神。世の中には神の存在を信じていない者も多い。信じたところで現実は変わらない。危機に瀕していても誰も助けてはくれない。運命を切り開くのは全て自分自身である。信心深く慎ましい生活を送っている聖職者などもいるが、アレルなどは神の存在を全く信じていなかった。神託を受けた時のことを思い出し、それらしき存在がいることを確認したものの、普段はひたすら現実のみを見つめていた。世の中には神の存在を信じている者も、信じていない者も両方いる中、実際はどうかというと――

この世界には神が実在する。一人ではなく、数多くの神々がいた。普段は天上界に住んでおり、それぞれ個性を持っていた。まるで人間のような人格を持つ神もいれば、人間性を超越したかのような神もいた。神々しく威厳を放つ神もいれば奇人変人として名高い変わり者の神もいた。天上界一の変わり者の神、それは戦の神ヴォレモスだった。彼は神々の中で最も頻繁にナルディア王国へやってきてはナルディア人に武術を教えていた。何かと奇行の多いヴォレモスだったが、彼には彼なりの考えがあった。下界で遊ぶのももちろん好きなのだが、普段パソコン、スマホ、タブレットなどでアプリを楽しみ、すっかりインドア派になってしまったナルディア人が運動不足になるのを懸念して、武術を教えているのである。おかげでナルディアは最新の技術が発達している一方で武術の盛んな国でもあった。

「戦の神ヴォレモス様。ガジスです」
「おおガジスか。久しぶりだな。外界はどうだった?久しぶりの実戦は血が高ぶっただろう?」
「そりゃあもう!ボクの愛刀も魔物の血をたっぷり吸って満足しているでしょう」

このようなことを言う辺り、ガジスもやはり魔族なのだなと思ってしまう。

「ところでヴォレモス様、勇者アレル君について聞きたいことがあるんですけど」
「あの子は天界でもトップシークレットの存在。残念だが君には教えられないな」
「せめてあの子の本当の年齢だけでも教えて下さいよ」
「今8歳じゃなかったっけ?」
「本当に8歳なんですか?明らかに子供とは思えないことを言う時があるんですよ?」
「そりゃあまあそうだろうなあ」
「その辺の謎をどうか教えて下さいよ~」
「や~だね」
「ヴォレモス様のケチ~」

普通に交渉しても教えてくれるとは思っていなかったが、やはりここは賄賂で買収するしかない。ガジスはそう考えた。

「ヴォレモス様!新発売のカップラーメンです!」
「おお!それはついこの間CMでやってたやつ!食べる食べる!」
「その代わりアレル君について教えて下さい。それかザファード人の創造神シャリスティーナに会わせて下さい」



――3分後。

「ふ~む、どうしようかな~」

ヴォレモスは出来上がったカップラーメンをちゅるちゅると食べながらガジスの交渉について考えていた。

「ガジス言っておくが、シャリスティーナは潔癖症の気高い女神だ。おまえには会いたがらない可能性は高いぞ。それに彼女は8年前からずっと引きこもって寝込んでいる」
「8年前?アレル君は今8歳でしたね。あの子が生まれた時に何かあったんですか?」
「まあ、そうとも言うな。あの一件はシャリスティーナにとって相当ショックだったようだし」

『あの一件』とは一体どんなことなのか。ガジスは知りたくてたまらなかったがヴォレモスは教えてくれない。その代りシャリスティーナに会わせてくれるよう段取りは決めてくれた。



ヴォレモスの計らいでガジスは天上界のシャリスティーナの元へ向かった。天上界の仕組みをガジスはよく知らなかったが、気温は暖かく、緑の大地が浮いていた。その中のいかにも繊細な造りの建物に、ザファード人の創造神シャリスティーナは住んでいた。侍女の役割を果たす天使達が出迎える。美しい美女、美少女だらけの建物に魔族のガジスがいると非常に違和感があった。何も知らない者が見たらいかにもガジスが天使達を取って食いそうである。建物の最上階、最も神々しい場所に女神シャリスティーナはいた。美しい銀髪を長く伸ばしている。ウェーブがかかった髪は光を反射してきらきらと輝く。顔も非常に気高く美しかったが、その表情はこわばっていた。まるで汚らわしいものを見るかのように高みからガジスを見下す。ガジスは女神に平伏し、挨拶をした。

「お初にお目にかかります。女神シャリスティーナ。ボク――私はナルディアに住む魔族ガジスと申します」

シャリスティーナはしばらくガジスを睨んでいた。そしてわなわなと手を震わせる。

「ガジスとやら――許せないわ。おまえの所業は全てこの天上界から見ていました。よくも――よくもうちの子と一緒にお風呂に入ったわね!!!!!」
「は?いきなり何の話ですか?」
「ちゃんと見ていたのよ!うちの子――アレルと一緒にお風呂に入っていたじゃないの!!!!!」
「は?え?ちょっと、シャリスティーナ様――ぎゃああああ!!!!!」

ちゅど~ん!!!!!

