山と旅のつれづれ





旅のエッセー6


                       PC絵画


このページの目次

(4編収録)









  厳冬の富士箱根周遊


芦ノ湖から白銀の富士

  富士箱根周遊。 芦ノ湖編

 富士箱根伊豆国立公園は関東と中部東海地域など大都市圏のはざ間にあって広大なリゾートを形成している。東名高速道路や東海
道新幹線を利用する機会の割合多い私は、富士の勇姿に接す ることについては慣れっこになっているつもりだが、ふり返ってみれば
全容をつぶさに観賞できる機 会は意外に少なかったように思う。
 今回は私の大嫌いな厳冬期の寒冷地旅行だ。あなた任せのツアーなら、まあ、何とかなるか、と いうことで仲間数人の中に入れさせ
てもらっての参加です。

 冬は大嫌いだけれど、旅へのいざないを遠慮するのも大嫌いなので断る勇気?などないのです。
 紺碧の空を映した芦ノ湖湖上遊覧での箱根用水についてのガイドを聞きつつ五十年も昔の映画「箱根風雲録」のストーリーを思い浮
かべていた。
 中学校か小学校だったかも知れない授業の一環として観賞している。

 戦後復興途上の公民館は大きな二階建てだが丸太を組んで作られていて、全面に稲わらのむしろを貼り付けての観賞だった。
 むしろが時おり、風に煽られて中がぱっと明るくなる。そんな今どき信じられないような光景が期せずして蘇えってきた。そんな中で、
物語は水不足に苦しむ江戸の時代の農民を指導して芦ノ湖から 山を貫く用水を完成させた。
 その用水路「箱根用水」は今も現役だという。

 偉大な功労者であるはずの武士で指導者「とものよえもん」は生かさず殺さずが農民政策の柱であった当事の権力者に疎まれ歓喜
する農民とは裏腹に農民を優遇しすぎるとして罪を問われ獄死し ている。
 本格的な映画を初めて観たことと、そのショッキングなストーリーが印象的でいまでもたぶん正確に記憶している。
 白銀に輝く富士の勇姿を尻目に私はその用水の取水口といわれる小さな入り江を凝視していた。

 芦ノ湖の遊覧船は中世ヨーロッパの海賊船を模っている。それが、漫画っぽくて笑っちゃいます。高原の湖で何で海賊なのだろう。ネ
ス湖のネッシーならぬ芦ノ湖のアッシーにしてかま首もたげてい たほうが似合うと思うんだけどなあ。
 あの大きな遊覧船は何処で造ってどうやって運んできたのだろう。閉ざされた湖に浮かぶ不似合 いな大きな船を見るとき私はいつも
こんな馬鹿馬鹿しいかもしれないことを考えてひとり苦笑してい る。


河口湖を見下ろす展望台(カチカチ山、天上山)からの富士

  富士周箱根周遊 河口湖編

 富士五湖の中心的観光地、河口湖。 新緑が眩しい昨年(2004年)五月、黄金週間が終わった直後に訪れている。
 五月上旬はまだ残雪というより、たっぷりの雪化粧が美しい富士と高原一帯の新緑のコントラスト が素晴らしい季節だった。前日の
雨も上がって雄姿を堪能した記憶が新しい。二年続けて同じとこ ろへ行くことに少々感動も薄れるかとしらけた気分が無かったわけで
はないが、厳冬の富士は十分 な見ごたえを提供してくれていた。

 しかし、天上山(カチカチ山)から見る伸びやかな稜線の左側に広がる地肌がむき出しの広大な地 域、陸上自衛隊東富士演習場が
この雄大な風景にどうしようもない汚点をさらけ出している。 私は、以前この演習場の中を貫通している道路を車で走ったことがあるが
「戦車横断注意」の表示 板に薄ら寒い思いを感じた記憶がある。
 赤茶けた地面は目の当たりにすると穴ぼこだらけで土漠のような不気味さが漂っていた。戦車が 蹴散らした跡か砲弾の着弾炸裂の
跡と思われる異様な風景だったことを思い出していた。

 富士山一帯が世界自然遺産に登録されないのは、各登山道沿いの山小屋の衛生管理がいいかげんなことが災いしていると聞くが、
私は上記の模擬戦場の存在が深く関わっていると思えてならな い。こういうことは多分関係者も報道機関も暗黙の了解のように避けて
いるのだろう。
 太宰治が民話に脚色を加えたという『カチカチ山』の伝説で名を売ったこの展望台は五月に訪れた ときは三つ峠に延びるという散策
路というか登山道と言ったほうが適当かもしれない快適なコース が整備されていたが厳冬期のこのコースは雪に深く埋もれていた。

 三つ峠は昔、何円札だったか忘れてしまったが裏側にデザインされている富士の撮影場所であ り、日本の象徴として各所からの富
士が今も新札に採用されていて、個人の旅であればそれらを巡 ってみるのも面白いかもしれない。
 爺婆とタヌキとウサギが登場する面白くて残酷な民話、カチカチ山はアジアを中心に何百にも及ぶ 伝説から派生したひとつだと言う。
 民話の中の人を食った、殺した、斬った、は意外とさりげなく惜しげもなく登場する。柳田國男の 『遠野物語』は収録された民話のなか
で、非常に多くの人間を殺している。
 さて、富士の雄姿はこの日、一日中惜しげもなく輝く姿態?を見せびらかしていた。こんなことは珍 しいことなのだろうと思う。仮にそう
でなくてもそう思ったほうが単純に本当に旅人として楽しくなる。


忍野村雪景色
写真技術の苦手な私は手っ取り早く、要領よく同行グループのメンバーから
作品の協力をいただきました。
御礼申し上げます。 


 富士箱根周遊 忍野八海編

 富士の湧き水が裾野の平らな地域にいくつかの清冽な恵みとしてこんこんと湧き上がっているこ の場所はのどかな農村とその集落
を静かに見守る富士との絶妙な配置が、画家や日曜絵描きの羨 望を集めていたと記憶しているが、この日訪れた忍野八海は清冽な
湧き水そのものは変わらねど 人工的に整備されていて、あいも変わらぬ売店攻めだ。見所へ到達するためには狭いみやげ物店 など
の通路を商品に触れないように注意しながら店の呼び込みを避け、かき分けかき分けしなけれ ばならない。何とか規制できないものか
とこんな光景に接するたびに思う。

