山と旅のつれづれ




ある日の独り言(2)




8 編収録







 

  日本人の宗教観

 今年(2004,年)も暮れようとしている。まもなく新年の初詣で賑わうことだろう。神社もお稲荷さんも お寺も一緒くたにして何のこだわり
もなく何ら抵抗もなく、大して信仰心に支えられた行動とも思えず、習慣的に楽しんでいる。
 京都にはお寺や神社の数がちょっと信じられないほどなので記憶違いかもしれないが6000もある と云う。いろんな宗派が混在してい
て私達はおまいり或いは見物するさいに宗派をほとんど気にしな いで自然に行動している。

 信心深いというより信仰心が非常に薄いことが各地の神社仏閣など宗教施設にとって拝観料やお 賽銭などの収入面で幸いしている
と思うのだがどうだろうか。
 神社でおみくじ買って、お金投げ入れてガランガランと鈴振って、その足でお寺で拝観料を何の抵 抗もなく差し出して、しかも幾つか
の神社やお寺を欲深くハシゴして、それらのお寺の宗派など無関 係に何かをお願いしてくる。

 信仰心の希薄さが宗教的な対立などいざこざを皆無にしている。
 かつての東西対立が無くなって、とって代わるように宗教対立や民族間対立が顕在化してきてい る世界の現実の前に、見た目には
何と平和な国民なのだろうと、薄氷の上にいるのかもしれないが 実感する思いだ。

 クリスマスや教会式結婚式を宗教の尊厳をないがしろにして乱暴に受け入れてしまうのも、信仰心 の希薄さが底にあるからかも知れ
ない。或いはいろんな神仏を受け入れるということは、それほどご 利益にあずかりたいと願う欲の深さの表れなのかも知れない。
 何はともあれこの国にはやおよろずの神が存在しているのだ。八百万ですぞ。

 しかし、信仰心など無いのに神社やお寺に一歩踏み入れると何とも言えず気持ちが落ち着く。不 思議な領域だ。潜在的信仰心のな
せる業なのかと思ったりもしてみる。
 2004年12月30日、暮れの大掃除をしながらこんなことを考えてみました。









  クリスマスイブ、その後

 ホームページの「ある日の独り言(1)に、クリスマスイブのことが書いてあるけど、昔 の僕のエッセイを参考に送っておきます。−−−
− −−−−−(1999/12/24)冬至

  日が短い。 

クリスマスだとか、くだらない異教の習慣をなぜ日本人である我々が、 ケーキを買ったり、プレゼン トを買ったり、なぜかデートしたりす
る特別 な日として大騒ぎして祝うのか、を考えたときに、商業主 義に汚された実 にくだらないバカバカしい日本人特有のサガが関わっ
ているのだとして済 ますこと は実に容易である。この実に陳腐な理屈ゆえクリスマスを素直に祝えない自分について考える と、 さらに
もましてアホらしい。

ロサンゼルスから関西への出張帰りの飛行機の中で24日の日経新聞に 興味深いコラムが載せら れていた。

 「クリスマスが、古代ケルト民族の民俗行事である冬至祭に起源を持つことは最近はずいぶんと知 られてきたが、そう知ってみると、
洋の東西を問わず、 またキリスト教徒であるとないとを問わず北 半球に住む限は、冬至という 日が一年のうちの最も大切な節目の日
であったことが分かってくる。

クリスマ スも日本のお正月も、本来的には太陽の再生を願う共通の心情にもとづいた 祝日だった のである。」「クリスマスツリーにモミ
の木を使い、日本のお正月に門松を立てるのは、 いずれも常 緑の樹木に象徴される緑によって、地上の生命の持続と再生を願う か
らのことであり、それは太陽 の再生を祝賀することと不可分の関係にある。」

 屋久島に住んでいる人らしいコラムである。自然の動きを肌で感じられる環境に生き、民俗学的教 養を持っている人であるから、こ
んな理解ができる のだろう。 師走から新年にかけてのクリスマスと お正月という二つのイベントは、 起源を求めれば実は宗教には関
係ない、"北半球"に住む僕らの 共通の "再生への願い"を具現化するものだった。
 冬至の日をターニング・ポイントとしてまた日は長くなっていく。 一番夜が長く、一年で一番将来へ の夢を語れるこの時期を祝えるイ
ベントと してのクリスマスをこうして素直に受け入れることは可能と なる。
 こういう原始的にうれしい感覚を、このせわしない都会に住んでいる 僕らは忘れてしまわないよう にしたい。

