World > Africa > Cote d'Ivoire | ||||||||||||||||
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Artist | ||||||||||||||||
ERNESTO DJEDJE |
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Title | ||||||||||||||||
LE ROI DU ZIGLIBITHY |
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Review |
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コート・ジヴォワールの首都アビジャンは、古くから貿易都市として栄えていたから、当然そこにはいろいろな人びとや文化が流入し混じり合って独自のポピュラー音楽が生まれているはずなのに、不思議とこの国出身のミュージシャンの名をあまり耳にした覚えがない。アビジャンに拠点を置いた有名なバンドといえば、サリフ・ケイタやカンテ・マンフィーラが在籍したアンバサデュールがあるが、バンド名が日本語で「大使」の意味であることからもわかるとおり、サリフはマリ、マンフィーラはギニア、そのほかにコート・ジヴォワール、ガーナ、ナイジェリア出身者などからなる混成バンドだった。ギニアやガーナなどのように自国文化保護政策を打ちだすことで固有のポピュラー音楽が育まれていったのとは対照的に、自由で開かれた環境にあったことが独自のポピュラー音楽が成熟する猶予を与えなかったのだろう。 じつをいうと、コート・ジヴォアール人のリーダー・アルバムで、わたしが聴いたことがあるのはこの1枚っきりである。だから、ここで聴けるようなサウンドがコート・ジヴォアールの典型的なポピュラー音楽であると断言する自信はまったくない。だが、70年代から80年代はじめにかけて活躍したエルネスト・ジェジェは、“ジギリビチ”zigilibithyというベテ人の伝統的なダンス・スタイルをヒントにコート・ジヴォアールならではの音楽を創作したパイオニアであったことはまちがいなさそうである。 “ジギリビチ”といわれても、ハイハット中心のややツッコミ加減の跳ねるようなリズムにのって展開される、軽やかで流れるようなギターやホーン・セクションの使い方はあきらかにリンガラ音楽の影響が濃厚だし、また、ときにはフェラ・クティのアフロビートに影響された曲もあれば、もろソウルっぽい曲もあってつかみどころがない。リーフレットにあるオリジナル盤のジャケット写真から想像すると、全盛期のジェジェはJB風のファッションに身をかため、ファンキーでダンサブルなステージをおこなっていたのだろう。そのわりには、かれのヴォーカルはシエラ・レオーネのS.E.ロジーやカリプソニアンみたいに、どこかすっとぼけていて、そこがかえって味になっている。 本盤を聴いて感じたことは、コート・ジヴォアールらしさとはこのように種々雑多な音楽要素が入り組み錯綜したスタイルにこそオリジナリティがあるのではないかということであった。フェラの音楽のような緊迫感、リンガラ音楽のような流麗さを期待しているとアテがはずれるが、おおらかな気分に浸りたいときには打ってつけの1枚といえる。 |
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(11.2.02) |
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