山と旅のつれづれ



旅のエッセー11




                              白神山地、ぶなの森(PC絵画)


このページの目次




収録終了、旅のエッセイ12へお進みください。








 徳之島 戦艦大和の慰霊碑に合掌


(旅のエッセー10「与論島、洋上の真珠」の続きです)


戦艦大和慰霊の碑。この沖に3800柱の若き命が眠っている。


 与論島観光のあと、同島から長距離フェリーで沖永良部島を経由して4時間。のっぺりした安物の絨毯敷きの二等船室は何度経験
しても未完成な建物の中みたいで落ち着かない。沖縄から鹿児島までの超長距離航路なので、夜間航行もあるし横になれるスペース
が自然なのかもしれないが、途中の数時間利用者には座席がくつろぎやすいと思うのに、仕切りのない床におもいおもいに寝そべる格
好は絵にならない。まるで災害時に緊急避難場所のようだ。
別料金で個室利用もできるが、昼間だし時間的にも中途半端でその気にもなれない。

 徳之島は珊瑚礁にかがやく与論島とは趣を異にしていて、割合に高い山々を背後に背負って西側の海岸は東シナ海の荒波に揉まれ
て侵食され、紺碧の海と豪快な海岸美を見せ付けていた。太平洋側はリーフに囲まれた亜熱帯の海が広がっていて、島の東西でまる
で違った海岸風景が特徴であり魅力でもあるようだ。

 冬型気圧配置の只中にあって、東シナ海から打ち寄せる豪快な波の彼方に、不幸な時代に生まれてしまった3800人の若き命と共に
沈んだ戦艦大和の慰霊碑が丘の上にさみしく天を突いていた。東側海岸の浅いサンゴ礁に彩られた穏やかな海とは対照的な深く黒い
ほどに碧い海から押し寄せる荒波が岸壁を鋭くえぐり、悲惨な過去をいやが上にも象徴しているようだった。 

 この風景を前に佇んで、つい最近話題を呼んだドキュメンタリー映画「男たちの大和」を観そびれてしまったことを少し後悔していた。
 慰霊の碑はあまりにも巨大な墓標だ。碑を囲むコンクリートの頑丈な柵が、それでも朽ち果てかけている光景が気になった。

 巨大なペット、闘牛

 闘牛が盛んなこの島には筋骨隆々、戦うために育てられた猛牛が400頭を越えるという。闘牛用に品種改良した或いは気の荒い種類
の牛ではなくて、黒毛和牛の牡を戦うための訓練を施すという。それに闘牛といっても、スペインの、あの凄惨なショーではなくて、分か
りやすく言えば「相撲」だ。事実、相撲と同じ階級がつけられている。
 背中を見せたら負け。角が折れたり外傷を負ったりということはあっても手塩にかけた愛しき巨大なペットを悲しませるようなことは滅
多にないという。

 島の人口はおよそ13000人。世帯数が5300世帯。単純に割り振ると13世帯に一頭の割合で闘牛のために育て上げた雄牛が存在して
いる。しろうと考えだが、観光資源として潤っているとはとても思えないし、巨大な体重を維持するための経費も大変だろうと、あらぬ心
配をしてみたくなる。離島の男たちの素朴な道楽、それをやさしく支える島の風土が育んだ心豊かな伝統なのだろうと解釈してみたが、
たぶん当たっている。

 この国には四国の宇和島、新潟県のちょっと思い出せないが小さな山村、まだ他にも闘牛が受け継がれているが、いずれも「牛相
撲」だ。農耕民族をご先祖様にいただく日本人の気持ちのやさしさがにじみ出ている・・とわたしは勝手に解釈している。
 肉牛として各地の銘柄牛として肥育される子牛の生産地であり、幼牛が各地に出荷されている隠れた幼牛供給地はこの小さな島なの
だという。
 世界最長寿の記録を残して大往生を遂げた泉重千代さんは何と120歳と237日。しかも、長寿2番目の記録を持つ本郷かまとさんは
女性として世界一の長寿をまっとうして116歳と45日で生涯を閉じている。元気で長生きと牛相撲で素朴に逞しく戯れる男たちを初め
とする島の生活文化は太いつながりがあるような気がする。


徳之島。犬の門蓋(いんのじょうぶた)
打ち寄せる荒波が作り出した奇岩。飢饉の年、野生化し異常繁殖した犬をここから突き落としたという。









奄美大島 ふたたび


(与論島洋上の真珠。徳之島戦艦大和の慰霊碑に合掌に続く三部作にて完結です。)


