アレルはだいぶ長い間取り乱したままだったが、やがて大人しくなり、ぐったりと項垂れた。そこへ薬屋の主人が慰めようと話しかけてくる。
「坊や、大丈夫かい?」
「おじさん、俺のこと怖がらないの? だって人間じゃないんだよ。化け物なんだよ」
「ふうむ。君は本当に毒物に対して免疫を持ってるんだね」
「おじさん、毒が効かない人間を見て何でそんなに平然としてるのさ」
「こんな話を聞いたことがある。国の暗部、暗殺者養成所では幼い頃から少量の毒を与え続け、毒に免疫をつけさせるとね。そんな風に育てられた人間は毒が効かなくなるらしいんだ。そういう話を聞いたことがあるというだけだから本当かどうかは知らないさ。でも現に君という毒が効かない人間がここにいるのだからねえ」
 アレルはしばらく呆然としていた。
「じゃあ俺は暗殺者として育てられたのか?」
「他にも王侯貴族で暗殺対策に同じ方法で毒に免疫を持たせようとしたという話も聞いたことがあるぞ。君の場合、見た感じどこか名家のご子息なんじゃないのかい? だったら君が毒殺されないよう免疫を持たせたのかもしれない。覚えてないのかい?」
「覚えてるも何も、俺は今記憶喪失なんだよ。だから今まで自分がどこで何をしていたのか、どんな風に育てられたのか全くわからないんだ。ねえ、今の話って本当なの? それが本当なら偉い人の毒見係なんていらないじゃないか」
「う〜ん、おじさんも実際にそういう人間を見たわけじゃないからねえ」
「でもたとえ嘘でも嬉しいよ。ありがとう」
 薬屋の主人の話を完全に信じたわけではなかったが、アレルの心境はだいぶ落ち着いた。
「ところで俺、肝心なこと忘れてたんだけど。俺が毒が効かないことを他の奴らに言いふらされたら大変だ。化け物扱いされて迫害されるかもしれないし、悪い奴らに捕まってどんな悪用されるかわかったものじゃない。おじさんに口止めしなきゃならないけど、どんな方法が確実かな? 一番確実なのは口封じに殺すことだけど」
「ちょ、ちょっと待つんだ、君! せっかく君の話を聞いてあげたじゃないか! それによって君は気が楽になった、そうじゃないかい? それなのにおじさんを殺そうっていうのかい?」
「う〜ん、でもさ、おじさん、堅気の商売の人じゃないだろ? その証拠にいろんな種類の毒がおいてあるし」
「そ、それは違うんだ! そ、そうだ、偉い人達から解毒剤を作るように頼まれたりするんだよ! だからいろんな毒がおいてあるのであって、決して闇取引に使ったりするわけじゃない!」
 薬屋の主人は慌てた。アレルの目つきは鋭いし、その気になれば平気で人を殺すだろう。商売柄、そういうことは見ればわかる。まだ幼い子供だが、戦いの経験を積んでいることも一目でわかった。アレルはしばらく殺気立っていたが、やがてその殺気は消えた。
「……………まあいいや。おじさんは悪いことやってる人の中でもいい人みたいだし。手当たり次第にいろんな毒を飲んだり、取り乱して暴れたりしてごめんなさい。ちゃんと弁償するよ」
「素直だなあ。君こそ悪い子には見えないねえ。何か深刻な理由があって毒に免疫をつけさせられたかもしれないね」
「本当に俺のこと言いふらさない? ちゃんと黙っててくれる?」
「それなら大丈夫だ。悪人だっていろいろいる。なけなしの良心を持っている奴だっているさ。例えば堅気には絶対手を出さないとかね。他にも子供を殺すような奴は人間として最低だ」
「おじさんがそういう人で良かったよ」
「ちょっと待て! おじさんは悪人についての話をしたのであって、おじさん自身が悪人だとは一言も言ってないぞ!」
「本当の悪人は自分が悪だなんて言わないよ。そんなのは魔王か子供向けの物語に出てくる悪役だけさ」
 その日、アレルは薬屋に泊めてもらうことになった。様々な種類の毒を飲んだので薬屋の主人が心配したのである。一晩様子を見させてくれと。だが翌日になってもアレルの身体は何の異常も訴えなかった。薬屋の主人は隠そうとしているものの、やはり違法な薬を扱っている商売をしているようだった。だがアレルのことを心底心配し、世話を焼いてくれたので、根はそれほど悪い人間ではなさそうだ。本人の言う通りなけなしの良心は持ってるようである。
「坊やは記憶喪失のまま一人で旅をしているのかい? 危険だよ。誰かギルドで仲間を探してみたらどうだい?」
「今はしばらく一人でいたいんだ」
「あまり気を落とすんじゃないよ。君の身体のことはちゃんと説明がつくはずだ。それがわかる時がきっとくる」
「ありがとう」
 薬屋の主人の話でだいぶ気が楽になった。だが自分は本当に人間なのかという疑問は常に頭の中を離れなかった。自分はあまりにも人間離れし過ぎている。戦士としての強さだけでもそうだが、他にも普通の人間が使えない能力を持っている。とにかくアレルはしばらく一人になりたかった。
(これからどこへ行こうかな…)
 暗黒剣や暗黒騎士についての情報は得た。この地方にはまだ勇者が現れていないこともわかった。ミドケニア帝国のことは詳しくはわからないが、今のところヴィランツ帝国と変わらないくらい残忍な国なのではないかと思う。この地で経験した様々な出来事がアレルの頭の中を駆け巡る。これからどうすべきか。グラシアーナ南西部、ミドケニア帝国周辺の地域にこれ以上関わるべきかどうか、アレルは考えあぐねながら一人旅を続けるのであった。



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