World > Latin America > Caribe > Cuba | ||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
Artist | ||||||||||||||||
ORLANDO GUERRA CASCARITA CON LA ORQUESTA CASINO DE LA PLAYA |
||||||||||||||||
Title | ||||||||||||||||
EL GUARACHERO |
||||||||||||||||
![]() |
|
|||||||||||||||
|
||||||||||||||||
Review |
||||||||||||||||
そのエンターテイナーぶりからミゲリート・バルデースをして、よくキャブ・キャロウェイからの影響が取り沙汰されるが、それをいうならミゲリートの後任ヴォーカリストとしてオルケスタ・カシーノ・デ・ラ・プラーヤに加入したカスカリータこと、オルランド・ゲーラも負けていない。それはズート・スーツに身をかため、おどけたポーズをとっているジャケット写真からも十分にうかがい知ることができようもの。 ミゲリートにけっして劣らない才能とスター性を備えていたにもかかわらず、いまもたくさんのCDが発売されているミゲリートに較べて、カスカリータの名を冠して発売されているCDはごく限られており、あまりに過小評価されている。それは、ひとつにはミゲリートがデ・ラ・プラーヤを脱退した40年に渡米し、その後もラスヴェガスなどショービズ界で活躍しつづけたのにたいし、カスカリータは、デ・ラ・プラーヤを辞めたあとも、キューバにとどまり、その後、メキシコで活躍しつづけた経緯もあるだろう。 また、カスカリータは、ダマソ・ペレス・プラードをはじめて世に出した人物としても知られる。それまでのキューバ音楽の常識をうち破る過激なアレンジと、パーカッシブなピアノ・スタイルで異端視されていたプラードの才能にいち早く目を付け、ミゲリートとほぼ同時期にデ・ラ・プラーヤを辞めたアントニオ・サカサスの後任ピアニスト兼アレンジャーに推薦した。 1944年から46年までの演奏を収めた本盤でも、プラードならではの天才的なアレンジとピアノ・プレイを十分に堪能できる。ジャズのスタン・ケントンの対位法から影響を受けたとされるプラードのアレンジで、ダイナミックなトランペットとそれに絡むキレの鋭いサックスのスタッカート、エモーショナルなパーカッションが覆いかぶさって、のちにマンボといわれる強烈な個性をともなうヴァイタリティにあふれた演奏の原型が展開されるが、カスカリータのヴォーカルはけっしてその大波に呑み込まれることなく、見事に波間を乗り切ってみせている。基本的にはミゲリートの流れを汲む大仰で演劇的なヴォーカル・スタイルといえるが、“グァラチェーロ”(グァラーチャの歌い手)のニックネームにふさわしく、ミゲリートよりも黒っぽくファンキー度がつよいので、プラードのアレンジとうまい具合に相乗効果を生んでいる。その証拠に、本盤に収められた全17曲中、最後の3曲のみは別の楽団がバックをつとめているが、内容はけっして悪くはないはずなのにどこか拍子抜けの感さえあるのだ。 数年後、メキシコに渡ったプラードがベニー・モレーとつくった傑作と較べてもけっして遜色ないエキサイティングなアルバムといえよう。 なお、カスカリータの歌は、デ・ラ・プラーヤのほかにも盟友フリオ・クエーバと参加した"ORQUESTA HERMANOS PALAU / LA OLA MARINA" 1939-1941(TUMBAO TCD-035)や、"JULIO CUEVA Y SU ORCQUESTA / LA BUTUBA CUBANA" 1943-1945(TUMBAO TCD-032)、 " 同 / DESINTEGRANDO" 1944-1947(TUMBAO TCD-083)でもたっぷりと味わうことができる。どのアルバムもキューバ音楽ファンなら見逃すことができない中身の濃い内容。 |
||||||||||||||||
(4.2.02)
|
||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
![]() ![]() |
前の画面に戻る |
|||||||||||||||