山と旅のつれづれ





旅のエッセイ10




                   草津白根山火口風景(パソコン絵画)
四編収録(収録終了)旅のエッセー11へお進みください。

このページの目次









篭大仏

高さ13.7メートル。意外と知名度の低い岐阜(篭)大仏さま(正法寺大仏殿パンフレットから)

 観光鵜飼で名高い岐阜市はまことに風光明媚な大都市だ。40数万の人口をかかえる街の真ん中を清流で知られる長良川が碧い水
をたたえて流れている。
 その街を地元の年金生活者仲間の史跡散策行事として歩いた。
 織田信長が一時は天下統一の拠点にした岐阜城と、岐阜公園に隣接する金鳳山正法寺の大仏様を見物する機会を得た。「見物」で
は失礼かも知れないので、「見学」でもやっばりオカシイとおもうので、信仰心がほとんどなくても、「参拝」或いはくだけて「おまいり」とし
よう。
 人はえてして近いところに観察眼が届かない。その気になれば何時でも行けると思っていると、なかなかその気にならないものなの
だ。
 そういう訳で電車でわずか一時間、グループでの雑談に飽きる前に到着してしまうという近場でありながら疎遠になっていた。
 意外なほど知名度が低いとおもわれるこの大仏様は、何と木と竹と紙と土と漆と金箔で出来ているという。こういう解説文を、実物を
見ないで入手すると、きまってイメージするのは、張りぼて或いは提灯であり、ウスッペラなおもちゃを連想するのだろう。そういう意味で
この大きな仏様は本当に損をしている。

 自己主張の下手な巨大なホトケサマに、変な話だが、いとおしさを感じる。
 およそ二百歳というと歴史的には奈良や鎌倉の大仏様には及ばないにしても、充分な重みはあるはずだし、その風貌は見事に重厚
な大仏様なのだ。たぶん伝統的な日本家屋の土壁と同じ手法で何十にも塗り重ね、その上に経文を書いた紙を張り付け、漆を塗り、金
箔で仕上げたのだろう。竹かごのイメージとは裏腹に金属の光沢は歳月を重ねて渋く輝いていた。そんな大仏様が、公園に隣接する充
分な駐車場も持たない質素なお寺の、それほど大きくもない本堂の中に、どっかりと、しかし、窮屈そうにお座りになっている。奈良、鎌
倉に次ぐ高さ13.7メートルで、三大大仏に数えられるという巨大なホトケサマだ。

 奈良東大寺の大仏殿は、度重なる火災による消失で創建当時よりも一回り小さくなっているというけれど、それでも世界最大の木造
建築として知られている。そんな中で余裕たっぷりの堂内で参拝客や観光客をやさしく迎え入れている。それに対して正法寺の大仏殿
は外見よりも中に鎮座されている大仏様の方が大きく見えるほど小じんまりとしていて、街の中に溶け込み、目立たないのがさみしい気
がする。
 材料に竹を使うという、いかにも岐阜提灯の生産地らしい文化財だと感心しつつ仰ぎ見ていた。

 懐かしい岐阜提灯

 城下町を散策中、岐阜提灯の問屋さんが目に付いた。最近、各地で復活しつつある夏祭りの盆踊りなどに需要が増えてきているのだ
ろう。素朴でなつかしい光景に接して、幼かりし頃の一端が蘇ってきた。
 母子家庭の私たち家族は、寸暇を惜しんで生活の足しにと様々な内職やアルバイトに励んだ。そんな中で、提灯作りが中学生の私に
は、生活費の不足を補う悲壮感というより、ほんとに楽しい工作として遊び感覚で励んでいた。

 型板を組み上げ、竹ヒゴを螺旋状に巻きつけ、その上に朝顔や花菖蒲などのいかにも夏らしい絵柄に彩られた型紙を貼り付けて、乾
けば型板を分解して取り出すと、夏の夜の盆踊り会場を素朴に景気づける祭り提灯になる。その過程が面白くて大嫌いな学校の勉強
や宿題を忘れてもへっちゃらだったのだ。
 なにはともあれ、幼かりし頃の記憶の一端を思い起こしてくれた楽しい岐阜大仏、そして岐阜提灯のある初秋の岐阜の街の散策でし
た。  散策グループの中でひとり昔の記憶を辿っていたら信長ゆかりの地であることをすっかり忘れていた。
 それにしても今年の夏は長い。この日は9月20日。

