山と旅のつれづれ




旅のエッセー3


                                PC絵画


このページの目次


(4編収録)





石垣島雑感           大久野島、地図から消された毒ガスの島

陸中海岸紀行                                     耕三寺、西の日光







   


   石垣島雑感

  八重山諸島の中心、石垣島の石垣市。
 名古屋から一日一便エアーニッポンの直行便で二時間四十分。台湾の台北よりも南に位置するわ が国最南端の市だ。
 国内航空便もこれだけ時間をかけると「はるばる来たぜ函館」じゃなくて石垣だ。この島に団体旅行 の一員として行ってきました。
 往復航空券引換券と食事なしの宿泊券のセット、たったそれだけ。

 参加してみて初めて分かったことだが、この種の旅行商品は全く「団体」を意識することが無いとい うこと。
 出発空港で旗の下に集まることもなし、それぞれがそれぞれの責任で航空券引換券を旅行代理店の出発空港現地窓口で航空券に
交 換すると、それが名目的に団体搭乗券扱いになり機内へ、到着してからも全くの自由行動、夕方の時間ま でにホテルへ行けばそれ
でよし。

 食事は各自好きな所でとることになるので、まことに隣は何をする人ぞ、、なのだ。旅行会社は必要 な書類を参加予定者に送付した
時点で事実上仕事が終わっているようだ。
 個人でフリーの旅の目的地が決まったとき、その目的地に合致したこの種の団体旅行商品を探し てみて該当するツアー商品があれ
ば間違いなく格安に事実上の個人旅行ができることが分った。
 ネット上で探して見ると新聞広告やDMでは募集していない、これらの旅行商品が離島とか北海道 などに意外に多くあるのだ。

 さて、この石垣島、全島が石垣市域になっていて八重山とか先島諸島といわれる島々との海路や 空路の拠点として賑わっている。
 地元住民の島から島への通勤用と思われる小さな漁船を改造したような十人から二十人乗りぐら いの海上タクシーが港にひしめき、
空港では日ごろ 大型機を見慣れた眼にはトンボを連想したくなる ようなスタイリッシュな小型機が、軽快なエンジン音と共に軽やかに
舞い上がり、遥か彼方の【となり の島】を目指して大空の一点に吸い込まれていく。
 一寸雰囲気が外国的なのだ。

 石垣港で意外なことを発見した。
 隣の島、竹富島と其の近くの小浜島それに台湾寄りの西表島などを含めて竹富町と言うのだが、 その竹富町の行政の中心である町
役場が、何と石垣港にある。つまり石垣市内に、しかも中心地に 別の町の行政機関の心臓部が存在している。タクシーの運転手はこう
説明してくれた。

 竹富町から石垣市に仕事で通う人が多く、島が点在するというその実情に合わせて「行政改革」を 考えてみたら、役場を石垣市内に
移すことが最良の策とか・・・そういう訳で竹富町の役場は石垣市 内にあるのです。 面白い話ではある。
 竹富島と小浜島、この島の風俗は特筆ものだ。高度成長もバブルも我感ぜず。素朴の上に素朴を 重ねたような誠に明るく楽しい島
だ。少なくとも私にはそう思えるのだが、こんな島で生活できたら楽 しいだろうなーと、南西諸島の島々を旅していて度々思ってしまう。

 そうしてほとんど次の瞬間に私の頭の中に地図が広がる、すると私の立っている場所がひとつの点 に過ぎず事実上海の上なのだ。
そして考え込む、危なっかしくて立っていられない?。
 行動の自由がどうしても制限されるだろうと思うと観光目的のお客様の立場で訪れることがベスト かなーと・・・そんなことを考えながら
また離島観光の機会を得たときには同じことを繰り返し最初か ら静かに自問している。
 それでも島人の多くは「住めば都」と言う。 はてさて、故郷とは何ぞや。








  大久野島、地図から消された毒ガスの島



 広島県竹原市忠海【ただのうみ】から連絡船で十数分、もう一つのルートが大三島、盛港からフェ リーで十数分。両ルートとも大久野
島までは目と鼻の先だ。
 通称「島なみ海道」と言われる西瀬戸自動車道を通ってみたくて、その途中の大三島まで車で行き 大三島盛港にマイカーを置き、大
久野島へ。渡船料140円也、鉄道駅の入場券並だ。

