ジェーンが半泣きになりながら出ていった後、町長はヴォレモスを非難した。
「ヴォレモス様、あんまりですよ。いくらなんでも六、七歳の小さな子を一人で旅立たせるなんて」
「そんなことゆーても仕方ないだろう。もうこれは天界では決定してることなのだからな」
「ヴォレモス様、ジェーンさんにはああ言ったけれど、やっぱりその子には過酷な試練が待ち構えているのではないですか?」
「……きっと、真実を知ったらジェーンさんは激怒するだろう。いいのさ。覚悟はできてる。潔くフライパン攻撃をこの身に受けよう」
「ヴォレモス様、そうではなくてですね」
「何を言う。主婦の攻撃と言えばフライパンだ。ある意味どんな戦士、勇者の攻撃よりも怖い」
「ヴォレモス様……相変わらず考えることがずれてますね」
 町長はこの変わり者として有名な『神』を見てため息をついた。
「願わくばその子供に神のご加護があらんことを」
「神の実態を知っていながらそう言うか……あの子についてくれる『神』などいないぞ」
「そ、そんな! ヴォレモス様、あんまりです!」
「いずれにしても本人が全力で拒絶するのだから仕方あるまい。あの子は自分の道は自分で切り開くだろう」

 ジェーンが家に帰ると、アレルは部屋でコロと遊んでいた。
「あ、おばさん、お帰りなさい!」
 無邪気に自分の元へ駆けつけてくるアレルを見て、ジェーンは思わずアレルを抱きしめて泣き出した。
「……おばさん? ……どうしたの?」
(ひどい……あまりにもひどすぎるわ! ……こんな……こんな小さな子に……!)
 アレルはしばらく大人しくしていた。
「アレル君、ごめんなさい……この国ではあなたを受け入れることはできないの……旅の準備を済ませたら出ていくようにって……ヴォレモス様が……ううっ……」
 ジェーンは泣きながら事情を説明した。その間にも次から次へと涙が溢れてくる。
 そんなジェーンに対し、アレルの反応は落ち着いていた。
「おばさん、この国は何かわけがあって鎖国状態にしているんでしょう? よそ者を受け入れられなくたって無理ないよ。心配しないで。俺には自然が味方してくれる」
「自然?」
「それにこの世界には人間以外の種族も生きているじゃないか。妖精、エルフ、ドワーフ。それに世界中の動物達、植物達、精霊達。もし人間が信用できないんだったら彼らの力を借りる」
「……あなた、前から思っていたけど、本当に変わった子ねえ」
「自然界は俺の味方だ。だから俺は自然界を守る為に戦う。この世界の生きとし生けるものの為に。そして自分の記憶を取り戻す為に旅をするよ」
「アレル君……」
 ジェーンは思った。ヴォレモスが言った通り、アレルは勇者の中でも別格なのだ。それは彼の価値観だけでもわかる。アレルは人間界だけでなく、自然界全てを見渡す視野を持っているのだ。それだけでも只者ではない。それでもまだこんなに幼いのだ。本当はさぞかし心細いだろう。例え一時でも自分の愛情を注いでやろうとジェーンは思った。

 それからジェーンはアレルの旅の準備を整えた。外界の文化に合った洋服を着替えも含めて何着か用意し、寝袋や携帯食料など、思いつく限りありとあらゆるものを用意した。その間、ジェーンは出来る限りアレルに対し愛情深く接した。アレルの年齢は、本来親の愛情を一身に受けて育つ必要がある。それが寄る辺なく、さらに見知らぬところへ一人旅をさせられることになったのだ。ジェーンの同情は極めて深い。アレルはジェーンの愛情を素直に受けていた。国から追い出されることは元より覚悟していたのでさほど驚きもしなかったが、ジェーンの心配ぶりを見て、努めて無邪気に振る舞った。

 そしてアレルの旅立ちの日がやってきた。
 その日の朝、ジェーンは腕に撚りをかけてたくさんご馳走を用意し、アレルがおなかいっぱいになるまで食べさせた。旅に出るとなると、今度はいつまともな食事ができるかわからない。それでお弁当と、なるべく保存のきく携帯食料をしっかりと持たせた。そしてお金も。
「よーし、準備完了だ!」
と、アレルは叫んだ瞬間、肝心なことを忘れていたことに気付いた。
「ところでジェーンおばさん、この国からはどうやって出るの? 船を出すの?」
「違うわ。転移装置というものを使うの。アレル君、私についてきて」

 ジェーンについていくと、独特の雰囲気のある場所へ辿り着いた。
「ここは?」
「ここにあるのは転移装置。古代文明の魔法科学の結晶よ」
「古代文明……この国は古代文明が残ってるのか。もしかして古代人の国なの?」
「まあ、そんなところね」
「道理で見慣れないものがたくさんあると思った。それでこれが転移装置なのか。ここから他の国へ行くの?」
「そうよ。これなら世界中のどこにでも一瞬でワープできるわ」
 そう言うと、ジェーンは球状の形をしたものを持ってきた。
「あなたにこれをあげるわ。GPS機能付きの地球儀よ」
「?? 何それ?」
「これがあれば今自分が世界のどこにいるかわかるのよ。地球儀は……他の大陸では知られていないわね……でもここには全ての大陸が乗っているわ。世界地図なのよ」
「世界地図? なんでこんなに丸いの?」
「ごめんなさい。説明してる時間はないわ。とにかく他の大陸の詳しい地図は各地で手に入れてね。この地球儀はここを擦ると小さくなってポケットにしまえるようになってるから持ち運びも便利よ」
「すごいなあ。一体どんな仕組みになってるんだろう?」
「それは秘密。じゃあ、この地球儀を見てあなたが行きたいところを決めて頂戴」
「う~ん、いきなり言われてもなあ……他の国の情報は全くわからないの?」
「わかっているのはこの国以外は皆戦争などの争いが起きて危険だということよ。平和なのはここだけ。この地球儀に目印を付けながら旅すれば、今までどこに行ったかわかるわ。いずれはあなたの故郷にも辿り着けるはずよ」
「う~ん……」
 アレルはしばらく地球儀を眺めていた。そして、ある一点を指差した。
「それじゃあここにするよ」
「グラシアーナ大陸北西部ね」
「うん。そこから東へ進んでいこうと思う」
「わかったわ。でも一度ここから出たらもう戻っては来れないわよ。ワープした先はとっても危険な状態になっているかもしれない。それでも大丈夫?」
「うん。自分でなんとかするよ」
「アレル君……」
 ジェーンはまたアレルを抱きしめて泣き出した。アレルはじっとしている。
「とにかく気を付けるのよ……世の中には悪い大人もいっぱいいるのだからね……あなたがいい人に巡り合えるのを祈っているわ……危ない目に遭ったらとにかく助けを求めなさい……ちゃんと相手の目をよく見ていい人かどうか判断するのよ……」
「わかったよ。大丈夫だよ、おばさん」
「ああ……神は残酷だわ……こんな小さな子に……!」
 ジェーンは泣きながら転移装置を操作した。
「さあ、もうお別れね。短い間だったけれど、子供ができたみたいで楽しかったわ。アレル君、そこの魔方陣の上に乗って」
「うん。こっちこそ短い間だったけど本当にありがとう。おばさんのことは忘れないよ」
 ジェーンが転移装置のスイッチを入れるとアレルの姿は一瞬にして消えた。
「ああ……とうとう行ってしまった……アレル君……どうか無事で……」
 そう言うと、またジェーンは泣き崩れた。そしてアレルが無事に旅をしていけるように、ひたすら祈るのだった。



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