山と旅のつれづれ



旅のエッセー5



                                 PC絵画


このページの目次
(4編収録)









沖縄久米島 気まま旅


はての浜。青い空、この季節は暖かさを演出する白い雲、
エメラルドの海、澄んだ空気、珊瑚の残骸による真っ白い砂州、
360度おなじ風景・・それがいい。


 日本列島がほぼ全域冬型の気圧配置で特に北のほうでは荒れていたこの日、一月二十五日午 後、私たち夫婦のここ数年来恒例に
なっている南西諸島の島々をめぐる旅の出発です。
 沖縄行きの飛行機は札幌からの便で飛来していて、雪による遅れが出ている。
 当然、南の沖縄行きも連鎖的に遅れる、それに、離島への乗り継ぎ便も予約客待ちで必然的に遅 発する。そんな訳で混乱の中で遅
れに遅れて久米島に着いた時は既に沖縄の遅い日暮れもとっぷ りと暮れていた。

 久米島は昨年三月に計画したが、重病から立ち直ったばかりのかみさんが突然の体調の変化 で、あわや、再発かと大事をとってキ
ャンセルした苦い経過がある。幸い一時的な消化不良というこ とで事なきを得た。
 今回は大げさに言えば一年越しの執念のプログラムだ。
 島では暗くなってから着いたことと馴れないレンタカーで繰り出したこともあって緊張でがくがくして いた。現地での旅のはじまりはいつ
ものことだがこんな適度な緊張感と言うのは大事なことなのだと 思うことにしている。

 パッケージツアーなどでも大変緊張するがその多くは、団体からはぐれないため或いは決められた 時間を守るための気遣いであり主
体性が無さ過ぎる。同じ緊張するのなら自分の責任で行動すると ころに、変な解釈だが面白さがあるのだ。
 さて、久米島での事実上の第一日目。 はての浜。地の果てをイメージしてしまうが島からグラスボートで海底のさんご礁を鑑賞しなが
ら30 分ほどで到着する広大な砂州だ。

  一木一草も見られない。珊瑚の残がいによる真っ白い砂浜がエメラルドグリーンに輝く海に横たわ っている。スノーケルでもやらな
い限り夏は暑くてどうしようもないだろう、私たちじじばばにはこの季 節に訪れるのがベストだと思う。
 観光客は少ないし、時折日が差す程度の天候であれば適度に暖かい沖縄の冬だ。
 幸い、晴れたり曇ったりの空模様にさんご礁の浅い海は何時まで眺めていても去りがたいほど輝い ている。

 例によって、かみさんは珊瑚の砂の中からタカラモノ探しに熱中している。
 山へ行けば木の実がタカラモノだ。飛行機など公共交通機関で旅をするとき、私はこれが困るの だ。
 ガラクタのようなタカラモノで帰りのバックはずっしり重くなり、重労働になる、それを持ち歩くのは私 だ、まあ、平和でいいのだろうと楽
しくあきらめている。


畳石。人工的に刻まれたような五角形。
どう見ても亀甲石だ、こんな畳作って見るのも面白いかも

 橋でつながった小さな隣の島「奥武島」の海岸の一角にある。
 水の浸食によって五角形に似た亀裂ができるという珍しい自然の造形だ。
 景観と言うほどではないが、その自然現象には本当に興味をひく存在なのです。

 海亀の上陸地でもあり、近くに海亀の館なる施設もあるのに五角形の石の模様が畳石なのだ。何 で亀石でないんだろう、あれはどう
見ても亀の甲羅だぞ。
 五稜郭かペンタゴン石でもいい、五角形の畳などあるはずがない。どうでも良いことだけど。不思議 なのはさんご礁の海の一角であり
ながらこの一連の畳石は火山性の溶岩の巨大な結晶が侵食によ って出現したものといわれていることだ。

 熱帯魚の家は、てっきり水族館かと思った。事前に調べておいた資料の中にもさっぱり出てこないし、現地で小さ な案内表示に気が
ついて立ち寄ってみることにしたが此処は立ち寄ってみて大いに得をした気分 だ。
 海上に隆起した珊瑚礁の複雑なくぼみが幾つもあり流入している海水中に色鮮やかな自然界の 熱帯魚が群遊している。田舎の小川
のめだかの学校のようなイメージだ。珊瑚が作ったごつごつし た石灰岩の足場は危険だが、こんな「水族館」は滅多にあるものではな
い。
 私たちの他に若い子連れのカップルがいたが、非常に危険な足場の上で幼子を抱きかかえながら 水中の世界を覗き込んでいた。そ
んな光景を私たちははらはらしながら注目していて、ふと思った。
 孫の一挙手一投足に歓喜しているじじばばのまなこになりきっているシニアカップルがここにい る・・・(私たちのことです)
 地元では、ある程度の餌付けをして魚を定着させていると聞く。


カラフルな小さな魚が群れているが、デジカメの液晶
画面の中で肉眼で捉えるのは非常に難しい、
老眼のせいもあるけれど。中には塩焼きサイズもいて面白い。
餌付けによって野生を忘れかけたずぼらな魚たちがいっぱいいる。