奄美大島、ジャングルにも似た亜熱帯の森。島中いたるところに見られる。


 徳之島からフェリーで2時間あまり。繰り返すが中長距離フェリーの二等船室は海上交通に関わる法律的にそうなっているのか、或い
は建設費が安上がりだからなのか、分からないがここでも緊急避難の体育館の雰囲気だ。落ち着かないし旅情の雰囲気にもかけ離れ
ている。ただし、平たい床に横になるという姿勢は船酔いの軽減には確かに役に立つ。これは実感だ。

日本列島に付随する島のなかでは、沖縄本島を行政上は島というより「県」扱いしているといい、それを除けば佐渡島に次いで二番目
に大きな島なのだそうです。

 数年前に訪れたことのある懐かしい島だ。
 前回は個人旅行で三泊し、ゆったりとレンタカーで巡ったが、今回は小型のバスで二十七人で満席ツアーの一員としてのお任せ旅行
だ。与論島まで飛行機で飛んでフェリーで戻りつつ徳之島、を含む三島めぐりの旅は連絡船の発着時刻やレンタカー或いはタクシーの
手配などわずらわしさから開放され、旅行社にあなた任せで気楽なうえにガイドさんの丁寧な案内に個人旅行では中々得られない情報
にも接することができて、捨てがたいものがあるが、一面で旅の緊張感がない。贅沢をいえばきりがないが。

 さて、久しぶりの奄美大島は、夕方に船から降りて宿に落ち着いたあと、ホテルのレストランではなく、街なかの居酒屋に案内するとい
う粋なはからい?をやってくれた。
 居酒屋とは何ぞや、ということになりそうだが、レストランでもなければ、バーやスナックでもなし、ようするに、居酒屋は居酒屋なのだ。
 広くもない店内に窮屈な居心地だったが、徹底的な郷土料理の大判振る舞いと三線(蛇皮線)島の歌者(歌手)による島歌のショーは
舞台と客席という隔たりのない渾然一体の盛り上がりに一同は陶酔していた。かつて、日本列島は何処でもこんな宴会風景がみられた
はずだが、カラオケが蔓延して以来、歌いたい人たちのマイクの奪い合いとほとんど聴いていないグループに二分され、しらけたムード
におざなりの拍手が乾いた音色で響いていても違和感さえなくなってしまった。

 それまでは歌う人は合唱し、歌えない人は手拍子やハミングで応え、全員参加で和気藹々の宴会風景が普通にあったはずだが、今
やまったくと言ってもいいほど陰をひそめてしまった。大事な伝統的雰囲気をこうまで徹底的に忘却してしまっていいものかと個人的に
は寂しい気がしている。奄美の居酒屋で楽しいひとときを満喫しながら、こんな想いにふけっていた。

 飲酒の量は自主申告

 この晩の食事はツアー料金に含まれているので支払うのはそれぞれに注文するアルコールなどドリンクだけだが、この支払いがふる
っていた。伝票がまったくなく、「お帰りの際に自己申告で結構」という。おおらかな接客態度に島人の、人の良さを感じる。
ドリンクはどれでも一杯500円也。「何杯注文しました?」「二杯だったか四杯だったかなあ、分からん」「じゃあ三杯にしましょう」こんなや
りとりが交わされていた。

  もちろん、わたしと店側のやりとりではありません。レジでわたしの前に並んだツアー客のひとりが大真面目を装った?つい今しがた
の記憶を辿る態度が微笑ましくて、つい笑ってしまいました。のんべは愉快なのがいちばんです。しかしあの人、いささかピッチが早かっ
たので、してやったり・・と、ほくそ笑んでいたことだろう。それを店のレジ担当者が承知の上で、大風呂敷で包み込んでくれていたことを
知ってか知らずか、面白い光景ではありました。

 余談になるが、病気の患者が、医者の前で日常の飲酒量を尋ねられたとき、例えば「一合ぐらい」と答えたとすれば、カルテには「二
合」と記すと聞いたことがある。それほどに飲酒愛好者の自己申告は当てにならないということなのだろうけれど、おおらかな店の対応
に気持ちが洗われ心地よい酔いが更に倍化していた。