 その上で、家族を大切にする日としての欧米のクリスマスが、同様に家族を 大切にする"正月"を 持つ日本に派生してカップルの日
のようになることは、 家族候補としての相手を思うという意味で も、夜は長いけど将来の希望を内 に秘めた心暖かな日という意味で
も、肯定できるようになるので ある。
・・・個人的には別になにもしないんだけどね。

以上はこのページ「クリスマスイブ」について関西に住む息子が随分昔に書き留めていた 殆ど同じテーマについての感想と海外出張
からの帰りの機中で読んだというそれに関わる文章で す。
私のつたない作文に気がついてくれて感想その他資料を知らせてくれたので掲載します。

 クリスマスがキリスト教の祈りの日であり聖なる夜であってもそのルーツはキリスト教の信仰とは別 の所にあったという事はなるほど、
と理解できるし世の中にはこういう事例は意外に多いように思う。 そして、それは自然な発展のひとつの形態だろうとおもう。
 翻って、この国に今や定着してしまったかのようなクリスマスイブの習慣は上記のような崇高なル ーツを踏まえて編みだした結果だと
はとても思えないし、それどころか欧米の長い年月に渡って蓄 積され磨かれてきた習慣を、薄っぺらな真似事としてご都合主義的に無
鉄砲に取り込んでしまった 結果としか思えない。

 それにしても、批判や失望ばかりではなく気持ちの中に素直に受け入れるだけの余地が少しは生 まれてきたかな・・と思わないでもな
いが。
 もうひとつのテーマである今どきの結婚式事情(ある日の独り言(1)にしても、教会式結婚式が70とも80 パーセントとも云われるその
事実が信仰や信仰に関わる文化に基づいているのなら何も問題はないが、キリスト教とは関係がなく今後も関わる意志もない市民が
形ばかりの大聖堂で神妙な面持ちで 厳かぶって式を挙げるという珍妙な風景を何時まで繰り返すのだろう。

 かつての「イブの夜はデコレーションケーキ」がすっかり忘れ去られたように意外と近い将来に雲散 霧消するのかもしれないが。
 幸いな事に今まで親戚縁者の結婚式で教会式でのそれに招待されたことが一度もないことに安 堵している。
 ここまで書いて、ふと、疑問に思ったことだが、大聖堂式商業施設での教会式結婚式には牧師だ か宣教師だか司教だか、その他宗
教関係者の介添えが欠かせないはずだが、その人たちは本物 なのだろうか、とすればどういう施設から如何なる信念に基づいてお出
ましになるのか知りたいもの だ。
 仮に、形だけの所謂仮面をかぶった仲介者であれば宗教を冒とくする行為だと思う。
 ま、この辺で終わりにしておきます。
 ひとりごとです、ひとりごと。






  

 早春賦

 春は名のみの風の寒さや。で、春がはじまる。
 この季節、野山を歩くと風の冷たさ、気温の低さに思わず「早春賦」を口ずさみたくなる。そんなな かで決定的にそれまでと違いを感じ
るのが日射だ。
 植物たちはこの「ひかり」に呼び覚まされて一斉に躍動を始める。 そんな季節が私は好きだ。
 梅にはじまり桜に受け継がれる、そうして、一気に山が笑いだす。

 冬を耐えて、ひかりの春とともに活動を始めた早春の花たちの季節の影で、暖地性の草花たちが 芽生え、初夏からの野山や花壇の
にぎわいの準備に入る。その、生育過程を観察するのが私は好 きだ。
 仕事を卒業して以来、自然の季節の営みにどっぷりと浸っていられる自由な時間を得たことに、素 直に満たされたものを感じてい
る。

  ただ、残念なことに自然の野山はともかく、最近は店頭では季節の先取りが当たり前になってしま って、三月もなかばを過ぎるとほ
とんど突然百花繚乱、満艦飾になってしまう。いっぺんに初夏にな ってしまった感じだ。