 島が点在する、と言うよりこの地域は「島なみ」の名の通り島々がひしめいている。そういう環境の中 では連絡船は生活の足として欠
かせないのだろう、船賃が非常に安い。行政の補助があってのこと だろう。
 この島「大久野島」は、ここを生活の場としている住人がいない。

 いるのは数百羽の野生化している兎たちだ。人間はと言えば300人収容規模の宿泊施設関係 者がほとんど。島全体が宿泊施設とそ
の関連施設ということになっている。この島にニ泊ノンビリ旅 をして来ました。
 この季節、多くの種類の木の花が「百花繚乱」といっても大げさではないほど咲き乱れている。い や、「乱れて」では私は聞こえが良く
ないと思うので咲き揃って、或いは咲き競っていると言い換えよ う。各種のサクラ、フサアカシア、ミツバツツジ、それに名前の解らない
花たちでとにかく美しい島だ。

 周囲たった4キロメートルのリゾートアイランドだ。
 宿の送迎車以外に車がまったく眼に入らないことも楽しい。
 現在は美しい自然と共にこの島はもうひとつの忌まわしい過去を島の随所に留めている。
 古くは戦火は交えなかったものの日露戦争時は要塞化されていて砲台跡が3箇所に残っている。大 砲自体は第二次大戦時に解体
移転され戦地で再利用されているという。

 砲台があったと思われる周囲は半地下式の頑丈な兵員仮眠室らしき構造物が百年を経た現在でも そのまま存在していて「戦争遺
跡」として保存運動が起きている、砲弾などの貯蔵庫でもあったよう だ。
 しかし、ここまでは防衛上必要なことであったとしても、やがてこの島は第二次大戦前から戦中にか けて日本地図から消されることに
なる。

 戦時、国際法に違反していることを承知で「毒ガス工場」が出来、それを覆い隠すため、地図に無い 島になってしまった。
 地図に無いのだからそこで起きたであろう悲惨な或いは凄惨な事故なども闇に葬られて日の目を見 ないまま現在に到っている事も
数多くあるのではないかと思われる。

 前述の可愛い兎たちは地元の小学校で飼われていたものを移入したと言われているけれど、毒ガ スの効果を確かめるための実験
動物の生き残りが繁殖したものと思われる。多分その両方が事実 であろうと思われるが今では島のマスコットになっている。
 島の各地にいいかげんに処理をしたままの毒ガスが埋没されていると言うが、環境省は何を根拠 にか安全宣言を発している。
 そんな過去を引きずる島でも一観光客としてたどる限り本当に美しい島だ。

 物資輸送に必要な場合を除いて一般の車を島内に入れない事も幸いして静かな別天地だ。天敵の いない島で兎たちは島中に散ら
ばってまことにのんびりと観光客に媚を売っている。
 余談だけれど、どういうわけかウサギというのは哺乳動物なのに一羽二羽と数えることになっている のだそうです。


島のマスコット、ラビちゃん。海岸地域から山のテッペンまで、何処に行っても愛嬌を
ふりまく可愛いやつ。小さな島に500羽はいると言われているが多分それより多いと思
えるほど沢山いる。かって毒ガスの実験動物だったと思われる悲しい過去をひきずって
いるということも心に留めて平和な風景に接してきました。

右は、毒ガス貯蔵庫跡。
敗戦時、証拠隠滅を図って内部や屋根を火炎で焼き払ったため
今でも真っ黒に染まったままだ、コンクリート内部の鉄筋が剥き出しになり錆付いている
不気味な雰囲気だが戦争遺跡として保存が望まれている。

砲台跡
およそ100年前の「芸予要塞」の砲台跡の周りに構築された半地下壕式の
兵員宿舎、砲弾の貯蔵庫でもあったとも見られる、日露戦争時ここで戦火
を交えることは無かったが頑丈な作りで現在でも内部はしっかりしている。
第二次大戦時は毒ガスの貯蔵庫としても使われている
小さな島にこのような戦争遺跡が三箇所に残っている。

戦時、劣悪な環境のもとで意に反して毒ガスの製造に関わらなければならなかった
数知れない犠牲者の慰霊碑。犠牲者は判明しているだけで1000名を超えたと
言われている。現在もおびただしい量の毒ガスが島の地中に埋没
されていると言う、10年ほど前まで海底で魚網にかかり
漁師に被害がでているという。

