サイロニアに戻った勇者ランド一行は先程の沼の洞窟で起きた神託について話し合っていた。まさかアレルも神に選ばれた勇者の一人だったとは。それも世界最強の勇者である。
「でも不思議な神託だったわね。アレルくんはどうして天使様にあんな横柄な態度だったのかしら? 天使様もそれについてお咎めにならなかったわ」とローザ。
「確かにあれは興味深かったね。勇者の使命を敬虔に受け止めず、自分の好きなようにやるだなんて言う人間は初めてだ」とウィリアム。
「アレルくんはこのサイロニアから旅立ってしまうのだろうか」とランド。
「他の国へ行ってしまうのかしら? 神託があったから仕方がないとはいえ、なんだか寂しいわ。それにアレルくんのご両親はどうしていらっしゃるのかしら? まさかもうお亡くなりになってるなんてことは…」とティカ。
「あの天使様の口調だとあまりいい状況になってるとは思えないね。それに天使様はアレルくんのことを『神の加護を自ら必要としない者』と言っていた。神を信じずに生きていけるものなのだろうか…僕には到底考えられないな」とウィリアム。
「あの子の記憶が戻ったら、どういうことだったのか全部教えてもらわなきゃね!」とティカ。

 四人で話し合った後、ランドはアレルに会いに行った。
「アレルくん、もしかして君はこのサイロニアから旅立ってしまうつもりかい?」
「そうだな。以前ウィリアムから聞いたルドネラ帝国っていうところが気になってる。おそらく俺はこのグラシアーナ大陸の人間じゃないと思う。ルドネラ帝国なら他の大陸と交流があるんだろ? 俺の記憶の手がかりが得られるかもしれない」
「そうか。君にとって当面の問題は自分の記憶を取り戻すことだからね」
「う〜ん、そうなんだけど、どうも頭の中が変なんだよなあ。なんだか本当は何もかも全て知っているような、でもとっても大切なことなのに思い出したくても思い出せないことがあるような気がするんだ」
「天使様はいつか全てわかる時がくると仰っていた。その言葉を信じよう」
「天使なんか信じたって救われないぜ」
 ランドは眉を顰めた。アレルは何故こうも罰当たりなことを言うのだろう。神の御使いから神託を受けたというのに、ひねくれた態度は相変わらずである。ランド自身は神託を受けた時、名誉なことだと思っただけにアレルの言動は信じられない。
「どうして君はそんなことを言うんだい?」
「だってさ、罪もない人々にろくに救いの手を差し伸べたりもせず、えっらそうに天使の姿をして上から見下ろしているだけじゃないか」
「何を言うんだ。天使様は信心深い全ての人々に救いの手を差し伸べるぞ」
「信心深いまま殺されていった人がこの世の中にどれくらいいると思ってる。いつだって信じられるのは自分自身の力だけだ。どんな困難も自分自身の力で乗り越えていくしかないんだよ。神なんか信じたって助からないものは助からないんだ」
 ランドは言葉に詰まった。アレルは今まで一体どれほどの修羅場をくぐり抜けてきたのだろう。今のところスコット王子の話でしか知らないが、ヴィランツ帝国というのはそんなにひどい国なのだろうか。
「それよりランド、スコットやヴィランツ帝国のことはおまえらとサイロニア王国に全面的に任せたいんだけど」
「ああ、それはもちろん。スコット王子の意志を受けて必ずヴィランツを倒してみせるよ」

 その後、アレルは今まで世話になった勇者ランド一行とスコット王子にお別れを言いに行った。
「ティカ姉さん、今までいろいろありがとう」
「私も可愛い弟ができたみたいで楽しかったわ。それにこの短期間でここまで格闘技の腕が上達したのはアレルくんが初めてだわ。あなた才能あるわよ。これからも剣の稽古だけじゃなくて格闘技の修行も怠らないでね」
「もっちろんさ!」

「ローザ姉さん」
「いつかご両親と会えるといいわね」
「うん…俺、両親なんていたのかな…どうも変な感じだ」
「もしかしたら生まれてすぐに離れ離れになってしまったのかもしれないわね。あなたがいつか実の両親に会える時が来るのを願っているわ。子供の無事を願わない親なんていないもの」
 ローザのその言葉を聞いた瞬間、アレルの心臓を何かが鋭く突き刺したような感じがした。だがアレルは何も言わなかった。

「ウィリアム、今まで勉強教えてくれてありがとう」
「君は飲み込みの早い生徒だから別れるのは惜しいな。それに君の独特の価値観がどこからきたのかも知りたい」
「仮に誰かの影響を受けたのだとしても、俺は俺だよ」
「そうか…今度会う機会があったら君ともっと話したいな。学問の話も、他の話も」
「俺、これからもいろんな国で図書館みつけたら勉強するよ」
「そうかい。えらいねえ。次に会う時が楽しみだよ」