 爽やかな秋かぜと血がしたたるような彼岸花の赤という、一見、アンバランスとも感じられる取り合わせが、作今は初秋の風物詩とし
てもてはやされている季節だというのに33度の汗だく散策だった。どうなっているのだろう。

調べてみれば無数にある大仏様 

 ちなみに、世間から存在を忘れられそうな岐阜大仏にお目にかかったついでに、全国の大仏様を調べてみた。なんと数メートルの小
さな大仏様?を含めると、ざっと眼を通しただけで50を超える大仏様が鎮座ましましている。奈良の大仏様を凌ぐ巨大な現代大仏も数
例は見受けられることに気がついた。東京大仏も名古屋大仏もある。あまりの多さに詳しく調べてみる気持ちが失せてしまった。それに
大きな観音様も大仏様とすれば、その数はもう無数?にある。
 大きすぎて仰ぎ見るばかりで、儀礼的にさえ手を合わせることも忘れてしまいそうだ。

 ありがたあい仏様も歴史的な背景、適度な位置関係、眼の高さなどに心理的に影響されるような気がする。それにしても大仏様の大
量生産?はあまり気持ちのいいものではない。
 各地にある巨大な観音像など、あの大きな女神?は特によくない。と思う。









禅昌寺、千光寺巡り


下呂 禅昌寺。雪舟の名画「達磨の図」と庭園で知られる山里の古刹。
 

 目的は巨樹との出会い

 かみさんがおばさん友達と旅に出たこの日はいわゆる、鬼のいぬまのお洗濯?で、おとなしく留守番などしている気にもなれず、天気
にも恵まれたことだし、それに何処へ行くのか、とか、何時に帰るのかとか、面倒で応えにくい返事をする必要もない自由な時間なの
だ。それに、巨樹を観にいくなどと云おうものなら、けらけら笑われるだけなのだ。そんな訳で、ここをチャンスと最低必要な寝具まで積
み込んで、さみしくのんきに交通事故にだけは気をつけて、いざお出かけです。

 「巨樹巡礼」はわたしのライフワーク。四国八十八カ所を巡る旅とたぶん同じような感覚で「悠久のときを重ねて醸成された生命の自
然の芸術」を見てまわる楽しさに浸っている。
 そんなものを観るためにわざわざ金と時間をかけて、そこまでするのかと言われそうだが、誰が何と言おうとそこまで行かなければ観
られないものを観る、ということに意義があるのだ。

 パチンコ屋の、あの、強烈な騒音と人いきれの中で孤独なギャンブルに熱中したり、魚釣りに興じたり、一日中読書三昧だったり、そ
れらの趣味道楽などと、ことは同じなのだ。他人に迷惑をかけるわけでもないし、一朝一夕で絶対に出現することのない天然記念物な
いしはそれに準ずる雄大な生命体を、心をおどらせて観にいくのだ。こんなご高しょう?な趣味に時間も金も使わせていただくことに幸
せを感じている。いや、たぶん本当にそう思っている。そう思っていたほうが楽しいと信じている、ことにしている。ああ、ややっこしい。

 やっぱり、どこかに迷いがあるのだろう。こうしてお金も時間も使うとき、  
 もうひとりの自分と「独り議論」をやってその上で行動をやめたときは、いつも小さな後悔の中にいる。
 だから、行動しないで後悔するより行動を起こして収穫をものにしたときは、意気揚々と帰ってくる。なのに、次の機会には、また同じよ
うな独り議論を繰り返すことになる。性格だからしょうがない。

 今回は下呂禅昌寺の大杉と高山千光寺の五本杉に会いに行くことと、せっかくそこまで行くのだから周辺観光を兼ねて一泊車で野宿
することにした。
 ダントツ世界一高い高速道路料金を払うのがばかばかしくて、岐阜県に入ってしまえば快適な幹線国道をタダで走らせてもらう。高山
市まで高速道路を使えば60分ほどの時間を稼げるが、3千円の費用が要る、つまり、60分の時間を3千円で買うことになる。それが高
いか高くないか、などとケチなことを考えるとき、やっぱり独り運転ではお金がもったいないなあなどと、つまらんことを気にしてしまう。こ
ういうのを合理的ケチというのだろう。或いはしがない年金生活者の悲哀とでも言おうか、などなどとお考えになっているうちに数十分の
時間が過ぎてゆく。そうして、やっぱり得した・・と明るい納得をすることになる。


