遺影のすすめ
昨日は、わが慈眼寺の先代住職の七回忌でした。六年前のこの日になくなったのですが、悪性リンパ腫という病気で、お盆明けの頃に、正月は越せないという宣告を受けていました。そこで、早々と遺影の選定にかかったのですが、これが意外といいのがないのです。こういう経験をされた方は多いのではないのでしょうか。葬儀場に飾られた写真を見れば、キチンと用意されたものか、大慌てで探し出し、着せ替えを施したものかはすぐわかります。それでも、立場上あまり無様な姿もお目にかけられないので困りました。そこに運良くというか、ちょうど運転免許証の期限が9月15日でしたから、免許の更新に行くという口実で病院を抜け出し、写真屋さんに事情を話して遺影をとってもらいました。正月も越せそうにない病人が、運転免許もないのですが、本人は宣告内容を知らなかったのですから、生きる希望を消さないためにもこの免許更新は必要だったのです。夏場でしたから、甚平羽織で写真をとりましたが、緋衣の正装に着せ替えてもらいました。費用9万円。あまりの出来栄えに、病院へ持っていって本人に見せてやりたいと思ったほどですが、その写真の出来上がった日に息を引き取りました。ほんとに見せてやりたかったよ。こんな良いかっこしたことないんだから。
末期の病人に、遺影をとりに行こうとは言えないのです。勘のいい病人ならカメラを向けただけで、自分の病名を察知してしまうでしょう。遺影などどうでもいいと言ってしまえばそれだけのことですが、辞世の句などと同じようにひとつのメリハリ付けではないのでしょうか。何よりも遺族が助かります。というわけで、遺影について笑って話題にできるうちに、写真を残しておくことをおすすめします。具体的には正月や、結婚記念日など決まった日に写真をとる習慣を作ればいいのです。それが自分の残り少ない命を噛締めなおすきっかけになるかもしれません。私は今までに数枚の遺影を用意しました。ぜひ楽しくなるような遺影を残しておきましょう。(平成14年10月14日)