 品種改良が進んで、早春の代名詞であったはずのパンジーは早春どころか夏の蒸し暑さが和らぐ 初秋には早くも登場して翌年六月
まで延々と開花して季節感をほぼ完璧に払拭してしまったし、夏 から秋にかけて開花を見る草花たちはハウスの中で早まきして、一気
に成長させ、その上まだ小苗 の内に開花を見るように改良されていて、しかも、商品としての苗はつぼみや花が発生していなけ れば
売りにくい、と言うのが普通になってしまった。

 十数年前には五六月に店頭に並んでいたはず の花苗たちがこの頃は三月に登場して、早々と賑わいを見せる。
 小苗の内から花をつけることで、切花と花苗との間に境界がなくなってきているような気がする。
 切花感覚で、すでに花の咲いている苗を買う。そんな感じだ。

 それはそれで楽しいのだが、いや、以前よりたぶん楽しいことだと実感している。一方で、種まき から成長を楽しむという、つまり、季
節の移り変わりを実感できる作業が忘れ去られてしまってきてい る。
 園芸植物の苗栽培は今では立派な産業に発展していて、発酵、醸造企業などの巨大資本の参入 をみて、工業製品のようなハイテク
ないしはバイオテクノロジーの分野になり、品種改良がよくも悪く も目覚しい発展を遂げている。

 花栽培に欠かせない培養土の消費動向が、経済産業省の物価指数判定の指標品目に加えられ たことも、立派な産業に変貌してき
ていることを物語っている。

 その結果か、素朴な植物栽培の地味で気長な楽しさの魅力が失われてきている。
 努力や苦心(苦労ではない)や、丹精の後に成果を見るというのが正道ではないかと思いつつも、 本来の春の季節の、初々しくみず
みずしい植物たちの静かなざわめき?のひとときを飛び越えてし まって、店頭を埋めつくす華々しく完成された「工業製品としての花苗
たち」の品定めに余念のな い日々がもうすぐやってくる。

 現役時代の忙中閑あり的な趣味から、時間を気にせずゆったり楽しめるいまの自分に気持ちの片 隅でたわいないと思いながらも、こ
んな晴耕雨読のご身分に馴染んで浸りきっている。はて さて、これを「早春賦」と題していいものか?

 2005年3月





 

  『恍惚の人』読後感

 

 有吉佐和子著、『恍惚の人』を始めて読んだ。
 いわゆるスープの冷めない距離、同じ屋敷内の別棟で事実上同居している親の老人性痴呆症、 (最近は認知症というのだそうだけ
れど)、による悲惨で凄まじい実態が赤裸々に描かれており、夢 中で読んでしまった。 これが発刊されたのは三十年も昔だ。
 そのころ既に高齢化による介護の問題が一般化していたのに、それから三十年。 何がどう変ったのか、考え込んでしまう。

 世帯人数はいまや三人を切っている。夫婦だけの老人世帯或いは独り世帯はどこにでもころがっ ている。かく云う私たちも既に六十
の坂を下りつつある夫婦二人世帯だ。親子や世代の違う者によ る相互扶助の対象外ということになる。『恍惚の人』より自立していると
いえば聞こえはいいが、家族 構成の上では孤独ではある。

 昨年、六十五歳の節目ということで、市役所老人福祉課から介護保険料の徴収に関わるご案内と 老人福祉施設の利用に関する資
料が、ご丁寧に元気な老人とセックスライフについてのアドバイス まで添えられて届けられた。
 公共施設や一部私設の施設のシニア割引ないしは無料入場の恩恵に浴しているものの、老人福 祉施設(多くはその名称をふれあい
センターとしている)にいつでもどうぞ・・などと云われてみるとは なはだ抵抗を感じる。

 心身ともに元気なお年寄りが増えたのか、老化性の症病人の人間性を損なわない健全な収容施設が充実とまではいかないまでも増
設されてきたのか、そのへんのことは定かではないが、少なくと もこの三十年間、悲惨に悲惨を極めるような事態は普通一般の家庭に
関しては、めだってきていな いと思うのは、私の情報不足の能天気のせいなのかと思って見たりしている。