女神の怒りの雷がガジスの脳天に落ちた。その威力は凄まじい。感電しながらもガジスはアレルと共に旅をしていた時を思い出した。確かに一緒にお風呂に入った。背中を流したりしてお風呂で遊んだ。ガジスからすれば銭湯で子供と遊んだ程度にしか考えていなかったし、あれはアレルの身体に虐待の形跡がないか確かめる為でもあった。そういう真面目な目的もあったのであり、決してやましいことは何もしてないのだが――

「ああ嫌だわ。わたくし、醜いものって大嫌いなのよ。脂ぎって毛むくじゃらの魔族!ああ嫌だわ嫌だわ。だってどれだけ身体を綺麗に洗っても汚らしく見えるもの」
「ひでえ」
「お黙りなさい!アレルがザファード聖王家の人間だということに気づいていながら一緒に入浴した罪は重いわよ!神聖なる聖王家の人間はおまえのような汚らわしい魔族が軽々しく近づいていいものではないのです!――まったく。アレルは男の子だからなんとか許せるけれど、もしあの子が女の子だったらおまえなど消し炭にしてやるわよ!」
(この女神様怖い…)

女神シャリスティーナは確かに美しい。が、こめかみに血管が浮き出て怒りに身を震わせている様はなんとも恐ろしい。一通り怒りを爆発させると、シャリスティーナは溜め息をついてがっくりとうなだれた。

「ああ、わたくしったら、こんなに腹が立つなんて、今でもあの子のこと好きなのね…」
「女神シャリスティーナ、ボク――私はアレル君のことを知りたくてあなたに会いに来たのです。ザファード人の創造神であるあなたならあの子のことを知っているはずですからね」
「おまえに教えてやる義理はないわ。わたくしがおまえをここに通したのは、ただあの子と一緒にお風呂に入ったおまえを罰したかっただけよ。ああ、それにしても、どうしてあの子はろくでもない人間と縁があるのかしら?あの子が記憶喪失になって最初に選んだ場所はヴィランツ帝国。あそこの皇帝は両性愛者。なんて汚らわしいんでしょう!毒牙にかかる前に脱出してくれてよかったわ。でもその後セドリックとかいう女遊びが好きな不潔な男と知り合うし、かと思えばお前のような汚らわしい魔族と知り合うし。ああ、とんでもないわ!できることならわたくしはあの子に人間の汚いものは見せたくないのよ!綺麗な清い心のままでいて欲しいのに!」
「そりゃ無理ですよ。人間大人になるにつれて嫌な一面も知るようになっていくってもんで」

シャリスティーナはぎろりとガジスを睨んだ。

「わたくしは一点の染みもない、完璧で美しい世界がいいの。人間は誰でも過ちを犯すことくらいはあるのはわかっているわ。ささやかな過ちならわたくしだって大目に見るわ。でもあの子の犯した過ちはわたくしには許すことはできない。おまえやあのセドリックとかいう男ならあの子の犯した過ちもどうということはないのでしょうけれど…そう思うとわたくし、どうしていいかわからないわ。あの子は汚れた者にしか受け入れられないのかしら?」
「あなたが潔癖症過ぎるだけじゃないんですか?アレル君が何をやったのか知りませんが、世の中もっともっととんでもないワルはいくらでもいますよ」

今度はシャリスティーナは憂いの表情でため息をついた。

「あの子は本来とてもいい子なのよ。誠実で実直で。生真面目で責任感が人一倍強いの。聖王家の血をひいているだけあって正義感も強いし倫理観も高いわ。義理人情にあついし、何事にも一生懸命なの」
「そうなんですか」
「元々持って生まれた性格も良心的で、人間関係をとても大切にするの。周りの人達に献身的に尽くして、たくさんの物事を引き受けて、それを真面目にこなそうとするの」
「それはいいことじゃないですか」
「それがどうしてあんなことに…」
「『あんなこと』ってどんなことなんですか?勿体ぶらずに教えて下さいよ」
「あまり聞かないで頂戴。わたくし自身、未だに気持ちの整理ができていないの。それはあの子も一緒よ」
「そんなあ~教えてくれないんですか?」
「だいたいガジス、あの子の全てを知ったところで、おまえならあの子のことをありのまま全て受け入れることができるでしょう。だったら何も話さなくても同じことよ」

シャリスティーナはふん、とそっぽを向いてしまった。

「あの子は神の存在を信じていない。神の加護も必要としない存在なのよ。わたくしの手を振り切って、今は自分の自由に生きている。自分の力で道を切り開いて、今後どうなっていくのかわからないけれども、わたくしにできるのはここから黙ってあの子を見守るだけ」
「あの、シャリスティーナ様、アレル君の本当の年齢は?」
「8歳よ。あの子の年齢と記憶の謎もいずれわかるわ」
「うう、どうしても教えてくれないのなら自分で調べますとも。アレル君がザファードの聖王家の人間だってことはわかったんです。ザファード大陸へ行ってみます」
「あの子のことが気になるの?何故?おまえに何ができるの?誠実さとは無縁の魔族のくせに」

シャリスティーナの視線は厳しい。ガジスは確かに魔族なので義理人情に厚いとか誠実だとかはよくわかっていない。ただなんとなく人間達と仲良く暮らすのが好きだっただけである。頭もよくないのでこの女神の質問にどう答えるべきなのかも皆目わからない。

「ボクは自分のやりたいようになるだけですよ」
「そう…」

シャリスティーナは静かに目を伏せた。

「ガジス、わたくしは魔族であるおまえのことは大嫌いだけれど、あの子は嫌っていないようね。おまえはナルディアの魔族だから、わたくしもおまえを信じましょう。これからもあの子のことを頼むわ」

シャリスティーナとガジスの面会はこれで終わった。



シャリスティーナとしてはアレルに関してどうしていいのか未だに答えを見つけられずにいた。彼女自身はあまり好きではない方法だが、時には成り行きに任せるしかないこともある。どのみちアレルは神を信じず、神の加護も必要とせず、ひたすら自分自身の手で道を切り開こうとしている。彼女としては黙って見守る外はなかった。





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