―――――何気ない日常、いつもと変わらない日々の中

  ―――――振り返ってみると、全ての始まりはここからだった。

 

 

   第一章 放課後の喜劇

 

 午後の授業、夏独特の蒸し暑さが元々散漫気味の集中力をさらに掻き乱す。

 お昼ご飯後の、しかもあんまり楽しくない歴史の授業ということで教室内を見回しても睡魔に負
けて机に突っ伏している人のほうが多い。しかし、先生は黒板に向かって説明をしながら忙しく文
字を書いていて、おそらくこの状況に気づいていないだろう。

 ふと時計を見る、授業が始まってからまだ20分ぐらいしか経っていないらしく、先生の説明も記
憶に曖昧にしか残ってないところをみると自分の集中力の無さがよく分かる。このまま周りと同じ
ように眠ってしまえばあっという間に授業が終わるのだが、それをするとこの授業の単位が危うい
、ただでさえ中間テストの歴史の成績が悪かったからできるだけ眠らないように努力している。

 ふいに窓の外に視線を向ける、外は暑さで地面が揺らめいて見える運動場と、青く澄み渡る空に
白い雲が見えるだけだった。
「はぁ…」
  いつもの見慣れた風景についため息が漏れた。
  まあ、ここからの眺めは嫌いではないが、いつも見ているから今外を見ても退屈を紛らわせるこ
とはできないのは当然だろう。
(仕方ない、ノートの内容でも見直しておくかぁ…)
  それなりにきれいな字でそのノートには黒板の内容が書き込まれていた。

《 西暦二四三一年
『第三次世界大戦』
世界同時多発テロを皮切りに始まったこの大戦は、少なくなったあらゆる資源を浪費させ、大陸の
形さえも変えてしまった。六年もの歳月をかけ終結したこの大戦は、アメリカ軍を中心とした連合
軍が勝利を収めた。
 
  大戦の終結から1年後の西暦二四三八年、衝突の危険性のある二つの隕石が観測され、なす術も
無く戦後の大陸を無残にも削り取った。
度重なる戦災、災害により元の地形と大きく変わってしまった大陸の名称を変えると同時に、国境
も新しく引きなおすことが、潰れてしまった国際連合の代わりにできた
『世界復興機関【World Rehabilitation Organization】』
での話し合いによって決まった。

 西暦二四四〇年
  元アメリカ大陸、改められた地名は『メルリクト大陸』そこで新たな国家ができあがった。
  この年から『西暦』から『Bium(ビウム)』に暦が変えられた。

 Bium 〇〇五
  メルリクト大陸の国家共同体である『デギロード経済共同体』からあるひとつの組織が抜けた。
  その組織の名前は『ゼルベス連合』という名前で、この後デギロード経済共同体と同じ位の大き
さの国家に成長していくことになる。

 Bium 〇四四
『第一次勢力分割冷戦【Influence Partitioned a Cold War】』
  この争いは、ゼルベスのシンボル像の破壊を皮切りに始まり、開拓用に開発された『人為的拘束
人型機工』通称『バインドドール【Bind Doll】』が兵器仕様で投入され、多大な被害を出た。
しかし、実質この戦争は冷戦で兵器を用いて戦闘していたのは約一年にも満たないというものだっ
た。41年という歳月の後、Bium 〇八五に中立軍の一人である『クレスト=バーミリオン』が取り次
ぐ話し合いにてこの戦争は終結した。
…―――――――――――