 私たちの目や耳に届かないところで、認知症などで家庭崩壊につながりかねない、悲惨な事態が 繰り返されているのかも知れないと
思うと、体力的に老化の実感はないとは云え、客観的に既に老 境にさしかかった身として、他人事として処理し続けていていいものかと
考え込んでしまう。
 かといって、決定的な解決策があるわけではないし、そんなことばかり意識していると、余計に老け 込んでしまいそうだし、困ったもの
です。

 三年ほど前にかみさんが、長期入院していたとき、別棟の慢性病患者の入院施設の患者らしき元 気そうな?病人たちの会話を、そ
れとなく盗み聞きしていたことがあった。「この病院はおれたちが 儲けさせてやっているようなものだ」。
 この病院の、治る見込みのない慢性病の病床は二百数十床もある。
 老人性痴呆とか認知症は治る見込みのない慢性病ということであれば、それに対処するには、や はり必要なものは「お金」ということ
か。






 

 エッセイ上達法

 

 お世話になっている市立図書館で『エッセイ上達法。一週間で文章家』なるエッセイ?を見つけた。
 パソコンで文字入力を覚えて以来、やることがなくて、何となく書き溜めてきた作文集が、何時の間 にかホームページになってしまっ
て、自分にこんなことが出来るのだと、少しは自信もついてきたと 自負していたが、この本を読んで逆に自信がなくなってしまいそうだ。

 いままで、思いつくままに書いてきたが、文節とか、センテンスとか、句読点の付け方云々とか、短文は七難を免れるとか、的確な言
葉の選択とか、その他もろもろ。「一週間で文章家」どころか半ば まで読み進めただけで、ここ、三年間の歩みは何だったのだろうかと
深刻に自問している。

 何人かの読者から激励を受けて、いい気になっていたと云えるかもしれないが、
 この種の書物には触れないで知らぬが仏で通してしまったほうが無鉄砲で気楽だったのかもしれ ない。
 とは云え、触れてしまったのだから、今さら取り消す訳にもいかず、大きな悩みを抱え込んでしまっ た。
 それにしても、インターネットのホームページというものは、価値があろうがなかろうが、気楽に気 ままに、金もかけずに、おもいのた
けを表明できることは素晴らしいことではないか。評価は読んでく れた人がこれまた、気楽に批評してくれればそれで充分ではないか
と、自分を慰めている。

 ただ、文章の基本だけは会得しなければならないとおもっている。つとめて、あまり気にしないよう にしながらも、読み進めるうちに理
解の仕方も変ってくるかも知れないし、まだ、半分しか読んでいな いのだから。
 何度か読み返すうちに、あ、そうなのか、とか,なるほどね、とか冷静に考えることができるようにな ることはよくあることなので。






  御岳山

 

 十年ぐらい前、木曾の御嶽山 に一人で登ったときのおはなし。
 夜明け前の3時出発。登山口は既に2千メートル前後はある。早朝の強烈な雲海の眺望に我を忘 れていて、8時ごろからようやく歩
き出した。
 中の湯から山頂の剣が峰まで 達したときは既に昼。
 雪だらけだ。山の残雪というのは一様に残っているのではない。木々の芽吹きの次におびただし い雪、その上は地肌。その繰り返
し、いたる所で進路をふさがれるのだ。そんな訳で予定の行動が 出来ず、まったく 反対側の濁河温泉へ下山してしまった。
 安全第一だから仕方ない。それはいいとしてクルマは3000メートルの山の向 こう側で私を待って いるんだよ、さて困った。      

 交通機関を調べてみたが一旦名古屋方面に戻って、出直すしかないようだ。 とりあえず以前宿 泊したことのあるペンショ ンに落ち
着き思案していたところ、事情を察したペンションオーナーが、翌 日クルマでひとまわりしてくれることになった。嬉しかったなほんとに。
 そんな訳で1時間半以上かけて送ってくれてしまった。

 帰りの時間を入れれば4時間ちかくの時間を割いてくれたのだ。
 手持ちのお金、6000円ぐらいだったか忘れてしまった けれど、あれでよかったかなー。 
 濁河温泉行く機会があったらお礼にいかなくっちや。

