山と旅のつれづれ





旅のエッセーbX



                                PC絵画

四編収録。(収録終了)10へお進みください。



このページの目次











神話と美術館と未だ春浅き高原と



出雲大社。本殿正面のアップ。想像上の古代出雲と比較すれば、
はるかに小規模だが、大きなしめ縄と巨大木柱が眼を引く。

例年、年明けからの寒い季節は沖縄や鹿児島県の離島の旅を計画してきたが、諸般の事情が重なって、習慣的にな っている旅に行
きそびれてしまった。
 そんな訳で、5ヶ月ぶりの旅らしい旅にようやく身を置くことになった。
 縁結びの神様としてあまりにも名高い出雲大社は、神話の世界が溢れかえっていた。神社もそれを抱える自治体も、 大いなる観光
資源なのでしょう。
 なにせ、縁結びの神様だというので、ご縁がある内に一度は物見遊山でもお参りしておかなければ罰が当たると冗談 いいながら、い
ままでその機会が巡ってこず、気がつけばこの年齢になってしまった。

 かみさんとお知り合いになって以来40年。腐れ縁も未だ腐りきってはいないようで、結構二人旅を飽きずに楽しんでい る。
 出雲大社は、「縁結び」は勿論だが、神話の故郷としての位置づけが神域の資料館や周辺の博物館などの豊富な収 蔵展示品などを
通じて独特な雰囲気を漂わせている。縁結びというご利益も楽しいが、メルヘンチックな神話や、童話よ り単純で馬鹿馬鹿しくて面白い
「国引きものがたり」の映像を真面目くさって有りがたくみせてもらっている観光客の静か な雰囲気もまた面白い。

 広大な神域と発掘された古代出雲の巨大な心柱の実物やレプリカ、それに、その資料を基にして再現された神殿の 模型など、神話
の世界とは明らかに違う「証拠物件」を目の当たりにした展示物には圧倒される。

 木造巨大建築物と森林の荒廃

 しかし、私はこういう巨大木造建築物を見るたびにおもうのは、そんないにしえの時代からすでに森林の荒廃を招いて いたのではな
いかということだ。
 奈良の都にしろ、古代出雲にしろ、自然林や管理された森林にも滅多に見られない天然記念物以上の巨大良材が惜 しげもなく使わ
れている。
 戦火や自然災害によって失われた巨大建造物も少なくないと思われるし、現在私たちが目の当たりにして圧倒されて いる神社仏閣
などは、それでも、その一部分ではないか思えてならない。

 現在の森林環境の中にこんな巨大材を生み出すような立ち木が普通に見られるのであれば、「循環利用」が成り立っ ていると思える
のだが、今の時代、巨樹たちは、神社仏閣の建物の中に「死体」として林立している。

 千年を超える歴史に彩られた神社仏閣を支えるその聖域には、それ以上の長寿を誇る「神林」があるべきだとおもう のだが、一見、
落ち着き払った神域の雰囲気の中に、歴史の証人としての巨樹が中々見られないのがさみしい。
 物見遊山でかたちばかりの旅人として、歴史的木造建造物を見るたびに私はそんなことを思い巡らせている。

 出雲大社と古代出雲歴史資料館とその周辺だけで、たっぷり時間を当てて、一日を費やす丁度良い時間になってしま った。旅はこん
なゆったりしたひと時が楽しい。団体旅行ではこうは行かない。

 珍しく伝統的な温泉街に宿泊

 さて、この日は天気が思わしくないこともあって、お目当ての日御碕海岸を愛でる予定を断念して、長い歴史に彩られ た山陰の名湯
玉造温泉「保生館」での宿泊です。

 二人だけの自由な個人旅にとっては宿泊費が高い伝統的な温泉街は極力敬遠してきたが、インターネットで検索して いて、眼に飛び
込んできたのがこの宿だ。300周年記念キャンペーンとかで、平日大サービス。公共の宿並みの宿泊 費に、騙されてもともと、と、
少々迷ったが伝統的或いは歓楽的な温泉街もたまにはいいかと、ネット予約してみた。

 近代的なビルの間に未だ湯治場の雰囲気を色濃く残す温泉街は、木造3階建てや重厚な日本建築の古くて豪華で雅 な一面が混在
している。
 そんな温泉街も、浴衣の観光客がそぞろ歩く夜の風景も、ひやかし客を迎え入れるみやげ物店も、ストリップ劇場も消 えて久しく、そ
れでも往時の雰囲気を残す街路は閑散としていた。