 アレルは今度スコットに会いに行き、神託のことについて話した。
「そうか。君は特別な使命を負った勇者だったんだね。どうりで強すぎると思ったよ」
「この国にはランドという勇者がいる。それに国の軍事力からしてもサイロニアはヴィランツ帝国に十分対抗できる。この国の人達は基本的にいい人ばかりだ。だから俺はおまえのことをランドやサイロニア王に任せて旅立とうと思ってる。スコット、強く生きろよ」
「うん。アレルと別れるのはとても寂しいけれど、それが運命なら仕方がないね。僕もこれから勇者ランド様に剣を教えてもらって強くなるよ。そしてサイロニア王の力を借りて、いつかフィレン王国を復興させてみせる」
「がんばれよ」
「アレルも元気でね。君のことは忘れないよ」

 そして――
「ランド、話があるんだけど」
 アレルは旅立ち前夜にランドに会いに行った。どうしても話したいことがあったのである。
「今までは悪かったな。おまえ見てるとどうも素直になれなくってさ」
「いや、別にいいんだよ。本当に嫌われているのでなければ」
「旅立つ前におまえと一通り話しておきたいと思ってさ」
 ランドは神託を受けた勇者である。アレルとしては聞いてみたいことがあったのだ。
「なあ、ランド。おまえは人間ってやつをどう思う?」
「えっ?」ランドは返答に窮した。
「おまえはきっと、今まで何の疑問もなく人を信じて生きてきたんだろうな。人に裏切られたことないだろ?」
「僕は人として生まれた。人を信じないでどうやって生きていくというんだい?」
「俺は…あまり人を信じることができないんだ。信じたくても信じさせてくれない。結局最後に裏切られたり、苦い思い出と共に絶交になったりするんだ」
「君は記憶喪失なんじゃないのかい?」
「心の傷だけははっきりと刻まれてるぜ。全てに裏切られて、その上孤独。孤立した状態で何もかも信じられなくなった時、人は憎しみに染まる」
「な、何だって! 君にそんな経験があるというのかい?」
 アレルの顔は深い苦悩を抱えているようだった。その漆黒の瞳にも暗い、人間の心の闇を感じさせるものが垣間見える。アレルはしばらく顔を伏せて黙っていた。
「俺は…もしかしたら本気で人を憎んだことがあるのかもしれない…」
 それを聞いてランドの心に戦慄が走り、慄いた。魔王という存在は人間に対する憎しみから生まれるという。それに幼いうちにあっという間に高等呪文まで取得してしまった者は過去の文献によると魔王になってしまったとウィリアムは言う。
「俺の中にある知識では、人間ってのは基本的に皆エゴイストなんだよ。だから人に親切にしたって素直に感謝する人ばかりとは限らないさ。助けてもらって当たり前だと考えてる人もいるだろうし、むしろ非難されることもあるかもしれない」
「そんなことはないよ」
「いや、そんなことあるって。それでも、何人の人間に裏切られようと俺は他人に尽くすのをやめようとは思わない。それが俺という人間だから。そんな俺をみんな利用して、そして俺は捨てられて、悪意と嘲笑だけが俺に返ってくる…」
「アレルくん、しっかり! 少なくとも記憶を失ってから君が会った人はそんな人間だったかい? 確かに世の中には薄情な人もいるかもしれない。だけどそんな人ばっかりじゃない!」
「そんな人ばっかりじゃない。それはわかってる。そう思うから俺はまだ人を信じて生きているんだ。この世に存在する全ての人間と接してみなきゃわからないからな…ああ、そうか。その為に俺は…」
 そう言うと、アレルは頭を抱え出した。
「駄目だ。頭が痛くなってきた。これ以上無理に記憶を呼び起こそうとしない方がいいみたいだ」
 ランドはただ呆然としていた。それを見てアレルは失望したような表情をした。
「なんだよ、あんた勇者なんだろ? こういう深刻な悩みに答えられるくらい何か経験積んでると思ったのに」
「い、いや、その…」ランドはしどろもどろになる。
「情けないなあ。本当はもっと人間ってやつについて議論してみたかったのに。おまえはまだまだ人生経験足りないんだな」
「子供の君に言われるとなんとも奇妙な気分だね。そういう君は一体何歳なんだい?」
「さあ。あの神の御使いとかいうやつにせめて年齢くらいは聞いとくべきだったな」
 アレルとランド。神託より選ばれし二人の勇者の間にしばらく沈黙がおりた。
「ランド、さっきの話だけどさ、おまえもこれから逆境にぶち当たるかもしれないからな。絶望に蝕まれて魔王になってもらったら困る。だから言えることは言っておきたいんだよ」
「ぼ、僕が魔王?」
「ま、それは多分大丈夫だと思うけどな。それより勇者ってのは重たい使命なんだぜ。自分ができる限りのことをして、人々を救ったって素直に感謝する人ばかりとは限らないさ。助けてもらって当たり前だと考えてる人もいるだろうし、むしろ非難されることすらあるかもしれない。人間ってのは皆、基本的に自分の保身しか考えてないからな。自分に力が無いから勇者にすがる。平和を求める。だけど勇者だって人間だ。うまくいかない時もあるし、失敗する時もある。だけど力が無い普通の人間はそんな勇者を責めるんだよ。『勇者の癖に何やってんだ!』『おまえ勇者だろ!』ってね」
「君、そんな話をどこで…」
「本、読めよ。例えば一組の親子がいたとする。その親子のうち親の方が助かって子供が死んでしまったらおまえは恨みを向けられる対象になるかもしれないぜ。多くの人々を救った英雄だけど自分の大切な子供は守ってくれなかった、ってね。勇者だって完璧じゃないんだ。全ての人を救えるわけじゃない。だけど大切な人を失った悲しみを他人にぶつけることしかできない人だっているんだ。そういう人からは石を投げつけられるかもしれない。だから勇者ってのは、英雄ってのは、人々から感謝されるだけでなく、やりどころのない恨みを受け止める覚悟もいる。世の中そんなに単純じゃない」
 あっけにとられているランドをアレルは改めて見つめた。
「おまえって世の中の矛盾、人間の深い悲しみ、苦しみ、憎しみにはまだまだ疎いよな。これからヴィランツ帝国へ行けば、今までおまえが知らなかった人間の醜い面を知ることになるだろう。それでも勇者だったら人間ってやつに失望するなよ」
 ランドは呆然としたままだった。完全に子供の言うことではないし、内容的にもどう受け答えしたらいいものか。
「まさか魔王を倒したり、世界征服を企む悪の帝国を滅ぼしたりしたら全てハッピーエンドで終わるだなんて思ってないよな?」
「も、もちろんだ」
「聖騎士ってのは聖職だ。本当の意味で人々の幸せを願わなければならない。だけど自分がやったことが報われなくて、却って逆効果になったとしてもめげるなよ。おまえにはティカ姉さん達みたいに信頼できる仲間がいるんだからな」
「ああ…」
「なんだか俺の方が人生の先輩みたいだ…変だなあ。とにかく俺が同じ勇者として同胞に言えるのはこれだけだ。旅立つ前になんとかしておまえと深い話をしてみたかったんだよな。ああ、悪い。こういうことはウィリアムとでも議論してた方がよかったかな? でも勇者一行ではおまえがリーダーなんだし、騎士団長でもあるんだろ? これから矛盾に満ちた世の中でうまく人々を導いていけよ」
 そう言うとアレルは去って行った。ランドは返す言葉も無くずっとその場に立ち尽くしていた。