 富士周辺ではのどかな異色の存在だった「絵になる農村」の復活はもはや不可能な過去になって しまったようだ。 画家に代わって現
在はカメラマンが何処へ行ってもごちゃまんといる。 一億総カメラマンと言った風情になってきている、平和な風景です。
 忍野(おしの)。何となく語の響きがいい。
 私は四十年前の忍野村の風景をいまだ記憶の片隅にとどめている、何でもない農村風景だった のに忘れていないと言うことは意識
の底には印象深いものがあったのだろうと不思議な感慨に浸っ ている。

 八海と云われる清冽な湧き水をたたえた幾つかの泉にはニジマスがうようよしていて、まるで養魚場のようだ。養殖魚としてポピュラー
なニジマスはどういう訳か自然の河川ではほとんど繁殖できず、逃げ出しても絶えてしまうという。所詮は人の食料になる運命だがここ
のニジマスたちは恵まれ た環境の中で北洋の鮭のように巨大化している。
 さて、この日も富士は終日惜しげもなく優美な稜線と白銀に輝く頂を私達グループを含む96人のツ アーのメンバーに提供してくれてい
た。
 本当に幸運な二日間でした。


夕暮れ富士、カレンダーの余白にはめ込まれていたものを借用しました。
今回の旅程では残念ながらこの景色とこの時刻が一致しなかったので。







屋久島再訪問


若者に席ゆずられし旅先に積み重ね来し歳かみしめる 。
私らしくなく、短歌かもしれない一句を詠んでみました。
旅先のひとこまです。

  長い前置き

 名古屋地域から南九州への交通手段は国内本格旅行としては、その、適度な距離関係からか、 実に多様な選択が可能だ。旅の楽
しさの増幅のためにはまずこうした好条件を前提に計画を練って いく楽しさを求めていきたいと思う。
 何年か前に、九州の旅では夜行寝台列車を生まれて初めて経験したが、利便性とか費用とかそ の他もろもろあるけれど、あの旅は
良かった。

 揺れる列車の寝台は、とても熟睡できるものではないが「たび」の実感に溢れている。真っ暗な夜 をただひたすら早くも遅くもない速
度で走り続ける。
 ひとけの全くない最小限の蛍光灯の明かりだけを灯して闇の中にぼーっ浮かびあがる深夜の駅 のプラットホームを寂しく通過していく
ときの、あのムードは感傷的で旅情そのものだ。

 前方から次第に大きく聞こえてくる踏切の警報音の何となくのどかな響きとともに一瞬の赤い光線 を車窓に映して、その瞬間に間抜
けに感じるような警報音のトーンを下げて、そして近づいてきたと きと同じ速さで次第に遠ざかって行く。ドップラー効果と言うらしいが私
には詳しいことはよく解らない が、路上で救急車が接近し遠ざかるときの甲高いピーポー音のトーンが急に下がるあの感覚だ。 何でも
ないことのようだが、ブルートレインのベッドで揺れながら眠れぬ旅人に、何と詩的に気持ちを くすぐったことか。

 何時もと違う旅の始まりを実感しながら、ひたすら走る列車に適度な緊張感と期待が入り混じって いた。
 睡眠不足を気にしながらもこんな雰囲気は長く続いても飽きないだろうと、飽き飽きしているかみさ んの隣でひとり勝手に楽しんでい
た。
 寝台特急は「北斗星」「トワイライトエクスプレス」新造車両の「カシオペア」など北海道方面行きは 定期不定期、ツアーの貸切などで、
けっこう維持されているようだが、九州方面の西行きは忘れ去ら れようとしている。

 つい最近も下関行きの「あさかぜ」が運行を終了している。旅のアクセスは多様なほど楽しくなると 思うのだが、多くの旅人の行動様
式はゆったりと時間を気にせず旅情を楽しむといった風情を許さな いようだ。
 私が夜行寝台特急を利用したときも、飛行機でひとっ飛びの時代に何でそんな物好きな・・・と笑 われてしまった。そのとき、そんな
人々をさみしく笑い返してあげたいと思いながら、逆説的にいず れ、「JR青春18切符」の利用について研究してみようと本気で考えてい
た。

 九州方面への旅の交通手段はこのほかに、大阪まで出向いて瀬戸内海或いは四国沖を経由する 長距離フェリー、夜行長距離バ
ス、そして、早くてお手軽で工夫次第で安くなる航空機利用と選択に 困るほど多岐にわたる。
 また数年前の経験では、山陽東海道新幹線を最終で博多に降り立ち、午前零時〇三分発のこの急行 列車に吸い込まれて、寝台列
車ではないがすいていたので二人分の座席を占拠してのんびり利用 している。

 夜中にひたすら走ったのでは速く着きすぎて、終点の鹿児島は九州南端の大都市とはいえ、大都 会の常で夜更かしの得意な街はそ
の反動で夜の闇から明け切った明るい朝も未だ眠りこけていて 迷惑するのだろう。途中の駅で停車して長い時間調整をしながら、それ
でも都市が活動を始める前 の早朝の西鹿児島駅に滑り込んだとき、まばらな乗客の多くが鹿児島港に向かい、屋久島行きの 高速船
「トッピー」の始発便に乗り込んだのを見て、屋久島の森に導かれて行動する、期せずして誰にも指図されない無言の団体の一員にな
っている・・と納得してしまった。

(九州を縦断する、そんなのどかな夜行急行列車の旅の風情も今は過去の物語になってしまった)。
 旅のプロセスについて、私のようなある種のへそ曲がりかもしれない「人種」が静かにけっこううご めいているのだと、睡眠不足で何と
なく生気のない周りの船客を見回して奇妙な連帯感を勝手に感 じたものです。