ノートの半分くらいを読み終わったところで
「くー…」
どうやら睡魔に負けてしまったようだ。

 静かな寝息を立て始めてから少しして、頭を小突かれた。
「むにゃ…?」
  ぼやける目をこすりながら横を向くと、さっきまで黒板の前にいた先生が立っている。
「起きた?ラクト・バーミリオン?」
「は…はぃ…?」
  自分はノートを見直していたのに、なぜ小突かれねばいけないのだろう、と思いながら周りを見
まわすと、机に突っ伏している人は一人もいなかった。
「まったく、私の授業で寝るとはいい度胸ね」
  先生の目は不敵な笑みを浮かべている。
  どうやら、寝ていたのは自分だけと思われているようだ。
「まあ、減点は覚悟しておいて」
  そういって、また前に戻っていく姿をラクトと呼ばれた女子生徒は黙って見届けることしかでき
なかった。ここのクラスの生徒は先生が振り向くのを敏感に察知して、振り向く数分前には起きて
いるという特性をもっていたようだ、
(起こしてくれたっていいのに…)
  ラクトはそう思いながら時計を見る、どうやら授業終了2分前らしい。
(…、えーと授業が始まってから二〇分ぐらいは起きてた記憶があるから…)
  ここ、シンフォニー学園BD専門高等部の一授業時間は六〇分だ、開始から二〇分で意識が飛んで起こ
されたのが終了二分前ということは。
(え…、さ…三十八分も寝てたの…!?)
  ラクトの頭に『夏休みのほとんどが補習』という生き地獄が浮かんだところで授業終了のチャイ
ムが鳴った。

-▽-

「あー、さいあくだー」
  放課中の教室にそんな呟きが漏れる、こんな呟きを漏らしているのは当然ラクトだ。
「まあまあ、ラクトちゃん」
  女子生徒がなだめるが、ラクトは夏休み補習だよー、などといって落ち込んでいる、
それを見て窓のほうにいた男子生徒が鼻で笑う、ラクトはそれを聞き逃さなかった。
「なによ、そんなにおかしいの?」
  ラクトがそう言いながら男子生徒に近づいていく。
「あぁ、笑えるな」
  そう言われるとラクトは
「寝てるやつは沢山いたはずなのに、なんで私だけが減点されなきゃいけないのよー?」
  などと言って男子生徒にさらに詰め寄る。
「スリルが振り返った時に寝てたのは、お前だけだったからだろ?」
  男子生徒は即答、ちなみにスリルというのは歴史の先生で『サスリア=ディール』という名前だ
からそう呼ばれている。
「うぅ…、確かに…。でも起こしてくれたっていいじゃんかー」
  不満げにそう言うと。
「後ろのやつは起こそうとしてたぞ?」
「え…?」
  自分の席の後ろに座っている人を見る、その人はうんうんと頷いている。
「まあ、お前が悪いな」
  くくく、と笑う男子生徒。
「空乃のばか…」
  ラクトはそう言って自分の席に戻っていった。
「あーあ、ラクトちゃんに嫌われちゃったね」
  女子生徒はそう言ったが、さっきと違い空乃と呼ばれた男子生徒は無反応。
  さっきまでは感じなかったが、ラクトが離れてから急に周りの温度が下がった気がする、今はな
んだか肌寒い、それに伴って居心地が悪くなってきた。
「感じ悪いなぁ…、そんなふうに接するから誰も近寄らなくなるんだよ?」
  と言って、女子生徒も自分の席に戻る。
  空乃は窓の外に視線を向け、元の席に戻って言った。

 外には雲一つ無い、澄み切った青い空が広がっている。

 

-∴-

 

 きーん、こーん、かーん、こーん。

 授業後のホームルームの開始を告げるチャイムが鳴り、掃除で数人しかいなかった教室にぞろぞ
ろと生徒が戻り始めた。人の多くなってきた教室内は、疲れたーという雰囲気が漂っているが、授
業中よりも活気があるのは気のせいだろう。
  この後、何かしらの部(クラブ)に所属していれば部(クラブ)活動というものが待っているから、
そういう人達にとってはここからが本番、という事らしい。