 それにしてもこの日は、山頂から下山中、全てのものが二重に見えて困った。
 遥かな稜線ははっきり二本の平行線に見 えるし、足元の距離感はおぼろげだし、目の前の立ち 木はことごとく同じ木が二本に見え
てしまうし、誰もいないので話もできないし、これでよく下まで5時 間もかけて無事に歩けた と思うよ。 
ペンションに落ち着いて、出されたお茶をいただいたら、無事に下山した安堵感も手伝ってか、気が ついたら視界の異常はすっかり消
えていた。

 後で調べてみたのだが、水の補給が足りないことによる脱水状態らしいことが分かった。
 濃縮された血流が脳の一部 をお留守にした結果おきた現象らしいのだ。 
 分かってみると、空恐ろしい事態だった。

 断定はできるわけではないが、一歩間違えばとんでもないことになるところだった。単独行動だっ たからなおさらだ。 一般にある程
度高齢になると喉の渇きに 鈍感になるという。だから体力を使う 時はことさら意識して水分の補給が必要とは解っていたつもりだが、
何しろ高い山 は気温が低いの で渇きを意外と感じない。気をつけなくっちや。









  運転免許証の高齢者更新



 運転免許証の更新時期を前に「高齢者講習のご案内」というお知らせ文書が送られて来た。
七十歳を越えて免許証の更新日を迎えた人を対象にしているので、最寄りの自動車教習所でご都合に合わせて講習をお受けくださ
い・・という。
自宅の目の前で営業している自動車教習所では知りすぎていて面白くないので、わざわざとなりの町の教習所へ申し込んだ。6000円も
の講習料金を払って関門を通過しないと免許の更新ができないと言い、講習の結果は更新に際して何ら影響はしないという。

 変な話だが、新たな運転免許取得者の激減によって構造不況に直面している自動車教習所の行政による救済策ではないかと疑いた
くなる。
 それを裏打ちするのかどうかは分からないが、申請に行ったら同じ目的で窓口に来ている熟年者の何と多いことか。そんな事情で講
習日が一ヵ月半も先まで詰まっているという。

 新たな運転免許取得は原則一生に一度、それに対して七十歳以上の高齢者の講習は三年ごとに強制なので、巷にお得意様がいっ
ぱいごろごろしていることになる。

 おまけに、わたしの場合丁度七十歳の誕生日が更新時期なので、高齢者更新手数料金納付の優等生?だ。
 厳密にいえば講習を受ける時の年齢は六十九歳。なのに、教習所で受け取った「ご案内」は「七十〜七十四歳の方へ」と説明されて
いる。対象外ではないか・・・とそんな屁理屈をほざいてみたくなるほどに未だ高齢を意識していないのに・・・

 笑っちゃうではないか。上の文章を書いてから、しばらく経て何となく新たな運転免許証をながめていたら、次回の更新期限が前回の
更新から五年と一ヶ月後になっている。誕生日その日ではないのだ。いわゆる優良ドライバーは五年ごとの誕生日を更新期限と法律で
決まっているはずなのに、一ヶ月勝手にオマケをつけて、七十歳からの高齢者講習というきまりに合致させているのだ。更新期が一年
以上ずれていれば何の問題もないが、たまたま、七十歳丁度の節目が更新期の対象者に対して脱法的な言い逃れ対策がほどこされ
ている。

 勝手なものです。でもまあ、むきになるほどのことでもあるまいに・・・
とまあ、そう思ったのだけれど、考えて見れば数年前から更新手続きは【誕生日の前後一ヶ月間】に変更されていた。その結果おもしろ
いことが起こることに気がついた。わたしの場合は前述したように、七十歳丁度が更新年なので、誕生日の後で更新手続きをすれば、
新免許証の有効期限は三年間。誕生日の前に更新すれば、六十九歳なので五年間有効ということになる。

  で、実際、そういうことになって七十五歳まで有効になっているではないか。
  どうでもいいようなことだけれど、得したような気持ちにはなる。

 無事故を通して、スピード違反は上手に要領よくすり抜けて安全運転に心がけることにしましょうか。いわゆる優良ドライバーを【無事
故無違反】というけれど、無事故はともかく、無違反はまやかしだ。制限速度を厳密に守っていたら交通安全のためには逆に危なっかし
くてやってられないのだ。だから「優良ドライバー」などいるはずがないのに・・・・

 ま、いいか!!!