 ここからが旅の始まり

 そんな記憶を辿りつつ、今回はJRジパング会員特典による鉄道三割引を利用して、新幹線を利用するとは言 え今の時代には早くも
遅くもない、昼間の列島を車窓から楽しみながらの離島への旅です。
 東海道新幹線で東京までの利用は、かみさんがその方面に実家を持つことから度々乗っているの で実感するが、二時間足らずの行
程は旅というにはあっけないものだ。しかし、東海道山陽新幹線 を終点の博多まではおよそ四時間。十分な旅の移動を実感できる。こ
ういうことも旅の大事な要素な のです。しかも、その先がなお「線路は続くよどこまでも」なのです。

 ちなみに、東海道山陽新幹線は大阪付近を西進すると何時の間にか山陽東海道新幹線と名称を 変える。なるほど・・・と納得してい
た。
 九州新幹線は現在のところ新八代から鹿児島中央までで、あっけなく通過してしまって便利さをあ まり実感しない。それに鹿児島本
線にそれまで走っていた深夜、博多発の夜行急行が廃止されてし まったのが惜しまれる。
 旅の出発は毎度のことだが、前夜に炊事の一切を済ませて当日は食事については何もせず、し たがって後片付けの必要もなく早朝
にゆったりと?お出かけになる。そして長距離の列車に乗っ てしまえば、それからがのんびりと朝飯だ。

 私達はこのやりかたが一番合理的だと信じてい る。
 屋久島は四年ほど前にひとりで三泊やってきたことがあり、そのときの旅日記は既に記述している が、二年前にかみさんが病に斃れ
死線をさまよったとき、うわごとに「屋久島行きたいから死ぬわけ には行かない」と、うなったので、それ以来の約束事みたいになってい
たのがようやく実現したような ものなのです。そういう訳で私がガイド役で復習するようなものなのです。

 前回は三泊しながらも、連日雨が降ったりやんだりで傘と合羽の手放せない日が続き、もう一度出 直したいと思いつつ帰りの船に乗
ったのでその願望の実現でもある。もっとも、雨の日でこその豪快 な滝の景観にめぐり会ってもいるが、そのときは、「屋久島ではひと
月に三十五日雨が降る」と言っ た林芙美子の小説の一節を自分流にご都合主義的に解釈をしてほくそ笑んでいたが。

 さて、今回は久しぶりの九州の旅の出発に際してこんな記憶をひもときながら、新たな、そして忘 れえぬ過去の記憶をなぞることも含
めた旅のスタートです。


水中翼船「トッピー」
特産魚とびうおをもじった愛称で親しまれている。
時速80キロ以上で文字通り海の上を飛ぶ。

 海面上二メートルの高さに船底を維持して滑空?する水中翼船「トッピー」の内部は飛行機の室内 と殆ど同じで、時速八十キロでシ
ートベルトをしっかりとしめてウオータージェットの豪快な白泡のうし ろに長い航跡をこれ見よがしに従えて細かい振動はあるものの、い
かにも誇らしげに滑らかに疾走 する。
 鹿児島港から屋久島まで百六十キロを二時間余りで、費用が片道七千円なり。
 旅行者には、楽しみ代と割り切ればそれでいいのだが、地元の生活者としてはおいそれと気楽に 出費できるような額ではないだろう
と、余計なおせっかいかもしれない同情をしてみたくなるのは考 えすぎだろうか。

 こんなことをあれこれ考えながら、大隈半島と薩摩半島にはさまれた広く奥行きの深い錦江湾を桜 島火山の雄大な頂に見送られな
がら太平洋と東シナ海を分ける大海原に躍り出ると単調な風景に 飽きてきたころ、経由地の種子島に到着していた。そういえば種子
島はまだ一度も上陸していな い。私の頭の中では屋久島の森ばかりを意識していて鉄砲と宇宙ロケットで余りにも有名なこの島 を元
気で行動力のある内にぜひ訪れてみたいと願いつつ、またしても素通りすることになってしまっ た。


環境文化村センター
巨大なスクリーンで屋久島を紹介している。
もうひとつの施設「屋久杉自然館」とともに、屋久島観光に先立って
ぜひ観ておきたいとっておきの施設です。


 地図上ではほとんど同位置にある両島は特異な自然環境に恵まれた世界遺産の島と、鉄砲伝来 の歴史と宇宙ロケットの発射基地
という科学技術の象徴的な施設を持つ平らな島とに性格を二分し ている。植物に関わる自然の営みに興味の偏る私がことさらに屋久
島を意識するのは私にしてみれ ば自然ななりゆきなのでしょう。それに、欲張ってあっちこっち回りすぎると旅の前半をすっかり忘れ て
いて思い出すのに時間がかかるようなことになってしまうし、多くを駆け回ればいいというものでも ないので、不経済なようでも種子島は
またの機会に残しておこうと、ひとりで納得しながら船中に留 まって島を後にすると一時間足らずで隣の屋久島に間もなく入港です。

 朝、六時半に家を出てほぼ十二時間、やれやれ・・と思う程度が長すぎもせず、短すぎもせずちょ うどいい旅の移動時間です。
 とは云うものの、やっぱりやーれやれ・・・です。一日中揺れながら動かないのも疲れます。

 自然の盛装で迎えてくれた屋久島

 さて、この日の屋久島は大海原の真っ只中に高い山々を抱え込む島があることにより発生したと 思われる雲が多かったものの雨の
心配はなく、南の島のひと足早い春は、暖地性ないし亜熱帯性 の常緑照葉樹林の萌え上がる若葉に包まれたとびっきりの盛装で私達
観光客を迎えてくれていた。

 海岸地域には、ガジュマルやアコウが自生し、その奇奇怪怪な樹形が随所に観られ沖縄に比べ れば遥かな北に位置しながらも、溢
れんばかりに「亜熱帯」を主張している。内陸の温帯林、標高 1000メートル前後の巨木林は杉はこの島の何と言っても代表種だが、意
外に多いのがツガ、ハリモ ミ、ヒメシャラ、など、いずれも度肝をぬくほど巨大だ。ただ、惜しむらくは屋久島は原生林に覆われ た島と
思いがちだが、500年も昔から盛んに伐採を繰り返してきたその残骸が内陸部の何処を歩い てみてもうんざりするほど多い。現存して
いる巨樹たちは、私は以前から想像してきたことだが、木 材としては価値の劣る変形樹として見捨てられてきた結果なのだ。