 ざわつき始めた教室に掃除場所から戻ってくると、いろいろな話し声が聞こえてくる、とりわけ、
チャイムについて話している一角がなんとなく気になったので、私は立ち聞きすることにした。
  二人の男子生徒が話し合っているようで、片方がため息を漏らすのが聞こえてくる。
「相変わらず、チャイムはこれなんだな」
「ああ、数十回も提案書を出してるのに変化なしってのもなぁ…」
  さらにもう片方が更に深いため息を漏らす。
  そういえば、『今のチャイムの音色はなんとなく古臭いので、もう少し長い間聞いていても聞き
飽きないような音色に変更して欲しい』などといった提案書を数ヶ月前から学園に提出している生
徒がいる、と空乃から聞いたことがある。
  しかし、このクラスの人が提出しているという話は聞いていなかった。
「チャイムってやっぱり、聞き流されるものなのか…」
「ん〜、聞いてるやつは聞いてると思うんだがなぁ…」
  この学園内では、チャイムの音色などどうでもよく、大体の時間が音で解ればいいという考えの
人の方が多い、私もその一人だからチャイムについて特に興味が沸かないのだけど。
  こういう考え方の人が多いから、チャイムの音色データは昔の資料から引っ張り出され、再現さ
れた物が使われている。もっとも、『聞き飽きない音色』というのがどのようなものかが分からな
いから作れない、これ以前にもチャイムの音色についてはいろいろと議論があったようだがこうい
った理由で流され続けているようだ。
「まあ、今月も提案書出してみるか」 
「うむ、今月でなにも変化が無かったらもう止めるか…?」
  でも、実際のところは作れないのではなく作るのが面倒だからチャイムの音色は変更しないとい
うのが理由らしい、という噂話をどこかで聞いたような気がする。

 そんなチャイムの話を聞いているうちに、
「静かに〜、始めるぞ〜」
  そう言いながら担任のブリュッセ=ハードリバーが教室に入ってくる。
  今ではもう慣れたが、入学してしばらくするまでは、この人が教師ですと言われても簡単には信
用することができなかった。むしろ何処かの軍人と紹介された方がすんなり受け入れる事ができた
と思う。

 なぜそんなことが起こるかというと問題はその容姿だ、身長はゆうに2mを超えていて、無駄に
体格がいい、しかも上がTシャツ、下は運動用のジャージというわけの分からない姿をしていて、
先生と呼ぶより教官と呼んだほうが似合っている。これで服ではなくて毛皮を着せて山に放り込め
ば『熊』として何ら問題なく自然界で暮らしていけるような感じである。

 あと、ブリュッセが教室に入ってくると、教室内が圧迫されるような感覚がするが、今ではそれ
にも慣れた。
「帰りのホームルームだが、特に連絡事項は無いからさっさと終わるぞ〜」
  本日のホームルームは担任が教室に来てからジャスト一分で終了、昨日のホームルームは約二分
だったから大幅に記録を更新し、最高新記録を打ち立てた。
  こういうことは結構起こるが流石にこれだけは今でも慣れない、いや、絶対に慣れてはいけない
と思う。
(こんな適当なホームルームでいいのかぁ…?)
  他のクラスはたとえ連絡が無くても話とかで数十分はやっているのに、ここのクラスの担任とき
たら余分なことは言わない、口にするのは必要な情報だけでいいなどと言ってさっさとホームルー
ムを終わらせてしまっているのだ。
(まあ、早く帰れるのは嬉しいけど…) 
  こんな事を思っているのは自分だけだろうか、と心配になり周りを見てみる、
「……」
  見た感じクラスメイトの大半がすごく生き生きとした表情をしているようだから、どうやらそう
思っているのは自分だけではないらしい。心配事が一つ消えたところで今日の歴史の授業での出来
事がぶり返してきた。

(っとに、起こしてくれてもよかったのに…)
  過ぎたことだから気にするな、と友人に言われたがどうもそうはいかない、あのときのあまりの
理不尽さに腹が立ち、それとともに『夏休みのほとんどが補習』という最悪の状態になった時のシ
ーンが脳裏に浮かぶ。
(んー、これは嫌だなぁ…)
  頭を振ってそのシーンを振り払う、こんなことを考えるならさっさとと帰る準備でもしておこう。

