山と旅のつれづれ





PC絵画第二部

幼かりし頃、好きだったお絵描き。仕事の現役中は、すっかり忘れていて、50年目に出会ったそれは、
思いがけないパソコンによるお絵描きです。場所をとらず、ソフト以外の道具一式の必要もなく、
手軽に描ける面白さに浸っています。
作品はすべて自分で撮ってきた写真や旅行パンフ或いは、頭に浮かんだ架空の風景を題材にしています。
写真トレースやデッサンを省略して、直接色描き手法で描いています。







10点収録





渓  流





 春の芽吹きの後のみずみずしい新緑の間を蛇行する渓流。
 雪解けの水を集めて、ほとばしるささにごりの激流は、かつて若かりし頃、岩魚つりに興じた記憶が懐かしい。
 自然の中に身を投じていると、釣れてよし、釣れなくてよし、爽快な気分である種贅沢な遊びではなかったかと思い返している。
 危険を伴うので年齢とともに限界を感じて断念したが、その当時の見慣れた風景を脳裏に再現して描いてみました。







山紫水明

 まったく架空の風景。満々と水を湛えるダム湖の一部と思ってください。
 ちょっと暗いと思われるかもしれないが、森林に陰影を強調すると「彩色が濃い、或いは暗い」ことは、一概に暗い絵とは言えないと思
う。それにしても、水彩画らしくはないかも。







福井県三国町 越前松島

 北陸地方の一角を旅した際、越前松島海岸は、前日までの強風の余波が豪快に打ち寄せ、それを受けて立つ巨大な 岩塊が織り成
す風景に作画意欲に駆られて撮ってきた写真を左に置いて描いたのがこの作品。
 越前松島は宮城県の景勝地、松島を意識して名づけたものであろうけれど、静かな湾内に優雅でのんびりした感じの松 島の風景と
は非常に印象が異なり、荒々しい巨大な岩塊の群れの、それぞれを結ぶように設置されたスリルに満ちた遊 歩道が、旅のひとこまを
楽しくしてくれる、広くはないが大景観だ。






大本山総持寺祖院

 能登半島中部に位置する曹洞宗の古刹。
 七堂伽藍の大部分を消失したあと、大本山を何と横浜に移したという。
 調べてみたら、「大本山総持寺」は間違いなく横浜に存在している。古刹がいわゆる新開地の横浜に移るというのは奇 異な感じだ
が、私の偏見だろうか。
 曹洞宗の大本山は福井県永平寺が馴染み深いが、不思議な共存関係にあるようだ。現在は消失を免れた建物を整備 して、「祖院」
として威厳を保っている。
 旅の途中に撮った写真の不要な部分をトリミングして、デフォルメをしているので、印象が違っているかもしれない。
 写真の上をトレースするとか、デジカメの写真加工を施した作画ではないことを強調しておきます。「自然な絵筆使いを パソコンの中
で」の面白さに浸っています。

総持寺祖院は能登半島地震において甚大な被害を被ったことを知り得た。古く、風化した建物、それゆえに風格をたたえた伽藍の再
生は不可能であろうけれど、新生総持寺祖院の復活を目指して懸命に動き出している。








幻 想 の 風 景

 水墨画を描いた積りだが、少々色をつけたので墨彩画というのだろうか。
 だいたい、水墨画を習ったことも教科書など、資料をひもといたことさえもないのに、描いてみると結構面白くて絵になる ことを発見し
た。すくなくとも、自分では、そううぬぼれていると言い放っても多分誰にも迷惑はかけないであろうところが、 こ  の種ホームページの
魅力なのかもしれない。迷惑する人がいたらごめんなさい。大目にみてやってください。
 頭の中に描いた景色であり、実風景ではありません。







薄暮犬山城ライトアップ

 新聞折込広告ちらしの写真をお手本にして描いてみました。
 使用ソフト「エイリアス、スケッチブックプロ 2.0」の特性を生かした描き方のひとつであろうと思う。
 絵を描くとき、誇張したり、細部を省略して、観る人の感性というか想像力をかきたてるところに、絵の訴える力があると いわれる、そ
の通りだとおもうが、そういう絵を描くことは至難の業だと思う。
 私は、写実画や細密画を描くことより数段難しいものと信じている。
 写実画の方が理解がやさしく、観賞していても楽しいものだ。思考が単純なのでしょう。







