ここは聖騎士団の兵舎。中ではミドケニア皇太子リュシアンが聖騎士達と練習試合をしていた。

カーン!

 鋭い音と共に聖騎士の剣が飛ばされ、勝負はついた。もちろんリュシアンの勝ちである。
「次!」
 リュシアンはまだ手合わせしていない聖騎士達の方を見る。だが騎士達は皆、怯んでいた。無理もない。リュシアンは現在練習試合で全勝している。それも聖騎士団の中でも手練れの者ばかりを相手にしてである。
「どうした? 私と手合わせしたい者はいないのか!」
「殿下……この短期間に随分強くなられましたな……」
「ん? そうか。何せ鬼のように厳しい師匠がいるからね。小さくて可愛いけど」
「勇者アレルくんですか」
「そうだ。あれから剣の腕が上達していくのが自分でもよくわかる」
 リュシアンはアレルと剣の稽古を始めて以来、目覚ましい成長を遂げていた。以前より力も体力もつき、剣の使い方もさらに巧みになった。その剣さばきは鋭く、聖騎士団長を負かすのも時間の問題ではないかと思われるほどである。
「殿下、聖騎士団長の座をお譲りしてもよろしいのですよ」
「いきなり何を言う。聖騎士団長と暗黒騎士団長はこのミドケニア帝国の両翼であり、共に国で一、二を争う剣の腕前の持ち主。私など到底敵わぬ」
「決してそのようなことはありません」
「確かに剣の腕が上達するのは嬉しいが、だからといって国で一番の使い手になれると思うほど自惚れてもいない。私は皇太子だ。戦いで先陣を切るのではなく、後方から統率を行うのが最たる役目だからな」
 リュシアンは自らの剣の上達を喜ぶと共に、皇太子としての務めを考えていた。現皇帝である父ヴァルドロスは野心家で目的の為には手段を選ばないところがあるが、リュシアンはその点で善良な人間であった。武術は好きだが戦争で幾多の命が犠牲になるのは好まない。先日アレルからダレシア王国との戦争のやり方について糾弾されたばかりである。リュシアンはまだ成人したばかり。政治に対する影響力は微々たるものだが、なんとか平和的な解決はできないものかと思案にくれていた。戦争ではミドケニア帝国の方が圧倒的有利であり、ダレシア王国にどのような条件でも要求できる立場にあった。だがリュシアンとしては徒に血を流してしまった父や暗黒騎士達の非道を詫びたいと思っていた。国同士の駆け引きとはそう単純にはいかない。平和的で良心的な解決が図れれば結構なことだがそれにより相手に舐められたり、思わぬ事態を招いたりすることもある。リュシアンは軽率にならぬよう、熟慮に熟慮を重ねていた。

 一方、アレルはミドケニア皇帝ヴァルドロスと共に歩いていた。皇后エルヴィーラに会わせてくれるというのだ。噂だけ聞くと性根の悪い人物とは思えないが一体どのような人なのか。エルヴィーラ皇后はミドケニア宮廷の東にひっそりと住んでいた。身分にふさわしい場所ではあるが、それでいてどこか寂しげな、そのような位置に皇后の住み家はあった。庭園には花々が咲き乱れ、空からは陽光が差し込んでいた。ヴァルドロスが来訪を告げ、中から現れたのは亜麻色の髪の儚げな表情をした美女だった。見るからに穏やかで柔和な雰囲気である。だが悲しげな表情でもあった。
「陛下、お久しぶりですわね」
「おお、妃よ、元気にしておったか?」
 遠い昔に寵を失ったエルヴィーラ皇后は悲しげな微笑で答えた。ヴァルドロスがうわべだけの愛情表現をしても黙って受け入れるだけである。まるで全てをあきらめて、他人に何も期待していないかのようだ。そんな皇后をアレルはしばらく見つめていた。そして――

ポカッ!

「痛い! アレルくん、何をするんじゃ!」
「皇后様ってすごい綺麗な人じゃないか! おまけにとっても優しそうで!」
「おお、そうじゃ。わしの自慢の妃――痛い! 痛いぞ、アレル君」
「こんな綺麗な奥さんがいるのに浮気してるなんて!」
「い、いや、それは、まあ、子供にはわからない大人の事情が」
「単に不誠実なだけだろ!」
 見知らぬ子供を見てエルヴィーラ皇后は怪訝な表情をした。
「陛下、こちらの子供は?」
「おまえも宮廷内の噂で聞いているだろう。勇者アレルくんじゃ。可愛いじゃろう。わしはこの子を目の中に入れても痛くないほど可愛がっとるんじゃ」
「初めまして、皇后陛下。アレルと申します」
「まあ」
 エルヴィーラ皇后は静かに話を聞いていた。一通り紹介を終え、閑談した後、ヴァルドロスは政務に戻っていった。エルヴィーラ皇后は優雅な仕草でアレルを招き寄せる。
「いらっしゃい。ちょうど話し相手がいなくて寂しかったところなの」
「……わからないな。皇后様は正妻でしょ? それで皇太子の母親でもある。なのに、どうしてこんなにひっそりと暮らしているの?」
 皇后は悲しそうに微笑んだだけで何も言わなかった。人間は肩書きが全てではない。性格的に押しが強い、弱いもある。地位だけ高くても気が弱ければ形だけの傀儡にされることもある。皇后であるからといって権力を欲しいままにできるとは限らない。それでもアレルは納得いかなかった。エルヴィーラ皇后からは暖かい優しさが感じられる。大人に対して生意気な態度を取りがちなアレルも皇后の前では素直になった。

 魔族達はアレルとエルヴィーラ皇后の様子を水晶球で伺っていた。
「勇者アレルは皇后と接触したぞ」
「皇后は心の中に虚無を抱えている。そこにつけ入るのだ」
「負の感情に囚われた皇后を見たらどうするかな? アレルを襲わせるのもいいな。非力な女に襲われるというのも人間にとってはやりにくい状況だ」
「今は時期尚早だ。勇者アレルが皇后に情を移した時を狙う。奴らから目を放すなよ」



次へ

目次へ戻る