咲き競う三つ葉つつじ
島の山中、この季節木の花が本当に多い,クルマがまったく通らず
宿の観光客もここまで来る人はほとんどいない。
瀬戸内の隠れた静かな別天地だ。








陸 中 海 岸 紀 行

 
2011年3月現在から数年前の旅行記です。
文中のリアス式海岸による切り立った山々の間に時おり展開する美しい町並みや集落は、
東北関東大震災と、それに伴う巨大津波の被害により、過去の幻影になってしまいました。
一週間にわたった陸中海岸の旅の記憶を、いまは再び辿ることができません。


  長距離フェリーで目的地へ。

 初日、5月7日午後七時名古屋港フェリー埠頭より乗船。同時にディナーバイキングだ。食事中にド ラが響き渡っておごそかに?出港
だ。旅の気分を早速盛り上げてくれる。 夕方出発というのは、気分的に落ち着きがあり、雰囲気がいい。
 太平洋フェリー「株」貨物輸送主体の長距離フェリーに客船の要素を取り入れ、観光客にアピールし た最初の会社なのだそうです。
 大型外洋フェリー「いしかり」船内はそれこそ豪華ホテルそのものだ、豪華客船「飛鳥」など最近は 日本製で日本の船会社による客船
が続々登場しているが、それらの客船に私は乗ったことがない ので比較は困難だが、この大型フェリーをホテルと考えればそれは十
分に走るホテルだ。

 広いレストラン、シアター、ショーステージ、全階吹き抜けのエントランス、展望通路などパブリックス ペースが贅沢に配置されており、
二等客室などのプライベート空間の少ないルームの客にも長い時 間をゆったりと過ごせるように配慮が行き届いている。
 各種のショーなど殆ど無料で楽しめることもこれから展開する旅の楽しさを予感させてくれる、豪華な 船旅の雰囲気だ。
 三食ともバイキング。食ってはショーを見、食っては映画を見、食っては寝て・・・

 大浴場にいつでも入り・・・そんなことをやっている間に800キロほども先の仙台に着いてしまう。
 船旅は時間がかかると言うけれど、寝ている間に、或いは楽しんでいる間に身体も車も運んでくれ るのだから間違いなく優雅な旅の
始まりだ。ただ、気をつけなければならない事、それは船酔い止めの薬を忘れないことだ。
 15000トンの拒船といえども外洋に出れば、ゆらーり、ゆらりと絶えまなく揺れ続ける。ただ、さすがは大 型船でとんだりはねたりのよう
な派手な揺れ方はない。

 それにいまどきの酔い止めの薬はたった一錠で24時間効く優れものだ、仙台までは21時間、一錠で充分だ、 それと幸せなことにその
時間中ビールやワインを嗜んでも、それはそれ、いつもと変わらずほろ酔い 気分だ。いや船が揺れている分かえって心地よさが増幅さ
れる?。
 乗り物酔いにきわめて弱い私がこんな事を言えるのだから楽しくなる。


奥松島嵯峨渓、遊覧船からのアップ、この眺めは一般に知られている
穏やかな松島湾の風景とは異なるもうひとつの顔だ。

 二日目。午後五時仙台港着 。

松島の景観には何年か前に接したことがあるので今回は有料道路経由で奥松島へ。もっともこの 時刻では観光は無理、宿へ直行だ。
この日の宿は「かんぽの宿松島」。 奥松島、嵯峨渓への玄関口だ。出発日の雨は海の上で降り続け、この日この時刻つまり事実上の
第一日目の朝にあがった、まことに幸先がいい。 私達の旅の宿は大部分が「休暇村何々」か、「かんぽの宿何々」だ。

公共の宿も最近のデフレで表示価格は下げないものの、あの手この手の割引サービスを行ってお り、その内容も格段に良くなってい
て一流と言われるホテル旅館などと差が無くなってきている。ただ、郵便局の公社化で簡保の「宿簡易保険保養センター」は廃止されよ
うとしているのがさみしい。

これらの宿泊施設の多くは国立公園の景勝地とか風景に恵まれた地域に立地していて、少々公 共交通に不便な面はあるが車があれ
ばロケーションは最高だ。
  奥松島大高森。松島湾を見渡す小高い山の頂上、山登り15分ほどのところで絶景にふれることが 出来る。この季節のウィークデー
はよくぶつかるのが修学旅行や遠足の大集団。はじめはほほえま しいけれど、その内耐えられないほどうるさくなる。さっさと逃げ出し
てしまった。しかし、相手が子供 達だけに悪い気はしないのです。