 宇根の大ソテツ。防空壕。 南西諸島の島々にはソテツの樹は多いが潅木であり大木にはならない。
 そんな中でここのソテツは巨大化していて樹高が6メートルもあるという。
 個人の住宅の屋敷の中にあり、慈しみ守り育てた結果だろう、勿論天然記念物になっている。
 住宅の主人喜久村さんの案内で裏山にある防空壕を見せていただいた。

 硬い土の山の斜面を削り取って幾つもの素彫りの横穴を穿ち、三家族が緊急用に使っていたとい うこの防空壕は60年を経たいまも
健在で学校などの社会見学に使われているという。この島は戦争 による被害は殆ど無かったというが米軍機による機銃掃射は激しか
ったことをこのご老人から聞い た。


喜久村さんの屋敷の中、急斜面に穿たれた洞穴。
戦争の遺物として個人で保存されている。
大戦時、私の家にも半地下式と穀物倉庫の真ん中に小麦の俵に守られる
ように設置されていたことを思い起こしていた。
五、六歳のころの記憶だ。

 宇江城城跡(うえぐすくじょうあと) 300メールの山の上、石垣が残るのみだ。わずか300メートルとは言っても小さな島のこと、ほぼ全
体を見渡せる絶景だ。
琉球王朝時代海洋貿易で栄えた時代の中継地だったというこの島には勢力の拠点となる城が何と 10箇所前後も存在していたと言う。
周囲たった40数キロの点のような島にだ。


宇江城城跡 沖縄では「城」を「ぐすく」と詠む場合がある

 
 上江州家(うえずけ)

 代表的な沖縄の民家、沖縄と言っても本島は開発が進み、それに伴って伝統的な建物がほとんど 姿を消しているかあばら家になっ
てしまっていて、博物館的な施設に集約されていると言っても過言 ではない。
 そんな中で今まで知りえた限りでは竹富島に次いで伝統的な住宅が多く、異文化の国へ来たような 感慨がある。ほとんど戦災に会わ
なかったことも幸いしていると思われる。

 沖縄の古民家に接するとき、いつも思うのだが二百年或いは三百年も長期間あの雨の多い亜熱 帯の気候の中で、また、潮風のせ
いか木の表面が苔むしたような風情で、それでいて殆ど腐っても いないのだ。
 沖縄の民家によく使われている槙の木の特徴と思われるが、お目にかかる度に感心する。
 さて、その上江州家、開放的な民家の一角で家主と思われるご婦人が観光客を相手に語り部を演 じていた。聞き手は私たちを含め
て四人。

この島が戦時中米軍機による機銃掃射を受けたことは前述したが、ここでは衝撃的な史実に遭遇 することになった。
 朝鮮半島人と子供を含む日本人二十一人が証拠もないままにスパイ扱いにされて駐屯していた日 本軍兵士によって虐殺されている
と言う。
 そのときの様子を赤裸々に語ってくれたが、あまりにも凄惨を極めていてここに書き記すことを遠 慮したいと思う・・・。
 戦後の一時期米占領軍が駐留していたというが、島民には何の危害も与えず極めて親切だったと いう。そんな訳でこの島では日本
人(大和人、やまとんちゅ)に対する悪感情がいまでも当時を知るお 年よりの間でくすぶっている、それと反比例するように米軍への親
近感がある


290年の歴史を誇る沖縄の伝統住宅と語り部のおばさん

 旅の最終日、といっても激安航空券は午前9時の出発だ。朝起きたら朝食も摂らずに空港へまっし ぐら、変な幕切れの始まりです。
 久米島から那覇への飛行機は何と三十数人乗りの小型プロペラ機「DHC8」琉球エアーコミューター 航空だ。
 南の島々を何度か旅していて、興味を引いたあの小型機に私は一度は乗ってみたいと子供っぽ い憧れを持っていた。来るときはB
737中型機だったので小型機は期待していなかったがそれが期 せずして目の前にいるではないか。

 ひゃー竹とんぼだ!!! ところが、先発の便が乗客の搭乗を終えても動き出さない。しばらくして機体に 異常というか不都合と言うか何
かがあったらしく乗客全員が降ろされてしまった。荷物も降ろされた だならぬ雰囲気だ。
 機体の何処かに亀裂があるといううわさがとんだ。飛行機は飛ばないのに。

 そんなことを考えながら思い出した。旅の出発のとき名古屋空港で出発準備をすべて終えて動き 出してから乗客のひとりが気が変わ
ったのか降りると言い出して急遽停止してしまった。それからが 大変だった。荷物室から降りた客の荷物を引きずり出さなければなら
ない。20分ほどの時間を費や したが航空会社はこんなサービスまでしていて二百数十人の、もの言わぬ搭乗客の立場を気遣うこ とは
ないのだろうか。

 電車だって動き出してから停車して客の求めに応じるようなことはないと思うが、田舎のバスならと もかく。
 この日の便はただでさえ定刻より遅れていて、私たちはそのあおりをくらって那覇での乗り継ぎに時 間の余裕がなくてはらはらする事
になってしまった。
 結局私たちの後発便が先に飛んだが、少しはスリルな出来事でした。

