山と旅のつれづれ




ある日の独り言(1)





 日々思いついたことなど書き綴った真面目な雑文集です。


八編収録










 名古屋空港移転問題。大真面目な問題です。 それでも既にずーっと過去のお話です。

 そもそも名古屋空港というのは、航空自衛隊小牧基地と滑走路を共有しているが、自衛隊小牧 基 地の正面入り口が小牧市域にあ
り、敷地全体は西春日井郡豊山町と同じく隣接する小牧市、そ れ に春日井市と二市一町にまたがっている、したがってそれぞれの自
治体の利害関係が色々や やっ こしいのではないかと推察する。
 知名度では小牧市、なにせ、【小牧基地】だから、税収面では敷地の大半を提供している豊山 町。しかもこの町は名古屋空港のター
ミナルビルその他空港施設を町域に持っている。影が薄い のが 春日井市だ。

 ところで、空港移転問題が浮上する前、小牧市は大半の航空機が小牧市上空を飛ぶことから騒 音 問題など市民生活にこれ以上の
影響を避けるためもあってか、今以上の増便を認めないと言うよ う なことを市議会などでほのめかしていた。かけひき的な側面があっ
てのことだろうけれど、そこに、降っ て湧いたような空港移転構想である。

 小牧市民の立場に限って考えれば、環境問題など市民生活の上からは、いい話ではないかと思 う のだが、どういうわけか市は当初
絶対反対の態度に出た。おまけに「名古屋空港」はまだ増便の 余 地があり云々と言い出した。

 支離滅裂だ。本音は固定資産税などの税収面にあるのだろう。
 解らないのは、移転が決定し工事も始まろうとしている時に、現空港の新国際線ターミナルビルが 殆ど平 行して建設中ということだ。
数年前に完成し、既に供用を開始しているが2005年には国際 線ターミナルビルとしてはお払い 箱だ。工事その他に数年を要し、営
業もたった数年、その後どうす るのだろう。 (2007年現在、空き家のまま)

 大きな問題は空港移転後の自衛隊基地の増強ないしは変身だろう。
 有事法制と絡んで何をしでかすか。こちらの方が市民生活の上からは大問題だ。それを示唆する かのようにこの所、自衛隊のC130
H輸送機の訓練飛行が、頻繁になっている。自衛隊の例の海外 派遣や緊急支援物資の輸送に使用されたあの、黒い軍用輸送機だ。
 【2002年4月27日】のニュースで名古屋空港に対して航空自衛隊が戦闘機の昼間訓練飛行のため、滑走路の使用制限緩和を申し入
れてきたという。

 昼間、民間機の発着が頻繁な時間帯、自衛隊機の訓練飛行を制限しているのだが、これも数年先を見越した動きだろう。
 わが町小牧市から、空港の移転は私個人としては賛成だが、空いた穴を自衛隊の軍用機に埋められたのでは大問題だ。
 空港が伊勢湾沖に移転後、現空港は自家用機、近距離旅客便など小型機専用空港として存続 さ せたいというのが当局の希望らし
いが、その動きを先取りするかのようにこのところ小型旅客便 の 発着が目立ってきている。
 大型機を見慣れた眼にそれら小型機のスタイリッシュで軽快な動作は見ていて単純に気持ちの い いものだ。

 最近、仕事上の業者団体の一員として宿泊したホテルにはプライベートなヘリポートが設備され て いて、空港から小グループの客を
運んでいるという。
 決して緊急用ではなく、ビジネスとしてだ。
 そういうことが出来る時代になってきていると言う事なのだろう。
 繰り返すが自衛隊の戦闘機は来てほしくない。あれはエンジン付き飛行機ではなくて、空飛ぶジェ ッ トエンジンだ。

 巨大なエンジンに翼と操縦席と武器、爆弾がコバンザメか寄生虫みたいに周りにくっついていて、 騒 音対策など施されているとは思
えない。あの爆音はそれこそ生活破壊音だ、何十年か前、朝鮮 戦 争で緊迫していた時だったと思うが、合衆国占領軍が超低空飛行
を繰返してその結果ストレスで 鶏 が卵を産むことを忘れ、豚が流産してしまうと言う事が実際に起きている。