 ホームルームが終わった教室は、殆どの生徒は部活やら帰宅やらでいなくなり、がらんとしてい
て少し寂しい感じがする。しかし、居残りや役員の作業とかで残っている人もいれば、雑談をして
いる人達もいて、微かにだが活気はある。

 ストレスの発散はこの状況では無理だろう、さっさと帰ろうといっても家に帰っても八つ当たり
対象が無く、このまま苛立ったままというのは精神的に良くない。
「どうするかなぁ…」
  テキパキと鞄に教科書などを放り込みながら呟く、誰かに愚痴を漏らすのが一番いいのだが、こ
の中で愚痴を聞いてくれそうな奴はいない。

 …いや、厳密に言うといるにはいる。

 ちらりと窓際の席に目を向ける、そこには放課の時の男子生徒が座っていて何かをやるでもなく
外を見ている。この男子生徒は『深裏 空乃』という名前で、苗字が『みり』で名前が『あきの』
という呼びにくいやつだ。
  本人が言うには。
『今は地形の変動とかで無くなった『日本』という島国の使っていた命名の仕方』
  らしい。
  今では珍しくなった日本人の生き残りの夫婦間に生まれた子供が自分、だそうだ。

 目に付くのは癖の強い黒っぽい髪、金とか茶髪はたくさんいるけれど黒は教室内でも空乃しかい
ない、学園は髪を染めることは禁止されているから恐らく地毛。それに加え瞳が深い藍色、普段気
にしなければ黒ともとれる色だけど光の入り様によっては蒼く見える不思議な瞳をしている。

 一言で空乃という生徒を言うなら『変なやつ』

「あっきのー」
  愚痴を聞いてくれるとは思わないが、一応話し掛けてみる。
「ん?」
  軽い返答の後、気だるそうにこっちを向く。
「何やってるの?」
「見ての通りだ、八つ当たりなら他にしろ」
「うっ…」
  早速、真意を見抜かれた、
「やはり、八つ当たりだったのか」
  見抜かれたと思ったが、相手は確信を持って言ったわけじゃないらしい。
「あははは、ち、違うよ」
  笑って誤魔化す、おそらくもう見抜かれただろう。
「ストレス発散なら、そこにある簡易シミュレータでやれ」
  空乃の指差す方向には、ゲームセンターに置いてありそうな筐体が2台設置してある。
「COM相手ならストレス発散にもならないよ」
「俺が相手するか?」
  にやりと笑って空乃が言う。
「まあ、俺のストレス発散になるだろうが」
「それじゃあ意味が無いのよ」
  空乃と簡易シミュレータで戦闘をすると、必ず私の負けという結果で終わってしまう、今までの
空乃との戦績は〇勝十六敗という勝ち無し、しかも全て一分内で負けという我ながら見事な負けっ
ぷりだ。他の人とやると自分は強い部類に入るのだが空乃の強さは更にそれを上回っている。

「空乃、」
「嫌だ、誰が好んでサンドバックになるか」
  これから言おうとしたことが分かっているかのように即答。
「うー、じゃあ手加減ぐらいしてよ」
「ふむ、手加減か…」
  少し考え、そして。
「俺が手加減してもお前に勝てる見込みは無い、それでもやるのか?」
  また挑発するかのように、にやりと笑いながら言う。
「…っ、やってやろうじゃない」
  久々にやる気が出てきた気がする。