飛水峡の一部。飛騨川の流れが刻む長大な峡谷。上方は国道41号

 道草も楽しい国道41号ドライブ

 木曽川の支流である飛騨川沿いの風光明媚な山岳道路、国道41号を走っていると、一人旅でも殆ど退屈することがない。信号のほ
とんどない快適なリバーサイトコースのこの国道は飛騨川の流れが刻んだ深くて長い峡谷と並走するかたちでうねっているためか、多く
のドライバーたちは眼下に展開する岩に刻まれた峡谷の底に光る水面や「飛水峡の甌穴群」の景観に低い乗用車の窓からは眼が届
かず、したがって接することもなく目的地に向かって一目散に通り過ぎていく。

 せっかく一般国道を走っているのだ、沿線観光を省略するのはもったいない。
 十数年か二十年にもなるだろうか、二台の観光バスが豪雨の飛騨川に、山崩れもろとも一瞬にして転落し百人を越す犠牲者を出し
た、あの、「飛騨川バス転落事故」の慰霊碑「天心白菊の塔」に当時の記憶を辿りつつ合掌し、峡谷の景観をしばし散策のあと、休ませ
ていた車を発進すればほどなく左右の山が開け下呂に到着です。地元では日本三大温泉と自画自賛している大温泉街「下呂温泉」。

 下呂温泉は天下の大温泉だが、仕事が現役の時代に同業組合の会合などで度々訪れているので新鮮味がなく、通過点とさせてもら
った。
 その温泉街の北に隣接する、JR高山線、その名も「禅昌寺駅」に近く、国道41号線沿いに佇む名刹「禅昌寺」。境内は広くはない
が、名園と雪舟の名画「達磨の図」で名の知れた古刹だ。


 禅昌寺大杉。右側に大きなこぶがみられるものの、素直な樹形がたのしい。
人と比較するとその大きさが分かりやすいので、入ってもらったことにしているが、
種を明かせば、三脚を立てて写したこのHP管理者である私自身です。


 素直な樹形 「禅昌寺大杉」

 中部、東海地方には意外なほど杉とクスノキの巨樹が多い。
 しかも、杉に関しては姿かたちが秀麗なものが割合多いのも特徴だと思う。
 この、禅昌寺大杉も古刹に守られて、或いは大杉が古刹を守ってか、まっすぐに堂々とそびえている。
 下呂温泉に非常に近い位置関係から、観光客の来訪も多いようで、この日も幸い居合わせた観光客を写真の中に捉えることが出来
て、この樹の大きさを強調するのに大変役立っていただいた。

 幹周り12メートル(国内で現存する最大樹は16メートルを超える)というので、とりたてて巨大というほどではないが、真ん丸い樹幹は
その外周から、単純に円周率を当てはめれば直径は四メートル近くに及ぶものとおもわれる。
 比較対象に人が入るとがぜん、その迫力が数段の違いで強調される。

 ここまでは自宅から2時間あまり。遠いといえるほど遠くはない。目的地「高山千光寺」はここから先50キロにある。それに、ここまで
来たらついでに付近の名だたる観光地も観てみたくなる。そういうことになるので布団まで積んできたのだ。単独での観光ホテル利用は
レストランでの食事のときなど、相手がいないと場違いな感じでいたたまれなくなる。それに単独客は歓迎されない傾向にあるのでどうし
ても車中泊になる。

 飛騨川の流れは「益田川」と名称を変え、車は下呂温泉街を通過すると何時の間にか分水嶺を通過して、現れた流れは日本海に向
っていることに気がつくと間もなく「小京都高山」に到着です。
 今回の一人旅の第一の目的地「千光寺五本杉」は高山市郊外の深い山中にあった。


千光寺五本杉。競い合って天を目指す樹形が印象的。一本あたりの樹幹は巨大ではないが、
合わせればかなりでかい。

 珍しく競い合う千光寺五本杉

 伽藍に到達するほとんど専用道路の途中に目的の「五本杉」は聳えていた。数本の大木が根元で一体化していて、競い合うように天
を目指している。たぶん、合体木だと思われるが、競い合うという成長の仕方は珍しいとおもえてならない。ほんとうに仲良く真っ直ぐな
樹幹が印象的な風景を形作っている。そんな佇まいに感動していて、はたと気がついた。昼飯を食べるのも買い込むことも忘れてい
た。
 そこは本当に深い山の中だ、清冽な水意外に食べ物など調達できそうにない。独りで行動するとき、私は昼食を省略してしまうことが
よくある。
 よくないことだが、空腹感があまりなく、なんでもないことなのだ。

