ここはグラシアーナ大陸北西部にあるヴィランツ帝国。この国は治安が悪く、ありとあらゆる悪徳、背徳が跋扈していた。その帝国の首都ヴィランツインペルに、ある子供が一人――

 見たところ六、七歳くらいの男の子で、非常に綺麗な顔立ちをしていた。そして上等な生地で作られた、貴族のような服を着ている。上品な服装と相まって、幼いながらも高貴な雰囲気を漂わせる。どこかの王侯貴族の子供なのではないかと思われた。燃えるような赤い髪を長く伸ばし、後ろで束ねている。深い漆黒の瞳をしており、目つきは鋭かった。腰には美しい装飾がなされたレイピアを下げている。右側にレイピアを下げているということは左利きなのだろう。
 ヴィランツ帝国は他の国々と比べて特に治安が悪い。犯罪は日常茶飯事であり、見目のよい女子供はすぐに攫われて奴隷商人に売り飛ばされる。そんな国に貴族的な雰囲気をまとう子供が一人で歩いていては、まさに格好の餌である。
その子供は犯罪に巻き込まれることなど臆することもなく堂々と歩いていたが、案の定、柄の悪い男達に囲まれた。
「そこのお坊ちゃん、随分と綺麗な顔してるねえ。どこの貴族のご子息だい?」
「この国で君みたいな子が一人で歩いてるなんて、まるで自分から攫って下さいって言ってるようなものだぜ」
 男達は残忍な笑みを浮かべた。しかし次の瞬間に子供の姿はパッと消えた。
「なっ!? き、消えた? そんな馬鹿な! どこ行きやがった!」
「あんな上玉、滅多にいねえ。必ずとっ捕まえて皇帝陛下に献上してやるんだ! たっぷりと礼金がもらえるぜ!」
 男たちは子供を探して散り散りになった。当の子供はどこへ行ったかというと――建物の屋根の上にいた。
「さすがは悪の帝国の首都なだけあるな。今まで行ったどの町より治安は最悪だ。やっぱり普通に歩いてたら人攫いや悪人にばかり絡まれて埒があかない。隠れて進むか」
 子供は建物の屋根から屋根へと飛び移っていった。
「さてと、闘技場はどこかなっと」

 しばらくして子供は闘技場に辿り着いた。ようやく普通の道に降りて中に入る。闘技場の受付をしていた男は子供を見て驚いた。
「なんだ小僧。ここはガキのくるところじゃねえぞ」
「俺はちゃんと貼り紙を見てきたんだぜ。この闘技場は誰でも出場できるんだろ? 子供が出ちゃいけないなんてどこにも書いてなかったぜ」
「あ? 子供が大人に敵うわけがねえだろう」
 その場にいた闘技場の戦士達は子供に注目した。皆、珍しいものでも見るような目つきだった。高貴な雰囲気を漂わせる幼い子供が闘技場に出るなどと言っているのだから無理もない。
「おいおい何考えてやがる。死にてえのか小僧? ここは帝国の中でも特に腕に自信のある奴ばかりが集まるんだぜ? あっさりやられて殺されちまうのがオチだ」
「死ぬ気なんてないさ。優勝して金貨千枚を手に入れるのが目的だ」
「な、何だって?」
 子供は至って堂々としている。その場にいた大人達は驚愕を隠せなかった。十代の少年ならともかく、まだ十歳にも満たない子供が闘技場に出場するなど前代未聞である。しかもその子供は優勝するつもりなのだ。
「子供が出ちゃいけないなんて決まりはないはずだ」
「そ、そりゃ確かにそうだが、一体何だっておまえみたいなガキが闘技場に出ようなんて思ったんだ?」
「金が無くなったから」子供はさらりと言った。
「一番手っ取り早く大金を稼ぐ方法がここで優勝して賞金を手に入れることだ。ただ勝ち進んでいけば金貨千枚も手に入るんだ。こんな簡単なことはない」
 大人達は開いた口が塞がらなかった。こんな小さな子供が金を稼ぐのに闘技場に出場するなど聞いたこともない。
「いいからさっさと出場の手続きを済ませてくれ」
子供は有無を言わさぬ口調で強く言った。受付の男は呆然としている。
「小僧、名前は?」
「アレルだ」
「忠告はしたぞ。死んでも知らねえからな」

 闘技場の控室には大柄で強固な体格をした戦士達が大勢おり、それぞれ武器の手入れをしていた。皆、好戦的で獰猛な顔つきである。アレルに対しては信じがたいものを見るような顔をする者もいれば、小馬鹿にするような目線を送る者もいた。後者は揶揄するようにアレルに話しかけてきた。
「よう、小僧、本当に優勝できると思ってるのか? そんな小さな身体で?」
「当たり前だろ。勝算もないのに出場してどうするんだ」
 アレルはそれがどうしたと言わんばかりに堂々としている。端から見てどんなに信じがたい行動を取っているかなど全く自覚が無い。
「おまえ、自分のやろうとしていることが本当にわかっているのか? ここの闘技場は片方が死ぬまで勝負はついたことにならない。負ければ死ぬんだぜ?」
「ああ、そうだな。ここの残忍で悪名高い皇帝が降参を認めるような甘いルールを作るとは思えない」
「おいおい、本当にわかってるのか? 仮に勝つとして、おまえは人を殺せるのか?」
「もちろん」アレルは淡々と答える。
「そんな細っこいレイピア一本で何ができる! なぶり殺しにされるのがオチだぜ!」
「心配してくれてどうも」
 相変わらずアレルは素っ気なく答える。何を言われても顔色一つ変えないアレルを見て、男は黙ってしまった。そうしているうちに闘技場の戦いが始まる。