  嵯峨渓。松島湾の外側、太平洋に面した海食断崖だ。
 日本三大渓のひとつと言う、はて、「渓」とは何か。渓流、渓谷、と言えばそれは深い山ヒダに刻ま れた水の流れだ。しかし、ここは水
は水でも海食断崖であり、趣を異にする。いろんな解釈があるの だろうけれど、白く滑らかに浸食された岩肌は松島の優美な風景とは
異なり壮観そのものだ。
 大げさかも知れないが松島の海の風景にはふたつの顔があると思った。



陸中海岸に多いすなおに伸びた松林。
さすがに東北では常緑照葉樹林は少ない。

 三日目宿泊地、気仙沼大島。

松林に覆われた静かな島だ。東北地方では比較的に温暖な気候だという。 高級食材「フカヒレ」の大生産加工地と言う、当然ディナー
のメニューになる。 さっぱりしていて個性をあまり感じないが上品な味ではある、なにはともあれあの透明感のあるふか ひれをたっぷり
食したのです、単純に満足満足。 島の最高峰「亀山」付近に緑色の花が咲くサクラがあるという。

 珍しいサクラなので当然現地には案内板ぐらいはあるだろうと思い詳しい事前情報を得ずに来てし まった。そして大後悔してしまっ
た。いくら探しても無いのだ。帰ってから調べてみたら山の中腹に間 違いなくあった。 本当に緑のさくらの花なのです、ただ、葉っぱが
同時に出ているので遠目には分りづらい、だいたい 緑色の花など見栄えがするわけが無い、だから必死になって探している時、離れ
たところに見えて いたのかも知れない。

それにしても度々行ける所では無いし陳腐なサクラの花も見ておきたかった。
 本日5月10日は間違いなく開花の季節なのに。 この地方、この季節は八重桜ボタン桜など派手な色合いの各種のサクラが非常に目
立つ。 さて、三陸とか陸中海岸とか言われる、入り組んだリアス海岸の旅はここ気仙沼大島から始まる。



折石「巨釜」にある16メートルの岩柱
こんなに大きく長い岩柱も断崖の上から見下ろすので実際は小さく感じる


 断崖絶壁が続く入り組んだ海岸美

 深く入り組んだ上に切り立った山が急角度で海に落ち込む典型的なリアス海岸を目の当たりにす るのは、「碁石海岸」から「巨釜、半
蔵、鵜の巣断崖」と、見事に荒々しく展開して行く。いずれもある 程度歩かなければならないので、高齢者や足の不自由な旅行者には
少々きついかも知れないが, 日本地図のこの地域の、あの入り組んだ海岸線から想像してきたその風景にもまして期待以上の 自然
の風景だ。
 碁石海岸は小さな入り江に珍しく大粒の黒い石が自然に敷き詰められている。

 漁船の補修に勤しむ漁師の脇で5.6個の碁石を記念に拾ってきた、にこやかに様子を眺めていた漁 師の日焼けした表情が印象的だ
った。
 ところで、陸中海岸の切り立った山々はその殆どが赤松と黒松の林に覆われている。この松林、 例えば北陸地方など日本海沿いで
は海から吹きつける強風によって陸側になびいていて冬の厳し さを見せ付けている。
 陸中海岸の松たちは殆どが行儀よくまっすぐに天に向かって伸びているのが印象的だ。海岸線の 荒々しさは厳しい気象を象徴して
いると思うのだが、それとは対照的な優しい松林だ。

 東北も北部は北海道に近いし冬の平均気温はかなり低くなると思う。現にこの旅行中、五月十一 日で最低気温は宮古市で三度だっ
た。 気温は低くても北陸のような強風は少ないのではないかと思いつつ素直に伸びた松林を見上げて いた。
 絶景を求めて歩き回る私を尻目に、かみさんは松ぼっくり拾いに夢中になっている。袋を用意せず に拾いまくっては私の上着のポケ
ットにねじこむのだ。