 ところが、千光寺の門前を目前にして後悔してしまった。お寺を巡る一周4キロ、四国八十八カ所のミニチュアともいうべきトレッキン
グコースが整備されているのだ。私はこんなコースを見つけると思わず歩きたくなってしまう。ところが、いくらなんでも昼飯抜きではアッ
プダウンの大きい山道の4キロは、ちょっと辛い。

 このことが、今回の行動予定のつまづきになってしまった。このトレッキングをまたの機会に残すことにしたことから、千光寺の円空仏
にお目にかかることも、宇津江四十八滝巡りのウオーキングも、その他気がついたところの観光も全部省略して一目散に帰途について
しまった。

 寝具は積んでいるものの実際に車で野宿はそう簡単にできることではないのだ。道の駅などで車中泊はトイレも売店も完備していて
不便はないが車の出入りが多くて落ち着かず、山の中に入ってしまえば寂しすぎるし、危険な猛獣はいないものの、そんなところで不心
得な人間に襲われでもしたら大変だし、実際、考えてみるとそういう場所ではもっとも怖いのは人間なのだから。
オートキャンプ場や都会のビジネスホテルを捜して利用するのが安全だが、どういう訳か帰りを待つ人のいない自宅に足が向いてしま
う。

 ふたつの巨樹を観るという当初の目的を果していることもあり、その日の内に帰り着いて、安堵感と小さな後悔と、またの機会への期
待とをないまぜにしつつ、自宅の冷蔵庫を開けたら思いがけず缶ビールが私を待ってくれていた。
 ひと気のないわが家にひとりさみしく帰り着き、冷えたビールにお目にかかったとき缶ビールが「御ビール様」に見えてきた。人間の感
情は現金なもので、今日一日が満たされた一日に突然変異していた。

 実は、前項の「禅昌寺、千光寺巡り」には後日談があります。
 文章を書いたものの、その文章と一体であるべき写真を保存していたフォルダが行方不明になってまった。やむを得ず、また150キ
ロかなたの高山市まで写真撮りドライブということに。定年自由おじさんだからこんなことができてしまうのだ。ことのついでに、前回断念
した千光寺ミニ四国八十八箇所トレッキングと宇津江四十八滝、それに帰り道の飛水峡の散策をセットにしてミニ旅行を楽しんでしまお
うと、これまた独りで巡ってきてしまったのです。
 そのときの写真を何枚か貼り付けることで、面白味のない文章に幾らかの彩りになればとやってみたのだけれど、さて如何でしょう
か。


一周2時間。ミニ八十八箇所は起伏の激しいトレッキングコース。
滅多に人に会うこともない薄暗い林間の遊歩道は、のんびりしていて、少し怖い。







玄武洞、経が岬


経が岬灯台

 兵庫県豊岡市。山陰の入り口に当たるような地域にあるこの街のはずれへ、わざわざ独りで巨樹探訪の旅に出かけた。そのときの
寄り道「経が岬」「玄武洞」観光のひとこまです。
 主目的の「旗上の大トチの樹」は深い山の中にあって、所在を尋ねる人にも巡り合えず、そのうえ案内表示も不備で四輪駆動車でも
躊躇するほどの粗末な林道を延々と辿った先にありそうな雰囲気なので、無難な位置で車を休めて歩くことにした。大まかな地図上で
は、2.3キロ先と予想して歩き出したものの、不用意にも気がついたら飲料水も持たず、手ぶらでカメラだけは忘れずに歩き出してしま
っていた。潜在的に体調が良くなかったのか、一時間ほど登ったころ、遠くの山の稜線や近くの立ち木が二重に見え出した。

 以前にも経験している脱水状態だ。足元の遠近感覚がおぼろげになり、危険な状態であるということを、帰宅して調べて胸をなでおろ
した記憶が蘇った。
 もっとも、そのときの経験は木曾の御嶽山を4時間かけて踏破したとき山頂で異変を感じて慎重に下山し、麓のペンションに落ち着
き、お茶を頂いたとき快方に向かっていた。今回はたった一時間のおだやかな登りで異変を感じるという信じられない事態に愕然として
しまった。70歳の直前という年齢を意識せざるを得ない。軽率な行動を慎みたい。