 早速簡易シミュレータの近くに鞄を置き、筐体に設置されている椅子に座る。クッションが入っ
てないから固くて座りにくい椅子だ、いつかクッションを持参することにしよう。
「それで、手加減はどっちだ?」
  筐体の椅子に座りながら空乃が聞いてくる。
「どっちって?」
「技術的な手加減か機体的なハンデか」
「そんなもん、両方に決まってるでしょ!」
  さらりと酷いことを言ってみる、当然空乃は、どっちかにしろ、と言ってくるものだ
と思っていたが。
「分かった、機体の方は武装制限と視界制限でいいな?」
「えっ?」
「不満か?」
「不満じゃないけど…」
  まさかあっさりとオーケーしてくれるとは思わなかった、なんて今更言えない。
「ふむ、じゃあ」
  更に空乃は、耐久力制限を選択した。
「…、もしかして私を馬鹿にしてる?」
「いや、一応手加減だから、少しでもお前に勝機があるようにしないとな」
「……」
  これだけハンデがある状態で勝てても全く嬉しくない。
「空乃、それハンデ付けすぎ」
「そうか、じゃあ武装制限だけで行こう」
  他の制限を解除する、空乃はあれだけのハンデでも勝てる自信があったのだろう。
「うん、そうして」
  機体設定、同調率測定も終わり筐体のモニタには『Get Ready』などと表示されている、いつや
ってもこれは『BD戦闘シミュレータ』というゲーム機にしか見えない。
「負けても実力行使は無しだ」
「わかってるわよ!」
  そんなやり取りで戦闘が始まった。


 BD戦闘シミュレータというのはゲーム機のような筐体に制御球が取り付けられたもので、実際の
戦闘のように武装をしたBDを動かし相手のライフを0にするといった内容のものだ。
  訓練用のシミュレータは、BDのコクピットを模して製作されていて、ダメージや移動等の振動等
も再現するという臨場感あふれ、多少危険なシミュレートができる。が、余りにもリアルで面白い
ために利用者が多くなり、段々と実戦の訓練という目的が薄れ、生徒の遊び道具に成り下がってき
ていた。そこで、期末試験以外の使用を禁止したところ、全学年でのBD制御の成績、技術力が共に
ガクンと下がってしまい、他の養成機関より低くなるという失態を招いた。
  それを打開するために、今年から教室に生徒が自由に使えるように簡易シミュレータという物が
設置された、これは訓練用の物から臨場感を取り除いて、尚且つクオリティを下げた物だが、それ
なりに楽しめるものだ。

-∵-

 画面右隅から銀の弧が迫ってくる、それを避けようと後ろに跳躍したが。
「…っ」
【右腕軽損傷。命令伝達を仮切断。再作動は二秒後】
  切り口は浅いが、右手に持っていた装備が地面に落ちる。その間にさっき切りつけてきたBDは、
物凄い速度でこちら側の攻撃射程の外まで後退する。
  相手の武装は標準装備の短剣のみのはずだ、なのに。
「なんで、こっちの武装がここまで剥がされなきゃいけないのよ…」
  こんな呟きが漏れてしまうくらい、圧倒的に不利な状況になっていた。

