山と旅のつれづれ





旅のエッセー14



                                 パソコン絵画、北の落日


収録終了。旅のエッセー15へお進みください。











冬の瀬戸内、大久野島へ


大久野島要塞の兵舎跡。すこぶる頑丈なレンガ造りの半地下式。

 18切符で大雪原を走る

  二枚余った青春18切符を利用して、めずらしく真冬の旅です。
 例年、寒い季節は冬のない快適で海の絶景を楽しめる沖縄の離島の旅を繰り返してきたが、今回は成り行きで東海本道線と山陽本
線、それにローカルと思われる呉線に渡って乗り継ぎ広島県竹原市忠海で下車して瀬戸内の多島海の中にあっては消え入りそうな小
さな島「大久野島」まで、名古屋から2300円+渡船代210円でのんびり移動しようという、考え方次第で旅らしい旅なのです。 
 

 前夜、それも真夜中に突然吹き荒れる強風が窓を叩き、度々眠りを妨げられる気象に、冬型の気圧配置が雪を運んでくるかと不運
をかこっていたが、はたして朝方から降り出した雪はほとんど突然の本格的な雪になった。
 とはいっても、最寄りの駅までの道中と乗換待ちのホームでの寒風に耐えながらの苦痛以外はケチケチ18切符の普通列車も車内は
快適。 乗ってしまえば何処かのテレビ番組のタイトルでもないけれど、「いい旅夢気分」なのです。

 見慣れた、あるいは見あきた濃尾平野もあっという間に大雪原に変貌していた。
 こんな風景はひと冬に二、三度はあるが、集落も森も田んぼも白一色に染まり、宙を舞う雪に遮られて遥かな山影も、空と地上の境
界も定かでない水墨画のような世界は暖かい列車内から見渡すとき、まさに「旅」の気分だ。ほとんど並走する新幹線列車の、あの異
常に長い鼻っ柱をひけらかして疾走する傍らで大雪原を行く幌馬車よろしく、ゆったりと辿る東海道線は特急も急行も存在しない。普通
列車も割合に長距離間、乗換なしで行けるので不案内な路線も適度な緊張感を伴うけれど、こんな行き方もときには心豊かな旅でもあ
ると私は思っている。隣のかみさんは退屈だ、退屈だ・・とあくびを繰り返しているけれど、この際は気にせず、無視しよう。

 たしかに、目的地までおよそ430キロ9時間ちかくの所要時間を、ただ付いて回っているだけなので、【退屈】が実感なのだろう。
 乗換駅やホームを間違えないようにと神経を使っていて退屈などする暇もないわたしとは同床異夢みたいな珍道中なのだ。普通列車
や快速列車の旅がのろのろ旅の印象が強いが、それでも、高速道路を疾走するマイカー利用の旅と時間的には大して変わらないの
だ。
 車の運転時のようなひとつ間違えば取り返しのつかない事態につながる緊張感もなく、生活感に満ちた大きな街を抜け田園をひた走
り、地方都市を経由して、山中へ、島々をいただく海岸へと、次々と展開する都会と田舎の人間社会の違いも車窓から垣間見えるよう
で、自然の風景や建物などの人工物の地域による微妙な違いを発見するのも結構たのしいことなのだ。トンネルばかりで突っ走る山陽
新幹線とは一味もふた味も違う鉄道の旅も、たまにはいいものだ。

 瀬戸内マリンビュー

 山陽本線からローカルの呉線に乗り換えると、レトロとモダンを併せ持つような不思議な雰囲気の列車、普通列車扱いで座席指定ま
で用意されている「瀬戸内マリンビュー」に18切符で乗れるのか・・と一瞬迷ったが、ままよ、その時は乗車賃を払えばよかろうと乗り込
んだ。別にとがめられもしなかったので、それでよかったのだろう。

 大きく切り取った窓からは、瀬戸内の多島海の絶景を堪能していた。まさに【マリンビュー】なのだ。瀬戸内海は規模が大きいだけに
大小の島々が織りなす景観について、特定しにくく、観光宣伝が行き届いていないような気がするが、飽くことのない大景観が延々と展
開していく。 

 今日の目的地は宿泊施設と記念館などはあるものの、法に基づく住人のいない島「大久野島」の宿泊施設の持ち船が、一時間に一
便の列車に合わせて待機していた。大久野島はマイカーの乗り入れができないし、その必要もないほどに面積が小さく、対岸の忠海(た
だのうみ)港に宿泊施設の無料駐車場を用意している。島まではわずか13分で到達する。


大久野島、発電所跡の残骸。毒ガスの製造に一役買った忌まわしい過去の証拠物件。


 悪夢の記憶を留める島「大久野島」

 この島は数年前に一度は訪れている。
 同じ島だから、書くこともだぶることになるが、第一次世界大戦前にはロシアの艦隊を意識してか、要塞化されていて、今でも砲台跡
など痕跡が保存されている。太平洋戦争時には地図から消されて、つまり、幽霊島として、人を殺傷するための毒ガスという戦時国際
法を無視した化学兵器の研究製造設備を備えていて、大量の毒ガスを供給してきた忌まわしい記憶を留める戦争遺跡の島だ。