 そんわけで車に戻るたびに松ぼっくりが車の中に吐き出される。無邪気なものです。こんなたわい の無いことに歓喜している妻や自
分に今は本当にしあわせを感じている。 (のっぴきならない病気で死に損なった経験を持つものの実感です)
 松ぼっくりはバケツに二杯分も集めてきた、やがて手作り装飾に変身する。


鵜の巣断崖。山の野生動物も転げ落ちそうな急角度で海に落ち込んで行く
それでいて眼に見える海底は非常に浅く、沖縄のサンゴの海のような清らかさ
を見せる。この鵜の巣断崖、アクセスが狭く観光バスなど大型車が
入りにくい、それに、ターミナルには集客施設がほとかど無い
珍しく非常に静かな観光スポットだ。

 四日目、宮古市。 浄土ヶ浜にへそ曲がりな連想

 東北地方の名勝「浄土が浜」 地元の何とか言うお坊さんが、「さながら極楽浄土のようだ」と絶賛したのが謂れという絶景だ。素 晴ら
しい風景だ。
しかし、極楽浄土というのは、花々が咲き競い小鳥が歌いあの世の人や動物たちが楽しく集う、そ んな光景を私は想像してしまう。誰で
もそうだと思うしそうあってほしいとも思う。極楽浄土なるもの があればの話だが。

 昨年末、妻が危篤状態に陥った際にも花々が咲き競う水辺にひとりボートに乗っていて、誰かが 漕ぐわけでもないのに静かに移動し
ていて満ち足りた気持ちだったと言う。潜在意識とか願望など が永遠に休みかけた脳に刺激を与えるのだろう。
 へそまがりな私は「浄土が浜」の絶景を目の当たりにした時、極楽浄土どころか、その白い荒くれ だった岩肌に累々たる白骨の山を
連想していた。

 かつてカンボジアのポルポト政権の虐殺の跡をテレビで何度か見せ付けられたあの忌まわしい映像 をこの風景に投影していた。
 この絶景が他の名称であれば、私はこんなおどろおどろしい連想などしなかったと思う。「浄土」な どと言うのでその対極を想像してし
まう。ましてやお坊さんの発案とは・・・・まあ、やめよう。 とにかく、素晴らしい観光資源です。

 大漁舟に躍る生造り

 さて、この日の夕食にはたまげた。
 各種の料理が並べられたが、定番のさしみ「おつくり」が出てこない。ようやく登場したと思ったら、そ れは大漁舟に盛り付けられた豪
勢な尾頭付きだ。
 普通、お二人様には特別に追加しなければこういう船盛りは出ないし、出されてもどうしようもない、。注文した憶えが無いと、断ってし
まった。 その大漁舟は、やむなくレストランの中を「漂流」しはじめた。しばらくしてからまた、私達のテーブル に戻ってきてしまった。

 追加料理では無いと言う。二度三度確かめて聞いて見ても定番だというのだ。
 かくして、大漁舟と格闘することに相成ってしまった。二日間連続の【事件】だ。一日目は鯛、二日目 はスズキが躍っていた。
 これで一泊二食8900円なり、ほんだけどみんなくってまったわ【それでもみんな食べてしまいました】



北山崎。上部展望台から、霞がかかったような状態が惜しまれる
写真技術の未熟さを棚に上げて


 五日目、前日と同じ宮古市。「休暇村陸中宮古」に連泊。 北山崎。リアス海岸はここ北山崎でほぼ終わる。
 断崖の上の展望台からは空中から見ているのではないかと思われるほどダイナミックな岩塊が複雑 に展開しながら海に沈んで行く。
 海岸まで七百数十段の急な石段が設けられているが、病み上がり間もない妻の体力を慮って途中 から引き返した。こういうとき私は
後ろ髪引かれる思いだが仕方が無い。 健康回復証の旅でアクシデントは許されない


網張温泉、日帰り温泉館。千年の歴史に彩られた名湯と言われているが
苔むしたような古さが見られないのが少々 惜しまれる。

 伸びやかな高原状の内陸へ

 さ て六日目 、ようやくリアス海岸にお別れだ。
 山だらけの海岸地域から伸びやかな内陸へ内陸へ、今夜の宿は岩手県の名峰「岩手山」の山懐、標高800メートルの「休暇村岩手網
張温泉」千年の歴史に彩られた湯治場と言われているが、 見たところ一軒宿で建物は新しく古さを感じさせない。