マングローブの森の水路を行く、にわか仕立ての観光カヌー。
インストラクターの指導のもと、メダカの学校よろしくゆらーりゆらり

 多分、五年ぶりの奄美大島は、やはり観光化という面では変化していた。分布の北限と云われるマングローブ林は踏み跡のような遊
歩道に架かる橋などが朽ち果てていて、利用不能になり、それに代わって簡便なモノレールが目と鼻の先といっても言い過ぎでないほ
ど近い丘の上まで敷設されおり、マングローブ林を一望にできる。まるで、少々長いエスカレーター程度の設備だ。ミカン畑などで荷物
の上げ下げに使われている一本レールの昇降機の兄貴分程度の設備に数人の定員を載せてのんびりと上下している。マングローブ
が作り出した台地を踏みつけないという配慮なのかもしれない。

 自然保護の観点からは止むおえないことであろうけれど、足を使いたい旅人には物足りなさを感じる。河口に展開するマングローブ林
とともに巨大なシダ植物「ヒカゲヘゴ」が奄美の森に亜熱帯のムードを引き立てている。
与論島から徳之島を経由して奄美まで北へ移動していながら奄美の森は、より南の雰囲気を醸し出している。ヒカゲヘゴはその代表的
な樹種でフクギや芭蕉布の原料になるイトバショウなどと共に明らかに本土とは異なる常緑の森を彩っている。

 田中一村記念館

 奄美に流れ着き、生涯を過ごした不遇の日本画家田中一村の遺作を展示する記念館が新設された奄美パーク内に併設されていて、
作品にようやくひかりが当てられている。

 信念を貫き通し、生前、画壇にはほとんど正当な評価に恵まれなかったといわれる田中一村は、生存中ここに収蔵されている数多く
の作品のすべてを公開していなかったという。島びとの善意に恵まれ、自給的な暮らしに徹して漁業や島の労働でわずかな日銭を稼
ぎ、それを元手にひたすら描き続け公開もせず、若くして病死し、描き続けた奄美の風景や風物に徹した数々の作品が生前に世に出
ることが全くなかったという。

 しろうとには訳の分からない抽象的な絵とちがって、日本画や写実画は観ていて分かりやすく、本当に楽しく時間を忘れるひとときだ。
奄美の風景、風物にとことん拘って描いているうえに、地元奄美の文化施設に展示されていて印象的な作品群にみとれていた。

 太平洋と東シナ海を分ける海

 島の北部「あやまる岬」は「手毬」という意味があるという。岬の突端に立てばどこでもそうだが、水平線は当然丸く見える。一点から無
限大の彼方を見渡せば当たり前なのに何故か不思議なことのように思えてならない。面白いのは、突端から続くほぼ直線状の岩礁の
ひとつを特定して左側が東シナ海、右側が太平洋だという。大海原の名称にはっきりした線を引くという設定に笑ってしまった。
 行政管理上あいまいでは不都合なこともあるのだろう。浅い海、見渡す限りの珊瑚礁の広がりは幾度観ても飽きることがない。
 溢れる自然の景観と合わせて文化的な施設が整い、ここ数年の内に奄美大島は観光客に見直されてきているようだ。
 (同人誌「小さな足跡」21号に掲載)


奄美大島の一風景。素人写真も逆光の妙。

今回の旅の行程。名古屋(中部空港)→鹿児島空港→与論空港→フェリー→徳之島港
→フェリー→奄美大島名瀬港→奄美空港→鹿児島空港→名古屋(中部空港)
費用は125000円(ひとり)航空便の乗り継ぎが多く、割高な気がする。








青春18切符で高山へ


飛騨民族村「飛騨の里」

 高山、飛騨国分寺乳イチョウ

 ローカルな高山線は長距離客向けの特急列車が割合に多い反面、普通列車が極端に少ない。そんな鉄道事情を承知のうえで、あえ
て、普通列車で160キロの長距離をのんびりたどってわざわざ大きなイチョウの樹を観るだけの目的で出かけることに相成った。
 他人に、或いは興味のない人には笑いものかもしれないが、そこはそれ、人それぞれで価値観が違うのだから、まあ、それでいいの
だと、自分に言い聞かせて5枚つづりで1セットの「青春18切符」をグループでの行楽に使って、残ったひとり分を利用期限ぎりぎりの有
効利用での「旅」とも言えそうにない日帰り旅です。

 「老春自由人切符」で?

