校舎の外は、肌を焼くような白い日差しと曇りのない蒼穹が広がっている。
  短い時間でも教室にこもりっぱなしでいると、どうも体が硬くなる、ずっと寝ていたことにも問
題がありそうなんだけど。
「さーて、何が食べれるかなぁ」
  おなかの減り具合はそこそこ。でも、早足で広場に向かうことにしよう。

 広場はいつものとおり、風が心地いい。設置されているベンチや芝生には、昼ご飯を食べに来て
いる生徒をちらほらと見かける。その広場の奥、一番端に設置されているベンチのさらに端っこ、
いつもと同じその場所に、濃い茶色の髪を両サイドでまとめた、おとなしそうな女子生徒が座って
いる。
「相変わらず、隅っこにいるわね…」
  ベンチの空いている場所に陣取る。
「わっ…」
  私の声に驚いたらしく、ベンチから落ちそうになっている。
「って、セフィ、大丈夫?」
「ほっ…、ラクト脅かさないでください」
「ごめんごめん。でも、脅かすつもりはなかったの」
  ははは、と苦笑いでごまかす。
  彼女はセフィア=グリート、小さいの頃からの付き合いでよき親友だ、こっちはセフィと愛称で
呼んでいるけど、相手は相変わらずラクトと私のことを呼ぶ。つい最近まではここで一緒に昼ご飯
を食べていたのだけど。
「でも、ラクトがここに来るなんて、久しぶりですね…」
「まあねー、いろいろあったから」
  つい、ため息が漏れる。本当にいろいろあった。
「よければ…、相談に乗りますけど?」
  いつもは外している眼鏡の奥、二つの淡い黒の瞳が、こちらを心配そうに覗き込む。その心遣い
はありがたいと思うけど。
「うんん、いいの。それより今は」
  首をかしげるセフィを見ながら一息置いて。
「セフィ、お弁当少し分けてー」
「だ、だめですよ…。ラクトが少しって言う時は、ほとんど食べちゃうじゃないですか…」
「ちぇー、じゃあ」
  ほんの少し考え。
「少しじゃなくて、その残ってる分を分けてー」
「それは、さっきの少しと同じ意味のような…」
「気にしない、気にしない」
  セフィの肩を叩きながら言う。
「はやく分けてー」
  もとより遠慮する気はさらさらない、こっちはお腹がすいて仕方がないから。

 セフィの特等席は広場の一番奥に位置している。校舎から遠いということで、この場所を好んで
利用する生徒は少なく、今日もいつもどおり近くには人影すらない。この状況から見ても、助かり
そうな見込みは彼女にはない。
「え、えっと…」
  弁当を膝の上からずらす、きっと私から見えないようにしているようだけど、無駄な行為だ。
「そ、そういえば。ラクトのクラスの転校生って…?」
  ふと、気になっていたことがセフィの口から出てくる。
「あー、アヴィス=ルミデッツのこと?」
「うん、その人、私のクラスでも話題になってましたから…」
「話題…、ね。あの転校生のどこがいいんだか」
「かわいい、ってクラスの男子が…」
「へー、私にはそう見えなかったけど?」
  実際は、話してもない。けど、朝のホームルーム時、私に向けられた視線は可愛いと呼べるよう
なものではなかったのは事実だと思う。
「でも…。ファンクラブを作ろうって話がでてるみたいです」
「そこまでするかぁ…?」
  あきれて返せる言葉がない。
「でも、過去にもファンクラブがあったみたいですけど」
「ふーん、おかしな集団もいたものね…」
  去年か、一昨年かは覚えてないけど、そのときにも二つそういった集団が出来ていたらしいけど、
私には縁の無い話だ。
「でも、あの転校生にファンクラブできるんなら、セフィのファンクラブがあってもおかしくない
と思うんだけどなぁ」
  ぽつりと、思ったことを口に出す。
「ぇ…」
「だって、ぱっと見、セフィの方がかわいいと私は思うよ」
  そう付け加える。するとセフィはほのかに顔を紅く染めて、俯いてしまった。

 朝の時とはまた違った感じの強い風が広場を吹き抜ける。
  がさがさと揺れる枝葉の潮騒が、生まれた空白を埋めていく。
(酷いこといちゃったのかな…)
  いきなり黙り込んでしまった親友を背にしながら、そう自問する。誉め言葉のつもりで言ったの
だけど、嫌味に聞こえたのだろうか。そのあたりがちょっと心配になってきた。
「そういえば、どんな感じの人なんですか?ルミデッツさんって」
  と、その心配は無用なものだったみたいだ。
「あー…、午前中は寝てたから、話してもないよ」
「ラクト、授業はちゃんと聞いてないと…」
  別に、起きていても分からないものは分からない。
「いーのいーの。それより、お弁当はやく分け…」
  まだセフィの弁当を分けてもらってない、そろそろ空腹も限界だ。
「ごちそうさまでした」
  隣には、半分くらい残っていたはずの弁当箱を片付けている親友の姿があった。
「あ…あれ?私のお弁当は?」
「えっと…、食べちゃいました」
  たぶん、微妙に口がモゴモゴしていたから、さっきの沈黙の間に食べていたのだろう。
「あぁ…、お腹、すいたぁ…」
  にっこりと微笑む親友を隣に、がっくりと大きく肩を落とした。