 そして、その伐採跡の残る切り株が無数に見られる地域は世界自然遺産の登録地域外になって いることに気がついた。私達が世界
遺産に惹かれて観て回る地域は世界遺産の周辺を歩いている ことになる。主登録地域である島の中央から西部にかけては殆ど道も
なく、森林保護作業や登山者の世界だ。それでいいのだろうと思う。


巨大な切り株の上に根を張る新たな生命。
こんな風景がいくらでも眼に飛び込んでくる。


  眼を見張る再生林

 観光客や登山者として良い意味で眼を見張るものに無残な切り株がひとつも無駄が無く次世代の 若木(といってもこの島では大木だ
が)の育つ揺りかごになっていることにある。
 地表の土壌が極めて薄く、湿潤な気候がその悪条件をカバーして余りあると思われる屋久杉は成 長が遅く木目が緻密で樹脂分に富
み、伐採によって表面が腐っても内部は何百年ものあいだ木材 としての性質を保ち続ける。そのことが次世代の生命の受け皿になっ
ていて「二代杉」として、随所 に奇怪な雰囲気とともにその威容を誇っている。

 屋久島でなければ見られないであろうこの風景が現在の屋久島の本当のみどころかも知れない。 樹齢1000年を超える巨大な切り株
の上に何百年もの大木が根を下ろしてそそり立つ、或いは根株 が外側に絡みついてやがて覆いつくして地中に達し、しっかりと根を下
ろした後、ようやく朽ち果てた 親ともいうべき切り株はそこに大きな穴を残し大地に還る。そういう過程を随所にみることができる。 私
は、屋久島に関する以前の記述で「二代杉、三代杉が多くはないが珍しくない」と書いたことがあ るが、天候にはなはだ恵まれた今回
の旅で存分に足で歩いて過去の伐採による切り株のことごとく にそういう現象が見られ、無数の切り株がまったく無駄になっていないこ
とを目の当たりにして、書き 換えなければならないと認識を新たにしていた。

 天候に恵まれ、ひたすら歩く。

 余りにも有名な縄文杉コースは数年前に単独で踏破しているので今回はその他のコースの踏破 に注力して来た。
 島の内陸部に入る主なふたつの林道を利用して、「癒しの森」別名を「もののけ姫の森」。日本列 島最南端、標高1600メートルの高
層湿原、「花の江河」までは踏破したがかみさんの体力も慮っ て、また、私自身の体力的な自信も考えて自制していた。屋久島はひた
すら歩く。歩かなければ屋 久島を見たことにはなりそうにない。
 実質三日間、思えばそれでも随分歩いた。ふくらはぎに疲れを感じながらも日数を重ねると、次第 に体が運動に慣れてくることを実感
していた。


花の江河。
日本列島最南端に位置する高層湿原。大きくはないが箱庭のような
風景に二時間半の踏破の疲れを忘れそう。
標高およそ1600メートル、島の中央部の各頂きへの分技点でもある。
鹿がのんびりと水草を食んでいた。


 前半二泊のお世話になったプチホテルのスタッフの家庭的なもてなしと心のこもった料理、そして 後半の宮之浦港の背後に威容を誇
る大きなホテル、宿泊費は安くはないが心地よいサービスにつ つまれていた。
 宿泊は旅の主目的ではないが、その、居心地は旅の全体の良し悪しを左右する大切な要素なの で、予算と相談しながらいつも悩み
続けることになるが今回は性格の違う二つのホテルは共に正解 でした。また、離島については共通しているレンタカーの安さも離島の
旅を楽しくしてくれている。

 そういえば、クルマを返すときレンタカーのおばさんが言っていた。去年は台風の相次ぐ襲来で桜 の葉っぱがもぎ取られてしまって、
その後に花が咲く現象が四五回もあり、樹勢の衰えか本来の季 節に花が目立って少なかったという。春咲きの落葉樹は寒さで葉っぱ
が落ちることでつぼみを形成 する、その現象を台風にあやつられ狂わせられたのだろう。

 帰りの水中翼船「トッピー」の出港を待つあいだ、大げさにいえば氷を切るノコギリの歯のような険 しい山なみの頂に眼をやって感慨
を深めていた。
 よわい六十五、この先、体力年齢の維持に限界を感じざるを得ない加齢を実感しつつ、あの頂に 立ち、洋上アルプスといわれるこの
山のスケールを眼下に見はるかすチャンスはもう無いのかもしれ ないと思うと、一抹の寂しさに身震いしながらも旅の充実感に浸って
いた。
 屋久島の巨樹、大樹についてはこのホームページ内「巨樹巡礼第4部」のページに掲載しています。


千尋の滝、巨大な一枚岩のような奇観が印象的な美しい滝だ。


永田浜海水浴場
山岳島の屋久島にもこんなたおやかな砂浜もあります。
海亀の産卵場としても有名なところです。







 股のぞき 天の橋立

今年もまた熟年の男ばかり6〜7人のグループでの気楽なレンタカードライブ一泊旅行の日が巡っ てきた。(前回は旅のエッセー4
角間渓谷)
 現役時代の取引先、つまり私にとっては商売上のお得意様の皆さんとの取引関係終了後も続い ている利害を抜きにした一泊旅行
だ。
 自動車旅行は適度な距離であればまことに便利で特に数人のグループにとって、なんといっても 安上がりでその上目的地での機動
性と自由度においては他の手段の追随を許さない。馬鹿馬鹿し くて、しかし、けっこう楽しい時間が車内に充満しっぱなしで時間が過ぎ
ていく。
 しかし、自動車の旅というのは便利さと表裏一体で極めて危険な乗り物だと思わざるを得ない。
 毎回、一抹の不安が気持ちの片隅をかすめるが、グループの総意で決めることなのでなるべく深く は考えないようにしている。