波濤の虹

  海岸からきわめて近い岩礁は、普段は水遊びができそうな浅い海だが、満潮の上、強風にあおられた海面は、白泡渦 巻く激浪に
なって、岩礁に叩きつける。
 一瞬の波浪が眼には見えない細かな水滴を伴うのだろう。薄日の反射がつかの間の虹に輝く。カメラマニアにとっては 願ってもない
チャンス到来だ。
 パソコンネット仲間の永栄さんから提供していただいた写真をお手本にして、描いた作品です。







上高地 河童橋

 サークル「PCアート同好会」での同一テ一マ作品。
 PC水彩画ソフトのお手本を題材にしているが、手法の違いというか、好みの違いか、馴染めそうにない。それで、やむ なく、写真を入
手して描いてみて、ようやく納得したつもりでいる。
上高地の河童橋を正面に捉えた風景は、あまりにも定番すぎて、旅行業者の宣伝写真には決まって登場するが、カメラ マニアたちは、
意識的に或いはそれと気がつかずに敬遠しているようだ。マニアたちは、定番より意外性を求めて動き回 っている。上高地をテーマに
した写真展などに触れてそんな気持ちがしている。
 この風景は日本人なら、現地に足を踏み入れたこともない人でも多分脳裏に記憶しているとおもう。それほどに写真な どで眼にする
機会が多い山岳風景の代表格だ。
 かつて、銭湯の湯船から観た富士山の巨大なタイル画のように。







厳島、春爛漫



 初秋に訪れたときの厳島神社の記憶を辿りながらも、旅行会社のカタログパンフレットの桜の厳島をお手本にして描い てみたのがこ
の絵です。
 デスクトップ型のパソコンは、デスプレイを自由に取り替えることのできる便利さに加えてキーボードやペンタブレットとの 間にお手本
の写真を立てたり、適度な距離を置くことが出来たりして、大変便利だ。
 息子がプレゼントしてくれた24インチワイド画面はA3サイズよりも大きなキャンバスになり、この種のお絵描きとして は、開放的な気
分に浸っている。
 厳島神社の飼いならされた野生の鹿たちは、観光ツアー客の記念撮影のとき、両側に絶妙なポーズをとって収まる行動をガイ ドさん
の一声でいとも簡単にやってくれて、感心するやら、笑わせるやら。餌ほしさに人間に媚を売るしぐさが身近な動物たちの哀れというか
したたかな生活力と言った方がいいかもしれない行動に、ただ単純に楽しませてもらった記憶が懐かしい。









田沢湖県民の森

 全国植樹祭の会場になった歴史を持つ森林公園の一角。
 遠来の観光客の来訪が殆どないようだが、眼に染みるほど碧い湖面を見晴かす、静かな別天地だ。初夏のひととき、こ んな高原の
緑に染まり、小鳥のさえずりを聞き流しながら昼寝をしたくなるような余裕に満ちた旅に浸ってみたいものだな どと、かみさんにささやい
ていたら、何と、先客が居た。

 単独行らしい私と同年輩と思われる熟年旅行者が緑の絨毯の中にしつらえられた野外テーブルに、顔を帽子で隠して 寝そべってい
た。意外に絵になる風景だ。
 4年ほど前、かみさんがこの世とあの世の境界をさまよっていたころ、伴侶との永遠の別れを一時は覚悟したとき、こん な一人旅の
風景の中に身を置く自分を連想していたことを思い出した。

 しかし、多分、その旅人は感傷的な独り旅ではなくて、至福のひとときをむさぼっているのだろう。そうおもえば、この絵 のワンポイント
になるとおもって描いてみたが、のどかに寝そべる人の表現は難しい。笑い話になるが、ホームレスの風 情になってしまうのだ。そうい
うわけで消してしまった。「寝そべる人」はこの絵を観てくれる人の想像力にお任せしよう。

森の下の駐車場に、ぎんぎらぎんに着飾ったハーレーダビットソンが、さながら、主の騎乗を待つ生き物のように、クルマ 一台分のス
ペースを占拠して鎮座していた。きっと眠る人の愛車だろう。ハーレーと熟年ライダーの組み合わせは本当に よく似合う。
 わが国の湖水でもっとも深いといわれる田沢湖は、上流の玉川温泉から流入する強酸性の温泉水の影響も加わっ て、どこよりも碧
いのだそうです。
 黒く感じるほどに青い湖面が印象的だ。


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