  ひとり寂しくのんびりと車中の人になるつもりが、前晩になってかみさんが一緒に行くという。あわてて、JRジパング倶楽部3割引の
切符を「みどりの窓口」で閉店直前に買い求めた。青春18切符は時代が変わって今や「老春自由人切符」だ。期間限定、普通列車限
定、一日乗り降り自由で2300円。

 冬、春、夏の発売利用期には、かつて若かった旅好き人間のあいだで結構利用されている。
 早朝のローカル普通列車は春の新学期で通学の高校生でほぼ満席。うるさいのなんの。場違いな列車に乗り込んでしまったとおもっ
た。しかし田舎、というか人口の少ない地域の高校生は大変だ。観察していると、50キロも離れた街へ通学する生徒もいるようだ。

 彼らが降りたあと、静かになった車内を見回してみれば、残った客の多くがわたしたちと同じ普通列車でのんびり旅の熟年カップル、
或いは熟年女性のグループ、独り旅のプロ?と思しき重装備の旅人で占められていて、それまで意識していた「場違い感」が一変して
安心感に変貌していた。

 手垢で黒く薄汚れた時刻表に見入っている旅人が視界に入ると、何となく勝手に親しみを覚える。ローカル鉄道の旅もいいものだと。
 2時間40分は長いが今回は乗り換えなしで、眠って行けるし、車で出かけてもほぼ同じ時間はかかるのだから、それに、何といっても
普通乗車券は安い。

 ただ、かみさんが一緒だと、巨樹を観に行くという、わたしの目的だけを達成して、さあ帰りましょうというわけには行かないのだ。古女
房といえども、パートナーの立場に配慮を怠るわけには行かない。そんな訳で前夜になって大慌てで次いでの観光スポット調べは済ま
せておいた。さいわい、小じんまりとした観光都市「高山」は中心部の史跡や歴史的な町並みなど歩いて辿っても楽しめる魅力に満ちて
いる。民族村「飛騨の里」ガラス美術の「飛騨高山美術館」古い町並み「上三之町」そして、本来の目的地である「飛騨国分寺の大イチョ
ウ」に間違いなくお目にかかってきたのです。


堂々としたイチョウの巨樹。飛騨国分寺の歴史の生き証人?。木根(乳根)はこれほどの巨樹にしては少なくて小さい。
右は、飛騨国分寺の立派な三重塔。大イチョウに隣接している。

  推定樹齢1250年は、飛騨国分寺の創建と同じ。高僧のお手植えという何処にでもある伝説がここにもある。イチョウの樹は古代樹と
 され、恐竜が闊歩していた時代よりも古い歴史を持つが日本では絶滅していて中国大陸からほぼ千年前に導入されたと伝えられる。
 高い枝からぶら下がる木根、特異な形状の葉っぱ、早い成長など他の樹種とは異なる特徴を備えているとわたしは信じている。
 ぶら下がる太い木根が女性の乳房を連想するのか、各地のイチョウの大木に、それにまつわる伝説があるが、それにしても、あの、
グロテスクなぶらさがりが女性のチャームポイントともいうべき乳房と結びつけるのは失礼ではないかとおもえてならない。
 イチョウの巨樹を観るたびにそんなことを感じながらもわたしは大真面目な顔つきの裏で気持ちのうえではニンマリしている。
 年老いてもやっぱりオトコなのでしょう。

 飛騨国分寺は駅から歩いてほんの数分。こんな街の真ん中に堂々としたイチョウの巨樹が三重塔や本堂と競い合うように屹立してい
る風景もほんとに楽しい。
 飛騨高山は白人系の外国人が本当に多い。なかでも飛騨地域の古民家や伝統産業の顕彰施設ともいうべき「飛騨の里」は海外への
アピールが浸透しているのか、春まだ浅いウイークデーで閑散とした園内は半数が白人系外国人で占められている感じだ。
 観光地が国際的になるということはいいことだが、日本人観光客に見捨てられているようで、どこかが間違っている・・と思えてならな
い。

 いまどきの高校生の服装にへきえき

 帰りの列車も高校生の下校と重なってしまった。
 あきれるほど長く続いた女子生徒のだぶだぶ靴下スタイルがようやく影をひそめたと思ったら今度は、あろうことか男子生徒のずり落
ちそうなズボンスタイルだ。

 不恰好なお尻のまわりと足で踏んづけて歩く裾、それに伸び放題でぼさぼさの頭髪、そんな集団の勝手な振る舞いに辟易していた。
どうしてこうも見苦しい格好を集団でやってのけるのだろう。自己存在の主張を個性ではなく、ばかばかしいほどに「右に習え」でしてい
る。名古屋などの大都会でこんな集団にお目にかかったことはないのだが、地方の下校列車の中で暗澹たる思いにかられるおとなた
ちもさぞや多いことだろうと思いつつ日帰り旅?の心地よい疲れをシートに沈めて癒していた。