 家族でのドライブであれば、それは家族単位での責任ということになるが、それぞれが一家の主 の立場で一台の3列シートか4列シ
ートのワゴン車の座席を暖めながらのドライブは、ひとたび事故にあったときなど責任の所在が微妙な問題になるであろうし、そんなこ
とはそうあることではないと 思いながらも、一瞬の不注意或いは過失を伴わない不可抗力的な事態が何時発生しても不思議ではな
い。交通事情と、完全無欠には絶対になり得ない人間の感覚とを考えれば曲芸をやっているよう なものだとおもう。

 このグループでの旅の出発は、いつもそんなことを気持ちの片隅に意識しながら既に三十年ちか い実績を積み重ねてきている。そ
の間にメンバーの人数が半減している。みんな向こうの世界へ行 ってしまった。私が年齢的に若かったせいもあるが過ぎ去りし年月を
しみじみと感じる。

 秘境の温泉に飽きた

 今回はいつものようにそんなことをおもい巡らせながら、一方でJR西日本の福知山線での、あの 凄惨な大事故に意識が働いてい
た。 交通手段で安全神話の筆頭だと信じてきた鉄道も、どうやら危険度には変りはないようだ。

 さて、ここ数年来、秘境の温泉にこだわっていたグループが、すっかり方向転換をやってしまって、 今回は有名観光地のいわゆる一
流旅館を利用して、たった一泊だが、或いは一泊程度だからこそ 出来る大名旅行をしようということになってしまった。各家庭からひと
りの参加だから、たまにはいい かと納得したが、何泊も或いは夫婦で宿泊に費用をかけるこんな贅沢旅行を続けていたら、年金生 活
者の身ではたまったものではない。旅好きの私にはなおさらだ。


松林の木陰が楽しい橋立ウオーキングコース


 面白いことに、天橋立の、その昔天界に架かっていたと言う楽しい伝説に彩られた松林の砂州を 歩いて往復しようという。歩く事の大
好きな私にとっては小躍りしたくなるようなスケジュールだが、さ てさて、殆どのメンバーが60代ないしは70前後でどうなることやら。
 地図で調べてみたら往復7.5キロ。風景を楽しみながらゆったりと歩けば3時間は必要だろう。元気 な熟年に体力的には問題はない
が意欲と気力それに、なによりも歩くことを楽しむという基礎的な心 構えが備わっていないと、全員完歩は難しいだろう。誰が言い出し
たかは知らないが案外言いだし っぺが一番先に心変わりするようなことはよくあることだ。

 メンバーのベテランドライバーが操るハンドルさばきで高速道路を快適に疾走する車の中で私はそ んなことをひとり思い巡らせなが
ら、お手並み拝見・・などと罪もなく、たわいのない「大人の男のお はなし」に加わりながら、ほくそ笑んでいた。
 名神高速道路を通過するとき、関が原付近の山間部の北と南で天候が一変することがよくあり、 特に冬の季節は同一日で日本海性
の気象と太平洋性の気象の違いをはっきり見てとることができ る。

 この付近は日本列島の狭隘部で太平洋側の伊勢湾と日本海側の若狭湾との距離は短く、広大な 濃尾平野の一角から出発して日本
海の紺碧に輝く水平線が視界に入るまでの時間は本当に信じら れないほど短い。おまけに真ん中には広大な琵琶湖が寝そべってい
る。その昔、若狭湾と伊勢湾 の間に琵琶湖を経由して運河を建設しようという構想があったと云われるそうだが、あながち突飛な こと
でもないような気がする。

 さて、高速道路を降りると原発半島とも云われる小さな岬に通じる道路標示を横目にしながら、一 般国道を休みやすみのんびり、十
分な余裕を持って今夜の宿泊地に到着だ。 広い若狭湾周辺の海に突き出す大小の岬や半島の先には、はうんざりしたくなるほど原子
力発電 所が多い。
敦賀、日本原電、文殊、ふげん、美浜、大飯、高浜。以上は各原発の名称だ。地図を見て調べた結 果に間違いがなければ七箇所は
ある。
 よくまあ、造ったものだ。

 見えないところで、或いはおおっぴらでどれほどの札束が踊ったことか、そしてまだ、踊り続けてい ることか。
 日本海を挟む対岸のどこかの、あの得体の知れない「イダイナルショウグンサマノ国」から核爆弾 など積まなくてもミサイルを原発に
照準を合わせてぶち込めばそれだけで甚大な破壊力だろう。平和 な日本列島で不景気フケーキといいながら、しかも、こんな恐ろしい
空想を無邪気に楽しみながら? 熟年男グループのうすっぺらくて面白い旅です。

 戦後引き揚げの象徴「舞鶴市」

 目的地、天の橋立の手前で舞鶴の街を通過する。
 国道の両側に適度な空間を隔てて佇む、時代がかった赤レンガの堅固な倉庫群にどこか、異質な 雰囲気に満ちた街だと思う。

 また、大戦の記憶を留めている熟年以上の年配者には大陸からの引き揚げ港として、格別な感慨 を新たにする街であり港だろう。
平和な現在も海上自衛隊の基地として軍艦(自衛艦)が常駐してい る。それ自体は必要とみなされる国際関係の現実に照らして甘受し
なければならないとしても、あ の、一般の船舶には見られない暗い灰色の塗色と、とげとげしい艦影が港一帯に、陰鬱な空気を発 散し
ている。

 それにしても「まいずる」鶴が舞うという、その語感からはさわやかな印象に包まれるのは、おそら く日本人には万人に共通する感覚
だろう。
 そうしたこの街にこの港に軍艦は似合わない。軍艦が似合う街などあるはずがないが。
 さて、またしても天候に恵まれた今回の旅は「橋立を歩く」という潔い言いだしっぺたちにとって、 雨が降りそうだからという、つまり、
「心変わり」の口実を失い忍耐の歩行になりそうだ。 案の定それでも、何だかんだと言い訳くっつけて結局は片道をモーターボートです
っ飛ぶことで妥 協が成立?して、片道だけだが松林の風情あふれる海の道を歩いた。