 30人乗りの飛行機でも副操縦士と、それにとびきり琉球美人のフライトアテンダントのサービスあり で、小型機は乗り心地が良くない
と言う巷のうわさとは裏腹に、小さくても快適な乗り心地だった。
 意外に寒い久米島だったが、名古屋空港へ降り立ったときは強烈な寒さだった。







  鳥取砂丘、但馬海岸 天橋立の旅



 中国自動車道のインターチェンジに近い兵庫県の内陸都市に新居を構えた長男宅に所用を兼ね て、山陰海岸東部一帯の旅です。

 二人の息子が関西と北陸の主要都市に住むことで、私達夫婦の旅の都合のよい中継地になって いる。こんな好条件を逃す手はな
い、と云うので今回は有言実行と言うことになりました。せいぜい 嫌われない程度に節度を守って利用させてもらうのは親の特権だろ
う、なんちゃって。
 6月12日と云えば梅雨の真っ只中というのに珍しく前夜の雨も上がって秋のような爽やかな、雲ひと つ見当たらない快適な旅のはじま
りです。

 さて、中国道は福崎から播磨と但馬地域を南北に結ぶ「播但連絡自動車道」の片側一車線の自動車専用道を北上して日本海側を目
指すことになるが、一車線で制限速度60キロの専用道と云う のは何とも気持ちの悪い道路条件だ。速度を守れば後ろからけしかけら
れるし、スピード上げれば ゴールド免許証に傷がつくのが気になるし、現に所々で覆面パトが獲物を捕らえるという、パトにし て見れば
楽しく愉快な?仕事に励んでいた。

 流れに沿った安全速度対策について専門家の意見を知りたいものだ。厳密に順法運転していたら 事実上安全運転とは云えないの
だから。
 城之崎温泉駅を横目で見ながら、ほどなく山陰海岸沿いのきらめく日本海の水平線とその強烈な 青に圧倒されながらも、車は但馬
漁火ラインと云う徹底的に曲がりくねった本格的な山岳道路を走っ ている。
 海と山の間には広大な平野があるという都市住民の多くが持っている概念からすれば、まったく別 の世界を疾走しているようだ。

 しかし、考えてみれば昨年の三陸海岸の旅のときもそうだったが、この国が海の国であり、また、 同時に深い山国であることを今更な
がらに実感する。
 こんな地域の人々は生活の糧を海に求めながらも一方では山の民とまったく同じ環境の中で生活 していることになる。一種の羨望の
ようなものを感じる。

 そんな、現地の人々にして見ればお門違いかも知れないようなことを、あれこれ考えながら右に左 に上に下にと、めまぐるしくハンド
ルさばきをやっている間に、今回の旅の第一日目(事実上二日目) の宿泊地、「休暇村竹野海岸」に到着です。
 宿泊施設は海を見渡す丘の上に悠然と佇む広々としたスペースを誇っている。
 ここまで来るまでに道中で海の風景を堪能してきたのに、部屋の大きく切り取った窓から見る海に、 また感動を新たにして不思議な
気がする、窓という額縁の妙を感じる。

 翌日は、足を延ばして60キロ東の鳥取砂丘へ。 宿泊は同じ所に連泊なので、この日は砂丘までの往復と言う事になる。
 一日の行程としてはゆったりしている、旅はこのくらいに余裕のあるスケジュールにしておくのが丁 度いいと思う。ノルマに追われる仕
事ではないのだから。
 途中の余部鉄橋は帰りに立ち寄ることにして、砂丘を目指した。

 鳥取砂丘。意外に広くない・・というのが第一印象だが、砂丘の高さがその威容を誇っている。点 在する観光客の動きが砂漠の中を
行くラクダの隊商を思わせる雰囲気だ。昨日の深い山の中のドラ イブとは打った変わった世界なのです。
 広くないと云っても、それは砂漠状の大地のことであって周辺部の広大な松林とそれに続く砂地の らっきょ畑など、広い意味で砂丘と
考えれば広大な砂丘地域と言えるのでしょう。近年は乾燥地特有の植物が繁茂していわゆる砂丘部分が減少していると言う。

 さて、この砂丘を隣接する浦富海岸の島巡り遊覧船から観て見たら、何とちっぽけな白い砂浜に 過ぎないではないか。わりあいに離
れた海の上からの眺めはほんの一部の禿げた丘なのだ。見な いほうが良かったような気がする。

 浦富海岸の岸壁や島々の間を縫って行き交う遊覧船からの眺めは本当に圧巻だった。切り立った 花崗岩の荒削りな岩肌が累々と
続く風景に接していると、たった一時間足らずの乗船時間が恨めし く思う。
 こういう絶景は時間を気にせずじっくりと堪能できる方策を観光業者は工夫してほしいとつくづく思 う。一時間足らずの遊覧の後「は
い、観ましたか、ではさようなら、またのお越しをお待ちします」で は味気なさ過ぎると思うのだが。
 それはともかく、砂丘の浜に隣接している海岸が荒削りの断崖絶壁の連なりであり、その対照的 な風景にこの国の海の風景の多様
性を感じる。


