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Artist

FRANCO ET LE TOUT PUISSANT O.K.JAZZ

Title

FRANCO ET LE TOUT PUISSANT O.K.JAZZ


mario
Japanese Title 国内未発売
Date 1985 / 1986
Label ESPERANCE/SONODISC CD 8461(FR)
CD Release 1989
Rating ★★★★★
Availability


Review

 O.K.ジャズ結成30周年を翌年に控えた1985年はフランコの分水嶺となった年でもあった。同年発売された'MARIO' はザイールのみならず、リンガラ語圏外のアフリカ諸国でも大ヒットし、後期O.K.ジャズの代表作となった。フランコのぼう大なCDのなかで最初期にリリースされた本盤のほかに、日本でも発売された『ル・グラン・メートル〜ザイール音楽の魅力を探る(2)』(オルターポップ AFPCD 3213)など、フランコの死後に世界各国からリリースされた入門アルバムの多くにこの曲が収録されている。その意味で、'MARIO' は世界中でもっとも知られるフランコのナンバーといえるだろう。

 しかし、まぎらわしいのは'MARIO'とタイトルされるナンバーはじつは全部で4種類もあるということだ。'MARIO''MARIO PART2'(別名 'MARIO SUITE' )は85年、'MARIO PART3'(別名 'MARIO (NON STOP)' )は87年、'RESPONSE DE MARIO' は88年と、全種別々のLPで発表された。

 ライトなトーンのシンプルなギター・リフにのせて、フランコとマディル・システムとが間髪おかぬ歌というか語りのやりとりを延々と繰り広げていくという、わたしが“ぼやき節”と名づけた構造はすべてのヴァージョンに共通している。'PART3'を除けば、いずれも13、14分台におよぶ長尺曲ながら、終始曲調に変化なく、セベンも用意されていない。'PART1''PART2'では、おそらくデスーアンと思われるコンガが前面に出て軽やかなダンスをうながすものの、最後まで高揚することはない。しかし、このシンプルな反復が微妙に変化しながらつづれ織りとなり、いつしか壮麗な建造物が築かれている。
 わたしがそうだったように、ビギナーには、この曲は単調で退屈に聞こえることだろう。フランコが最後に行きついた境地であるこの曲の奥深さがわかるまでにはそれなりのフランコ体験が必要だと思う。

 CD復刻にあたっては、85年の'MARIO' 2曲は本盤に、87、88年の2曲は同時期に(よく似たジャケット・デザインで)リリースされた姉妹盤"FRANCO ET LE TOUT PUISSANT O.K.JAZZ"(ESPERANCE/SONODISC CD 8462)に収められた。ちなみに『ル・グラン・メートル』をはじめとして、入門盤には演奏時間がコンパクト(5分31秒)な'PART3' がとりあげられている場合が多いようだ。'PART3' は、よりテンポ・アップしてダンサブルになり、シンセも加わりにぎやかになってはいるものの、この曲本来の持ち味が十分に生かされているとは思えない。'MARIO' の本領はやはり'PART1' 'PART2' に尽きる。

 'MARIO' は、年上の金持ち婦人のジゴロとして自堕落に生活する男の物語。フランコは、エディット・ピアフが最晩年の47歳のときに20歳年下のギリシア人青年テオ・サラポと結婚したことに題材をえたらしい。なにするでもなくぶらぶらと贅沢三昧に暮らすマリオに婦人はほとほとイヤ気がさしてきている。しかし、そんな気持ちなどいっこうに気に止めることなく、かれは彼女の家に居座りつづける。ついに婦人はマリオにむかって、かれがこれまで重ねてきた不品行の数々を並べたて、「いますぐここから出て行きなさい」と責め立てる。この婦人の役をフランコとマディルが絶妙のコンビネーションで代わる代わる演じてみせる。念のためいうが、ふたりの“語り”はヒップホップ・スタイルのラップとは似ても似つかぬ優雅なやりとりである。

 'TU VOIS? (MAMOU)' といい、'TRES FACHE' といい、これまではおもに女を標的にしてきたフランコだったが、'MARIO' からむしろ男のほうがやり玉にあげられるようになった。この間、フランコの心境にどのような変化があったのか?