 (このページについては、トップページから「巨樹巡礼第七部、飛騨国分寺の乳イチョウ」を合わせてご覧ください。)











青春18切符で旧東海道サッタ峠へ



広重の浮世絵、東海道の名勝「サッタ峠」は薩摩の薩と「土辺に垂」という漢字をあてがうが
HPソフトはその字を認識してくれない。やむなく、カタカナで表示します。

現代のサッタ峠から見下ろす風景は産業の大動脈がひしめく交通の要衝になっている。

 JRも粋な計らいを続けてくれるもので、青春18切符が貧乏学生の帰省などに利用され重宝がられていた時代などとっくに過去に葬り
去られているのに、あのころ青春だった熟年世代の年金生活自由人を意識してか、結果的にそうなったのか、分からないが結構、老春
世代に支持されているのがおもしろい。

 そんな18切符で恒例のウオーキンググループによる日帰りのわいわいがやがや旅です。
 静岡県は興津から地すべり危険地帯の由比海岸沿いの旧東海道サッタ峠へ。
 峠といっても基本的に平地を辿る東海道の峠はちょっとした高台程度の起伏に過ぎない。

 しかし、由比海岸は関東以西の太平洋岸にはめずらしく急峻な山が海へ落ち込むけわしい地形が第一級の自然景観を形作ってい
て、背後にそびえる富士、紺碧の空と海、その境界を示すように大きく長く寝そべる伊豆半島の稜線。そして、眼下に日本列島の大動
脈、東名高速道路、国道1号線、JR東海道線などが海に張り出すかたちでひしめいている、その人工構造物も風景の中に意外なほど
溶け込んでいた。

 ここ数日の冷え込みで、富士山は思いがけない化粧直しで溢れんばかりの純白に身を包んでわたしたちを迎え入れてくれたし、寒波
の置き土産か雲ひとつない青空はこの季節特有の黄砂の影響もまったく見られず、また、背後に屏風のように立ちはだかる数百メート
ルの山々が景観に添えて北風を完璧にさえぎり、この地域の冬の暖かさを強調していた。

 旧東海道の面影を残す町並みとミカン畑のなかの峠道は一部を除けばほとんどが快適な散策路だ。果樹園は4月に入ったこの季節
でも、ポンカン、夏みかん、その他意外な晩柑類がミカンよりも格段に大きな実を所どころ残していて彩りを添えていた。そんな中で農
作業にいそしむ人の良さそうなオジサンに、我がグループのお姉さま方は、にっこり微笑んで何かをささやいていたと思ったら、大きな
ポンカンだか、何カンだか分からないが手にしていた。タダで貰ってしまったという。いくつになっても女は得ではあります。

 大きく重く思いがけない土産はこんなときには重荷にはならないのでしょう。ちなみに、同行の男性も大きな「みやげ」を手にしていた
ので、問いただしてみたら100円と交換してきた、という。笑っちゃいます。
 人の良さそうな朴訥とした果樹園のオジサンは文字通りオトコとして正直なお方のようでした。

 偶然居合わせた関西育ちだという地元のおばさんの押しかけガイドには面食らったが、こんなときは、「旅のハプニング」として適当に
たのしく受け入れることにしょう。それにしてもおせっかいだったあのオバサン、関西弁でもなければ、関東弁でもないし、静岡地域特有
のなまりでもない、ごちゃまぜの熱弁が漫才を聴いているようで、面白いの何の・・・。

 桜海老のてんぷらとコーヒー

 由比の駅前で時間に余裕があり、店で食べた桜海老のてんぷらも、あれはほんとに旨かった。
 喫茶と軽食の店でありながら、店内は円卓になっていて、10人余りがお互いのご尊顔を合わせながら歓談できるような配置になってい
るのが珍しく、まるで、わたしたちのグループのためにしつらえられているような楽しい店だった。

 駿河湾の深海に生息する桜海老は、ここだけの名物だ。コーヒーのおつまみに桜海老のてんぷらという、まか不思議な取り合わせ
も、のちのちグループの語り草になることでしょう。
 電車に乗り遅れるなど、年金生活者のお年寄りらしい失敗も相変わらずありまして、それはそれで面白い一面でした。

 旧東海道に保存管理されている数々の史跡、歴史的建造物などをゆっくり心行くまで見物する余裕はなかったけれど、一駅間8キロを
難なく完歩して、この日は特に絶景と絶好の日和に大感動の一日でした。
ただ、直前に体調不良や急用などで参加できなかったメンバーの方がこの大景観や面白かった出来事を共有できなかったことが残念
でならない。