ギルはずっと寂しい気持ちだった。一通り空間術を使いこなすことに成功したアレルはここを出ていくと言い出したのである。
 短い間であったが人と一緒に暮らすというのは楽しいものだ。孤独な心が癒される。ずっと一人で気楽に生きてきたギルであったが、アレルと一緒にいる時間はとても楽しく、久しぶりに人と関わることの喜びを知ったのだった。よくわからない行動ばかりしてアレルを困惑させていたギルであったが、ここしばらくしょんぼりとしていた。アレルには旅をする目的がある。一つは記憶を取り戻すこと。もう一つは勇者としての役目だ。だから止めることはできない。しかし、いざ旅立ってしまうとなると寂しいものだ。それに、どうも最近アレルの様子がおかしい。何か古い魔導書を使って術を試みたらしいのだが、それ以来、物思いに耽ることが多くなった。何か話してくれればいいのに。自分は信頼されていないのだろうか。
「アレルく〜ん、最近元気がないよ〜。そんなんで旅立っちゃうって言われてもボク心配だよ」
「ごめん、なんでもないんだ。本当は俺自身全てわかってることだから」
「何のこと?」
「己の内面。それより旅立つ準備をしなくちゃ。師匠として俺に助言か何かある?」
「そうだねえ。君はまだちっちゃいから大人と旅をした方がいいと思うよ」
「一人の方が気楽なんだけどな」
 ギルは改めてアレルのことが心配になった。探査の術によるとアレルは生まれてからだいたい七年くらい経っている。つまり七歳なのだが、僅か七歳の子供がたった一人で旅をするなんて聞いたことが無い。一人で生きていくにはまだ早い年齢である。普通なら両親の愛情を一心に受けて育ち、友達と遊んだりする年頃である。友達…
「アレルくん、ボクも人のことは言えないけど、お友達や仲間が欲しくなったりはしないのかい?」
「友達ならいるよ。人間ならフィレン王国のスコット王子。他に森の動物達も俺の大切な友達さ」
「う、う〜ん、だけどいつも一緒にいるわけじゃないだろう? 誰か一緒に旅する仲間を探したらどうだい?」
「誰かいればそうするさ。でも一人でも全然構わないんだぜ。俺は剣も魔法も使えるから一人旅に心配はないんだ」
「何を言うか! 子供の一人旅はそれだけで心配だよ! 誰か頼りになりそうな大人と旅してお友達い〜っぱい作るといいよ! 普通の子はいつも一緒にいる仲のいいお友達がいるものだし、人里離れた場所でもちゃあんと保護者に守られて一緒に暮らしてたりするもんだ」
「保護者ねえ…」
 先日の内面世界で会った謎の男によると、アレルは生みの親と育ての親が別らしい。生みの親がどうなっているのかはわからないが、育ての親はまだどこかで生きているのかもしれないのだ。
「いつか父さんと母さんに会えるといいけどな」
「両親を探して世界中を旅する子供か。健気だねえ。だけど当分の間、親代わりの保護者を探したらどうだい? 大人と一緒だといろいろトラブルに巻き込まれなくて済むし。君はまだ子供だけど酒場やギルドにも行ってみるといい。それにお友達の課題だ」
「そんなに大切なものか?」
「あったりまえですっ! ボクみたいに友達作ろうと思って散々失敗した人もいるけど、まずはチャレンジチャレンジ! だけど君くらいの歳でもう旅してる子なんて滅多にいないだろうし、困ったなあ」
「俺の他に神託を受けた勇者はいないのか? 子供で」
 ギルは躊躇った。そもそも友達というのは偶然の出会いでできるものであり、他人が紹介するものではない。少なくともギルは、大人が仲介して『仲良くしなさい』といって友達になるものではないと思っている。
「勇者の神託を受けた他の子供もいるにはいるけど…ちょっと歳が離れてるよ」
「別に構わないよ。歳の差なんて大人になったら関係ないし。そいつはどんなやつだ?」
「その子は…南ユーレシア大陸のダイシャール帝国皇帝だ」
「何だって? 皇帝が神託を?」
「別に辺境で生まれ育った剣の達人だけが勇者に選ばれるわけじゃないからね。支配者層である王や皇帝の方が国の為、世界の為に尽くす可能性だってある。ちゃあんと民百姓の為を考える名君だって中にはいるんだからね」
 アレルはどのみち他の大陸に行くつもりである。以前ギルから話を聞いたところによると、ダイシャール帝国は空間の間という技術で多くの大陸とつながっているそうだ。いずれダイシャールにも行くつもりである。