 この程度のウオーキングは難色を示していた人たちも大方は疲労感よりも達成感にひたっていて 充足した気持ちに包まれるのが常
なのだが、次の機会にその記憶を失っていないにもかかわらず、 やっぱり歩きたがらないことが多い。 あれは,どうなっているのだろ
う。
 さわやかな松林の道は、さすがに日本三景のひとつとして称えられる観光地であり、全国的に虫 害による枯死が問題になっている松
林だが念入りな保護対策がなされているようで、見た目には変 らぬ美しさをたたえている。
 旅の道中で見た若狭湾の背後に連なる山々は虫害による松の立ち枯れが、無残に広がっていて 山の斜面の成木はほとんど全滅の
相をなしている。

 松枯れで明るくなった山肌は既に広葉樹が繁茂していて、緑は回復しているがその上に広がる枯 死して白骨化した立ち木の群れが
奇妙な雰囲気を醸し出している。それに対して天の橋立とその周 辺に景観を形作っている松たちは、或いは枯死した立ち木をすみや
かに撤去しているのかも知れな いが、虫害による被害木がまったく見当たらないのが不思議なくらいだ。
 潮風にさらされる海岸沿いは、環境的に虫害がもともと少ないのか、とも思いながら見渡すおだや かな海と松林の組み合わせは、ほ
んとうに美しくよく似合う。

 やっぱり橋立は股覗き

 ところで、あの「天の橋立股覗き」というのはどんな人物の発想なのか、まことにほんとに、素晴ら しい景観に見えてしまうのが不思議
だ。
 たいていの景色はさかさまに観ると信じられないほど雄大な風景になるが、天の橋立はその真骨頂 とでもいうべきか。
逆さに観るとどうして雄大な景色になるのか、科学的に解説してくれる学者に会ってみたいものだ。
 股のぞきしている人の愉快で真面目?なしぐさ、それを観察してみるのも雄大ではないけれど、そ れがまた面白いのですョ。

 撮ってきた写真を大きくプリントして股のぞき或いは写真をひっくり返して眺めて観ても実風景のよ うにはいきませんねえ。なんでだ
ろ!!!!。
 こんな、子供じみたことを考えながら、若かりし頃の温泉街の風情がすっかりなくなっていることに 思いを馳せていた。
 かつて、零細自営業者の組合の一員として旅先で、どんちゃん騒ぎの宴会の後、夜の温泉街に多すぎも少なすぎもしないグループが
自然発生的にできあがって、ネオンまたたく歓楽街をひやかして 歩いた記憶が懐かしい。

 何でこんなお話になってしまうかと云いますとですねえ、天の橋立股のぞきと、股覗きをしている人 を見ていて、その昔、温泉街の一
角に必ず存在していたストリップ劇場の記憶が蘇ってしまったから なのです。
 えげつないショーを眼で追うのもタノシイことだったけれど、ショーをにやにやしながらそれでも食い 入るように貪り見る下品な男たち
を観察することもほんとに面白かったのですョ。下品な男になりき れず、かといってくそ真面目にもなれず、中途半端でとりつくりたが
る、かつて、一人のうら若き男と しての述懐なのです。

 時代が変って、安っぽいネオン街は影も形もなくなってしまったけれど、いま、思い起こしてみれ ば、都会の歓楽街のなんとなく陰湿な
雰囲気に比較すれば、あけっぴろげの小さな温泉地の歓楽 街はあれはあれで風情があったのかも知れない。
 またのぞきがこんな連想につながってしまった。
 やっぱり股のぞきは面白い。


帰りの寄り道。小浜新港、若狭フィッシャーマンズワーフ
から遊覧船で行く蘇洞門巡り(大門)

航跡







  田沢湖、白神山地の旅

 準備編

 記録的に暑い2005年の夏も終わりが見えてきた。 学校や企業の夏休みも一段落して酷暑の後に熟年自由人の旅の季節の到来
だ。

 前々から意識してきた世界自然遺産白神山地の旅の始まりです。
 と言っても出発はまだ一ヵ月後(8月23日現在)だが、旅は計画を具体化した直後から気持ちの 中では始まっている。
 現地までの交通手段、宿の予約、行程の設定等など、すべて自分で決めなければならないが、そ のこと自体が楽しい旅の始まりであ
り最中なのです。

 白神山地は自然遺産であり、文化遺産と違って観光的な賑わいとは合い入れないものであり、人 が集えばそれに応じて破壊が進む
運命にある。
 そういう訳で自然保護のあり方について現地で見聞してみたいと、興味本位ないたずら心も手伝 って、いやが上にも行かなければな
らないのです。
 本気になって調べてみると、それまで見えなかったものが俄然丸見えになってくるのがまた楽しい ことに気がついた。
 広大な自然遺産地域とそれを取り巻く緩衝地域とに区分されていて、集客施設観光施設などは、 その更に外縁部に限られ、それも、
地方自治体や第三セクターによる公的な施設に限られているよ うだ。宿泊客などの大規模な収容力はない。

 広大なブナ主体の原生林は限られた登山者あるいは現存するものかは分からないが「マタギ」の 生活の場だろう。
 今でこそ、世界自然遺産として脚光をあびているが、2.30年前の観光ガイドブックには「白神」の名 も、広大な原生林の存在も全く記
述がなく、単なる過疎の通過点として意識の底にさえなかったこと がうかがえる。意外といえば意外だが復興途上やそれに続く高度成
長の時代には価値が認められ なかったのだろう。白神山地を観光客として堪能するには、同じ自然遺産の屋久島と同様に、時間 をか
けて自分の足で体力に任せて行動する以外にはないのだろうと思う。