 闘技場の最上階には豪奢な玉座が据えられていた。そこにはこの悪の帝国の皇帝が冷酷な笑みを湛えて座っていた。
「陛下、本日は珍しい出場者がおりますよ」
「ほう、どのような戦士だ?」
「それが、まだほんの子供なのでございます。一体何を考えているのか、この闘技場は誰でも出場できると聞いて、大胆不敵にもやってきたのだそうです。見た目は非常に見目麗しい少年です。あれほどの美貌の持ち主ですと死なすのはあまりにも惜しゅうございます。畏れながら、あの子供に関しては例外的に生かして小姓に召し抱えられるのがよろしいかと、ご進言申し上げます」
「それは興味深いな。だがまずはその小僧の戦いぶりを見てからだ」
「御意」

 まもなく闘技場の試合が始まった。腕に自信のある屈強の戦士達が死闘を繰り広げる。先程アレルに話しかけた男が言った通り、ここの闘技場では相手が降参しても勝負がついたことにはならない。どちらかが死ぬまで戦い続ける。ヴィランツ皇帝は人が死ぬのを見るのが好きな男であった。そしてアレルの番がやってきた。皇帝はアレルの容姿にしばらく見惚れていた。
「ほう、あれが例の小僧か。思ったよりずっと幼いな。あれで大の大人と戦おうというか。己の二倍近くある大人相手にどのように戦うか、見せてもらおう」
 アレルは至って平然としていた。それまでの試合で敗北した戦士が次々と死んでいくのを冷徹な表情で見ていた。そして最初の対戦相手と対峙する。
「小僧、わざわざ好き好んで死ににきたか」
「悪いな。あんたに恨みはないけど勝たせてもらう」
「な――」
 相手の戦士が何か言いかけた時には既に勝負はついていた。アレルは目にも止まらぬ速さでレイピアを抜き、相手の喉を貫いたのである。会場は一斉にどよめいた。ヴィランツ皇帝も歓声を上げる。
「ほう。あの小僧、只者ではないな。否、あの幼さで闘技場に出場するという大胆不敵な行動を取るのだから当然か。これは面白い」

 アレルは一戦、また一戦と着実に勝ち進んで行った。戦士達は一気にアレルに対して警戒し始めたが、皆、一合で敗れていった。まだほんの六、七歳の子供にいとも簡単にやられるという信じがたい光景に、皆、呆然としていた。アレルの攻撃は常に一撃必殺である。確実に相手の急所を狙って止めを刺す。レイピアの貫通力で相手の身体を貫く。あの幼さであの強さ。一体あの子供は何者なのだろう。アレルの存在に空恐ろしさを感じる者さえ出てきた。ヴィランツ皇帝はアレルを食い入るように見つめていた。
そのうちアレルは準決勝まで進んだ。今度の相手は巨大な斧と鉄球を振り回す大男であった。
「小僧、なかなかやるようだが、ここまでだ。何故なら未だかつて俺様に勝った奴はいないのだからな!」
「自分のことを『俺様』だなんて馬鹿じゃねえの? その自信、へし折ってやるよ」
「何を! そんな細っこいレイピアで俺様に敵うと思うな!」
 大男は巨大な斧を振り回した。びゅう、びゅうと重い風が吹く。そしてアレルのレイピアを折ろうとした。だが――

スパーン!

 アレルがレイピアで薙ぎ払うと、逆に大男の巨大な斧の方が真っ二つになった。男は驚愕を隠せない。
「な、何っ!?」
「残念だったな。こいつは普通の剣じゃないんでね」
 通常、レイピアのような細い剣は力押しには弱い。相当な重量の斧で一閃すれば簡単に折れてしまうはずだった。しかしアレルの持っているレイピアは普通の金属よりもさらに固い材質でできているようである。対戦相手の男をはじめ、観客達も再び一斉にどよめく。皆、驚きを隠せない。しかし、大男は気を取り直して、もう片方の手に持っている鉄球を振り回した。
「それならこれでどうだ!」
 大男の鉄球の鎖がアレルのレイピアに巻きつく。それでアレルからレイピアを奪うなり、折るなりしたいようだったが、アレルは一気に間合いを詰め、もう片方の手で懐から短剣を抜いて大男の喉を掻き切った。
「勝負あったな」
 ヴィランツ皇帝はその光景を満足げに眺めていた。とうとう決勝戦である。
皇帝はアレルを呼び寄せた。ありとあらゆる悪徳と背徳にまみれたヴィランツ帝国。その帝国の皇帝は噂に違わず残忍な表情をしていた。アレルは険しい表情で皇帝の面前にやってくる。
「あんたがヴィランツ皇帝か」
「いかにも。アレルとやら、見事な戦いぶりだったな。褒めてつかわすぞ」
「まだ優勝してない。決勝戦の相手は誰だ?」
「その幼さで死に急ぐこともなかろう。どうだ、私に仕えないか?」
「断る。俺が欲しいのは賞金だけだ」
「余の臣下になれば何でも好きなものをくれてやるぞ」
 皇帝の誘いに対し、アレルは冷たく言い放った。
「俺はあんたに仕えたくてこの闘技場に出たわけじゃない。金が欲しかっただけだ。優勝して賞金さえもらえれば、もうあんたに用はないね」
「小僧! 陛下に向かってなんという口を!」
家来が思わず叫ぶが、皇帝自身は特に気に留めた様子もなかった。むしろアレルの反応を面白がっている。
「よい。それならば望み通り賞金を与えよう。もっとも今度の相手に勝つことができればの話だがな」
ヴィランツ皇帝が合図をすると闘技場の一角にあった檻が開いた。そこから出てきたものは――



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