アレルは眠っていた。おぼろげではっきりとしない夢の空間の中をぼんやりと漂っていると、語りかけてくる声があった。
「最近のおまえは随分と調子がいいな」
「……誰?」
「忘れたのか。以前ギル師匠の元で空間術を学んでいた頃、術の一つを試みて私を見つけたではないか」
アレルは夢うつつのまま思い出した。ギル師匠の住み家にあった数多くの魔道書。その中に己の内面世界に意識を投入するという特殊な術があった。そして何か記憶の手がかりが得られるかもしれないと思って試した。その己の内面世界で謎の男に出会ったのだった。
「……思い出した。あんた、あの時の。あの術を使ってもいないのにどうやって現れたんだ?」
「元々私はおまえの意識の中に存在する、おまえ自身だ」
「その謎について何も教えてくれないまま消えちまったよな、確か」
「おまえに教える必要はない」
「それなら何故また現れた?」
「このところ頓に明るくなったおまえを見て良いことだと思っている。私は常におまえの幸せを望んでいるのだ」
「幸せ……今が幸せなのかどうかよくわからないな。記憶は失ったままだし」
「憎しみに囚われるよりはずっと幸せであろう?」
「憎しみ……」
「恨みや憎しみほど厄介な感情は無い。一度囚われたら二度と解放されることは叶わぬ。例え憎んでいる相手がこの世から消え去ったとしても、復讐を成し遂げても決して憎しみという闇の霧が完全に晴れることはないのだ」
 謎の男の言葉が重くのしかかる。おそらく自分は本気で人を憎んだことがあるのだろう。そしてその感情に苦しんだことがあるのだろう。漠然とした記憶だけは残っている。
「そんな単純な問題じゃないんだろ?」
「そうだ。そんな単純な問題でないことを我々は身をもって知っている」
「我々……俺とあんたは一心同体?」
「本来私の方は消滅するはずだったのだがな……」
「もしあんたが消えてしまうっていうなら俺が何者か教えてから消えてくれ」
「それはできない。おまえは何も知らなくていいのだ。これから新しく道を切り開いていけばいい。何者にも束縛されぬ真の自由。その為に私は――」
「……ん? 何だ?」
「いや、何でもない」
「結局何しに出てきたんだ」
「おまえが好調なのを見て喜ばしいと思ったまでだ。私がおまえを気にかけるのは当然のことなのでな。そのまま私のことなど忘れて新たなる人生を歩みだして欲しい」

「アレルくん、いつまで寝てるんだい?」
アレルの夢想はセドリックの声によって破られた。
「あーーーーっ!!!!!」
「ど、どうした!」
「セドリック! 邪魔するなよ! せっかく記憶の手がかりが……」
「な、何っ! 自分の記憶に関する夢でも見ていたのか? これは悪いことをした」
「ああくそっ! 夢の中じゃあまりにもいろんなことがぼんやりし過ぎて不利だ! そうでなきゃとっくにあいつをとっちめてやるのに!」
「あいつって?」
「いや、いいんだよ。こっちの話。それよりそろそろミドケニア帝国の首都メアンレに着く頃だろ。さっさと出発するぞ!」
 その日のアレルはずっと機嫌が悪かった。己の内面世界に存在する謎の男。正体は不明であるがアレルの出自を知っていることは明らかである。だがこちらから探りを入れようとしてもなかなかうまくいかない。夢の中では思考も鈍り、思うように動けないのだ。今朝もあともう少し夢の中に留まっていられたら何かつきとめられたかもしれなかったのだが……アレルは内心苛立ちを抑えきれなかった。セドリックの方はいつまで経っても起きないアレルを気にかけて起こしただけである。その何気ない行為が記憶を取り戻す邪魔をしてしまったらしい。セドリックにしては珍しくその日は大人しくしていた。

 そうこうしているうちに、彼らはミドケニア帝国の首都メアンレに到着した。
「ここがミドケニア帝国首都……サイロニアもすごかったけどここもなかなか……ヴィランツ帝国と比べると、同じ帝国でもこっちは由緒ある国みたいだな」
「アレルくん、言っちゃ悪いんだが…ヴィランツ帝国はできたばかりの帝国だよ。今のヴィランツ皇帝はまだ一代目。初代皇帝なんだ」
「そんな成り上がりの国だったの?」
「戦乱の世には珍しくないさ」
「そうなのか………なあセドリック、このミドケニア帝国の皇帝はいい奴だと思う? それとも悪い奴だと思う?」
「ほう、賭けるかい?」
「よし! 俺は悪い奴に金貨一枚賭ける!」
「そうか、なら俺はいい奴に金貨一枚賭けるぜ! 皇帝としては冷徹だけど名君だってな!」

 酒場に辿り着くと、二人は早速情報収集を始める。やはり情報通なのは酒場のマスターだった。
「いらっしゃい。何が知りたいんだい?」
「俺達はこの国は初めてでな。どういうところか詳しく知りたいんだ。まずはこの国の皇帝について聞かせて欲しい」とセドリック。
「陛下は国の繁栄の為には手段を選ばないところがあってね。時々やり方に問題がある。でもそこまで民を虐げるようなことはしていないよ」
「そんな単純にいい人とか悪い人とか、白黒はっきりできる人じゃないのかな?」とアレル。
「君主としてそこまで極悪非道というわけではないよ。女癖は悪いけどね」
「セドリックと同じだな」
「こ、こら、アレルくん! ……にしても羨ましいなあ。皇帝ともなればいくらでも側女を作ることができる」
「ま、まさか……ミドケニア皇帝もヴィランツ皇帝みたいにハーレムとか作ってるのか?」とアレル。
「ヴィランツ皇帝の噂は聞いているよ。我が皇帝陛下はハーレムは作っていないが、次から次へと美女に手を出して浮名を流している」
「充分不道徳だね」とアレル。
「現在ルジェネという女性を寵姫としている」
「皇后様は? 当然お妃様がいるんだろう?」とアレル。
「皇后陛下はとてもたおやかで優しく、非常に美しい方なのだが、それでも陛下の浮気性は止められなくてね」
「そんなのひどいや!」
「ア、アレル君」
「ミドケニア皇帝は悪い奴決定だ!」
 セドリックは慌ててアレルの口をふさぐ。
「いやあ、すまないね、マスター。子供の言うことだから気にしないでくれたまえ」
「いやいや。確かに現皇帝陛下はやり方に少々問題がある。でも皇太子殿下はとても良い方だからこの帝国もより良い方向へ導いてくれるだろうと思う」
「皇太子…」
「皇太子殿下はまるで絵に描いたように品行方正でね。学問に優れ、武芸に秀で、しかもミドケニア一の美男子と評判なんだ」
「何だそれは? そんなに何でもそろった都合のいい奴がいるもんか」とセドリック。
「あれだけの美男子にも関わらず浮いた噂のひとつもない。優秀で生真面目で民の信頼厚く、非常に好感が持てるお方だ。信じられなかったら会いに行ってみるといい。皇太子殿下は聖騎士団に所属しているよ。一日たりとも訓練を怠ることはない。今日も武芸に励んでいるはずさ」
「へえ、どんな人か見てみたいな。セドリック、行ってみよう」
 アレルとセドリックは聖騎士団の元へ行ってみることにした。
 ミドケニア帝国の皇太子とは果たしてどのような人物なのであろうか――



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