 今回はやむなく周辺部を観て回ることで妥協しようと思うことにした。
 さて、目的地までの交通手段だが、現地での機動性を考えればマイカーが絶対的に便利だが、道 中は1000キロ近くに及ぶことを思
えばうんざりするし、長距離フェリーは燃料費高騰の折から、安く はなくなってしまったし時間もかかるし、あれやこれやと思いあぐねて
いて、ふと、気がついて個人旅 行客には一般的に高いと思われがちな飛行機に焦点を当ててみた。何と、名古屋空港(この春開 港し
た中部空港ではない)から秋田まで70分、しかも、朝8時の出発だ。

 ほとんど朝飯前に北東北「秋田」の大地に立つことになる。おまけに、空港の大部分の発着便が 中部空港に移転して閑散とした、県
営で再出発の名古屋空港(小牧)は搭乗者に限って空港駐車場が一週間無料サービスしている。
 小牧市の住人である私にとっては便利な事このうえない。なにしろ、家から15分で空港に着いて設 備の良い駐車場に帰ってくるまでタ
ダで安心して預けられるのだ。50人乗りの小型機は、それでも 各種の割引など格安運賃が設定されていて、利用の仕方次第で安くて
早くて便利な乗り物になる。

 小さな飛行機なので、割引運賃などの複雑な運賃体系を用意するような余地はないだろうと思い がちだが、先入観にとらわれずに調
べてみるものです。
 比較計算してみると東海道新幹線と東北、秋田新幹線を「ジパング3割引」で乗り継ぐよりも安くな ってしまった。
 それに、今回航空運賃には「シルバー割引」なるものが、あることを知りえた。65歳以上が対象と いう。私は現在65歳、かみさんも対
象になる。うれしいようなさみしいような・・シルバーと云わずに 「シニア」にしてくれれば印象がちがってくるとおもうのだが。そんなことを
いちいち気にすること自体 がすでに年寄りのひがみなのかもしれない。
 現地ではレンタカー利用になる、馴れない車は少々気になるが安全運転に努めることにしよう。こ こは、よる年波を謙虚に受け入れ
て。


秋田駒ヶ岳、山頂の池。規模は違うが池を囲む峰峰が木曾の御岳山に
よく似ている。


   田沢湖、秋田駒ヶ岳編

  さて、出発日の朝が来た。 八時のフライトなので早朝の出発になる。
 愛知万博(愛、地球博)が昨日、予想に反して大盛況の内にめでたく終わった。
 県営名古屋空港の広い駐車場は愛知万博のパークアンドライド方式のマイカー置き場になってい たため、午前八時には満車札止
め。路上に溢れた車で空港連絡道路はマヒ状態になってしまって、 肝心の搭乗客が出発便に乗り遅れてしまいそうになるなど、深刻な
問題を抱え込んでいたのが、こ の日は様変わりだ。

 旅の出発日が万博最終日の翌日になっていた。意識して決めたわけではないが、幸運を感じる。
 台風の進路もそれて、しばらくは好天が期待される絶好の旅日和になりそうだ。
 秋田空港までのコースはその殆どが陸地か海沿いであり、しかも、小さな飛行機はたぶん飛行高 度も低いのだろう。雲の一片さえ見
当たらない下界は人間の生活臭さえ感じるほど鮮明に展開して 行く感動のひとときだ。

 50人乗りのジェット機ボンバルティアCRJ200は観光バスが空を飛んでいる感じで、すべての座席 から下界が見える。ただ,ツアー客
を多分受け入れていないためか、ビジネス客がほとんどで、乗り 飽きたビジネスマンたちが機内で朝寝をむさぼる中で、私たちだけが
飛行機から下界を見るのも観 光の内と割り切って、慎み深くはしゃいでいた。

 国内線でも、沖縄など南方航路は大部分が海の上であり、視覚的には何の変哲もない、青いだ け、或いは雲のじゅうたんが延々と
つづくだけなので、経験的にすぐに飽きてしまうが、好天での陸 地の上空は見飽きる暇がないのだ。
 アルペンルートの弥陀ヶ原を蛇行する専用バス道路はロープを無造作に投げつけたような感じでう ねり、赤い屋根の建物が点在し、
人の動きが見えるのではないかと思われるほどだ。

 北アルプスの峻峰、森林限界の緑とのコントラスト、登山者が歓声を上げているであろう、岩峰の 居並ぶ厳しく悠々たる山々が、いか
に飛行機が早いとは言え、高空の一点から見る風景は、眼下で ゆっくりと後方へ移動していく。
 一転して、左側の小さな丸い窓に、大海原に佐渡島が寝そべっているのどかな風景を通り過ぎる と、秋田はもう、すぐそこだった。

 田沢湖は、ほぼ円形の周囲20キロほどの湖だが、半島も入り江もない変化に乏しい湖岸線が 少々さみしく、一般的には魅力に欠け
るのか湖岸に沿った観光施設は意外に少ない。 有力なホテルが一軒ある他は昼食にありつけるレストランも少ない。
 人間は勝手なもので、呼び込みの賑やかな土産物店などが居並んでいると、「俗化している」とか 「雰囲気を乱している」とか、とかく
批判しながら、それらの民間集客施設が少ないと、ある意味でが っかりしていることが多い。

 湖を一周しながら満足な昼食にありつけず、これでいいのだと納得していたいと思った。でもやっ ぱり、何かが足りない気分なのだ。

 特筆すべきは、空の青を写して、空より碧い澄んだ湖水が周囲の山々を映して素晴らしい景観を なしていることだ。水深420メートル
とわが国の湖水で最深ということもあるが、ある説明によると、 上流の玉川温泉から、酸性の温泉水が流れ込んでいるためという。酸
性の水は透明感が著しく、碧 く澄んでいるといつか聞いたことがある。
 それでも観光客に向けて魚の餌を売っているので魚類の住めないような湖ではないのだろう、 ま してや人工的な自然破壊の結果で
もないのだ。