「で、そのダイシャール皇帝と友達になれと?」
「まだ歳は近い方だしお友達になれるんじゃないかなあ? 五歳離れてるけど、さっき君が言ったように大人になれば気にならなくなるだろう」
「五歳違いか。これまた随分若い皇帝もいたもんだな…すると今、十二歳なんだな」
「うんにゃ、まだ二歳」
 アレルはこけそうになった。
「五歳年上じゃなくて五歳年下ね」
「は? 二歳で皇帝? ちょ、ちょっと待てよ!」
「ちゃんと摂政はいるから大丈夫だよ。ダイシャール帝国は今、お世継ぎ問題を抱えてるんだ。直系が今の皇帝一人しかいなくてね。もしその二歳の超ラヴリーでプリティーな可愛い皇帝ちゃんに何かあったら、もう残っているのは遠縁の家系ばかりだ」
「な、なんか俺の中の皇帝ってやつのイメージが…」
 アレルにとっての皇帝の第一印象はヴィランツ皇帝である。ありとあらゆる背徳を楽しむ退廃的な皇帝。悪政に悪政を重ね、人々に残酷な仕打ちをするのを心の底から楽しんでいる男。皇帝と聞いただけでヴィランツ皇帝を思い出す。それが、全く別の大陸では僅か二歳の幼児が皇帝であるというのだ。そんな可愛らしい皇帝などアレルは想像もつかない。
「現ダイシャール皇帝は生まれた時に既に神官が神託を承ったそうだよ。その為、まるで神の子のごとく祝福されているそうだ」
「生まれながらに生き神扱いか。そういう環境で育つ子供って心配だなあ」
「そう思うなら会いに行ってあげてよ。元々、王や皇帝っていうのは孤独なものだっていうのに、その子はもうその重荷を背負っているんだ。可哀想だろう?」
 弱冠二歳のダイシャール皇帝の話をしているうちに、ギルは悲しい気分になってきた。ちなみにダイシャール皇帝の情報は南ユーレシア大陸に住んでいる女賢人ヴェガから得たものである。彼ら賢人達は皆、空間術を使える。たまに賢人同士会って互いの大陸の情報を交換していた。
「アレルくん、今のダイシャール皇帝はね…お父さん、もういないんだよ」
「だから皇帝に即位してるんだろ?」
「うん、それでね…お母さんも、その子を産んですぐに亡くなっちゃったらしいんだ。その子が生まれたのとお父さんである先帝が崩御したのはほぼ同時。その後お母さんである皇后も産褥で崩御。他に兄弟姉妹はいない。直系ただ一人。こんなひどい話ってないだろう? だってお父さんもお母さんもいない状態で、まだ赤ちゃんの時から皇帝に即位だなんて、その子に一体どれくら子供らしい時間が許されると思うかい? おまけに生まれた時から神託を受けたもんで周りの人間はみんな神の申し子かなにかみたいに崇め奉ってる。誰もその子を一人の人間として愛情深く接してくれる人はいないんだ」
 アレルは何とも言えない気持ちになった。自分は他の子供と比べるとかなり特殊だと思っていたが、ギルの話を聞く限り、そのダイシャール皇帝も相当特殊な状況で生まれ育っているようである。
「占星術で占ってみたけど、君と同じくらい特殊な星の元に生まれたのが現ダイシャール皇帝だ。そして君と同じくらい心配な子でもあるよ。もし少しでも気になるなら神託を受けた勇者同士、仲良くしてやって欲しい」
「確かにそれは不幸だな。表面的な環境には恵まれてても孤独だぜ。でも生まれた時からそれが普通だと思って育つんだろうな。よし、わかった。ダイシャール帝国へ行ったら皇帝に会いに行ってみる。どんな子かわからないけど、同じ神託を受けた仲間だからな」
「よろしく頼むよ。占星術以外の占いもいろいろ試してみたけれど、君とダイシャール皇帝の出会いは何か運命的なものがあるみたいだ」
「俺にとって何か特別な存在になるんだな。悪い意味じゃなければいいけど」
「悪い意味なわけないじゃないかあー! 同じ神託を受けた勇者同士だよ? きっと無二の親友になれるんだよ」
「だけど正義の概念って人それぞれ違うだろうし、勇者同士が反目し合うことだってあるんじゃないか? まあ、なんにせよ会ってみないことにはわからないけどな」
 アレルは相変わらず鋭い指摘をする。ギルはアレルとダイシャール皇帝との出会いが悪いものだとは思っていない。根拠はないが、きっとアレルにとって良いことになるだろうと信じていた。
「と・に・か・く! ボクの師匠としての最後の宿題! お友達作れー!」
「はいはい」