戦後70年
"いつか来た道"をなぞっていないか



260年間もの長きにわたって続いた徳川の時代は封建制という縛りの上とはいえ、おそらく世界でも屈指の持続し続けた平和の記録
として語り継がれている、と思う。

 それに対して、維新後昭和20年までのおよそ80年の短い年月に、なんとまあ、外国との戦争を繰り返してきたことか。国際情勢の変
化を持ち出してしまえば、理由づけはつくろえるだろうけれど、支配、侵略に野心がたぎった多くの政治家たちや軍事力という暴力装置
の威力を実地に試したくてうずうずしている制服組による暴走の果ての悲惨な結末が新憲法を産み出し、以来70年に及ぶ平和な時代
をもたらしたが、そうした環境のなかで、戦後生まれの政治家たち、特に政権与党の多くは「平和」の意味を忘れかけているか、はき違
えてきているのではないかと思えてならない。

戦争に対する抑止力を強化することを積極的平和主義という、訳のわからないキャッチフレーズで国民をけむり?に巻いたつもりで強
引に進める「結果的軍拡主義」にわき目もふらず、法律家や学者専門家の異論など意見を聞く耳もまったく持たない安倍政権。
行きつくところは核武装に終結するのではないかと、空恐ろしい気がする。

仮想敵国を意識しているとすれば「抑止力」には「抑止力」で対抗して軍事力のバランスを保つのが平和な社会の維持に欠かせないと
すれば、最大の抑止力は核武装に行き着く。現政権の暴走の果てには、政権の意思で使える「核爆弾」を所有するための材料は処理
の目途さえまったく定まらない発電所の核廃棄物など膨大な量になっているし、爆弾に加工する技術は、たぶん、ふんだんに蓄積され
ていることだろう。

 大げさな、と思われるかもしれないが、政権が仮想敵国として意識しているであろう隣国は核大国であるという事実の
前には、究極の「抑止力」はこの国の権力者が、守ってくれると勝手に信じる米国の核よりも自国の意思で使える核爆弾を持つことに
他ならない。
そうした抑止力は、タガが外れたときは勝まけのつかない究極の滅亡が控えている。ならばと、核保有国は使える核、つまり、小型の
核爆弾の開発に夢中という。

 経済活動がここまでグローバル化して、複雑につながりあっている時代に、国際交渉で何が正義か、よりもどうすることが国益に寄与
するかで動き、その背景に軍事力という暴力装置が無言であるいは大っぴらで威圧している。そんななかで、70年に及ぶ、たぶん平和
と言っても言い過ぎではない社会を築き上げてきた実績は誇りうることだと思う。平和憲法の縛りの中でそれを更に推し進めるのが政
権政党の務めだと思うのに、憲法9条が容易に変えられないのなら、解釈を変えようという、これまた訳のわからない屁理屈で他国の
戦争に参加の道を無理やり開こうという。

 憲法学者の9割がその解釈を憲法違反と断じているのに、学者は政治的には素人だ・といってはばからない政権の浅ましさ。学者が
政治的なことがらには素人だという解釈がまかり通れば、選挙で議席を得ただけの一市民がどうして政治の玄人と言えるのだろうか。
そのうえ閣僚をはじめ首相の独断に右へ倣への要人議員たち。
「平和の党」の看板を葬り去って自民党の補完政党になり下がってしまつた公明党。

 戦前の翼賛政治がどんなものだったかは、歴史小説などで、ある程度知りえても直接的には分からないが、その時代に似てきている
という新聞報道がこのところ目立ってきている。いつか来た道また歩く道の怒りを覚える。
それでも、ここにきてようやく政権党の中にも政策に異論を唱える議員もちらほらではあるものの表面化してきて一筋の光明を無理やり
感じることにしている。そんな少数の党内良識派が主流派たちによって懲らしめられないか・と気になって仕方がない。