 現在小牧基地は輸送部隊が主力で前述のC130Hが四っつのプロペラでのどかに?飛んでいる、 生活者としては、まあ何とか許容範
囲だ。
 核爆弾も運べる飛行機だというけれど。







  

 イセエビとザリガニ

 宮古島を旅行したとき、商店街のレストランで、この島のさんご礁の海で育った伊勢海老を食べ た。
 本当にうまい宮古島伊勢海老だ。沖縄料理あるいは台湾料理的な味付けのせいか、こってりして いて量的にはとても多くは食べられ
ないが、郷土料理としての逸品だ、小さな島の商店街は20年 以 上昔の本土の中小都市に見られた個人商店が軒を連ねる風景に非
常によく似ていて郷愁をそ そ る。
 そんななかで私はイセエビを食べながらアメリカザリガニを思った。

 何でかというと、幼かりし頃、半世紀近くも昔々の事だけれど、あの色鮮やかなアメリカザリガニが きれいな水の流れる小川にいくら
でもいて、それを普通に食べていた記憶があるからだ。
 少々泥臭いようなところがあるが、平野部の川魚は一般的にそうなので、それさえ気にしなけれ ば あれはイセエビそっくりの味
だ。・・・つまりイセエビはザリガニの味でザリガニはイセエビの味な の だ。

 イセエビの関係漁業者にはど叱られるに違いないが、確かにそうなのだ。
 姿かたちだって大きさの違いはあってもよく似ているではないか。ザリガニは拡大すればほとんどイ セエビだ。
 イセエビもアメリカザリガニも美味いのです。

 霞ヶ浦のホテルでアメリカザリガニを使った料理をメニューのひとつにしているところがあるという 事 を新聞かラジオで知ったことがあ
るけれど、ザリガニが料理の素材として優れていることの証拠 なの だろう。
 アメリカではザリガニの缶詰が売っていると言うし、ドッグフードではなくて、もちろん人間の食べ物と して売られているという。
 されど、ザリガニ、懐かしんで食べてみる気にもなれず・・・・です。




 
 愛犬との別れ



  何年か前、私の家に犬がいた。
  血統書つきの柴犬だ。体重が15キロもある精悍な風貌の美男犬だった。
 この犬、ドッグフードに飽き飽きして余程おなかが空かないと食べようとしない。そんな折、スズメ の親子がそのドッグフードを食べにく
る。

 そんな時、何時も我が愛犬はコンクリートの床に両足と頭をぺたりとくっつけて、その様子をながめ ている。スズメを気遣ってか微動
だにせず、眼のたまだけがスズメのめまぐるしい動きに合わせて動 いているのだ。
 動物に、こんなやさしさがあるのかと、私はその眼の玉の動きを微動だにせず?、飽きもせずに 眺 めていた。のどかな初夏の昼下
がりのひと時でした。

 そういえば、この愛犬、大きな犬には無鉄砲に戦いを挑んで行くのに小さくて猫かタヌキみたいな同類に は やさしい眼差しで迎え入
れていた。 犬畜生などと言う無かれ、ほんとに人間っぽいお犬さまだ っ た。
 パルボ、とか言う犬のポックリ病であっけなく逝ってしまった。

 医者にも行ったし往診してもらって点滴もした。私の懸命な看病に、尻尾を振って応えてくれたそ の30分後のことだった。
 風船の空気が抜けるように大きく息を吐いて・・それっきり動くことがなかった。
 心底悲しい経験だった。




 

  蛇と鷹のお話


 岐阜県武儀郡洞戸村、山岳仏教信仰の山。甲賀山「1200m」登山中の出来事。開けた台地で鷹とお見合いしてしまった。
 荒地にうずくまる鷹を発見してしまったのです。カメラを持っていなかったので、記憶するには頭の中に焼き付けるしかない。
 オネガイダ動かないでくれ、私の頭の中の印画紙は感度がすこぶる良くないのだ。焼き付けるのに時間が要るのだ。
 めつたに無い機会を前に本気で祈ったのです。

