Title

WESTERN TRIO


western trio
Japanese Title 国内未発売
Date 1964 / 1972 / 1973
Label GDM 2052 (IT)
CD Release 2005
Rating ★★★★
Availability ◆◆◆


Review

 "LE PISTOLE NON DISCUTONO"『荒野の用心棒』とおなじ64年公開作品。モリコーネにとっては前年の『赤い砂の決闘』に続く2本目の西部劇である。本盤では、コンピレーション"SPAGHETTI WESTERN"(BMG/RCA 74321 26495 2)で復刻済みの4曲に新たに2曲を追加。『赤い砂の決闘』からの復刻はメイン・タイトル以外ほとんど出ていないため、"LE PISTOLE NON DISCUTONO" が、モリコーネの西部劇音楽の原型を知る手がかりになると思う。
 アメリカ人歌手ピーター・テーヴィスがうたったC&W調の主題歌を除く5曲はいずれも『荒野の用心棒』と同系統と作風。といっても、口笛、人声、鳴り物、エレキ・ギターなどを使った「さすらいの口笛」タイプの音楽はない。また、ストリングスのゆったりしたオスティナート(反復)が作り出す静寂に朗々たるトランペットが響き渡る決闘場面の定番となった「荒野の用心棒」タイプの音楽もない。だが、西部劇音楽の常識をくつがえすモリコーネならではの斬新なスタイルがすでに盛り込まれていた。

 ひとつは、馬上荒野を駆けるヒーローの颯爽としたイメージを喚起するのにパソドブレのリズムを用いたことである。パソドブレは、マタドールの入場のさいに使われるスペインのリズム。ここではアコースティック・ギター、スネア・ドラム、ストリングスなどが刻むパソドブレのリズムに、時おり鞭打つ音がはいって疾走感を演出。そこにトランペットやホルンによる勇壮な主旋律が重ねられることで抜群の高揚感が生まれる。モリコーネにとって西部劇のヒーローとは、死をも恐れぬ勇猛果敢なマタドールのイメージだったのだ。以後、この作風を「パソドブレ・スタイル」と呼ぶことにする。

 もうひとつは、スネア・ドラムとティンパニーがくり出す軍隊調の乾いた無機質なリズムにピアノが低音でパーカッシブなアクセントを付け、これらが延々と反復されるなか、ブラスやストリングスによる短い音のオブジェ(音型)が縦割り状に徐々に配されていくという現代音楽的な作風である。共時的な音のコラージュとでもいうべきか、不協和音が不穏な緊迫感を作り出している。ギリシア出身の作曲家クセナキスが用いた作曲の方法論ミュジク・ストカスティックにナチス占領時代にレジスタンスとして活動した戦争体験が反映されていたように、これらにはモリコーネが少年時代に目撃したファシズムやナチズムの鮮烈なイメージが焼きつけられているように思う。こうした作風の最高傑作は66年公開の『アルジェの戦い』だろう。以後、これを「ミリタリー・スタイル」と呼ぶことにする。

 見てきたように、ここにはモリコーネの代名詞とされる奇抜でユーモラスな音楽や叙情性あふれた美しいメロディこそないものの、すでに独自の西部劇音楽はほぼ完成されていた。ひたすらハードコアでストイック、まさに通好みのスコアといえるだろう。

 時代は下る。マカロニ・ブームが過ぎた72年と73年にトーマス・ミリアン主演で公開された西部劇コメディの連作が"LA VITA A VOLTE E' MOLTO DURA, VERO PROVVIDENZA?""CI RISIAMO, VERO PROVVIDENZA?"である。 "SPAGHETTI WESTERN" に前者が1曲、後者が3曲CD復刻されているのみだったが、本盤の発売によってそれぞれ5曲と4曲が新たに日の目を見た。
 フィドル、バンジョー、アコースティック・ギター、エレキ・ギター、電子オルガン、女声コーラス、ベース、ドラムス、グロッケンシュピール、チューブラーベル、ピアノ、シンセサイザー、ハープシコード、ストリングス、フルート、ファゴットなど、種々雑多な楽器類がごった煮のように詰め込まれた陽気でにぎやかなメイン・タイトル。おなじ曲のなかで女声コーラスが天使になって聖歌風に歌ったかと思えば、娼婦になって奔放に囃したてる。親しみやすいシンプルなメロディのくり返しのなかにモリコーネらしい凝った仕掛けが随所に散りばめられている。1973年公開の『ミスター・ノーボディ』の音楽と通ずるところが多い。

 ところで、モリコーネは69年の『ウェスタン』あたりからバンジョーをよく使うようになった。ここでもフィドルとバンジョーの取り合わせによるブルーグラス調の陽気な音楽が聞かれる。ところが、当然入っていていいはずのアコーディオンがなぜか聞こえてこない。わたしがモリコーネならフィドルとアコーディオンを組み合わせてルイジアナ生まれのケイジャン風の音楽を作るだが‥‥。考えてみれば、西部劇にかぎらずアコーディオンをフィーチャーしたモリコーネのスコアはあまり思い当たらない。きっとアコーディオンの音がさほど好みでないのだろう。だから、ケイジャンやザディコには興味が向かわなかったのか。そのせいかどうか、モリコーネが書くダンス音楽には総じて直線的でスマートな印象がつよく、ホコリっぽくてしょっぱいグルーヴはあまり感じられない。わたしはこのことがモリコーネ音楽の唯一の欠点だと思うのだが、それについてはメキシコ風音楽を論ずる折りにでもあらためてふれてみたいと思う。


(2.8.07)



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by Tatsushi Tsukahara