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Artist

BINOMIO DE ORO

Title

DE AMERICA


binomio de america
Japanese Title デ・アメリカ
Date 1992
Label ボンバ BOM2051(JP)
CD Release 1992
Rating ★★★★★
Availability


Review

 バジェナートは、19世紀末ごろにコロンビア北東部グァヒーラ半島に生まれた音楽。他のカリブ圏の音楽と同様、スペイン系とアフリカ系の混血音楽だが、同じコロンビア北岸生まれのクンビアとくらべれば黒人っぽい要素が稀薄だ。ヴォーカルとアコーディオンに複数のパーカッションがつき従うのが基本的な演奏形態だったが、60年代半ばからこれにベース・ギターが加わるようになった。

 ローカルな音楽に過ぎなかったバジェナートが、コロンビア全土で広く受け入れられるようになったのは、せいぜい60年代半ば以降のことで、その背景には、バジェナートの支持層であったグァヒーラ半島の貧しい農民たちが麻薬の栽培によって巨万の富を得たことがあったという。そういえば、以前、コロンビアのコカイン密輸ルートを追った報道番組で、栽培農民が豪邸に住んで自家用飛行機まで持っている映像を見た記憶がある。なるほど、あのひとたちがバジェナートをポピュラーな地位にまで高めるのにひと役買ったわけね。

 そうした事情はさておいて、バジェナートがすぐれたポピュラー音楽であることに変わりはない。メロディ・ラインや時折りノドを緊張させる歌い方はメキシコっぽく、ヴォーカルと対等もしくはそれ以上に活躍するボタン式のアコーディオンが強烈な哀愁をさそう。リズムにはもちろんアフリカの影響がみられるが、パーカッション以上にバジェナートを特異ならしめているのはベースである。俗にタンブリング奏法といわれるベース・ギターは、文字どおり、ころげ回るような複雑なリズムやフレイズを刻む。ベース・ギターがこれほどまでに重要な位置をしめているのは、南アのンバカンガぐらいのものだろう。

 近年のバジェナートでは、アルフレード・グティエーレス、カリスト・オチョーア、ディオメデス・ディアス&ニコラス・“コラーチョ”・メンドーサなどが知られている。
 グティエーレスは、“アコーディオンの反逆児”(ボンバ BOM111/SONOTONE SOC-5828)といわれるように60年代から派手なパフォーマンスで知られるバジェナート界の革命児。88年録音を中心に日本編集された『エル・パリート』(ボンバ BOM3002)では、なんと!アコを指揮棒に持ちかえて、無謀にもソン・カリベーニョにチャレンジした。
 オチョーアは、ドミニカ共和国のウィルフリード・バルガスがカヴァーして大ヒットさせた'EL AFRICANO'の作曲者で、グティエーレス同様、バジェナートの異端児といわれている。
 上の2人にくらべれば、ヴォーカルのディオメデスとアコーディオンのコラーチョのコンビによる演奏は、模範的なバジェナートといえそう。グァチャラカ(小型のタイコ)やカハ(鉄製のグィロ)などの伝統的なパーカッションと、ベースをバックにしたがえ、ヴォーカルとアコが絶妙なインタープレイを展開している(Pヴァイン UPCD19)。

 そして、ここに紹介するビノミオ・デ・オロは、かれらより一世代若く、より新しい感覚でバジェナートに革新をもたらしたグループである。
 “黄金のふたり組”を意味するかれらは、ヴォーカルのラファエル・オロスコと、アコーディオンのイスラエル・ロメーロによって76年に結成された。演奏には、ふたりのほかに、ベース、グァチャラカ、カハ、コンガ、ティンバーレスなどのパーカッション、それにコーラスが加わる。ギターが入る場合もある。

 わたしとビノミオとのファースト・コンタクトは、89年にウィルフリード・バルガスが発表した傑作『エル・クク』収録の'LINDA MELODIA'にゲスト参加したものであった。当時、かれらのことなど知るよしもなかったが、アルバム中もっとも気になる曲ではあった。
 その後、88年にソノトーンから発売されたベスト盤"15 EXITOS"(SONOTONE SO C-5810(US))で、かれらの音楽にはじめて本格的にふれた。このアルバムは、80年代の音源を中心に、おそらく70年代後半から80年代半ばまでのアルバムから15曲をセレクトしたもの。とくに目新しいことをやっているわけでもないが、それまでのバジェナートにくらべてサウンドのキレがよくタイトな印象を受ける。
 時折り高音域で声を裏返して歌うオロスコの甘酸っぱい歌唱に終始寄り添うように、カリブ圏よりもむしろテックス・メックスに感覚が近いロメーロのアコーディオンが泣きたくなるようなハーモニーを織りなしていく。また、アフロっぽいクンビア系の音楽では、あの強烈なベースやパーカッションと一体になって変幻自在にハネまわる。