秋田駒ヶ岳。ナナカマド、チングルマの紅葉。
標高1500メートル付近で既に秋色に染まっている。
東北の秋は早い。

 秋田駒ヶ岳は八合目まで車で行ける、お手軽登山の山だが、それでも山頂までは歩いて二時間 近くはかかった。旅の途中で丁度い
い山歩きができる。
 1600メートルほどの山だが、ここは東北も北部にあたり、中部東海地域とは秋の季節が一ヶ月 ほど早くやってくる。山頂一帯は既
に高度的に森林限界であり、ナナカマドやチングルマなど 潅木 の紅葉は、この日(9月27日)早くも最盛期を迎えていた。3000メート
ル級の木曾御嶽山の山頂部 分と非常によく似た池を囲む数峰のピークから見下ろせば、眼下に碧い田沢湖の大観が広がる。

 旅人として此処まできたら絶対に見逃せない感動的な風景だ。
 旅先でこんな風景に出会ったときに、適度な疲労と相まって幸せを感じるひとときなのです。田沢 湖の上流部にあたる乳頭温泉郷で
二泊して、中一日を駒ヶ岳登山に費やしたのは正解だった。心 残りは長い伝統のなかに息づく湯治場としての乳頭温泉郷の風情を充
分に堪能する時間が得られ なかったことだ。

 駒ヶ岳と称する山は全国に二十九峰もあるという。
 農耕馬として、農家の生活のなかに溶け込んでいた時代の、馬をいつくしむ農民の心の名残なの だろう。春先、残雪の山の斜面の
雪形に馬を連想して農作業に結びつけるいわれは各地に残って いる。


秋田県側、藤里町の白神山地ブナの森

  白神山地編

 冒頭にも触れたが、白神山地は観光地的な目玉のような見せ場がある訳ではない。ブナの森は、 かつて、木材としては価値の無い
木として疎まれ、処分され建築材として有用な針葉樹に置き換え られてきた。
 ブナの木が自然環境の維持や森林の生態系の保護に欠かせない樹種であることに気がついた のは、たかだか、三十年ほど前のこ
とだとおもう。

 いまでは、白神山地が世界最大のブナの原生林だという。如何に広大であってもそこは小さな日 本列島のほんの一部に過ぎない。
それほどに世界的にブナの木は少ないということなのだろう。
 ブナの木は杉やクスノキのように千年あるいは二千年以上も長生きすることはなく、せいぜい数百 年という、木としては短命樹だ。眼
を見張るような大径木は存在しない。ここを訪れる観光客は、この ことを念頭において原生林の魅力を理解するべきだとおもう。

 秋田県側、藤里町の白神山地の外縁部の一部を、乗用車タイプの四輪駆動車で荒れた林道を喘 ぎ喘ぎ辿りつき、ほんのさわりの部
分を散策することはそれでも出来たので、まずは、満足すべきな のだろう。
 予約したレンタカーは、指定したわけではないのに四輪駆動車だった。

 広大な山地はお手軽観光客のためのお膳立ては、ほとんどなく、原生林保護の本道を行ってい る。観光案内などで、盛んに宣伝して
いるが、それらはすべてがその周辺観光に過ぎないことを現 地で確認した感じだ。
 本格的な登山をすれば、白神山地の真髄にふれることもあろうが、今回の旅は既に二つの山を歩 いていて、疲れも溜まっているし、
年齢のことも考え、また、同行の、かみさんの立場も慮って、自重 しよう。


青森県側白神山地外縁部にある「十二湖」の池のひとつ。
湖というか、池だらけなのでひとつひとつの名称を憶えていない。
それぞれに水の色が違う清冽な湖水だ。

白神山地、青森県側は、観光バスが必ず立ち寄る絶好のポイントが存在する。 古くから観光開発が行き届いていると思われる「十二
湖巡り」だ。
 起伏に富んだ狭い地域に十二の湖が展開しているというが、実際は三十を超えるといわれてい て、観光バスがひきもきらず、大変賑
わっていた。
 白神山地を訪れる団体観光客の殆どがここに集中しているとおもわれる。 東北北部日本海側の立ち寄り通過点になっているよう
だ。 ブナの原生林もあり、清冽な水をたたえる湖水ありで、充分に楽しめるが、ここも世界遺産の外縁 部のさらに外側であり、多くの観光
客は「しらかみさんち」を堪能してお帰りになる。
  さて、最終泊は十二湖に近い複合的な宿泊施設「サンタランド白神」。
 熟年カップルには、いささか場違いな感じだが、前述したようにホテルなどの本格的な宿泊地がほ とんどないこの周辺は、他に探しよ
うがない。

 着いてみれば、広いエリアに各種の施設とともにフィンランド ラップランド州産の本格的なログハ ウスのコテージにはベッドルームが
三部屋、六台のベッドを備えた豪勢なものだった。
フィンランドの都市と提携しているというこの自治体「岩崎村」と深い関係にあるようだ。

 面白かったのは、サンタクロースが年中常駐していることだ。それも、正真証明のフィンランド人。 大きな体、澄んだブルーの瞳、全身
本物のサンタの衣装で朝食の席にグループごとに挨拶に来て、 たどたどしい、しかし、よく分かる日本語でユーモアを振りまいていく。フ
ィンランドからトナカイのソリ に乗って三十分で着いたのだという。
私たち年寄りカップルの間に孫を挟んだら、たちまちお似合いの風景になるのに、そんな気持ち で、しかし、面白い経験でした。
 サンタクロースの本場フィンランドでは、世界各地に本物のサンタクロースを要請により送り込んで いるという新聞記事を読んだこと
があるような気がするので多分その一環なのだろう。


旅の帰りの寄り道。男鹿半島寒風山展望台。
西側は雄大な日本海、反対側は見渡す限りの田園地帯、八郎潟干拓地。
米増産の政策に沿って作られた広大な稲作農地は、その後の猫の目農政に翻弄されて

入植農民の一部は反旗をひるがえし減反政策を拒否していると聞く。
その後はどうなっているのだろう。


まるまる五日間の今回の旅は、秋の長雨にたたられやすい季節でありながら、絶好の日和に恵ま れ、「明日からは雨もよう」の天気
予報を心地よく聞き流しながら秋田空港の最終出発便の機上の 人と相成りました。
 機上から見る日本列島の、特に大都市の夜景は何度観てもいいものです。
  1005年10月





戻る
戻る