 かつて、仕事が現役のころ、私を含めた、ガラの良くない零細自営業者の組合集団での旅行の際に、宴会を打ち上 げた後、街へ繰
り出し勝手気ままで罪の無い振る舞いに興じたあのころが懐かしく思い出される。
 この日の宿の待遇は安い割には行き届いていて選択に間違いはなかった。
 ただ、夕食も朝食も部屋まで適時に運ばれてくるサービスはかゆい所に手が届くようで、これぞ伝統を重んずるもてな しということな
のだろうけれど、育ちというか根っからの貧乏性なのか、かえって居心地がよくない。

 バイキングや広いレストランの、適度な賑わいの中で楽しむ食事のほうが開放的で時代に合っているような気がする。
 夜、公民館で安来節のドジョウすくいショーをやるというので、こんなときしか観られないし、どうせ呑気にしているのだ からと、そぼ降
る雨の中を歩いた。滑稽なドジョウすくいだが、安来節の本来の意味は私の記憶違いでなければ怨念の こもった恨み節のはずなの
に、何時の間にかふざけた踊りと結びついてしまっている。このことは、「防人の哀歌」が何 時の間にか「五木の子守唄」として広く知ら
れていることと似ている。
 つべこべ言う前に平和の証拠みたいなもので、それでいいのかもしれない。


安立美術館。館内のどの位置からも観賞できる枯山水の庭園  

 田園の一角にある足立美術館

 横山大観の120点に及ぶ収蔵名画をはじめ広大な日本庭園の美しさが際立つ足立美術館は高速道路の東出雲イン ターからほど
近い田園と里山の風景の中にあった。美術館など文化施設は都会の中か、その郊外に都市と共存してい ると、ほとんど無意識的に思
い込んでいたので、そこに到達するまで、道を間違えているのではないかと心細くなってき たころ、大きな商業施設の脇に沈みこむよう
に入り口を構えていた。

 徹底的に管理された枯山水の庭園は立ち入ることが許されず、また、その必要もないほどに建物の中から観賞する 構造になってい
て、製作者の研ぎ澄まされた美的感覚に酔いしれながら、内側を観れば第一級の日本画と対面する、 何とも贅沢なつくりになってい
る。
 金沢の兼六園や高松の栗林公園、岡山の後楽園などのような回遊式の庭園ではないので,建物の巨大な一枚ガラス を通して観賞す
る、静寂なイメージの石庭のような雰囲気に気持ちが洗われる思いだ。
 庭園も、展示美術品の重要な部分という主張が込められている。
 背後の山の稜線が絶妙な借景になっていることも見逃せない


2007年4月17日、ようやく草原が少しは華やいできた朝霧の蒜山高原


 未だ覚めやらぬ蒜山高原

 中国山地のふところ、岡山県といっても鳥取県との県境に近い真庭市、蒜山高原。今回の旅の行きと帰りの中継点 だ。標高500メ
ートル、茶色の牛、ジャージー種の放牧で知られる、生活感に満ちた高原だ。なにしろ、高原の真っ只 中を高速道路が貫いている。酪
農家の大きな建物が、生活集落と混在していて、のどかな雰囲気がいい。
 そんな中で「観光エリア」として景観保護がなされている一角が、のびやかで素晴らしい牧場風景になっている。
惜しむらくは、この日4月17日は早咲きの桜と純白のコブシが目立つ程度でジャージー牛が戯れる緑の牧場でサイクリ ングという訳に
はいかなかった。

 変則的なこの春の気象は、4月半ばだというのに真冬の寒さだった。もっとも、平地で生活している者にとっての感覚 であって、高原
はそれでも春なのでしょう。夕食時、ホテルのレストランの大きな窓一杯に広がる浅みどりに彩られつつ ある草原と背後にそびえる蒜
山三座の稜線を眺めながら地ビールのジョッキを手にするひととき、建物が寄り添うように ひしめく伝統的な温泉街の部屋食とはまた
違った雰囲気に旅の楽しさを感じる。


