勇者の神託を受けた若干七歳の王女を亡き者にしようと先手を取った魔族達であったが、うまく撃退されてしまった。ジャネットという女性の働きとアデリアス自身の力で危機を乗り切ったのである。彼女達は魔将校デシメスの城の跡地の近くにいた。デシメスの城の崩壊を見て、アデリアスの父ラドヴァンもこちらへ向かっていることだろう。
「お嬢ちゃん、安全なところを見つけて休もうか。これだけ馬鹿でかい城がいきなり現れて落っこちたんだから国中に知れ渡っているだろうよ」
「そうですわね。早くお父様と合流したいですけれど、先程の戦いでかなり体力を消耗してしまいましたわ。ジャネットさんだってたくさん傷を負ってしまって」
 アデリアスは回復魔法でジャネットの傷を癒した。
「たった一人であの魔将校とかいうのを倒して、まだ魔法力が残っているのかい? たいしたもんだ」
 アデリアスは魔将校デシメスを、ジャネットは配下の魔物百体を倒したばかりでかなりの疲労が溜まっていた。二人はルヴァネスティ王国の首都へ向かう道の途中で泉を見つけた。そしてしばらくそこで休むことにした。
「ジャネットさん、本当にありがとう。あなたがいなかったらわたくし、今頃どうなっていたか。城に帰ったらたっぷりお礼をさせて下さいな」
「そんな、いいんだよ。成り行きでこうなっただけなんだから」
「ジャネットさんは素晴らしい剣士ですわ。是非ともわたくしの今後の旅に同行して頂きたいですわ」
「それは駄目だね」
「まあ、どうしてですの?」
「あたしは高潔な王女様にお仕えするような人間じゃないんだよ。今まで生きる為に相当汚いこともやってきた。この身体は汚れてるのさ」
 アデリアスはきょとんとして目をぱちくりとさせた。
「まあ、それではお風呂に入りましょう」
「は?」
「身体が汚れているのでしょう? この泉で清めましょう」
「あ、いやーその……」
 あまり比喩的な表現がわからずに文字通り受け止めてしまったようだ。こういうところはまだまだ子供なのだと思う。先程の戦いで返り血に染まっている状態なので、ジャネットは純粋無垢な瞳をしたアデリアスと共に泉で入浴することにした。泉の水は冷たく、戦いで熱くなった身体には心地よい。冷たい水に浸かっているとそれだけで穢れた身体が清められる気がする。
「ジャネットさんは浅黒い肌をしていらっしゃいますのね。もしかして砂漠地帯の出身ですの?」
「ああ、そうだよ。各地を点々としてきたんだ」
「ジャネットさんの服装は剣士のものとは思えませんけれど、普段はどのようなご職業でいらっしゃるの?」
「あー……それは……」
 ジャネットは言葉に詰まった。
「普段は剣で稼ぐことはあまりないよ。剣舞が得意だから、踊り子として稼いでいたよ。そのついでに夜の商売もやったりしてたんだ」
「夜の商売?」
「あー……だから、その、いわゆる水商売だよ」
「水商売?」
 アデリアスはまたきょとんとして目をぱちくりとさせた。あどけない表情で首をかしげ、純粋無垢な瞳でジャネットを見つめてくる。
「まあ、砂漠にはお水を売る商売があるんですのね」
「は?」
「砂漠ではお水は貴重なものですからね」
「あー……お嬢ちゃん……その水商売じゃなくてだね……」
 ジャネットは自分の職業については適当にごまかすことにした。こんな幼い少女に説明できるようなことではない。
「ジャネットさん、お城に帰ったらたっぷりとお礼をさせて下さいな」
「いいんだよ。別に金が欲しくてやったわけじゃないから」
「お金? そうではなく、わたくしのもてなしを受けて頂きたいのですわ」
「い、いや、いいよ。豪華な城なんてあたしには身分不相応さ」
「そんな遠慮なさらずに。ジャネットさんはとても腕が立ちますし、これも何かのご縁ですわ。どうかわたくしの旅に同行して下さいな」
「それは駄目だよ」
「何故ですの?」
「あのね、お嬢ちゃん、まずは無事にお城へ帰りな。そしてあたしのことは金輪際忘れるんだ」
「何故?」
「あたしは踊り子だけでなく娼婦もやってたんだよ。それを聞けば女王陛下だってお嬢ちゃんと同行させようなんて思わないだろうさ」
「娼婦?」
 アデリアスは娼婦というものについて聞こうとしたが、ジャネットからは詳しく教えてもらえなかった。そして旅に同行することも断られてしまった。その理由についてはっきりとわからないアデリアスは、城に帰ったら父のラドヴァンや女王ブリュンヒルデに相談してみようと思った。

 魔将校デシメスの城跡地からルヴァネスティ王国へ向かうアデリアス達。そのうち王国の軍隊がこちらに向かってくるのが見えた。ルヴァネスティの国旗を掲げているので間違いない。アデリアスは歓喜に満ちて駆けだそうとした。そしてジャネットの様子に気づく。
「ジャネットさん、どうなさいましたの?あれはわたくしの父ラドヴァンが率いる王国の正規軍でしてよ。わたくし達、助かったのですわ」
「お嬢ちゃん、ここから先はあんた一人で行きな」
「まあ、どうしてですの? ジャネットさんには大変お世話になりましたもの。たっぷりとお礼をしたいですわ」
「お嬢ちゃん、本当にいいんだよ。あたしはここでずらかるよ。国のお偉方とは関わりたくないんだ」
 アデリアスにはジャネットの言うことが理解できなかった。尚もジャネットに一緒に来るように説得するが、ジャネットは固く拒んだ。
「お嬢ちゃん、これからも気をつけるんだよ。そしてあたしなんかよりもっとあんたに相応しいお伴を連れて勇者としての役目を果たしな」
 ジャネットはアデリアスの頭を優しく撫でると去って行った。アデリアスは事情が呑み込めないままだったが、いずれ父母に話して行方をつきとめようと思った。そして改めてお礼をしたかった。
「アデリアス!!!!!」
 遠くから父ラドヴァンが愛馬に乗って駆けてくるのが見えた。ラドヴァンは必死の形相でアデリアスの元へ来ると、しっかりと抱きしめた。
「お父様!」
「アデリアス! よく無事でいてくれた。おまえが一人連れ去られた時にはどうなることかと思ったが、神の御加護があったのだな」
「お父様、あの……」
「おまえが連れ去られてからどうなったのか、これからゆっくり聞かせてもらおう。まずは城に帰って母さんを安心させることだ」
「はい!」

 アデリアスは無事に危機を乗り越え、自らの城へ帰った。女王ブリュンヒルデは愛娘を見て嬉し泣きをした。今回の騒ぎで旅立つのは一旦取りやめになり、アデリアスはしばらく城内で戦いの訓練をすることにした。魔族の方も一旦手を引いたようだが、女王ブリュンヒルデとその夫ラドヴァンは兵士と魔道士を大勢使って城の守りを固めた。まずはアデリアスの無事を喜び、二度とこのようなことが起きないように対策を練ることにしたのだ。
 アデリアスはこれまでのことを父と母に話した。予想だにしない展開にブリュンヒルデもラドヴァンも驚きを隠せなかった。アデリアスの言うジャネットという女性を内密に探しつつ、魔族の攻撃にも備え、ルヴァネスティ王国は防御を固めた。

 ラピネス歴千七年末に北ユーレシアで起きた出来事であった。



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