 たった一票、されど一票

 70年もの平和をむさぼってきて、さながら平和ボケしてしまった有権者は、選挙のとき、たった一票を行使してみたところで、政治の世
界は何も変わらない・・と、しらけて無関心。事実上は権利を行使しないことによる「白票」が最大票であり、その物言わぬ白票の群れが
実は今日の悪政といってもいいような政治を都合よく動かしているという重大な過失に選挙の棄権者たちは気が付いていないといって
も過言ではないのではないかと思う。投票率が一定を下回った場合は選挙自体が無効として、再選挙を義務付けるなど、有権者をはじ
め社会に責任を負わせるというようなことは出来ないものかとおもう。

それに小選挙区という四捨五入的少数意見切り捨て制度がこの国では、限りなく合法的独裁政治を生み出すという欠陥をさらけ出し
たといえるのではないかと思う。
いろいろ浮き沈みはあったにしろ、70年の平和に慣れ親しんだその先におぞましい時代が現政権の動き次第で待ち受けているような
暗い気持ちにならざるをえない。

現在の政治勢力分布を一強他弱というけれど、繰り返すが、最大であるはずの空白党?が、ものを言う気がないことにより、結果的に
悪政がまかり通っている事実の前にさえ、投票棄権者の群れによる重大な権利放棄を誰も罰する手段がないことに歯がゆい思いがす
る。
自衛隊は戦場に駆り出されない国土防衛隊であってほしいし、軍事より自然災害に立ち向かってくれる頼もしい存在であり続けてほし
い。自然災害やその他の災害から国土と国民を守ってくれることは、宿命的な自然災害国日本には何をおいても必要だろう。
残念ながら現状では、災害復旧への出動は二次的な活動という位置づけにあるようで、震災や豪雨災害の復旧工事などしばらくの間
活動に当たった後は、さっさと本来の任務に戻ってしまう。

前回の総選挙で自民党が圧倒的多数の議席を獲得したとはいうものの、有権者全体の中での比率では、20数%という。選挙の結果
は制度の在り方次第でほんとうに怖いことになる。批判轟々の世論を尻目に、憲法違反の疑いが濃い安保法制、いわゆる戦争立法を
数の力で強行可決、参議院に送ってしまった。

それにしても、世論調査で安倍内閣の支持率が下降線をたどっているとはいうものの、強行可決直前の7月中旬現在で40%台(共同
通信では37.7%)をキープしているその不思議。発足当初からは半減していることを思えば納得かもしれないが、それにしても
60年安保闘争以来ではないかと思われる政策批判の高まりの中で、依然として支持をつなぎとめる世論に矛盾を感じる。その事実が
政治をいっそう危険な方向になだれ込むことになるのではないかと思う。数の奢りはほんとうに怖い。

かつての民主党政権での、あのバラ色?の政策がほとんど挫折に終わったことによる反動が自民党の圧倒的多数議席という現在の
悪政をもたらしたとすれば、民主党政権の失策は重大な結果をもたらしたことにならないか。これからは日本の政治の在り方が変わ
る・と絶大な期待を多くの国民が抱いた、あの昂揚感は、今は昔のものがたりになってしまった。

  原発、リニア、オリンピック

 原子力発電所が確実に動き出そうとしている。

 爆発事故の処理が目途さえ立たないまま、原発列島の再稼働がほとんど秒読みになってきている。私の勝手な憶測だが、電力需要は
足りていて、この先、工場などの機械設備や家庭の電力消費は更に省電力化が進む環境の中で、原発再稼働に何が何でもとこだわる
背景にはリニア新幹線が控えているからだろうと思う。鉄道車両を動かす電力がどれほどのものかということは私には分からないが、
現在の新幹線でさえ、駅構内で3メートル以上上方には金属棒などの誘電物質を含む物体を上げてはならないという。架線からの誘電
で大事故になる恐れがあるというのだ。架線には1万数千ボルトの電流が流れている。東京電力が電力供給逼迫の折、都内のJR線の
一部が間引き運行を余儀なくされた過去も記憶に新しい。