休暇村蒜山高原。大草原の大きな家だ。

 大阪万博記念公園は都会のオアシス。

 帰り道、時間に余裕があるので、立ち寄った大阪万博記念公園。
 1970年に華々しく開催された万国博の跡地は、大阪郊外のベッドタウンの真ん中に位置する大きな緑地公園に変 身している。植栽
された膨大な立ち木は30数年の年月を経て溢れんばかりの森を形成していた。ただ、イベント好きの 国民性というか、あれほど盛況
だった万博の跡地も溢れるみどりの常設公園になると、その存在が忘れ去られるのだ ろうか、極端に閑散としていた。

 そんな中で、あの「太陽の塔」が異様な風采でいまだに30数年の変遷を見下ろしている。私は、あの塔を「お化けの 塔」と勝手に名
づけている。
 筑波市にある国立民俗学博物館がここにもある。広大な日本庭園も見残してしまった。一日かけて、ゆっくり見聞する 機会の到来を
自分と自分に約束して、帰途についた。


旅の帰りの寄り道。1970年大阪万国博記念公園、ポピーの花咲く丘







「沖島」琵琶湖に浮かぶ小さな島


神社と民家が軒を重ねるように佇む、他ではちょっと見られない平和な風景。


 滋賀県近江八幡市、琵琶湖に面したホテルに二連泊の旅の際にホテルの貸切渡船によるショートクルーズで経験し た小さな旅の感
想です。
 周囲、目測で6キロほどの小さな島は琵琶湖大橋東詰めから東へ10数キロの位置にある。          
 本土側の湖岸から2キロほど、船で直線であれば10分で到達する、眼と鼻の先でありながら観光渡船は両岸を湖面 からガイドサー
ビスをしながら30分かけて渡る。

 本土側からは前方後円墳のように見える島の僅かな平地にびっしりと家が建て込んでいる。自動車の通行できそうな 道はほとんどな
く、また、その必要もない小ぢんまりとした集落は一見すれば、「わび住い」の感が強いが、見慣れるに つれて、のどかだった戦後の田
舎や小都市の風情に満ちていて、子どものころにタイムスリップしたような懐かしい気 持ちが湧いてくる。

 殆ど観光開発がされていないので素朴そのものであり、そのことが旅人にとっては印象深いものになっている。
 聞けば源氏の末裔だという。平家の落人が落ち延びたさきというのであれば各地にあるのでうなずけるが、隠れ源氏 という言い伝え
は意外だ。もっとも、源氏も平家も勝ったり負けたりしているのだから、そういうことなのだろう。

 島の交通手段の多くが三輪自転車だ。静かに暮らすお年寄りたちは、転倒する危険もなく、何処にでも乗り捨てられ る気楽さを満喫
しているようだ。
 たぶん、誰かさんの自転車というより、島の自転車なのだろう。
 そんな島の暮らしも、決して時代遅れではなくて、一家にほぼ一隻の漁船と対岸の港にはマイカーの駐車場を持って いて、生活の足
にしているという。
 考えてみれば、この島は理想的な住環境なのかもしれない。適度な水面を隔てて安全快適で全島民がひとつの家族 のような島暮ら
しと、便利な現代社会との間をいとも簡単に行き来しているのだから。

 その島で、小さな集団がお神酒をいっぱい供えられた祭壇の前で神輿を組み立てている光景に出会った。人工460 人の島にも昔な
がらの素朴な祭礼が息づいているのかと思ったら、何と葬式だという。私の聞き違いでなければ、そう いうことのようだ。人は誰でも終
わりがあるのだから、天寿を全うしたとおもわれるホトケサマに対しては、それは目出 度いことなのかもしれない。そういう見解があって
もあながち不謹慎ではないのだろうと、何となく納得してしまった。

 猫の額のような平地に軒先を重ねるように寄り添う民家集落、そんな素朴な佇まいが海ではなく、淡水湖の中の小島 に存在すること
自体が世界でも珍しく、日本では唯一の存在だという。 


小さな島の便利な交通手段「三輪自転車」。
起伏の多い島だが、居住地域はほとんど真っ平ら、道の総延長も知れたもの、
箱庭のような、見方次第で別天地だ。おそらく、各家の戸締りも気にしないで何の不安もない、
今どき夢のような環境ではないかと容易に想像できる。

僅か四百数十人という人口の島に不似合いなほどぎっしりと係留された漁船や、その他の小型船。
本土との間の極めて便利な個人所有の交通手段だと思う。
僅かな距離を隔てて対岸の港にはそれぞれの家庭のマイカーを所有している。
島の小学校はかつての100人から現在は8人という、言わずと知れた過疎の島が、
訪れた旅人の眼には別天地と映る。