 戦闘が始まってから三十秒経過したあたりで、十個積んでいた武装はマシンガンと短剣の二つだ
けになっていた。火力で押せば勝てると思っていたが、戦闘が始まった直後に主武装が剥がされて
火力で押すことが出来なくなり今に至る。
(近接だとこっちが不利かな…)
【起動状態を近距離戦闘から中距離戦闘に再設定】
  画面にそんなメッセージが流れた後、空乃の操るBD『アフレイド』を睨む、相手はまだ射程外に
いてこっちの出方を探っているように見える。
(下手に動けないなぁ…)
  再作動を始めた右手にマシンガンを持つ。
(でも、いつまでそうしてるつもり? 空乃)
  威嚇射撃してみようか、と思ったが空乃が相手では弾の無駄だろう、このまま膠着状態が続くか
と思ったが。
(来たわね)
  空乃のアフレイドが動いた、マシンガンの安全装置を破壊して、相手が射程内に入るのを待つ。
相手は短剣一本だから近距離戦にならなければそれなりに勝機はあるだろう。
【敵機射程圏に侵入。接触まで八秒】
  そのメッセージを聞くと同時にトリガーを引く、空乃用に照準補正はしてあるから全て外れる事
は無いはずだ。
【命中を確認。予想損傷率……二十三パーセント。残り弾数―――――】
  案の定、相手は大量に吐き出された銃弾を受けながら疾走してくる、だが止まる気配は無い。
(…っ)
【起動状態を中距離戦闘から近距離戦闘に再設定】
――――ギィィィィン
  甲高い金属音に似せた雑音がスピーカーから流れると共にマシンガンが真っ二つに割れ、地面に
落ちる、打ち出した銃弾は全て装甲に阻まれたらしく、まだ相手はまともに動いている。
「ほう、マシンガンを捨てるとはな」
  向かい側で空乃が感心しているように言う。
  そう、あの瞬間、マシンガンを捨てずに回避行動を取っていれば間違いなく動力部を貫かれ負け
ていただろう。しかし、私は『捨てた』のではない『投げた』のだ。
「ふふん、武器を身代わりにするのは私ぐらいなもんよ」
  得意げに鼻を鳴らす。
「だが、もう遠中距離の武装は無いはずだ。近距離戦で俺に勝つというのか?」
「う…、そうだった…」
  残った武装は標準装備の短剣のみだ、かといって近距離での戦いで空乃に勝てるわけが無い。
  相手との距離は大体、五十メートルぐらいだ、全力で疾走させれば数秒で距離は零に出来る、今
度相手が攻撃をしてこれば防ぐ手立てはない。
「降参か?」
  空乃が聞いてくる、おそらくニヤリと笑っているだろう。
「誰が降参ですって?」
  そう言い返してしまったが、このままでは負けるのを待つようなものだ。
「そうか」
  そう言うと同時に空乃のアフレイドが動く、思ったとおり全力で疾走してくる、今度は避けられ
ないだろう、確実に短剣で動力部を貫かれる。
(…って、貫く?)
  よく考えてみる、ただの標準装備の短剣でBDの動力部を装甲ごと貫くことが出来るだろうか。
  そんなこと考えなくてもすぐに答えが出る、装甲を貫通させることは出来ても、防御体制に入っ
ている人工筋肉に阻まれ短剣の刃は心臓に届くことは無く、貫くことは不可能だと。動力部に穴を
開けたければ、それこそ高出力の人工筋肉とか、そういった兵器が必要になる。
(でも、空乃はただの短剣でマシンガンを切り裂いた…)
【敵機射程圏に侵入。接触まで二秒】
  そんな脳裏に流れたメッセージで思考が途切れた、目の前には敵影が現れ、速度を落とさず短剣
を突き出してくる、咄嗟にその攻撃を弾こうと構える、短剣と短剣がぶつかり合い、甲高い電子音
がスピ−カーから流れ出す。
「…っ!?」
  予想以上に重い攻撃、これがアフレイドから繰り出される攻撃かどうか疑いたくなるが、目の前
で攻撃を仕掛けてきているBDは紛れも無くアフレイドだ。相手の突きは弾いたが、今度は円を描い
て短剣が左から銀の弧を閃かせながら迫ってくる。
「……っ!」
  こっちも同じように薙いで相手の攻撃を下に弾く、最初の時の突きよりは威力が落ちたものの、
まだ重い、危うく短剣を落とすところだった。

 ふと、考える。
   移動のときの速度を威力に変え相手に叩き込む、もし弾かれても円を描くように動き、出来る
   だけ速度を落とさないように相手に連続で攻撃を叩き込む。速度が落ちれば間合いを取り、ま
   た攻撃に移る。
 このプロセスの繰り返しが、空乃の接近戦では強さではないかと。

【頭部。胴体装。破損。ライフが0になりました。シミュレートを終了します】
「…え?」
 突然、こんなメッセージが流れた。どうやら繰り出された上からの斬撃に気づかなかったらしい。
 その攻撃は頭部の大部分を切り裂くだけじゃ収まらず、胴体の装甲をも切断していて深さはコク
ピットまで到達しているという一撃だ。威力は落ちてきているといってもまだ必殺の一撃、防がな
ければ残りライフから言って負けは確実だっただろう。
「呆気無いな」
  空乃が椅子から立ちながら呟く。
「…負け、…か」
  負けることは分かっていたが、不注意で負けたという事がすごく悔しい。
「ラクト、最後に他所事を考えてたな?」
「うん…」
「なにを考えてたかは知らんが、一応手加減はしたからな」
  そう言って空乃は自分の席に戻っていった。
  今回の戦闘時間は三分十六秒、今まで一分内で負けていたから結構粘ったなと思う。
  まあ、空乃の手加減もあってなんだけど…。