 目的のトチの樹との出会いを断念して、慎重に引き返しつつ渓流の水にありつき、体調の快復を待った。水分を補給したからといって
急速に快復するわけではないが、気持ちは落ち着く。一般的に高齢(わたしは現在68歳)になるとのどの渇きに鈍感になるといわれて
いて、運動時はことさら意識して水の補給を心がけることが必要とは分かっているつもりでも、つい、忘れてしまう。

 車にたどり着き、一息いれたら、気持ちが落ち着いた。
 車の中という一種の「縄張り空間」とでもいうべきシートに身を沈めると、不思議に気持ちが落ち着く。その相乗作用によるものか、懸
念した症状は消えていた。それにしても飲料水も持たずに歩き出すという不用意な行動は慎むべきだが。
トチの巨樹との出会いは後の機会に待とう。あと一息といった距離で断念したことになるが、現地の事情は"実地調査"で確かめたよう
なものだから。

 それにしても、自宅からは二百数十キロ、一泊しての行程を身から出たさびだが惜しい事をしてしまった。深い山の中に人知れず存
在する巨樹は、情報が乏しく、こういうことは時としてある。ま、下見だとおもえばいいが。
 独り旅は道中での感動を共有する相方がいない淋しさと引き換えに自由な行動という孤独な面白さに惹かれて、たまにはやってみた
くなるものなのです。 

 ただ、リゾートホテルのレストランで、ファミリーや気の合ったグループなどで華やいだディナータイムの雰囲気のなかで独り黙々と食
事するときの、あの場違いな空気には閉口するので、単独行動のときは、必ず都市部のビジネスホテルを利用することにしている。
 観光ホテルと違って宿泊と食事は大抵が別会計になっているので、食事は商店街に繰り出すか、コンビ二で買い求めた弁当を持ち
込むことで費用も格安で済む。ホテルの一室におさまり、コンビ二の電子レンジで温めてもらった幕の内弁当に自販機から取り出した
缶ビールを開けて独り静かにのんびり、といえば聞こえがいいが、何ともわびしい気持ちになってしまうけれど、誰かに見られているわ
けでもないし、まあ、これはこれでしょうがない。


丹後半島経が岬、最果ての断崖  

 けちけち旅も旅の内なのです。地方の安いビジネスホテルに単独で宿をとるとき、意外に目立つのが白人系の外国人だ。アジア系に
も出会っているのだろうけれど、チンプンカンプンな会話に接しなければ人相の上ではわからない。
合理的なけちけち旅行は旅なれた外国人の方が自然にすなおに馴染んでいるようだ。
 さて、第一の目的は不発に終わってしまったけれど、ここまで来れば寄り道に「旅に来た甲斐」を捕まえなければ帰るわけには行かな
い。
 行き当たりばったり無計画な行動でも、となりの座席で不安がったり文句を言ったりする同行者がいないということは、本当に気楽だ。
 山陰地域の入り口「丹後半島」を黙々と一周することにして、立ち寄った経が岬は、白い大きな灯台が印象的な、最果ての海だった。
 ロマンチックな雰囲気に包まれる全国の岬の灯台は、いまではほとんどが無人で遠隔操作されていて、燈台守の居宅などの生活臭
が消え去り、そのことが最果てのムードを一層かきたてている。

 海岸に沿って延々と車で走るとき、それは見慣れた海であり、取り立てて感慨はないことが多いが、半島の先、岬の先端に立つと旅
先でひとつの目的を達した充足感と相まって心地よい一種の感傷に浸っていることが楽しい。
 岬の先端や灯台の足元から見晴るかす水平線は、一点から見渡せば当然丸い。遥かかなたを望んでいるつもりでも、眼の位置から
見える水平線は僅か数キロ先の水面に過ぎないという。それにしても日本海は碧い。

 もうひとつの無計画な立ち寄り先「玄武洞公園」は、ここにこと細かく下手な文章を書き連ねるより、写真にものを言わせたほうが良さ
そうなので、そういうことにします。玄武洞公園の数箇所にある洞窟は限りなく人工的な彫刻芸術をおもわせる「自然の造形」の極地だ
とおもう。
 所在地も整備された地方の道路沿いにあって分かりやすい。