港に寄り添う沖島の集落。滋賀県本土側からはほんの僅かな距離だ。







初夏の北海道駆け抜けの旅



道南の旅のおまけみたいに案内された道央、富良野と大雪山の山並み


 旅は自分で計画し、組み立てて行く時から始まっていると、常々思っているが、しょっちゅう郵便や宅配便で勝手に送りつけられてくる
旅行代理会社のパンフレットなどに何となく眼を通していると、あなた任せの気ままな旅も良いかと妥協してしまう。
 67歳、遊びの労力?でさえ省きたくなる年齢なのかもしれない。

 今回は初夏の北海道を格安パックツアーでの気ままな旅です。そういう気持ちで参加したはずだが、見事にあてが外れてしまった。
「ゆったり午後立ち昼帰り、余裕の三泊四日」というキャッチフレーズの行程だが、一泊目と二泊目はホテル着が8時を過ぎ、翌朝は七
時半の出発という、馬鹿ばかしくなるほどの過密スケジュールに辟易しながらの旅だった。

 もっとも、現地でガイド付きのバスに乗ってしまえば車窓の風景も心行くまで楽しめるので、この点ではマイカーやレンタカードライブに
はない気まま旅そのものだ。日常の行動範囲や物流が発達して地方色が失われつつあるといっても、運転手任せの車窓からつぶさに
観察できる自然や街の風景には、はっきりと地方色が読み取れる楽しさがある。特に明治以後の新開地である北海道は多様な地域か
らの入植者の生活が融合してか、外国のような人間の生活風景がにじみ出ていて見飽きしない面白さに溢れていた。中でも際立った
特徴のひとつは、郊外の民家が、一軒当たりの土地の面積が広いことにもよるが、衝立のようなコンクリートや生垣による囲いがなく、
ゆるやかにうねる大地に点在するカラフルなデザインが目立つ民家とのマッチングが素晴らしく、文句なしの絵になる風景が随所に展
開していく。

 北海道の民家は、本州各地に見られる重厚で、派手なお城のような作りで周囲を威圧するような雰囲気の家は皆無であり、むしろ、
小さめな窓に軽やかな雰囲気のトタン屋根といった厳しい寒さを微塵も感じさせない華奢な建物が多い。ただ、ガイドさんの解説による
と、瓦は冷気に耐えられず割れてしまうし、小さめの窓は保温対策上そうなっていること、軽い感じの作りとは裏腹に二重窓と、厳重な
保温断熱構造になっているとの解説が信じられないほどにメルヘンチックな感じさえする佇まいが本当に印象的な世界を現出してい
る。
 明るい色合いの住宅で占められているのは、長く厳しい雪の世界に埋もれるとき、風景も人の気持ちも暗くならないための意識的な
結果かもしれない。
 屋敷の周囲に塀や垣根がないことは、除雪の際に邪魔になるというあまりにも明快な理由があることによるが、そのことが、開放的な
丘の家や集落を形作っていて明るい雰囲気を醸し出している。

 雨樋のない民家

 雨樋が道南の都市の一部を除けばまったく設置されていないことも、特徴のひとつとして眼についたが多分雪による破損と雪下ろし
の邪魔になるのだろうと勝手に合点していた。たぶん当たっていると思う。
 屋根からの雨だれは、家の周りに小石を敷き詰めて跳ね返りを防ぎ吸収している。こんな細やかな観察は、以前一週間ほど北海道
東部をレンタカーで巡ったときには気がつかなかったことだ。このことも、観光バスで巡る旅での発見だ。「車窓観光」などと、うたう旅行
社のパンフレットを軽蔑していたが見直さざるを得ない思いだ。便利さとは裏腹に危険と隣り合わせのレンタカードライブは、前方ばかり
注視していて、そういう発見が少ない。
 そんな訳でパッケージツアーは不満も多いが利点も少なくないと思う。

 今回は札幌市郊外の千歳空港に降り立って、函館空港から帰るという道南観光だ。イカの頭のような地形の北海道は、かつて、旅行
代理店のキャッチフレーズにあった「デッカイドー」のイメージとは少し違って道南は津軽海峡につながる大きな半島と誤解してしまいや
すいが、やっぱり北海道は広い。
伸びやかな大地は道央や道東にひけをとらない。雄大な大地に変りはない。