 窓の外に目を向ける、綺麗な夕焼けが広がっていて運動場を照らしている、校門が閉められるま
で残り十分くらいといったところか、既に教室には私と空乃しかいなくなっている。
「なにぼーっとしてるんだ?」
帰りの用意を終えた空乃が、教室のドアの前で呼んでいる。
「あ、うん」
硬い椅子から立ち、うん、と背伸びをする。
(まあ、次は勝ってやる…。)
  そう思いながら鞄を持つ、手加減空乃に勝つことを今後の目標にしよう。
「空乃ー」
「なんだ?」
「て、手加減、ありがと」
  ぼそぼそと言う、聞こえたかは知らないが空乃はさっさと行くぞ、と言わんばかりにそっぽを向
き下駄箱に向かう、多分聞こえていただろう。
「ちょっとー、あきのー、聞いてるのー?」
  急いで追いかける、もうそろそろ校門が閉まる時間だ。

 

 運動場は綺麗な橙色で染まっていて、傾いた太陽は夜の訪れが近いこと告げている。
  生徒がいなくなった校舎は静まり返っていて昼のときと比べると寂しい、運動場の真中辺りで振
り返り校舎見ながらそう思う、いつもはもっと早く帰るのだから夕暮れ時の校舎は余り見ることは
ない。
(でも、たまにはこういうのもいいわね)
  また振り返り校門へ急ぐ、まだ空乃は待ってくれているのだろうか。
「遅い」
  いた、校門を出たあたりで何かを持ちながら一人の男子生徒が立っている。
「後、十秒遅かったら帰ってたな」
  そう言いながら、手に持っていた何かをこっちに投げてよこす、
「なに? これ」
  飛んできた何かを巧く受け取り、よく見る、どうやら紙パックのようだ。
「ジュースだ、いらないなら返せ」
  その紙パックには、でかでかと『牛乳』の二文字が印刷されている、
「ってこれ、牛乳じゃない。どこがジュースよ」
「いるのか、いらないのかどっちだ?」
  まあ、この際貰えるものは貰うことにしよう。
「飲むわよ、なんで牛乳なのか気になるけど」
「理由か、そんなもん明確だろう。カルシウム取ると怒り難くなるらしいからな、お前に最適な飲
み物だと思うが?」
「…、空乃、それってどういう意味?」
「そのままの意味だ」
  さらりと頭にくることを言ってくる、まるで私がよくキレる人のように聞こえるじゃないか。
「…」
「…」
  空乃は無言で微糖の珈琲を飲んでいる。多分、私がいらないと言ったら牛乳を混ぜて珈琲牛乳に
するつもりだったのだろうか。
  そう考えていたら、コーヒー牛乳が飲みたくなってきた。
「がーーーーー、空乃、そのコーヒーよこせー」
  そんな叫び声があたりに響く、それと同時にチャイムが鳴り始めた、どうやらもう六時らしい。

 ――――きーん、こーん、かーん、こーん。
  校門が閉まる、これに挟まれたら死ぬと言わんばかりの勢いで。

  ――――きーん、こーん、かーん、こーん。
  チャイムは鳴り響く、聞きなれたはずの鐘の音はいつもと違う気がした。

――――――

「え…?」
  変な声が聞こえた、振り返ってみるが後ろには自分の影しかない。
「どうした、忘れ物か?」
「うんん、何か変な声が聞こえたなって」
  首を横に振る、多分、忘れ物は無い。
「幻聴か、終わったなお前も」
  くくく、と笑って空乃が言う。
「空耳って言えー!」

――――――

 そんな声が、夕焼けの空に響き渡る。まだ余韻の残る『始まりの鐘の音』と共に。


 

<前へ