 翌朝、アレルはサイロニア王からたくさんの餞別を受け、旅立つことにした。城下町の入り口では勇者ランド一行の四人組とスコット王子が見送りに来る。
「王様からいっぱいいろんなものもらっちまったなあ。こんなにもらっちまっていいのか?」
「陛下から小さな勇者への贈り物よ。ありがたく受け取っておきなさい」とティカ。
「アレル、元気でね。ルドネラ帝国へ着いたら手紙をおくれよ」とスコット。
「そうだな。約束する」
「絶対だよ!」
 アレルにとっても、スコットにとっても、二人は初めての友達だった。遠く離れていても、互いのことを忘れない。
「アレルくん、身体に気を付けてね。子供の一人旅は危険だから、十分に気を付けるのよ」とローザ。
「アレルくん、ルドネラ帝国へ着いたら賢者ベラルドに会うといい。僕の師匠でもある。ほら、手紙を書いておいたから会ったら渡しておくれ」とウィリアム。
「ありがとう。ローザ姉さん、ウィリアム」
 最後にランドがアレルに声をかけた。
「アレルくん…気を付けるんだよ…」
「もう! ランドったら、それだけ?」
「いいんだよ、ティカ姉さん」
 アレルはまとめた荷物を担ぎ上げた。
「じゃあみんな元気でな!」
 アレルは新たに旅立った。勇者としての使命は言い渡されたが、どのみち困った人を放っておける性分ではない。神託のことは胸の内にとどめておこう。いつどこへ行き、何をしようとも自由。これからアレルの気ままな旅が始まる――



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