浦富(うらどめ)海岸、海蝕洞が無数に観られる花崗岩の絶景が続く。

余部鉄橋、深い山の中に見えるのだが実際は四十数メートルという高所を跨ぐ鉄橋を仰ぎ見なが ら不用意に後ずさりすると、海の波
に洗われそうになるほどに海岸に接している。
 二十年ほど前に強風に煽られた列車が真下に落ちるという、信じられないような惨事が記憶の片 隅に残っている、意識して見てみる
と鉄橋を支える長大な橋脚の下部の一部にそれらしい無残な傷 跡が見られる、何ら説明は無いが惨事の爪あとは見世物ではないの
だから当然なのだろう。

 この鉄橋は今やカメラマニアの絶好のターゲットになっていてさほど広くない駐車場は満杯になっ ており、列車の通過の瞬間を撮ろう
と十数人のデジカメラマンが静かにしずかにその時を待ってい る、俄かカメラマンの私も例外ではなかった、こんなひとときがたまには
あってもいいかと。

 山陰本線の列車は鉄橋に近づくかなり手前で汽笛を鳴らしてカメラマンに親切に知らせてくれるの だ、しかし、高くて遠いその汽笛は
意外なほど聴き取りづらい、上から下へは音が通りにくいのか、 それを先刻ご承知でカメラマンたちは聞き漏らすまいと静かにしている
ようだった、やがて鉄橋に差 し掛かり、視界に入るとゆっくりとサービス満点で通過して行く、この時の通過列車はたった一両の 普通
列車だ、一瞬がっかりしたがかえって、このほうがローカル色が出ていて面白いとも思いなが ら、それでも通過するまでに感度の良くな
い私のデジカメに三枚の写真を収めていた。

 カメラマニアに対するこんなサービスもJRならではの事だろう、親方日の丸の国鉄時代だったらう るさがられただけだと思う。
 駐車場の広場には鉄橋を通過する時刻表まで気を利かせて表示されている。
 鉄橋を通過するときの列車は空中列車だ、まるで空飛ぶ列車だ。
 余談だが、私鉄の車両を「電車」と言いJRの車両を列車と言う決まりごとがあるようだ、そういう訳 でたった一両でも何と(列車)なの
だそうです。
 それにしても、この鉄橋、九十年もの昔から存在していることには驚き入る。


餘部鉄橋。下ではカメラマニアが大勢待ち構えている。
制服の機関手が手を振って応えてくれるのが楽しい。
この鉄橋は残念ながら、近い将来、新しい橋に席を譲るくとになっている。


 最終日は行きに通過した城之崎温泉のあの風情たっぷりの柳並木で温泉情緒にひたった後、天 橋立に到着です。
 天橋立は何回か訪れているが、団体旅行の一員としては十分な時間が得られず、両岸のさわり の部分や、小高い山の上から「天橋
立股のぞき」だけでお茶を濁すことに終始していたので、今回 はたっぷり歩いて観ることにしました。これをやらないとここまで来た実感
が沸きません。

 対岸の傘松公園まで四、二キロとあり往復二時間、急げば一時間半で踏破できる距離だ。同じよ うな風景が続くだけだと人は云うが
確かに同じようなしかし、松林の大景観が延々と続く、時折両岸 の沖をゆく船の余波がこの季節は涼やかな波音を奏でている、私はこ
ういう所に身を委ねることが 好きだ。

 最終日は今夜中に帰宅すればよい、と言う気楽さがあるためか何時の場合も時間がオーバーし てしまう。そうして歳のせいか夜間視
力が悪くなっていてライトを点けると前車との距離感がおぼろ げになる。そういう訳で昼間走行以上に前車との間に一定の間隔を努め
て保ちつつ流れに沿うこと になる。 神経を遣う暗くなってからの帰還はいつものことだが帰着してほっとする。
 旅のしめくくりに余裕を持たせるためにも、日の内の早めの帰着を心がけたいと思いながらも、結 果にいつも反省している









  金沢経由室堂高原の旅



 小中高校が夏休みに入ると、全国の行楽リゾート地はシーズン全開になる。
 非常に混むし宿泊施設などの費用がバカ高くなる。そういう訳で私達シニアな自由人はこの季節 は文字通り夏のお休みなのです。

 仕事から離れてレジャーに忙しく動き回る「夏休み」ではなくて、夏眠であり、じっと我慢の季節なの です。
 それで、その直前の七月初旬に夏眠の前の遊び納めをやっておくのが私たちの恒例になっている。 さて、その納めの旅の行き先を
今回は北陸金沢から立山室堂までとした。アルペンルートは長野県 側から室堂高原までは経験があるのでこの度は富山側から辿って
みることにして、今度は次男の住 む金沢経由で出発です。

 古い一軒家を借りて住家とする次男だが、男の独り暮らしは一人分の生活道具以外には何もない ので、寝具持参で利用することに
なる。
 現役時代の仕事兼用ワンボックスワゴンを未だに使っていてこういうときはまことに便利だ。布団 一式積んでも十分なスペースが残っ
ている。セダンではこうは行かない。
 さて、出発の時間は突然のしかも土砂降りの雨だ。今年の旅は出発の時刻が殆ど例外なく雨だ、。しかし、これまた殆ど例外なくその
後は回復している。おかげで雨の出発は幸先がいいと思うように なってしまった。 そして、今回もその通りに恵まれた旅になりました。
梅雨のさなかでありながら。