   -▽-

  ――――きーん、こーん、かーん、こーん。

 午後の授業開始、五分前を告げるチャイムが校内に響く。
学食や広場に昼食を食べに行っていた人たちが、気だるい雰囲気を連れて、ぞろぞろと個々
の教室に戻っていく中。
「やっぱり、学食しまってるー」
  なんて、呟いている女子生徒がいた。
「ラクト、もう五分前ですから…」
「だって、セフィが全部食べちゃうんだもん」
「それは…、今日の午後の授業は体力を使うから、ちゃんと食べておかないと」
  申し訳なさそうにそう言う、学食は諦めてさっさと教室に向かうとしよう。

「んー、どうしようかな…」
  彼女からの援助も途絶え、学食も閉まっている。午後の授業は難しいが『歴史』の授業は無
い。そこまで考えて、ある一つのアイデアが浮かんだ。
「そうだ…!午後も…」
「ダメですよ、ちゃんと聞いてようよ…」
  居眠りしよう、と言う前に、却下された。
「ねえ、セフィ…」
「はい?」
「いつの間に、人の心が読めるようになったの…?」
「心は読めませんけど…」
  首を横に振り、少し考えるような素振りをして。
「ラクトの考えてることは、大体分かるというか…なんというか…」
「それって、私が単純ってこと?」
「うんん、そうじゃなくて…」
  なんだか、セフィの態度がおかしい。なんというか、広場にいた時よりも攻撃的な気がする。
「…、セフィ」
「はい?」
「もしかして、怒ってる…?」
「…」
  彼女は無言で歩を進めていく、返事がないということは肯定の意味だろうか。
「セフィ…?」
「ラクトはもう少し、まじめに物事に取り組んだ方が良いです」
「え…」
「学校は、睡眠をとる場所じゃないから…」
  そういって、早足でセフィは教室へと行ってしまった。

(私、セフィが怒ることしたかなぁ…?)
  彼女が大きな声を出したり、荒げたりすることは珍しく、今まででも二回しかそんな姿を見
ていない。きっと、セフィは自分のことを心配してくれていると思う。そうじゃないと、彼女
は怒ったりしない。過去の二回も全て私に関する事だったのだから。
(後で、謝っておこうかな…)
  反省するところも沢山あるなぁ。と思いながら教室のドアを開ける。

「な…」
  そこには、意外な光景が目の前に広がっていた。

 まず女子生徒の集団、ここは問題ない。

 さらに男子生徒の集団、ここにも問題はない。

 最後にいつもの窓際最後尾の席、…問題あり。

 さっきまで考えていたことを頭の隅に追いやり、早足で空乃と転校生の座っている席の間に
割って入る。あんまり事を大きく見られたくないから、走るのだけはやめておいた。
「ちょっと、空乃…」
「ラクトか…、なんだ?」
「なんで、隣に『コレ』がいるのよ…?」
ちらりと彼の隣の席に視線を送る、そこには今日転校してきたばっかりの生徒が座っている。
しかも、机の上には弁当箱が置かれているということは、もしかしたら昼ご飯を一緒に食べた
のかもしれない。
「ああ、ルミデッツのことか…」
「もしかして、趣旨を変えたの…?」
「いや、それについてだが少し話がある」
「ん?なに、…?」「ラクト…、バーミリオン…?」
  言い訳でもするの、と続けようとしたが、いままで黙っていた『コレ』扱いの生徒が、自分
の名前を呟いていた。
「なによ?」
  それが妙に気に触ったので、つい反射的に振り返る。
「確か…、あなたとは初対面ですね」
朝にも見た、妙に攻撃的なサファイアブルーの瞳がこちらを向く。多分、この生徒とは仲良
くなれないと思う、というか仲良くしようとも思わないけど。
「それから『なによ?』は、初対面の人に対するいい挨拶じゃないと思いますが…?」
「…、『こんにちは』とか『はじめまして』とでも言えばよかった?」
「ええ、それが礼儀です」
「…そう、じゃあ、はじめまして。これでいい?」
「はい、はじめまして」
「で、なんであなたが空乃の隣にいるわけ?あいつに呼ばれた、なんてことは無いと思うけど」
「ええ、話し掛けに行ったのは私の方ですから」
  ―――。
「どういう、こと…?」
「ですから、私の方から話し掛けたので、呼ばれてはいません」
「…じゃあ、何?初対面くせにあんたは『拒まれなかった』ってわけ?」
「…」
  無言だが、相手の表情が少し濁る。
「拒まれたんでしょ?だったら、なんで話ができたの…?なんで、近くに居れるの…?」
「それは…、私にも分かりません」
  表情は濁ったままだけど、その青い瞳は力を失ってない。
「ですが…、」
「うるさいっ、このピンクあた…」