玄武洞公園の一角。自然の芸術とは思えない横向きの柱状節理。


立ち入ることはできないが、壮大な洞窟が4箇所ほど散在している。
起伏の多い公園内の石段はすべてこの自然に形作られた硬い玄武岩をそのまま利用している。







与論島洋上の真珠

旅のエッセイ11、「徳之島戦艦大和の慰霊碑に合掌」「奄美大島ふたたび」を含めて三部作です。
このあと旅のエッセイ11にお進みください。

与論島、百合が浜。
サンゴの残骸が作り出した限りなく白い砂と、透明な水が空の青を反射して映し出す
エメラルドグリーンの身も染まりそうな清冽な海。

  沖縄より近い与論島は本州や四国から直行便がなく、鹿児島空港で乗り継ぎになり、空の交通費が高く時間もかかるけれど、離島便
の多くが小さな飛行機で結んでいるので、飛行機に乗る機会の多くない観光旅行者には好都合だ。幅が狭いため大型機のような下界
のまったく見えない座席に着座させられる不運を避けられるのが楽しい。

  鹿児島を離陸したMD81は細くて長く、エンジンは尾翼の付け根付近の左右に位置していて、主翼も他の機種よりも後方にあり、何とも
アンバランスで鶴の首を連想させる雰囲気がある。日航系のコミューターだが、折鶴を思わせるあまりにも日本的な尾翼のマークが親
会社も含めて無粋な紅白のマークに変えられてしまったことが惜しいような気がする。
さんご礁とリーフに囲まれた南西諸島の島々は、着陸直前の上空からの景色が何と言っても圧巻なので、座席が窓に近い小型機の
意味は大きい。

 東シナ海と太平洋を分ける位置に小さい、ほんとに小さくて丸い与論島は正に「洋上の真珠」という形容がぴったりの島だ。カメラを荷
物室に預けてしまって後悔した。
南西諸島の孤島には、緊急時の必要性もあってか大部分の有人島に空港が設備されている。割合に大きな島の空港はそれなりにそ
の形態を整えているが、与論島のような小さな島の空港は短い滑走路の一角に簡素なターミナルが寄り添うだけの素朴な雰囲気だ。

 それでも観光案内の地図を広げてみると島が小さいぶん非常に大きく感じるのがおもしろい。空港の係員の立ち居振る舞いもまるで
田舎の鉄道駅に似ていて何となくメルヘンチックな気分になる。田舎のオジサンのような係員の誘導に従って少し歩くとそこは既に空港
建物の出口だ。空から降りてきたことを忘れてしまいそうな雰囲気が楽しい。与論島空港には鹿児島からたった一便、那覇から一、二
便、小型機が降り立つだけだ。

ガイドもドライバーも兼業

 空港で待っていた観光バスのガイドさんは、島のサトウキビ農家の兼業で臨機応変に駆りだされてガイドを引き受けているという。運転
手もまた同じ。その上、貸し切りバスは、本土で使い古したおんぼろだ。外観は錆だらけ、内装はやぶれが目立ち、暖房が限りなくこわ
れている。小さな島では動けばいいのだそうです。 
後に本当に壊れて一時、動かなくなったけれど、このことについては、記すのを遠慮しておこう。何、再び動いたのだからそれでいいの
だ。
意外に寒いといっても其処はそれ、限りなく亜熱帯の島は本土に比較すれば10度はちがう。夏のクーラーはともかく、壊れたヒーター
は暦の上では冬でもほとんど気にならない。人も車も現地の間に合わせという面白い組み合わせが孤島の観光らしく、かえって楽しく印
象深いものにしている。その上、島の暮らしに密着していてよそ行きではないガイドと気さくなドライバーに気持ちが洗われる思いだ。

ドライバーもガイドさんも素朴で暮らしやすい島に惹かれて島に伴侶を見つけて移り住んだ新住民でこの島でしあわせに暮らしていると
いう。完璧な方言(といってもさっぱり意味が分からないので完璧かどうか分からないが、まあ、そう云うことにしよう)に接すると「ほんと
かいな」と思うけれど、心底馴染めば理解も早いのかもしれない。