金沢ひがし茶屋街。北陸では大都市のこの街は260年に及ぶ太平をむさぼった江戸の時代、
加賀100万石の城下町に花ひらいた町人文化の香りが今も色濃くこの一角に息づいている。
江戸東京の下町風情と違って人二人が並んで歩くにも不自由なほど狭い路地でも整然とした町並みが印象的だ。


 卯辰山公園は街に隣接する広大な展望公園といった趣が楽しい市民のいこいの場になっている、。生活圏にこんな環境を備えた金
沢市民をうらやましく思う。公園の一角に「金沢大学医学部解剖献 体の慰霊碑」が眼についた。 明治40年代からおびただしい人数の
献体者の氏名が刻まれている。
 碑のすべてに真新しい献花が供えられていて荘厳な雰囲気だ。 お寺よりこういう所で本当に手を合わたくなる。
 成り立ちは違うが沖縄の「平和の礎」の石碑群をだぶらせていた。


解剖献体の慰霊碑、写真はほんの一部に過ぎない。


 金沢から富山に向かう平野は広い。米どころ富山の田園の一面の稲苗はこの季節、眼が醒める ほどにあざやかな緑に輝いていた、
どういう訳か太平洋側の稲田の緑とは明らかに違っている。雨 上がりのせいかも知れないがそれ以外の要素があるような気がする。

 特筆すべきは、砺波平野一帯の散居村風景だろう。
 広大な屋敷林に囲まれた農家が一定の距離を隔てて点在する伸びやかな水田風景は、いまやこ の地域のかけがえの無い財産とし
て保存されるべきだと思う。

 屋敷の周りが庭木ではなく高くすんなりと伸びた大きな杉の木だ。
 自給自足の時代、屋敷の杉の木は燃料になり、材木になり、適度な木陰をつくり、防風林の役目 をも果した。しかし、現在は多分そ
の多くが却って負担になっていることは容易に想像できる。
屋敷 林に限らず、平野部に真っ直ぐに天に向かう管理された杉の木がふんだんに視界に入るその風景 は、どこかよその国に迷い込
んだようで私には新鮮そのものに映った。


散居村風景。見とれながらのドライブ中写真を撮ることを忘れてしまい
転載フリーのホームページから借用しました。

   新湊市、海王丸パーク。

 二日目宿泊地到着までに時間にいくらかの余裕があり、さて、どうしょうかと考えながらドライブ 中、待ってましたと眼に入ったのが「海
王丸パーク」だ。
 一説には世界でもっとも美しいと称えられた気帆船「日本丸」と同型の姉妹船だ。引退して新湊市 の港公園にその勇姿を誇らしげに
休めている。

 あの、長大なマストに風を一杯に受けてどうしてひっくり返らないのか不思議でならない。帆船が横 倒しにならないのと飛行機が落ち
ないのは何でだろ、などと突拍子もないことをまじめに考えてしま った。
 目の当たりにするとそれほどに船底は浅く、マストは高いのだ。
 石油ショックのころ、ハイテクで風をエネルギーに変換する気帆タンカーの建造が話題になった記 憶があるが、あれはどうなってしま
ったのだろう。 


誇り高く鎮座する海王丸。広い駐車場を従えて快適な海浜公園になっている。
残念ながら到着時刻が遅く、乗船の機会を逃した。
しかし、自由な予定変更ができる個人旅行はこんな予期しない道草に浴することもできる。
パッケージツアーではそうは行かない。

 さて、三日目は立山黒部アルペンルートを室堂高原までの往復だ。 天候は曇り、2400メートルの高山へ繰り出す条件ではない。
 幸いにも、雲は高く青空こそ望めなかったものの視界は良好、くぼみにふんだんにのこる雪を堪能 しながらの散策が楽しい。
もう少し若かったなら周辺の頂の一つや二つは迷わず突進したはずだが、そのための準備もなく、 また、大病を患った過去を持つか
みさん同伴では、そうも行かず頂を見つめて羨望していた。

山へ行くのに長袖の上着も持たず、半袖を重ね着した上で現地で雨合羽を買い込み、それでも寒 い山の気温に武者震いしていた>そ
うして散々かみさんに笑われていた。なんてことだろ、かつて、 山男のはしくれだったかも知れないこの私がだ。それでいいのだ、それ
でいいのだ、いまがよけれ ばそれでいいのだ。 それでも、頂のひとつくらいは登りたかったなあ。
 十分な準備期間もなく突然決めた旅はやはり何処かが、或いはどこもかしこも抜けている。


2004年6月12日の室堂高原みくりが池付近の残雪。
この日午前9時の気温は10度、日射がない分体感温度は低い。


 内容が前後するが、室堂高原に至る高原バスの出発点、美女平にある二本の杉の大木、「美女 杉」、ターミナルに密着するかたち
で美しくそびえている。
その昔、女人禁制のこの山に禁を犯してある尼さんが二人の美女を従えてここまできたとき、山ノ 神の怒りに触れて二人の美女を二
本の杉の木にしてしまったと云う伝説の樹だ。伝説としてはそれ でいいのだが、連れてきた尼さんはどうなってしまったのか。また、何
の目的で美女二人をここまで 連れてきたのか、伝説とは云えそこまで掘り下げてくれるともっと面白いと思うのだが。 なにはともあれ、
美女平バス出発点のシンボルになっているのが楽しい。