 リニア新幹線は東海道新幹線の消費電力の4倍を必要とする電力がぶ飲み新幹線だ。原発がなければリニアは動かない。リニアと原
発は表裏一体の関係なのだろうと思う。考え過ぎだろうか。
原発事故後、福島では、飼っていた家畜が飼い主によって無念の思いで処分したり、それも出来ずに餓死したり、野生化したり、はた
また、イノシシと豚の混血種が闊歩しているという。処分や餓死した牛や豚の大きな体は、放射能の内部被ばくにかかわる衛生管理
上、土中に埋めることも許されず腐敗し、蛆虫に食い尽くされて、白骨化し、おぞましい光景が展開しているという。

 一部の酪農家による見返りのまったく望めない献身的な世話によって生き長らえている330頭におよぶ半野生化した牛たちが、一
見、平穏に暮らしているというが、放射能に汚染された干し草ロールで命をつなぐ牛たち、最近一部の個体に体毛や皮膚に白斑が現れ
ていて原因が分からないという。放射能による内部被ばくが原因の病変の可能性が非常に高いとみられている。

 また、一部の社会派写真月刊誌によれば、避難した子供たちに甲状腺異常の病変が散見されているという。
 由々しき事態だが、私の知る限り政府は沈黙している。因果関係に確たる証拠がないというのだろう。チェルノブイリでは4年後に甲状
腺がんが多発しているというのにである。事故から4年。原発事故の処理管理はコントロールされている・・という一国の総理大臣たる
地位にいるものの能天気な発言の陰で、原発も自然も人の暮らしも、それに見捨てられた家畜たちも悲惨の度合いを際限なく拡散して
いく。

 国立競技場

なんで壊してから、こんなみっともないことになるのだろう。
まったく腹が立つ笑い話?だ。「伝統的な国立競技場で再びオリンピック」の大見出しを期待したのに、壊してしまってから、金がない。
おまけに、時間もないという。

かつて、愛知万博が「自然との共生とか自然の叡智」などと、結構な謳い文句で海上(かいしょ)の森の自然を破壊し、万博終了後は
高級住宅地や研究学園都市にしようと企んだ地方の行政や関係業界のもくろみは、さすがに、健全な世論に押されて妥協が成立し、
海上の森は、かろうじて保護された。そうした経過がそれまでほとんど見向きもされなかった瀬戸市海上の森の知名度を上げ、現在に
至ってもハイカーたちで賑わっている。この場合は「終わりよければ全てよし」で、お手を拝借ばんばんさいだが、国立競技場はどうなる
のだろう。

スポーツ選手たちの多くは、贅沢三昧なハコよりも安く使える場所がいいと本音をはくのに、慣れ親しんだ国立競技場は既にない。
バブル経済最盛期に本四架橋を3本も造ってしまって、その後の維持管理費もままならない事態に懲りたはずなのに、そのうえ借金だ
らけの国家財政を知りながら首相は人気取りか国会での焦点ぼかしか、その両方をもくろんでか、度重なる外遊で大盤振る舞い、公私
混同の勝手な約束、おまけに他国の戦争に助っ人しましょうという。財政破綻状態のギリシャを対岸の火事扱いでは済まされない事態
がこの国には確実に近づいてくる気がする。

安保法制にしろ、沖縄辺野古への米軍基地移転問題しろ、あまりにも明らかな民意を無視してはばからない自公政権の度重なる横暴
に辟易している。
戦後70年。わたしは、すでに75歳。この世で先々悪夢を見る前に向こうの世界からお誘いがあったら、遠慮しないで出かけましょう
か。迎えてくれるご先祖様に、色々あったけれど、いい人生でした・・とご報告ができるうちに。

文章の締めくくり部分は立花隆の「臨死体験」の読み過ぎによる副作用みたいです。
新国立競技場はこの原稿をまとめた日(7月17日)白紙に戻し出直しとか。
世論に押されて・というより安倍政権の支持低落を食い止めたかったのだろう。
新国立競技場はともかく、首相と政権の人気取りには、今さら手遅れ・を期待している。平成27年7月

8月18日。安保法案は、ついに参議院で可決成立してしまった。
国会議事堂の周辺、地方の大都市などで民衆運動による大規模な抗議行動を尻目に、多数決で押し通してしまった。
多数決と民主主義の在り方に一石を投じる2015年8月18日は、70年目の不幸な歴史のはじまり・として記憶されることになるのかも。






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