百合が浜、引き潮で海面の上に現れた砂州。サンゴ礁と白砂の浅い海が続く。
 本土では見られない白い砂が海面の色を信じられないほどに美しく見せる。

 かつて、屋久島でも島に惚れ込んで移り住んだ人の方が名ガイドだったりしたことがあるが、案外にありがちなことかもしれない。た
だ、屋久島の旅で感じたことだが、その島、或いはその地域の暮らしや風物の魅力に惹かれて移り住み、観光ガイドなどで積極的に活
動する新住民によって地域の活性化につながるものの、商売の下手な地元の民宿などの営業に深刻な影響が及んでいる実態を聞か
されて複雑な気持ちを抱いた記憶がよぎった。地元民の勉強不足と云ってしまえばそれまでだが、商売や生活の糧を充分に研究したう
えで流入してくる新島民の真剣さが理解できない訳でもない。

島の標高は98メートル

  さて、隆起さんご礁で形成された島の標高は98メートルしかない。100メートルはほしいというので、土地の所有者が二メートル分の
岩石を積み上げたという。ところが人工的な構造物はたとえ岩石でも土でも認められないという。かくして、依然として公式には98メート
ル。その98メートルと同じ高さの島中央にある展望台からは、周囲たった二十数キロの海岸線が一望に見てとれる。エメラルドグリー
ンに輝く珊瑚礁とそれを取り巻くリーフの白い波頭に囲まれた海を見渡すとき、それは大げさではなく、ゴマ粒にすぎない。

  いかに暮らしやすい気候と犯罪に無縁で素朴な人情がタカラモノとはいえ、開放的な海に閉ざされた日常の行動範囲を考えれば、一
旅人としての感傷的あこがれにとどめて、一期一会の出会いの楽しさに満足しよう。
生活習慣の多くが琉球列島に似ているなかで、終の棲家つまり、お墓に関しては本州のそれと合体したような雰囲気があり、興味を惹
いた。(南西諸島の島々では、浮世は仮の住処であり、お墓を終の棲家という解釈が伝統的に受け継がれているという)

  沖縄に多い亀甲墓ではなく、四角な墓標が建ち並ぶ中で、その脇に埋葬されたホトケサマは3年後に掘り出されてきれいに丁寧に洗
骨してもらって、同じ場所に設置された大きな陶製の坪の中に足から順に収めて永遠の眠りにつくという。狭い島での合理的な知恵な
のだろう。一見、気持ち悪い・・と思い勝ちだが、ご先祖、親族とのつながりを重んじる島人の気持ちの優しさがにじみ出ていると解釈す
るべきことだろう。以前に沖縄本島を旅したとき、それぞれ家型の広い墓の敷地で料理を広げ、一面がさながらピクニックのような賑わ
いのさなかにあった光景を観光バスの車窓から垣間見たことを思い起こしていた。ご先祖様と交わる催事の日に偶然出会ったようだ。

花粉症避難の臨時島民

  杉林がないこの島は花粉症に悩まされる本土から、春先の一時期避難してホテルステイを楽しむリッチな客がいるようで、コテージ式
の豪華なホテルは格安料金で長期宿泊を提供している。わたしなど、庶民には格安とは言っても高嶺の花だが、珊瑚礁の海を楽しみ
ながら、飽きるまで逗留するご身分に羨望をおもう。

  沖縄最北端、辺戸岬との距離は28キロ。沖縄よりひと足早く米国の占領支配から開放されたこの島は、クリスマスプレゼントとして返
還されたという。めでたいことには違いないが何だか人も島も物扱いされているようで、いかにも米国的な扱いに、解説を聴いていて釈
然としないおもいが残る。

  返還後は一時期、新婚旅行のメッカになったはずだが、時代と共に忘れ去られている。もっとも、小さな島に観光客がどっと訪れたの
では雰囲気も環境も乱されるおそれがあることをおもえば、現在の適度に不便なアクセスはいいことなのかも知れない。
それにしても鹿児島県は広い。鹿児島市から飛行機で70分飛んでも依然として、そこは鹿児島県だ。


琉球と本土の折衷型のような墓地。家型の下に埋葬されたホトケサマは、3年後に
親族の手で掘り出され、丁寧に洗骨されて手前の坪に永久の眠りにつく。

南西諸島の島々の伝統的な民家には玄関がない。
一見して奇異な感じを受けるが、悪意を持って侵入してくる恐れがないことの証明のようだ。
平和な風景です。






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