東海地震が話題にされて30年くらい経ちます。その前には河角広という先生が提唱した69年周期説というのがあって、これは鎌倉あたりの古い地震の記録を調べたらそのあたりには69年周期で大地震がやってくるというようなものでした。この説は、記録を分析したらそうだったというだけで、地球物理的な根拠がなかったので立ち消えになりました。その後、いわゆるプレートテクトニクスという、地球の表面を覆う巨大な岩盤の理論が有力となって、大きな地震については、その発生メカニズムが説明できるようになってきました。それ以前は、地球内部の、放射性元素の崩壊熱が、地球の表面の岩盤に熱による応力を発生させ、その歪に耐え切れなくなって岩盤が壊れるのが地震であると言うような、分かったような分からないような説明しかできなかったので、この理論はとても説得的でかつ衝撃的なものでありました。そして、この理論を道具にして、海の巨大地震を分析して、東海沖が現在空白域になっていると警告されたのであります。今から30年位前の事です。そして最近になってその震源域の見直しがなされ防災強化地域が拡大されました。

 でも、私にはどうも東海地震は単独ではこない様に思われるのです。確かにこの場所には、100年から150年ぐらいの周期で大地震が起こっています。具体的には,宝永地震(1707年)、安政地震(1854年)、昭和地震(1944年、1946年)ですが、地域的にはほぼ3つに分かれ、東から、駿河湾の東海地震、熊野灘の東南海地震、四国沖の南海地震というようになっています。そしてこの3つの地域は、フィリッピン海プレートと、大陸プレートのせめぎあいの場所であって、そこに歪がたまっては、開放されるという繰り返しのサイクルが100〜150年になるのです。そしてこの3つの地域の地震は独立しているのではなく、ほぼ同時に起こっているのです。宝永の地震はほぼ連続して、安政の地震は1日置いて。昭和の地震だけは2年かかっていますが、150年の周期から見れば同時と言っても良いでしょう。そしてこの一連の地震は、みな東から西へと生じているのです。あたかも将棋倒しが東から西に向かっていくように。

 では、なぜ東から発生するのか。それは東のほうがストレスのたまりやすい構造になっているからなんでしょう。東の1番兵が倒されれば、真ん中の2番兵に弾が飛び、これもやられれば3番兵も倒れるというのは分かりやすいとは思いませんか。この場合弾は東のほうから飛んできているのです。即ち太平洋プレートがフィリッピン海プレートを後押ししているのです。

 そして昭和の地震だけは、駿河湾は震源域にならなかったのでまだストレスが開放されていないというのが、東海地震説の根拠となっているようですが、上のように考えると果たしてそんな事がありうるのかという疑問がわいてくるのです。東海をさしおいて東南海や南海地震が起こるわけはないではありませんか。では、なぜ昭和20年くらいに東海地震が起こらなかったか。それは、安政地震のときにストレスが開放されすぎてしまったと考える事はできないでしょうか。圧縮されていたばねが、突然開放された途端、勢い余って伸びてしまったような事は考えられないものですかね。それからもうひとつ、もし東海沖のストレスが残っていたとしても、その背後に控える、東南海や、南海の地域にツッカイ棒になるようなものがないのですから、もはや東海のストレスもたまりようがないではありませんか。七面倒くさいことを書きましたが、この3つの地域は3つ揃って東からの力に対抗する事、そして東から順番にその力に屈服していくと言う事です。

 このように考えて、私は21世紀の前半は東海地震はこないような気がするのです。(平成15年1月18日)

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