 室堂高原に至るバス専用道は杉の大木群に圧倒される、巨樹と云えるほどの巨樹は少ないとして もぞくぞくするほどの原生林だ、
巨樹を巡る旅は私のライフワークだ、バスから降ろしてくれーと叫び たくなってしまった。
 遊歩道はあるようだしバス乗り場から散策道が続いているのだろう。またの機会には歩く事を意識し ておこうと思った。

 前日と同様に時間に余裕ができたので少し足を伸ばして称名滝へ寄り道です。
 落差350メートルの滝は前日の雨で水量が増して凄まじい勢いで私たちを迎えてくれた。以前、屋久 島の旅のときもそうだったが滝は
水量次第でまったく別物になる。ただ、この滝は余りにも山が深く 規模が大きいので別物というほどの変貌ぶりはないが、それにしても
豪快そのものだ。
水量の多い時にはっきり現れるという右側の落差500メートルの滝もやさしく糸を引くように現れて いた。
 いまでこそ、観光客が30分も歩けば到達できるが長らく、おいそれとは近づけない山男、山女たち だけの「特別招待滝見席」だったこ
とが嘘のようだ。


小雨に煙る称名滝。落差350メールはダントツ日本一

 旅の最終日、岐阜県の高山市経由でゆったり帰ろうとカーナビ任せで走っていて様子がおかしい ことに気がついた。国道といっても
事実上林道だ、其の上どんづまりで通行不能になってしまった。 迂回路が全く無く延々と来た道を戻ることに・・・古いカーナビを頭から
信頼していたことがいけなか ったが、それ以上に旅に出て痛感するのは、車がほとんど走らない高速道路があるかと思うと生活 上整
備が必要と思われる地方道や迂回路の不備な道路がしょっちゅう落石や崩壊で通行不能にな っていることだ。其の上回復工事が
遅々として進まず、工事中通行止め、を示す看板がさび付いて いることがある。地元の人に聞くと復旧工事の予算が下りるまで手が付
けられないのだと云う。大事 なところが間違っている気がする。

 往復一時間半とガソリンを無駄にして岐阜県高山市に向かう幹線道路41号線にたどり着いたが、 合流付近の異様な雰囲気に一瞬
たじろいだ。
 警察官が制止するので事情を聞くと、「へーカがお通りになるのでしばらくお待ち下さい」・・・「へー カって、あのテンノーへーカです
か?」・・そうです。
 時間が無いんだけど、困ったなあ何処かでもう一泊しなきゃならなくなっちやう、お金ないし・・・。と 云ったら、二人の警察官がひそひ
そやっていて、其の上無線まで使ってやり取りをしたあと、お通り 下さい、と来た。

 幹線国道41号は厳重な規制で上下線とも、まったく車が見られず、交差する道路やあぜ道に至る まで警察官に固められている、極
めつけは雪除けのためのスノーシェードの上にまで制服が屹立し て警戒している。
 路上は、はるか前方までパトカーが一定間隔で眼を光らせ、白バイは四台が二列縦隊でゆっくり走 っている。そんな中を促されてパト
を追い越し白バイを追い越ししながら私の車は唯わが道を行く。 沿道の所々では村人が駆り出されてか、集団で日の丸の手旗を持っ
て今か今かと待ち構えている、。  そんな光景をいくつも見ながら妙な面持ちで快適?に走り続けることになってしまった。

 待ち構える人々には一瞬でも天皇一行の車と錯覚したであろうと思うと、ほんと愉快になる。
 多分、私たちの車は「怪しくはないと思われるので通行を許可したが念のため警戒すべし」などと警 察無線が飛んでいたのだろうと思
った。
 午前中、道に迷って時間を無駄にした結果、こんな面白い?経験に恵まれたとすれば、時には無 駄もまた楽し・・なのです。
 天皇ご一行は神岡町のスーパーカミオカンデの見物に向かっていたことを夕刊で知った。この 物々しい警戒と仰々しい歓迎の手旗の
波を目の当たりにして皇室には「私」が存在しないのだろうと 思った。そして、多分自分の意思と云うより請われて皇室に身を投じたで
あろう雅子妃の病状のそ の後を思った。

 高山市は何度も来ているので復習?みたいなものだが、旅の帰り道として通過することになれば 立ち寄らねばなるまい。
 今回は定期的に展示物を入れ替えるという屋台会館と、初めて訪れる日光館、それに住宅の木 組みの美しい日下部民芸館をそそく
さと巡って、遅くならない内に帰途についた。

 高山の屋台は、東海地方では山車と書いて「やま」と言い、京都では「山鉾」と云う、その他の地 方では「ダシ」と云う。絢爛豪華な祭り
の主役が屋台という出店みたいな呼称は珍しいと思う。いず れにしても愛知県尾張地方には絢爛豪華ではないがいまも普通に見ら
れ、季節の祭りには引き出 され賑わっている。


屋台会館脇の日光館。日光東照宮のほとんど全ての建物のミニチュアがあきれるほど精巧に再現されている、
飛騨の匠と東照宮の建造物との関わりを示す意味で製作されたものらしい。
三十数人の大正から昭和にかけての匠と15年に及ぶ年月を費やして完成しているという。