 しばらくは足元をしきりに気にしている様子だったが、やがて、ふわりと舞い上がった。何とその足にヘビがぶらさがっていた。
 するどい爪でヘビをわしづかみにしている。鷹がヘビを鷲づかみにしてタカだかと舞あがったのです。
 ただそれだけの事なのに、大変な得をしてしまった気がするのです。所でこのヘビ、鷹にとらえられて哀れな末路なのに、人間は例え
それがどんな 場合でも、おそらく殆どの人がヘビに同情することは無いのだろうと思う。

 私はヘビを見る度に考え込んでしまう。あのシンプルで究極的な流線型のスタイル、しなやかなその動き・・・・にもかかわらず私も含
めて殆どの日 本人が気味が悪い存在としか受け取らないのです。うなぎを見たら蒲焼を連想するに違いないのにである。
 もっともヘビには毒を持つものがいる事が最大の理由かも知れないけれど、毒蛇はこの国では南西諸島のハブは別格としてマムシぐ
らいしかいな いのに、それにしても怖いというより気味がわるいという感情が先にに立つ。

  鷹が捕らえた餌食が可愛い小鳥だったとしたら、見方がまるで違ったと思うとやっぱり考え込んでしまう。
 そんなこんなと思い廻らしながら、不規則な石段状の登山道をいつの間にか登りきって山頂だ。下界を見下ろすということは、何回や
ってもいいも のです。小山の大将ナントヤラ・・・・・・
 缶ビールが保冷袋の中で、まだ冷えを保っていた。 これなのです一番の楽しみは




 

  東海自然歩道



 東海自然歩道のうち、愛知、静岡両県境付近から岐阜県岐阜市郊外、三田洞弘法、枝線の伊自 良湖付近までのコースを二年がか
りで歩いた。
 現地までは車利用だから駐車地点から歩き出し駐車地点に戻るといった往復歩行がほとんど。総 延長距離×2を踏破したことにな
る。それに、愛知県の寧比曾岳山頂から犬山市までは岐阜県岩村 町、恵那市、瑞浪市、御嵩町、可児市と旧中仙道に相乗りする形で
枝線があり、事実上二コースの 東海自然歩道になっているので、かなりの距離になる。これをあらかじめ決めておいた拠点に車を 止
めておいて、可能な限り歩き、そして引き返すというきわめて効率の悪い方法をとった。

 次の日は別の拠点から歩き出し、見覚えのある所に出たら引き返す。この繰り返し。コースの概要 とか見所とかいったようなことは出
版物もあるしネットでも沢山紹介されているので、ここでは触れま せん。
 痛感するのは、公共交通の不便さと、自然歩道を快適に利用する上での緒施設の不備、これはもう どうしようもないほど少ないの
だ。
 あるものといえばベンチと、たまに現れる壊れかけたトイレだけ、もっとも案内板は完備されている ところが多いが、これが無ければ
自然歩道そのものが無いのと同じだから、快適に利用するための 施設とはいえないだろう。
 千数百キロにも及ぶ歩道だ、しかし、道さえあれば良いというものでは無いと思う。例えば、鉄道 に駅があるのは当たり前としても、高
速道路にはサービスエリアがあり必要不可欠な施設として利 用されている。

 一般国道はどうかと言うと、何年か前までは、ドライブ中にトイレに行きたくなった時に、喫茶店に 入ってお金払ってコーヒー注文する
ことが事実上セットになってしまっていた、コーヒーは[利尿剤] だぞっ。
 またすぐトイレだ、馬鹿げた繰り返し。それがこの頃は「道の駅」というものが出来てしまった。しか も、ほとんど不自由しないほど出来
ていて、地域おこし、ともあいまって欠かせない施設になってい る。

 トイレをどーぞ、コーヒーはご自由にである。翻って、東海自然歩道はというと、当局は、たかがハイ キングコースじやないかーーとで
も考えているのだろうか、前述のように、なにもないのだ。
 歩くという原始的な移動手段なのだから、それをサポートするための施設は不可欠と考えるべきだ と思うが。