 ギルから多くの餞別を受け、アレルは旅立ちの準備をした。空間術を使いこなせるようになったので荷物はだいぶ減った。ギルは白いハンカチを取り出して涙しながら見送りに来た。そばではペットのペグーがいて、アレルにじゃれついている。
「アレルく〜ん、とうとう行っちゃうんだね。ボク寂しいよ〜」
「またいつかここに来ることもあるさ。だってワープ魔法で来れるじゃん」
「おお、そうだった! いつでも遊びに来てね! それじゃあボクからの最後の餞別さ! 名付けて『ギルちゃんの知恵袋』! 困った時にはこの巻物を開いて読んでね!」
 困った時に読めと言われたが、アレルは早速『ギルちゃんの知恵袋』を開いてみた。中に書いてあったのは…

 『老若男女問わず変態には気をつけろ』

「…ねえ、ギル師匠、俺には女の変態なんて想像つかないんだけど」
「いや、世の中には危ない趣味のお姉様も――って、とにかく大きくなったら女難にも気を付けるんだよ!」
 アレルは女難のことだと解釈して次に書いてある言葉を読んだ。

 『己の闇に打ち勝て』

「探査の術で君の記憶を探ろうとした時、とっても深い闇が見えた。どうしてその幼さでそんなに深い闇を抱えているのかわからないけど、だからこそ心配なんだよ」
「己の闇に打ち勝て、か。口で言うのは簡単だけど実際難しいことなんだぜ」
「それが難しいことだって知ってるってところが既に子供らしくないんだよねえ。子供はもっと無邪気でひたむきなものさ」
「どうでもいいけど、どの辺が知恵袋なわけ?」
「こ、細かいことは気にしちゃ駄目さ! さあ、そろそろ出発だろう! ペグーの羽もあげるからさ」

 ブチッ!

「痛い〜っ!」
「ペグー、大丈夫か? 師匠、自分のペットいじめるなよ」
「し、しまった。つい勢いで。ごめんよ、ペグー。今日はご飯たくさんあげるから」
 ペグーは怒ってギルから離れてしまった。
「だいたいペグーの羽なら抜けたのいくらでもあるのに」とアレル。
「そ、そうだったな」
「それじゃあ俺はそろそろ行くぜ。じゃあな」
「アレルく〜ん、達者でね〜」ギルはハンカチで涙を拭きながらアレルを送り出す。
「アレル〜、またいつでも遊びに来なよ〜」ペグーは羽ばたいてアレルを見送った。
 ギルとペグーからお別れの言葉をもらい、アレルはまた新しく旅立った。





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