 そんな中に支笏湖の静寂、洞爺湖の例えようのない美しさ、大沼、小沼、じゅんさい沼など、宮城県の松島の風景にも似た鏡のような
湖沼群、島々を結ぶ優雅な遊歩道、私の年齢よりも若い昭和新山の猛々しい岩峰など、第一級の自然景観を目の当たりにして、しみ
じみと旅はいいものだと感激していた。


大沼(1)火山活動によってせき止められた内湖。無数の小島とそれを結ぶ橋との
マッチングが素晴らしい風景。一日中歩いてどっぷり浸かっていたい気分になるのに、
団体旅行はそういうささやかな欲求に応えてくれない。

 北海道としては一風変った雰囲気に溢れる小樽の町並み、開発の歴史を刻む函館の散策は、雄大な自然の風景とは違った雰囲気
が楽しいひとときでした。 
 惜しむらくは、駆け足ツアーの物足りなさ。何処の景観拠点に行っても30分とか50分とかの、中途半端な滞在で、大慌てで写真を撮っ
ているうちに、もう時間が来てしまう。この物足りなさには腹が立つ。

 こうした観光をしつつ、一日480キロもの長距離をこなしてゆく。これを何とかならないものかとつくづく思う。退屈するほどのゆったり旅
が本当の旅の醍醐味だと思うのだが、溢れんばかりの旅行商品の中で、そんな欲求を満たしてくれるものが少ない。
 日を改めて個人旅で出直す情報を得たと思えば、二重の楽しみが得られたようなものではないかと思いつつ、いままでの経験では、
中々出直しの旅が出来ずに年齢ばかりが老けてゆく。狭い日本もそれほど大きいのだということか。   あちこち、国内旅をやってき
たが、未だ尋ねていない地域は少なくない。

 白樺の目立つ自然林

 エゾ松、トド松、トウヒ、など針葉樹よりも目立って爽やかな印象に満ちているのが平原でも多い白樺の群生林だ。本州では、高原を
彩る代表的な樹木が北海道では、道南地域でも平地に林立している。
木材としてはほとんど価値がないと云われる白樺も景観保持には欠かせない存在として旅人にアピールしている。

 大景観の中にある2008年サミット会場。

 洞爺湖の大景観を眼下に収めるホテルウィンザーは、国際政治ショーの舞台として準備が進められている。小さな山の頂上はサミッ
トの会場としてうってつけだという。なにせ、侵入路も逃げ場もない小高い山のてっぺんだ。進入路と外堀の警備を厳重にすれば完璧?
だろう。それにしても、大掛かりな政治ショーをテロにおびえながら国民の税金を使ってやることに、素人ながら意味があるのだろうかと
疑ってみたくなる。それに、北海道の大地に「ウィンザー」の呼称は気になる。西洋かぶれではなくて、北海道のイメージに沿ったネーミ
ングがほしいと思う。

 山の頂に、その山を更に押し上げるような格好で、ふんぞりかえり、下界を見下ろす巨大な建物に眼を奪われながらそんなことを思い
巡らせていました。


昭和新山。平らな麦畑の一角が噴火爆発の後、溶岩ドームが盛り上がって確か600メートル
に及ぶ山が出来てしまったという、有珠山系の一角。
古くは隣接して明治新山があり、長崎の普賢岳は別名を平成新山という。山は動くのです。
面白いのは、爆発の起きた麦畑の土地を買った人がいて、現在でも個人所有の火山なのだそうです。

大沼(2)木立に包まれた小島をつなぐ優雅な橋の数々。爽快な気分でウオーキング
していれば、それだけで一日暮れてしまいそう。そんなのんびり旅に浸っていたいものです。

小樽。雄大な北海道のなかで不思議な雰囲気にみちた街だ。

函館。北海道開拓の基地。函館山からの夜景は文句なしに圧巻だった。
人口30万足らずの街は両側を海に挟まれ、暗い夜の海と街の明かりの対比が素晴らしい。
写真の中の人物は、このページの作者とは、何の関係もありません。