 ―――こつん。

 言い切る前に、後ろから何かに小突かれた。
  振り返ると、問題になっている男子生徒が後ろにいる。
  いつの間に後ろに?と聞こうとしたけど、よく考えてみればこの転校生と空乃の間に割って
入ったのだから、転校生の方を向いていれば必然的に空乃が後ろにいる、ということになる。
「空乃…?」
「頭冷やせ、問題を起こしたいのなら、話は別だが」
  そう、なだめるように呟く。
  さっきまで言いたいことが沢山あったのに、その一言で全て収まった。でも、どこかやるせ
ない気分が残る。
「…、ごめん」
「冷えたみたいだな…。あと、ルミデッツ」
「はい?」
「さっきも話したと思うが、こいつは頭に血が上りやすい性格だ。次からその辺りを考慮して
おけ、転校早々厄介ごと起こしたくないのならな」
  それだけ言って、また自分の席に座り『言い争うのなら廊下でやってこい』と、いう感じで
こちらの様子を見ている。

   ▽

 先に手を出そうとしたのはこっちだ、自分の方に非がある事ぐらい分かる。
  それに、髪の毛の事は自分にも当てはまること、相手に言われて気分が悪くなることはよく
解っていたつもりだったのに。
「ルミデッツさん、ごめん…なさい」
「……」
無言、まるでさっきのセフィみたいに黙っている。
(…怒るのは、当然かな)
  なんて思う、これで反省するところがまた増えた気がする。

 少し間があいて。
「ラクト…、いえ、バーミリオンさん」
「ん…?」
「私の方も考慮が足りませんでした、深裏さんからいろいろと聞いていたのに…」
「ラクトでいいよ、『さん』付けされるのは好きじゃないから」
  いろいろ聞いた、と言う発言よりも。今は何故か『バーミリオンさん』という言葉がぎこち
ないことの方が気になった。同年代、同性に『さん』付けで呼ばれるのは、精神的によろしく
ない。でも、事の後だけにこういうことを言うのは少し照れる。
「だったら…、私のことも『ルミデッツさん』ではなくて、『アヴィス』と呼んでください」
「お相子…か、悪くないわね」
  そう言った後、無意識に泳がせていた視線を戻し、手を差し出す。
「…?」
「握手、仲直りっていうことで」
「…はい、これからよろしくお願いします」
  同じように手を差し出し、しっかりと握り返してくれた。

「ところで、アヴィス」
「なんでしょう?」
「さっき、『いろいろ聞いた』って言ってたけど、どんなことを聞いたの?」
「それは…」

―――きーん、こーん、かーん、こーん。
  ―――きーん、こーん、かーん、こーん。

 最悪のタイミングで授業開始のチャイムが鳴る、席に戻らないと宿題が増えるかもしれない。
でも、アヴィスが何を聞いていたかが無性に気になる。
「それは?早く言いなさいよ」
「秘密です」
  にっこりと笑みを浮かべながら、自分の席に戻っていった。

   ∵

 珍しいことに、午後の授業で一睡もしなかった。
でも、そのせいで少し眠い放課後。

いつも通り、夕焼けが教室の中を橙色に染めている。室内に残ってる人は少ないが、なぜか
さっきから落ち着かない。
  原因はと言うと、自分の席から二つ右隣で教科書を片付けているアヴィスだ。昼放課から監
視…じゃなくて、どんな奴かを調べる目的で見ていたけど、目立った動きは無かった。
でも、見ていて分かった事が少しある。
私と話している時は、どこか攻撃的な雰囲気があるように思うけど、他のクラスメイトと話
すときにはそれが全く感じられない。
(考えすぎかなぁ…)
頭を振り、その考えを払う。今、すべきことは空乃から話を聞くこと。アヴィスとの口喧嘩
の前に、空乃が『話がある』とか言っていたような気がするし、六時間目の授業終了後に『放
課後、話がある』とメールが来ていたから、何か重要な話でもあるのだろうか。さっさと用具
を片付けて、彼の席に行くとしよう。