 'TU VOIS? (MAMOU)''MARIO' のあいだにフランコは'12600 LETTRES' という曲を発表している。これはフランコに寄せられたファンからの手紙をもとに、84年4月のロンドン公演のさなかに一気に書き上げたものだという。それらの手紙の多くには小姑のいびりにさらされている嫁の悩みが切々と綴られていた。フランコは、そんな大家族制度下における嫁の立場を代弁するためにこの曲をつくった。さらにこのテーマでフランコが一般のひとたちと交わした議論をそのまま収めたかたちの'12600 LETTRES DEBAT' という曲ならぬ曲もある。(これらはともに"BINA NA NGAI NA RESPECT"(SONODISC CD 6865)というCDに収録されている。)

 このようにフランコは制度や慣習などのために不当な扱いを受けている世の女性たちに同情し擁護する立場をとるようになってきたことがうかがえる。(といってもフランコの女性蔑視性向があらたまったわけではない。)

 弱き女性の側に立って、身勝手な男のふるまいを斬って捨てるというポジションで書かれたスコアのピークは、O.K.ジャズ結成30周年記念アルバムとして86年に発売されたアルバムに収録されていた'LA VIE DES HOMMES'「男の人生」)であろう。LPでは片面をまるまる使った20分をこえる大作である。

 この曲の語り手は、多くの子をかかえながら夫に捨てられた哀れな女性メルリーサ。例によってフランコとマディルが執拗にくり返されるシンプルなリフにのせて、メルリーサの嘆きをやさしく力強く代弁する。究極にまでぜい肉をそぎ落とし、陶酔するようなダンスを誘発させるこの完璧なまでの美しさにリンガラ音楽のひとつの完成型をみてとることができる。

 ところで、この時期、フランコとザイールのマスコミとの関係は最悪だった。きっかけは'MARIO' があれほど大ヒットしたにもかかわらず、音楽ライターの投票で決まる85年ベスト・ナンバーから洩れたことだった。なんでも、キンシャサの音楽ライターたちにとって、ヨーロッパに活動拠点をおくザイール・ミュージシャンの音楽は「よそ者の音楽」という意識が働いていたせいだという。
 そんなこともあって、O.K.ジャズ結成30周年にあたる記念すべき86年6月6日は、キンシャサではなくツアー中のケニアでむかえることになった。ケニアはザイールに次いでTPOKジャズの人気が高い国であるから、本国で悪意あるマスコミのオモチャにされるよりよほどマシだと思ったのだろう。キンシャサに戻ってきてからフランコがマスコミにむかって放ったせりふは「パーティは終わった」のひとことであった。

 さて、本盤には'MARIO''MARIO PART2''LA VIE DES HOMMES' の3曲のほかに、おなじくフランコ作品で'LA VIE DES HOMMES' のB面に収められていた'IDA''CELIO' の2曲を収録。上述の3曲があまりに強力なものだから、イマイチ存在感が薄いが、なかなかどうして、音楽の密度は濃い。'IDA' ではフランコの“ぼやき”の合間を縫って、'CELIO' ではジョー・ンポイとデュエットで、新加入の25歳マラージュ Malage de Lugendo がビロードばりのつややかなノドを披露してくれる。

 前に述べたように、本盤にエキサイティングなノリを求めるならおおいにアテがはずれる。しかし、何度も聴き返すうちに淡々とくり出されるリズムの向こう側にグラン・メートル(巨匠)が最後にたどり着いた悟りの境地がみえてくる。末永く愛聴したい名盤だ。


(1.2.04)



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by Tatsushi Tsukahara