 昔、東海道には五十三次、中山道には確か六十九箇所の宿場があって寝場所に困ることはなかっ たのだから、東海自然歩道だっ
て、例えば、要所要所にキャンプ指定地とか、普通の民家程度の宿 泊施設とか、最低必要な食料の販売とかを、元気な定年退職者に
ボランティアでそこに定住しても らって、パソコンいじくりながら客を迎え入れてくれるとか、元気な高齢者時代ですよ。こんなアイデア 実
現したら自然歩道利用者も今までのような「とぎれとぎれ」じゃなくて、全コース歩いてみようと考 える人が飛躍的に多くなること請け合い
だ。

 なにしろ元気でお金があって、年金もあってその上時間がたっぷりある熟年者たちが、静かに里 山歩きを楽しむ風景は近年ほんとに
目立ってきている。
 市民の健康維持のためにも、自然歩道のような施設は時代に合った活用を考えてほしいものだ。 東海自然歩道からはじまって今で
は、九州自然歩道、北陸自然歩道、東北自然歩道、熊野古道と 形だけは発展している。

 名実ともに楽しめる、安全快適な「道」の実現のために、環境省どのにほんとに切なる御要望でー す。道さえつくれば良いというものじ
ゃない、いかにして多くの市民に利用されるか、ということをもう 少し真面目に考えてほしいものです。
 東海自然歩道に「道の駅」ならぬ[道の宿]が出来たら、私など股旅姿で旅に出ますよ。ホントに…
 元気な熟年自由人が沢山いる、しかもこれからまだ増える。熟年パワーの活用と 雇用の創出と消費の喚起と、一石三鳥いいことずく
めではないか。 

 うろ覚えだが、道の駅については、あるタレントで評論家がラジオのトーク番組の中で、鉄道に駅が あるように、道にも駅があってもい
いじゃないか、と言ったのが始まりと聞く、だから「道の駅」なの だ、カタカナでもなければ横文字でもないところが面白い。自然歩道にも
駅があってもいいじゃない かと、このタレント評論家に言わせてみたいものだ。







    M R I


 4.5日前から左足の膝関節が痛い、時にはびっこになるほどだ。疲れだろうと静観していたが回復 しそうにないので、かみさんの病後
の経過観察に病院が遠い事もあって殆ど週休七日の私が送り 迎えをしており、ことのついでに診てもらおうと受付を通した。
 ところが、診察した整形外科医は触診の後MRIをやろうと言う。
 「大げさな事を言うものだ、検査検査で金儲けか?」と思ったが一度はこんな最先端の医療機器の お世話になっておいても損はない
かと指示通りに「病人」になってみることにした。

 所が、結果は関節に変形があり日常生活にも注意が必要という。
 体重を支えるために長年の負担が足の関節に病変をもたらしたという。ただ、太った女の人に多 いというが私の場合、体は軽いし
「そんなばかな」と思うのだが、男の場合は職業病的なところがあ ると言う。

 言われて見れば、長時間の立ち仕事或いは座ったままの仕事は季節によっては日常的にやってき た。その報いが来たかと愕然とし
た。「山登りは限界です」と言われて気持ちの中で大事な明かりがひとつ消えた(かも知れない)60歳を 過ぎても肉体の衰えは殆ど感じて
いなかっただけに、この日かみさんの送り迎えの付き添いで病院 へ行ったのに、帰り道は私のほうがすっかり病人になっていた。

  なにせ、MRI、足のレントゲン、電気マッサージ、レーザー照射と立て続けに経験してしまったのだ から気が滅入るのだ。
 しかも、これから一週間レーザーなどリハビリ室に通った後経過を見るという、
 改めて、63歳という歳を実感させられたこの一日だった。
 しかし、決定的に足が弱くなったと決め付けるような事でもないと思うし、また、そう思いたいし、それ に「一病息災」とも言うではないか
と自分を励ましている。