出羽三山、神々の集う山


羽黒山参道の杉並木、1700メートルに渡って途切れることなく延々と続いている。
左は湯殿山に至る路傍に鎮座している不思議なお地蔵さん?
巨大な乳房とまったく不似合いな鬼面。それに、片ひざ立てた男のような姿勢、
何とも奇奇怪怪な神様だ。「八百比丘尼」を連想してみたが、お門違いか?
何ら説明がないことがかえって興味をそそる。

月山九合目の紅葉、東北地方の山岳部の紅葉は中部地域よりかなり早い 。


 名古屋港発仙台行き長距離フェリーのことについては前にも触れたことがあるが、お金には余裕 が乏しくても時間はたっぷり享受で
きる立場にある私達には、その存在がまことに有り難いことでこ れからも大いに利用したいと思っている。
 一万円そこそこの航送料金で800キロも、しかも、眠っている間に或いは船内レジャーを楽しんだり 大浴場でのんびりしている間に運
んでくれる。

 おまけに人間様の運賃はプライバシーが確保できる一等個室を利用しても他の交通機関に比べ て格段に安いし、海上交通に不満
がないとは言えないが他の乗り物には無い雰囲気が面白い。
 この航路は長く、長時間の船旅を強いられるぶん船内のイベントに工夫が凝らされていて、時間を気 にしなければ快適な旅のひとつ
の手段ではる。

 旅先で乗り慣れたマイカーを操れるのが何と言っても安全で楽しい。
 飛行機などで手っ取り早く飛んで好みの車種のレンタカーで巡るほうが面白いと云う考え方もある が、この歳になると危険を感じて馴
れた車に適うものはないと思っている。
 今回の船内イベントはテノール歌手とピアニストが専属していて、一流どころと見紛うほどの美声を 披露してくれていた。勿論、無料で
豪華な肘掛付きセパレートソファーに身を沈めての観賞だ。

 芸術家は確かな才能と秘めたる自信と、血のにじむような努力とその上に、ほんの一握りの運に 恵まれたものだけの世界だと、トー
クの中で明るい表情で述懐するその歌手は、この仕事が好きで たまらないと云った風情でそれでも乗船客対象の無料のショーに未来
を夢見ているようだった。こん な、一流とは云えない修業中の芸術家も超一流のテノール歌手も私には差を見つけることができな い。
そして、たぶんそれは幸せなことなのだろうと思っている。人気や肩書きなど所謂色眼鏡?で見 たり聴いたりする、よそゆきの感覚に
無理やりもっていくこともないと思うので。

 さて、旅の始まりにこんなことを思い巡らせながら、ゆらーりゆらりと22時間、翌日の夕方に仙台港 に接岸です。この港に船で上陸は
今回で三度目です。
 大地に足を踏み入れて第一日目はホテル仙台メルパルク。公的な施設でありエコノミーな料金は 当然としても豪華な雰囲気が魅力
の施設でした。リゾート地と違って都心のホテルは宿泊と食事が 別会計であるところが大変便利だと思う。チェックインの時間をほとん
ど気にしなくても差し支えがな いのは本当にありがたい、リゾートではこうは行かない。私達は都市部で宿泊する時は必ずこういう ホテ
ルを利用している。

 今回の旅の現地での始まりはここからです。
 山形県出羽三山。湯殿山、羽黒山、月山、修験信仰のおごそかな山だ。
 義理の父が生前こよなく愛した白装束、つまり死装束での参拝登山で季節には大いに賑わう名だ たる信仰の山だ。三山の内の主
峰、月山(がっさん)何となく語の響きがいい。

 この日2004年9月27日は参拝客は少なく、人ごみの嫌いな私には思ったとおり丁度いい具合だ。生 まれ変わるために参拝するという
死装束の参拝客には全く出会うことがなかった。
 温泉が湧き出る海坊主のような岩がご神体という湯殿山神社は撮影禁止で絵にならないが、土足 禁止で裸足でご神体の一部である
周りを踏みつけながらお参りするという、何とも不思議な風景で ある。

 メイン広場とも言うべき大鳥居のそびえる駐車場からご神体までバスが運行しているが、歩いても 往復四五十分、冬は豪雪に閉ざさ
れるであろう東北山形の山並みを愛でながらの散策も楽しいもの です。
三山信仰の中心と思われる羽黒山。たかだか400メートル余りの小山だ。
三神合祭神神社とあるのでここで参拝すれば信仰としては目的達成ということになるだろうか。一目 で中心であることが察せられる雰
囲気だ。

 圧巻は2400段といわれる石段の両側にそびえる杉の大木群だ、強烈な迫力で山頂までとぎれる ことなく延々と展開してゆく。
 大木に挟まれた石段は夏の最盛期には白装束の帯になる賑わいを見せるという、頭の中にそん な光景を想像してみた。
 参道に繋がる街道の両側に建ち並ぶおびただしい数の宿坊の佇まいに季節の賑わいが重なって 見える気がする。
しかしながら、この季節は閑散としていて客の数より宿坊の軒数のほうが多いのではないかと思え るほど静まり返っていて、場違いなと
ころを歩いている感じだ。