 効能あらたかな温泉として遠路歩いて湯治にくる民が多く、網を張って入場を制限したと言う「網張 温泉」。本館内にふたつの浴場を
持ち、歩いて9分ほどの所に露天風呂と脱衣所があるだけの野趣豊かな温泉がある。これは楽しい、と色めきたったのに土日だけの営
業とかで・・・残念でした。
 他に日帰り温泉館があり新しく大きな設備で賑わっている。


小岩井農場の牛舎。エー、牛小屋?、そうなのです。
およそ70年前に建てられた牛小屋です。
今も現役、香り豊かな?牛たちが中にいっぱいいます。
この建物たかが牛小屋などと侮るなかれ国指定の有形文化財なのです。

 小岩井農場。百年の歴史を持つわが国酪農業のパイオニア的存在だ。
 この国の牧場としては気が遠くなるほどの広大な敷地に森林と牧草地、牛舎、羊舎、各種酪農研究 所、乳製品工場など有機的に配
置されている。北海道かどこかの外国に迷い込んだ感じだ。
 観光施設「小岩井農場まきば園」は広い農場のほんの一部分に過ぎない。

 芝生広場を中心に牧場関連の諸施設がある程度のものだが、【小岩井】の全国区的な知名度がさ いわいしてか、或いは小岩井の
PR的な存在なのだろう、多分採算は度外視していると私は思う、入 場料が五百円というのも他のこの種の観光施設と比較すればかな
り安い。 三菱財閥の発祥と深い関係にあるようだ。


厳美渓。木曽川の上流にある「寝覚めの床」に似ている
ほとんど平原台地に地割れのような感じで続いている。

 高原台地に割れ目のような渓谷。

 厳美渓。一関近くにある長さおよそ2キロに及ぶ渓谷だ。
 この渓谷は深い山の中ではなくて、田んぼが広がるのどかな風景の中にぽっかりと地割れしたよう な形で存在する。
 大渓谷だが、見上げれば商店街、みやげ物店、住宅などが両側にへばりついていて、その外側は 田園地帯だ。大型バスなど交通の
便がよく団体客がわーっと吐き出されカメラスポットで、はいポー ズをやってさあーっと引き上げる。 東北観光の定番コースのひとつ
だ。さすがにウイークデーでも賑わっている。
 中尊寺、毛越寺などのコースに殆ど一体になっている。 深い山々に抱かれた渓谷に慣れた目には少々違和感のようなものを感じる
が、しかし、大渓谷だ。 すぐ近くの中尊寺、毛越寺は何年か前に見ているので今回は時間の関係もあって失礼してしまっ た。


達谷の窟「たっこくのいわや」。深山幽谷を思わせるが殆ど田園地域の一角にある。

右はこのお堂の一角にあるわが国最北に位置すると言われる磨崖仏。



 達谷窟【たっこくのいわや】

 達谷窟毘沙門堂縁起【たっこくのいわやびしゃもんどうえんぎ】によると、 悪路王赤頭、高丸等を退治した征夷大将軍坂上田村麿が
京都清水の舞台を真似て創建したという 1200年前のおはなしだ。 何回か造り直されていると思うが、そのあたりの記述が見当たらな
い。垂直の岩壁に建物を縦に半分に切ったような状態でへばりついている。
 パンフなどで見ると深い山の中を連想するが、ここでも厳美渓と同じのどかな田園風景の一角だ。こ ういう岩壁に密着したお堂は意
外と各地に見られる。


宮古市、気仙沼市あたりでやたらと目立ったお城まがいの豪邸。
商業施設かと思ったがそうではない、個人の住宅だ。
屋根に反りを入れて「一城のあるじ」。こんなのがごろごろしている。
さながら群雄割拠だ。違和感を感じたのは私のへそまがりのせいかも知れないが、
いずれも新しさが目立ちこの地方伝統的な建物という気がしない。

 7日目、「簡保一関」

 帰りのフェリーを除けば今回の旅の最終泊です。
 フェリーの出港時刻12時20分に合わせた調整のための宿泊地だ。 「簡保一関」は数年前に全面的に建物をリニューアルしていて、ゆ
ったりしたルームに感激してしま った。鉄筋コンクリートの建物というのは構造体以外は簡単?に模様替えが出来るようだ。
 外観が同じでも中身がまるで変わってしまうようなことも他で経験している。