金刀比羅奥の院と別子銅山跡を尋ねて


金刀比羅宮奥の院。古さ、つまり歴史の重みを感じさせない朱塗りの社に意外な印象を受ける。

 かつて、大規模な銅鉱山として一時代を築いた別子銅山跡は近年、近代化遺産或いは観光資源として蘇ろうとしている。
 秋の旅の目的地を東北北部に焦点を当てて資料をひもといていたところに、JRジパングクラブの月刊誌7月号の特集に「別子銅山
跡」の紹介が眼につき、その瞬間、ごく自然に目的地の方角が180度向きを変えて、あろうことか、頭の中は別子銅山の所在地、四国
愛媛県新居浜市へと飛んでいた。
 公共交通機関や観光バスの旅に比べてマイカーでの旅は危険と緊張とを強いられる半面、手荷物を最小限にまとめる煩わしさから
は開放される。

 おまけに、時間を気にする事もなく自分の責任で自由に行動できる楽しさには変なたとえかも知れないが、麻薬のようなものだろうと
思う。
 ひとたび事故をやってしまったら大変だと思いつつも、出発時には車の魔力には勝てそうにない。遠すぎない目的地は計画当初は鉄
道利用の積りが、出発時には決まって車になってしまう。年齢相応に安全性に重点をおいて公共交通優先に方向転換するべきだと肝
に命じてはいるが、行動が伴わない。

 それに、秋の旅の予定のはずが本格的な夏が来る前の7月16日出発と相成ってしまった。小中学校の夏休みの到来で行楽客が増
える前の駆け込み旅です。
こんな自由な旅の計画がたてられるのも年金生活者の特権であり、必死で切り抜けてきた現役時代からの「ご褒美」とご都合主義的に
決め付けている。ふところの額と相談しつつ、身の丈にあった旅や暮らしを楽しみたいと思う。

 出発の朝、高速道路を走行中のNHKラジオが番組を中断して地震で揺れるスタジオの様子を伝えてきた。ほとんど次の瞬間に新潟
県に津波警報を発令し、津波は第一波が既に到達しているもようという。ただごとではないと感じながらも、大げさだなあとも思った。驚
愕したのはそのあとだった。

 「原子力発電所から出火」の速報には身の毛がよだつおもいだった。

 立て続けに巨大地震に見舞われた新潟県中越地域の不運をおもった。
 阪神山陽地域の都市部を通過する高速道路の通行車両は多く、合流分離を繰り返す度に神経をつかうが、あの壮大な瀬戸大橋を
高い通行料金を気にしながら渡り終えると、世界が一変するかと思うほどに、まるで限定車両の貸切道路になってしまったかと錯覚した
くなるほどの「別世界」になる。

 そんな四国も瀬戸内に面した地域を中心にして、高速道路が張り巡らされている。自動車がほんとうに自動車らしく走れることは楽し
いことだが、いまや、三箇所も通じた長大高速橋とともに大変な税金の無駄遣いなどと、批判したら、地元の生活者や企業に失礼なこ
とのだろうか。

 備讃瀬戸大橋は車道の下を鉄道車両が通過するとき、何と5メートルも沈下するという。それに高さ194メートルの橋塔は9万トンに
及ぶ橋の重量を支えて塔と基礎コンクリートを合わせて10センチも縮んでいるという。鉄もコンクリートも重量を支えて縮むと解説され
ても、旅人など素人には理解を超えている。

 金刀比羅宮は、二度ほど訪れているが、団体やグループ旅行では自由行動は許されない。殆どの観光客や参拝者は本宮までおよそ
800段の石段を登りつめて、ご縁があるようにと、5円玉を幾つか賽銭箱にうやうやしく投げ入れて、儀礼的にお参りを済ませると一休
みのあと、満足した足取りで下っていく。しかし、私は同じグループや団体の一員としては、満足や納得とは程遠く後ろ髪を引かれる思
いで行動を共にしてきた。

 今回は自由な個人旅行の気楽さで、本堂までの賑わいとは裏腹に閑散とした奥の院に通じる変化のある石段を登りつめて、小ぢんま
りとした朱塗りの奥の院に到達して下界を見渡したとき、積年の宿題を果したような満ち足りた気持ちに浸っていた。
 奥の院というのは、高野山のような例外はともかくとして、さみしい或いは静かな林間の小道を辿ったどん詰まりに質素な佇まいのお
堂が鎮座しているのが普通なので、眼を見張るような意外性がなくても、むしろその方が神域としての雰囲気を感じられて達成感があ
るような気がする。