 ところで、MRI。あの真ん丸い巨大なドーナツの中に冷たいベッドに固定された体を入れられ、バン バンガタガタドンドンと得体の知れ
ない大きな音が連続的にまた断続的に私の場合15分間続いた。 揺れなどショックはまったく無く放射線も使わないと言うが、全身診断
であればもっと長い時間を要し ただろうと思う。まるで鉄砲玉が飛び交う戦場で動けない負傷兵の気分だ。

  私事では丁度この時は高村薫のデビュー作で犯罪小説の「黄金を抱いて翔べ」を五分の三まで読 み進めたところで、悪漢どもの金
塊強奪計画が佳境?に達していて、凶悪犯の悪徳極まりない計画 でありながらどういう訳か読むものに期待を抱かせる、不思議な物
語が頭の中にあってそれとMRIの ドーナツの中のブルブルガタガタドンドンの体験が緊張を伴って奇妙にだぶって何とも言いようのな
い気分だ。
 また、「無病息災」と言えばそれは将来に渡って健康で平穏に暮したいと言う祈りの言葉 だと思うが、「一病息災」と言うのは
病気を持ってしまった人がその病気とつきあいながら、病気であ るが故に人生をみつめなおす機会を与えられたことをプラスとして失
望や自己卑下に陥ることなく前 向きに生きていられる人たちのことを指すのだと思う。
 加齢という現実を直視して【一病息災】の心境でゆったり楽しくやっていきたいと思う。

 2007年現在、足の故障などすっかり忘れて元気そのものです。いったいあれはなんだったのだろう。





 



  クリスマスイブ

 毎年12月なかばを過ぎるとクリスマス、クリスマスで世間が騒がしくなる。
 以前、洋菓子屋の店頭に行列ができたころが懐かしい、猫も杓子もデコレーションケーキだった。
それが、何時の間にかすっかり忘れ去られてこの頃はどういう訳かイブの夜はカップルでホテルにし けこむ日なのだそうです。
 宗教的な色合いが薄れてクリスマスは今や世界のお祭りになっているようだ。

 子供たちがプレゼントを期待するのはサンタクロースを信じなくてもほほえましくていい風景だが、 何で若いカップルたちが楽しく過ご
すのが定着してしまったのだろう、馬鹿馬鹿しくて空々しくて腹が 立つ。
 それに、よその国ではどうだか知らないけれど、この国のクリスマスは商業主義が闊歩していて売ら んかなクリスマスもいいところだ。
しかも、イブがあって本番であるはずのクリスマス当日はまったく 忘れ去られてほったらかしだ。

 仏教信徒の多い国には4月8日の「花祭り」があるはずだが市民も各宗派のお寺も沈黙してしまっ ている。幼かりしころ小学校の教科
書やお寺の行事としてお釈迦様の誕生日といわれる花祭りは薄 っすらと私の記憶の中に残っているのだが、思い違いだろうか、どうな
ってしまったのだろう。




  

 今どきの結婚式場

 

 わが町の結婚式場は何処かの国の大聖堂を模したとしか考えられないような巨大な塔がそびえ ている。決してキリスト教会ではな
い。商業施設で教会風建物に過ぎない。で、そのななめ向かい側 には正真証明のキリスト教会が随分昔から存在している。イブの夜、
騒ぎ立てた街中はあくる日は もう終わったとばかりに知らん顔しているその中で、目立たず本当に小さなそのチャペルではきっと 祈り
がささげられているのでしょう。

 このミスマッチ、私はこの通りを通る度に考えさせられてしまう。
 この国に定着してしまったかのようなイブの夜と、今や八割のカップルが教会式結婚式で新生活 のスタートだと云う.
 そして、宗教とはたぶん何のかかわりもない巨大な教会ふう商業施設、こういう 風景にあきれる人々もあまりいないという現実、幼い
と云うか馬鹿げていると云うか、なんだか空し さを感じるのは考えすぎだろうか。

 この季節、何時もこんな事を考えながら古い小さな平屋の屋根の上にちょこんと建てた十字架を持 つ本物のカトリック教会の前を通
るたびに向かい側の巨大な大聖堂式商業施設を意識してひとり気 恥ずかしい思いをしている。




 


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