 独り旅の紳士に、かつての自分を重ねる

 さて、この日、出発日の朝、ひとりで朝食しているシニアの紳士が視界に入っていた。 朝から食事に殆ど手をつけず、ジョッキのビー
ルを傾けていた。
 楽しい旅の終わりちかくに、そのしんみりとした風情に私は涙が溢れそうになってうろたえながら、かみさんの表情を盗み見た。
 私はその紳士には申し訳ないが、紳士の背中に自分をだぶらせていた。

 昨年末、かみさん危篤の日、一度は独り暮らしを覚悟したあの夜、日本中を一人旅して、何処かで野たれ死んでやろうと多分本気で
考えていたことを密かに思い起していた。
 かみさんが健康を取り戻してまだ4ヶ月余り、こんなに長旅が楽しめることに不思議な感慨を覚え る。
 旅は人生のスパイス、これからも二人で或いはそれぞれで思いつくまま行動して行きたいと思う。
  つたない長文ご精読ありがとうございました。
   2003年5吉日


陸中海岸の松林で拾ってきた松ぽっくりは
こんな記念品になりました。

              

 




  耕三寺、西の日光

 大久野島の旅の途中の寄り道です。

 因島と大三島の間にある生口島の北西部、別名を「西の日光」と言い真宗大谷派のお寺なのだそ うです。【なのだそうです】と書いた
のは失礼かも知れないが例えば長崎ハウステンボスとか、志摩 スペイン村などと言ったテーマパークと発想が似ていると思うからだ。さ
ながら神社仏閣のテーマパ ークだ。 耕三さんとか言うお金持ちが実母の菩提のために財をつくして昭和11年から30年の歳月を費や
し て造営したと言うその建造物が殆ど仏教施設の複製だという。

 「西の日光」の謂われになっているのが【孝養門】、日光東照宮の陽明門を原寸大で複製してい る。大きさだけではない。一部に独自
な主張を取り入れている他は本物に劣らぬ立派なものだ。
 私は、日光の陽明門をやたらと飾り立ててゴチャゴチャしていると以前に書いたことがある。西日光 も立派だがまことにそっくりゴチャ
ゴチャだ。陽明門よりももっとゴチャゴチャかも知れない。

 この陽明門ならぬ孝養門の良かれ悪しかれ目立つ存在に目を奪われ、その他を忘れがちだが堂 塔の殆どすべてが複製であること
は意外に知られていないような気がする、複製は二十数棟に及ぶ と言う。

 本堂=宇治平等院鳳凰堂

   山門=京都紫神殿御門

     中門=法隆寺楼門

       五重塔=室生寺五重塔

          鐘楼=奈良新薬師寺

 主だったものだけでこれだけある。

 よくまあここまで贅沢にお金使ったものだと感心する。しかし、複製といってもそんじょそこらのレプリ カではない。そういう意味では見
応えのある【観光施設】だ。これほど優れた複製建造物を半日ほど で全てを見ることができるのだから楽しくなる。
しかし、遊園地ならともかく信仰の対象としては発想が貧しいと私は思う。
 お金が邪魔なほどのお金持ちのお金の使い方のひとつの結果なのだろう。

 もっとも、京都や奈良の神社仏閣にしても当事の政治権力者や武将たちが財力にまかせて或いは 戦国の武将たちが、度重なる戦
争による殺戮に良心を恥じその罪深さにさいなまれ仏道に転じた結 果として現在があると考えるのが普通だと思う。そういう意味では
何百年或いは千数百年の歴史を 持つ神社仏閣もそのきっかけは大した変わりはない場合が多い。

 ただ、お金持ちで資産家で僧職でもあったと言われる耕三さんが母上の菩提を弔うために作った という耕三寺は、京都や奈良の社
寺のように信仰の対象として、また文化財として全てが受け入れ られるためには数百年の歳月が必要だろう。
それにしてもこの寺の拝観料というか入場料といったほうが当っていると思うが、1000円也・・・高 すぎる。古いガイドブックをひもとい
て見ると【拝観料】500円になっている。何時の間にか二倍になっ ている。

 お金持ちが身内の菩提のために私財をはたいたというのなら、一般には開放しないか無料で入場 できて、いわゆる浄財を受け入れ
るのが筋ではないか。
 耕三さん嘆いているんじゃないかなあ。
 やっぱり、神社仏閣テーマパークだ。
 こんな事考えるとバチ当りかなあ。