 

相変わらず、空乃は自宅で出来そうなことをやっている。
そういえば…、少し前に『学校に残るくらいなら、早く帰ったら?』と言った事があった。
そのときの返答が『家より、ここの方が静かでいい』とかいうモノだった気がする。
とりあえず、彼は最終下校時刻まで帰ろうとはしない。

「あっきのー、何か用?」
「ああ、昼放課に言いそびれたことがあったからな」
「言いそびれたこと?」
「あいつが帰ってから話す」
  空乃の視線が、アヴィスの方を向く。
「もしかして、恋愛相談…?」
「違う」
  即答された。でも、その返事に何故かほっとしたのは気のせい、という事にしておこう。
「じゃあ、何?」
「…、来るか」
「え…?」
  質問の答えになってない上に、意味不明な事を呟き、端末を片付け始める。「何が来るのよ?」
と、聞き返そうと口を開きかけ。
「深裏さん」
「わっ…」
いつの間にか、帰り支度を終えたアヴィスがすぐ隣にいた。さっきの意味不明な単語は、『ア
ヴィスが来るか』と、いうことだったらしい。
「何か用か?」
「特に用はないですけど…」
  夕日色に染まる髪が揺れる。
「深裏さん、また明日」
  そう言って、軽く会釈をし教室のドアへ向かう。
「…、アヴィス」
「はい?」
  ようやく、いなくなるなぁ。と思っていたら、空乃が呼び止めた。
「それは苗字(ファミリーネーム)だ」
「こう…、呼んではいけませんか?」
「駄目だ、とは言ってない。ただ、反応が鈍くなるだけだが」
なんとなく空乃が、「名前で呼べ」と言っていることが分かる。
「じゃあ…」
  相手にもそれが伝わったのか、少し躊躇った後、口もとを緩ませる。
「空乃くん、また明日」
  彼はいつものように無言で、見送ることもせず、帰りの用意を始めた。

「ねぇ、空乃?」
  アヴィスが教室から出て行ったのを確認して、話し掛ける。彼は既に帰りの用意を終えてい
るようだ。
「何で…、あんな事いったの?」
「…、深裏、この響きが余り…好きじゃないからだ」
  そう、どこか悲しげで、遠くを見ていたかのような呟き。
「……」
言葉に詰まる、こんな空乃を見るのは初めてだったから。
黙り込んだ私にどう思ったのか「どうでもいい事だったな」と、彼の苦笑が漏れる。
「それに、まだ話が済んでない」
「そう、それっ」
  ようやく、話題が見つかった。重要なことだったはずなのに、すっかり忘れていた。
「それで、話ってなに?」
「あいつ…、ルミデッツの事だ」
「やっぱり、恋愛相だ…」
「お前は、あいつに何か感じなかったか?」
  ほんの軽い冗談は、本当に軽く無視された。
「んー…、何かって言われても、私に対する態度ぐらいかなぁ」
「それは、ただ単にライバルとして見られてるだけだろう」
「え…、そうなの?」
「…、俺に聞くな」
  ライバル意識してくれることは嬉しいけど、露骨に敵意を剥き出しにするかなぁ普通。
「じゃあ、空乃が感じた『何か』って?」
「実のところ、はっきりとは解らん」
「…、なによそれ?」
「ただ…」
  空乃の表情が陰る。
「俺と似たモノがあった」
  視線を窓の外、紅に染まる運動場へと投げやり、続ける。
「俺は、できるだけ他人と関わらないように場を作ってきた。そのおかげで、俺に関わろうな
んて輩は一人もいなくなった。去年、お前が話し掛けてくるまでは…」
  こく、と頷く。初めて逢った時の彼は、今よりもっと酷かったと思う。
「それは、いいとしよう。確証は持てないが、あいつから伝わってきたモノは…」
  不意に言葉が切れた。「いや、ただの考え過ぎなのかもな」と、軽く頭を横に振り、苦笑。
鞄を片手に持ち、席を立つ。話はここまで、ということだろうか。
「空乃?」
「ん?」
「…、なんで、人との関わりを嫌うの…?」
  今までずっと気になってきた事、今の空乃なら何か答えてくれるかもしれない。
「理由…、か」
  少し振り返り、こちらを向く。
彼の瞳に映るのは、真紅(あか)に染まる運動場、殆ど人がいない静かな教室、窓に反射する蒼。
「そんな事…、忘れたな」
  そう言って、さっさと教室から出て行く。

――忘れた
  一人、さっきより静かになった教室で考える。
  その言葉が、何故痛ましく、酷く疲れきった感じがしたのかを。

 …答えは、出るはずも無かった。

 

 

   
次へ>