 このアルバムでビノミオがすっかり気に入って、すぐあとに手に入れたのが、オリジナル盤をリリースしたコロンビアのレーベル、コディスコスから出た"LOS IDOLOS DE COLOMBIA"(CODISCOS C2800019(Colombia))というタイトルの18曲入りのベスト盤。7曲がソノトーン盤と重なるものの、こちらはデビュー直後の70年代後半の音源を中心に収録したと思われ、うれしいのは収録時間が76分とたっぷりあること。サウンドもソノトーン盤にくらべて、こころなしか素朴だし、メスティーソ(インディオとスペイン人の混血)的なセンティメントがよりつよく感じられる。

 だが、両者のちがいは「よく聴いてみれば」の範囲であって、この2枚持っていればビノミオはもういいやという感じだったが、91年に、ボンバからはじめて国内リリースされた『フィエスタ!』(ボンバ BOM2032(JP))が、当時かれらの最新盤であることを知ってついつい買ってしまった。

 驚いたことにギターやシンセまで入っていて、わたしが知っていたビノミオのイメージからするとずいぶんと軽くなったというのが第一印象であった。とくに1曲目の'DE FIESTA CON EL BINOMIO'や9曲目の'CANCION A LAS MUJERES'なんかはあきらかにウィルフリード・バルガスに影響された音づくり。わたしが愛した泣きたくなるようなセンティメントは後退し、アップ・テンポな曲調が主体の汎カリブ的なダンス・バンドに変貌してしまった。もちろん'ENSUENO''NOSTALGIA'のようなじっくり聴かせる曲もある。だが、ミョーな色気が出てきて純朴さがないのだ。“泣き”のメロディではなく、“泣かせ”のメロディになっているというべきか。グルーヴ感を増したパーカッションはまだいいとしても、「泣け」といわんばかりのわざとらしいアコースティック・ギターは余計である。

 そうはいっても、ハチロクならではのつんのめるような感覚を持った'EL TALENTO EN LAS MUJERES'ほかアップ・テンポな曲での超絶的なアコーディオンの疾走感にはただただ舌を巻くほかない。ただ、リズム面で強化されアフロ化されたぶん、オロスコのヴォーカルがやや精彩を欠いているように感じられてならない。

 『フィエスタ!』の好評(『ミュージック・マガジン』1991年ベスト・アルバム/ラテン部門第2位!)を受けて翌年にボンバから発売された本盤は、かれらにとっては21枚目にあたるアルバム。そして、これがオリジナル・ビノミオ・デ・オロのラスト・レコーディングになってしまった。というのも、このアルバムが国内発売される直前の92年6月にオロスコは銃で殺害されたからだ。

 2枚前(あいだに国内未発売の"POR SIEMPRE"がある)の『フィエスタ!』では、〈外〉に目を奪われるあまり、ときに空回りの印象さえあったが、ここではコロンビア音楽の基層から放射線状に拡がる豊穣なポップ・ミュージックの大輪として見事に花開いている。
 それぞれの放射線の先には、インディオとスペイン人の混血であるメスティーソ的な音楽であるメキシコ音楽やアンデスのフォルクローレがあり、キューバ音楽、ドミニカのメレンゲ、ジャマイカのレゲエなどのカリブ海域の音楽がある。そして、これらの要素がビノミオのなかで渾然一体となって、きわめてダンサブルでありながら、きわめて哀愁感ただよう唯一無二のビノミオ・サウンドが完成した。

 『フィエスタ!』以上に大胆かつスピーディに繰り出されるロメーロの超絶的なアコと、メキシコ歌謡の香りがする、狂おしいまでにせつないオロスコのヴォーカルの絶妙なコンビネーションが織りなすひとつの到達点がここにはある。いい忘れたが、シンセや打ちこみが用いられても、伝統的なバジェナートの味をまったく損ねていない点も特筆すべきだろう。本盤は、聴けば聴くほどに音楽的な奥深さをかいま見せてくれる真の意味での「ワールド・ミュージック」の傑作といえる。

 なお、オロスコ亡きあと、グループ名をビノミオ・デ・オロ・デ・アメリカと改名し、ロメーロを中心に4人組でいまも活動をつづけていることをつけ加えておく。


(9.4.02)



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by Tatsushi Tsukahara