので迷うことはないが、時折、雪に隠された左右の木道の間を踏み抜きそうになる。残雪の多い段小屋坂を抜けると、ようやく雪が減ってきた。見晴新道への分岐点辺りでは、完全に雪が融けていた。下田代十字路が近いのだな、と嬉しくなる。もう少しで平地に出る、と歩みを速めると、17時25分、至仏山を真正面に据えた下田代十字路に到着した。 |
| もう、辺りは夕暮れが始まっており、至仏山が美しいシルエットを浮かび上がらせている。私はやっと緊張感から解き放たれた。どっと力が抜けて、疲労を感じる。元湯山荘までは、もう少しだ。 私は振り返ってみた。穏やかな空を背景に、燧ケ岳はそこにあった。今日の昼頃、あんなに怖い思いをしたのが嘘の様に感じる。私は神を信じている訳ではないが、無事に下山できて良かったと、心から何かに向けて感謝した。 元湯山荘までの木道の周辺では、水芭蕉やリュウキンカが出迎えてくれた。ほんの数輪だが、ショウジョウバカマも咲いている。美しい風景だなと、心が安らぐ。私は足首に痛みを感じていたので、のんびりと歩いていった。 |
![]() 【下田代十字路より、燧ケ岳を望む】 |
![]() 【元湯山荘へ続く道】 |
18時00分、元湯山荘に到着する。食堂では夕食の最中で、今頃やってきた非常識な客に視線が注がれている。かなり、恥ずかしい。受付の男性に名乗り、 「遅くなるという連絡は入りましたか」 と、訊ねてみた。 「入りましたよ」 と、嫌な顔一つせずに答えてくださる。後日、携帯電話に入っていたメッセージを聞いて分かったのだが、電波の届かない樹林帯にいる時、尾瀬林業(元湯山荘の経営会社)の方が心配して電話をくださっていた。男性が、 「お腹が空いたでしょう。先に食事をしてからゆっくりお風呂に入るといいですよ」 と、親切におっしゃるので、汗臭いままで他のお客さんに失礼かとは思ったが、食堂に入った。食事をしていると、食堂に居た職員さんがやってきて、 |
| 「ここには電話が無いので無線で連絡を取っているんだけど、鳩待山荘(同じ尾瀬林業の経営)にご家族から電話が入ったので、無事に到着されたことを伝えておきました。たしか隣の温泉小屋には衛星電話があるはずだから、心配なさっているご家族にお電話されると良いですよ」 と、おっしゃる。 またまた頭が下がる思いだ。私のせいで、尾瀬林業の皆さんには、お手数をお掛けしてばかりだ。ハイシーズンで忙しい中、私はお騒がせな客なのだと恥ずかしくなった。すべて自己責任で、他者に迷惑を掛けないように山を楽しむには、私はまだまだ未熟なのだ。 食事の後、温泉に入った。山小屋に温泉があるとは、とてもありがたい。汗でベトベトになった体を洗うと、疲れが少しだけ取れた気がした。 宿泊する部屋は、“御池”という6畳間だった。相部屋だったが、東京からのツアー客を率いている添乗員さんと二人だけだったので、広々と使えた。 この日は4時間に満たない睡眠で、13時間も歩いた。よく歩けたなと思う。おかげで、翌朝まで超熟睡であった。 |
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