 奥の院から1368段の石段を、日差しがありながらも時おり土砂降る雨のなかで軽やかにゆったりと降りた。雨の中での達成感も悪く
はないのです。
 7月半ば、この季節には珍しく台風4号が四国の南岸をかすめるように通過した直後の宿泊施設は、予約のキャンセルが多かったの
だろう。瀬戸中央道の大景観を見晴るかすホテルのレストランでのディナーバイキングは三連休の最終日ということもあってか、拍子抜
けするほど閑散としていた。


別子銅山跡(マイントピア東平ゾーン地域)急峻な斜面にへばり付く遺構。全盛時代の息吹が伝わってくる


 主目的地で観光施設として蘇った別子銅鉱山跡「マイントピア別子、東平ゾーン」は、一雨降れば何処かに落石が起こりそうな崖にへ
ばり付いた貧弱な林道を対向車に細心の注意を払いながらたどり着いた先にあった。事実、台風が去った前日までは通行ができなか
ったという。遠来の旅人としては、幸運中の幸運だった。

 閉山後朽ち果てるままに放置されてきた巨大銅鉱山を産業遺産、近代化遺産として保存を兼ねた観光資源として蘇っている。しか
し、このアクセスの悪さはどうしようもないネックになっているようだ。
 銅山関係者家族など、かつて、一万数千人が生活していた山岳鉱山都市は、信じられないほどの急斜面にへばり付くように展開して
いたという。

多くは資料館、記念館などの白黒写真に頼らざるを得ないが、生産した銅が世界を巡ったという、住友財閥のルーツを垣間見ることは
充分に出来る。
それに、頑丈なレンガ積みの建物や崩れかけた遺構、錆付いた鉄橋、採鉱機械など、朽ち果てかけているがゆえに、歴史の重みが伝
わってくる。

 鉱山跡の保存は、数箇所のゾーンに分かれていて、そのことがかつてのヤマの規模の大きさを物語っている。標高1000メートルか
ら水面下1000メートルまで縦横に掘り進められた坑道が各所に開口部を持っていて、そのひとつひとつが各ゾーンとして保存、観光
開発されているようだ。

登山装備と充分な時間があれば、更に奥深く鉱山跡と鉱毒による爪あとの一角も垣間見ることができるというが、かみさん同伴で物見
遊山の観光客には適わぬ夢と諦めた。


別子銅山(道の駅マイントピア別子ゾーン)左は観光用に現在も使われている鉄路。銅鉱石を運んだ機関車がいまでも
観光客を乗せて動いている。右は、役目を終えて朽ち果てるがままの鉄橋。
わが国で最初に敷設された鉄路だという。

 「マイントピア別子端出場ゾーン」は、幹線道路沿いにあり、道の駅を併設していて日帰り温泉施設として大変な賑わいを見せていた。
ここには、観光用に新しく掘られたのだろう、銅鉱石掘削の様子が再現されている。

 面白いのは、砂金採りの「舞台」が設備されていて、水中の砂の中から砂金と銀を採取することができる。見方によってはふざけた観光
施設だが、こんな馬鹿馬鹿しい遊びに興ずるのもたまには良いかと金銀を採取して、それを用意された容器にうやうやしくかくまって記
念品として持ち帰った。変な気分だ。

 銅山なのに何で金銀なのか、と疑問を投げかけたら銅は水中の砂の中には存在しないから、という。このとき、面白い悪戯を思いつ
いた。水中の砂の中に10円銅貨をそっと埋めておいた。後々、文字通り「銅」のお金を掘り当てた観光客はきっとおおよろこびまちが
いなしだ。
 記念館併設の銅細工の体験工房では、たった300円で立派なレリーフの製作指導をしてくれるというので、こんな経験もよかろうと、
二人で取り組むことになり、およそ一時間でオリジナルな記念品として持ち帰る幸運を得た。

 この日この時間の客は整備された観光施設(東平ゾーン)全体で私たちだけのようだった。しかし、鉱山跡の保存は、観光施設である
と同時に採算を度外視した顕彰施設ならではのゆとりのような雰囲気が感じられた。第三セクターによる運営と聞いたがおそらくは、住
友企業グループの資金的な関わりの中にあるのだろう。

 はてさて、四国と云えば人々は八十八箇所お遍路さんを連想するが、私たちのいままで数回の四国の旅の中に、「お遍路さん」の意
識は全くない。
罰当たりな!!!


銅鉱山発電所(左)と遺構を利用した展望所。眼下の急峻な谷間に朽ち果てかけた遺構が広がる。