出羽三山の主峰「月山」がっさんと読む。
 神秘的な響きを感じる1980メートルのおおらかな裾野をもつ雄大な山容が魅力の山だ。
 この旅の最大の目的はこの山の頂に立つことなので麓の宿泊施設に二連泊して、中一日を登山に当てた。幸い夜の間の雨も上がっ
てどうにか登山日和になりそうな空模様に気持ちがはやる思い だ。

 遠い遠い山形県まで金と時間を使ってはるばる来たのに山は気象条件次第で断念しなければな らないことがしばしばあるので、朝、
宿のカーテンを開いてさわやかな光線に部屋が満たされる時、 無常の幸せを実感する。
 八合目までは自動車道路が通っており便利だが、そこから先歩いて三時間近くを要する。東北もこ のあたりになると、標高1400メート
ル前後かと思われる八合目弥陀ヶ原は既に森林限界だ。ふもと 一帯の豊かなブナ林が一変して消え去り広大な湿原地帯を形成して
いる。丸い鏡のような小さな沼 が無数に点在する大草原にかみさんを退屈させておいて一人でいざ出陣です。

 ほとんど全コースが大きな石飛状態で転倒したら大変なことになりそうだが、険しくはないのであ まり危険は感じない。さすがは信仰
の山だ、いたせりつくせりではないが白装束に金剛杖が似合う 修験の道だと思った。
九月末のこの季節、既に山頂付近はナナカマドなど山肌に張り付くような潅木は紅葉の最盛期を迎 えつつあり、中部山岳地域との季
節の差を歴然と見せ付けている。山頂の月山本宮神社は既に差 し迫る厳しい冬の眠りについていて、堅固な石積みの囲いの中で静
まり返っていた。


旅の帰り道の大収穫。
快晴の白根火山。中心の火口湖とすぐ脇にある池の水の色がまったく違う。
流入口も流出口もない火口湖の水位が一定している、不思議だ、遥かな稜線がこの上なく美しい。

 今回の旅の主目的を達成した感動にひたりつつ下山を急ぐ。なにせ、八合目の湿原で何時間もの 間かみさんが待っているのだ。一
緒に行動できればそれが一番いいのだが体力その他を考えれば こうするのが無難なのだろう。
遊びといっても登山は忍耐を伴う。頂点を極めなくても手前の雄大な自然景観の中でゆったりのん びりすることもいいものなのです。
 悠々とした自然の中に浸るとき、かみさんは何時も「こんな所で一日中のんびりしていたい」などと 言うので、こういう時は素直に真に
受けることにしている。が、それでもちょっと気にはなる、変な気 持ちだ。

 さて、ここからは途中二泊しながら車で家までたどり着くことに。
 出発時、石垣島付近をウロチョロしながら台湾、大陸を目指していた台風21号はしばらく停滞した あと踵を返して日本列島串刺しコー
スに乗っていた。
 スピードを速めた21号に栃木県塩原温泉付近で遭遇してしまった。
 通過した後の天候の回復とともにどういう訳か接近時より遥かに強い烈風に見舞われて山岳道路 は、枯れ枝や病葉それに色づきか
けたもみじまで吹き飛ばして路上に散乱し吹雪のような状態にな ってしまった。ドングリと思われる秋の木の実が時折車の屋根を激しく
たたき金属音を車内に充満さ せる。

 大げさかも知れないが壮絶な自然の営みを見る思いだ。
 錦の紅葉を待たずに地面に散り敷く木の葉にもったいないなあ、などと、ケチな思いを抱きつつ塩 原温泉から日光戦場ヶ原を通過す
る山道を辿りながら、この国が強烈な山国であることを今更なが らに実感していた。


奥日光戦場ヶ原の虹。
台風の余波で強風の中、時折雨が降る天候が素晴らしい虹を呼んだ。
空にではなく山と地平の間だ。正確に言うと遥か上空にも虹が架かっていたが省略した。
虹がこういう形で出現することをはじめて知った瞬間です。
行き交う車の殆どが急停車して歓声を上げていた。
短時間で消えたが、凄い!!! の一語に尽きる。

  一週間ほどの長旅をしていると、主のいない我が家の安否が気になる。
  旅先から何度も電話して安全を確認している。おかしな話かも知れないが電話の呼び出し音がきこ えれば、それは燃えてもいないし
倒れてもいないことの証なのです。まして今回のように大陸を目指 したはずの台風が留守中の我が家の付近を通過したとなればなお
さらです。
 そうまでしても旅は止められません。行かないで後悔するくらいなら行って後悔のほうが中味が濃い と思うので、さいわい行って後悔
などと言う経験は一度も無い。

  最終泊は六泊目、草津温泉近くの鹿沢高原、目覚めてカーテンをめくったとき台風一過の黒いほど に碧く輝く朝を迎えて旅先でのし
めくくりの幸運を思った。
志賀高原、白根火山一帯は何度か来たことがあるが、この一帯は霧が多く中々展望に恵まれない のが実感なので、この日の天候は
幸運の一語に尽きる。
帰り時間まで雲の一片さえも見ることが無かった。
見たのは浅間山の白い噴煙でした。
最近不気味な火山活動を見せる浅間山も真っ白い噴煙をたなびかせて悠然と佇んでいた。





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