 多くの被害者や犠牲者を出しているであろうけれど、地図から消されてしまった島で起ったそれらの事件や事故などはいまだに闇の
まま日の目を見ない部分もあるのではないかと思えてならない。周囲がたった二キロほどの小さな島の各所に毒ガスの貯蔵庫、発電
所、その他の施設の残骸が朽ち果てかけたかたちで残っていて、忌まわしい過去であっても、或いは悲惨な過去であればなおさら保存
の必要を訴える運動も起っているという。忌まわしい過去を今日に伝える毒ガス博物館は入場料が100円だ。

 いまでは、平和なこの島は二百数十人収容の大きな宿泊施設と野外スポーツ施設が整ったリゾート島に変貌している。なかでも、島じ
ゅうで出会うことのできるウサギたちは、野生化していても天敵のいない環境にどっぷりと浸かっているためか、観光客慣れしているた
めか、海岸地域から数十メートル程度の山の上まで、まったく恐れることを知らず、ひょっこりと現れ、餌をねだって愛嬌をふりまいてい
る。
 そんな可愛いウサギたちも、過去を辿れば毒ガスの効果を確かめるための実験動物であったであろうことは十分に推察できる。地元
の小学校で飼われていたウサギを島に解放して保護してきた結果とも言われているようだが、たぶん、その両方が事実なのだろう。 
今はこの島の素朴な観光資源として大切にされているようだ。
 冬の季節は島の緑も暗く沈んでいて、旅人としてはなんとなく物足りないものがあるが、人懐っこいウサギたちは、他の地域には見ら
れない素朴な癒しの風景に一役かっている。  

 以前に訪れたときは、五月ごろだったか、島中に牡丹桜やつつじなど木の花が咲き誇り、宿舎前のビロウ樹やフェニックスなど南国
ムードの高木と相まって箱庭のような美しい小島として記憶に残っている。自動車が宿泊施設の送迎用以外はまつたく見ないことも特
筆すべき別天地だ。
 いずれまた、ベストシーズンに再訪したい瀬戸内の小島です。  

 乱立する倉敷駅周辺のホテル  

 帰りつつ立ち寄った倉敷の駅前ホテル群は激烈な生き残り戦争の真っただ中だった。
 インターネットで検索してここは安いと、実感して予約したJR駅ビルのホテルは朝食付きで4500円。インターネット予約の特割りという
ことで宿泊費を節約したつもりでいたが、となりのホテルは何と3800円で受け入れているという。これでは潰し合いだ。
 宿泊費が安いぶん、夕食は奮発しようとホテルのレストランへ行ったら、私たちのほかにはひと組の観光旅行者しか客がいない異様
な雰囲気に唖然としていたら、ほとんどの客はコンビニ弁当や駅地下などの食堂街に繰り出してケチケチ夕食で済ませてしまうのだそ
うです。

 都心では、ビジネス客が多く、当世のビジネス出張費では贅沢はできないのだろうと、レストランの係員は嘆いていた。ホテル内のレ
ストランは朝食で経営をつないでいるようだ。
 食堂街は朝食時刻に営業している店は、なるほど少ない。
 その、ホテルでの朝食時、客のほとんどがビジネススーツに身を包んだ男たちばかりだ。

 リゾート地以外の市中の宿泊施設はシングルルームが圧倒的に多いことはそのためなのだろう。色気のない黒い集団の中で観光客
としては、どことなく場違いなところに来てしまった感じで、小さくなっていた。

 出張ビジネスマンの朝食風景

 バイキングの朝食中、朝っぱらから、上司と部下らしい二人の客の間でこんこんと或いはくどくどと上からものを言う下品な男に黙って
耐える部下らしい若い男のみじめな姿を垣間見てビジネスマンの悲哀を見る思いがして、気が滅入ってしまつた。
 場所も時間もわきまえず、大きな声でねちねちと間断なくしゃべり続けて、気が付いてみればスーツを羽織ってそそくさと出ていった。
しゃべり続けながらも食事ができる妙技?を身につけているようだった。こんな上役をいただいてしまった青年の不運を思った。

 また、一方では、食事をかき込みながらもケイタイでやりとりしている忙しいビジネスマンもいて現役世界の厳しさを垣間見るような光
景が展開されていた。
 黒一色の男たちの、ばらばら集団の雰囲気に馴染めず片隅で気持ちの上でも小さくなっていた私たちの脇に、観光に来たという熟年
夫婦が入ってきて、なぜかホッとした気持ちになったことが変な話だがおもしろい実感だった。

 都市観光や都市に近い観光地などを巡るとき、シティホテルは観光地のホテル旅館などに対して格段に安く、慣れてしまえば合理的
な旅のひとこまではあると思う。違和感などはそれはそれで人間模様を垣間見るということなのだと割り切れば面白い経験なのです。
 この日は大原美術館の名画に接して、蔵の街、倉敷の美観地区を寒さの中で堪能していた。


倉敷美観地区。大原美術館とともに倉敷市の観光スポット。
強烈な寒波のなかで閑散としていた。  

  800円と300円のお茶席

 帰りつつ、次は後楽園と岡山城です。65歳以上の高齢者ということで入場料は無料。
 大きな池を中心にした回遊式の名園は、池の中の小さな築島に優雅にしつらえられた茶席の前でかみさんに「如何ですか」と半ば冗
談を言ったらシックな和服に身を包んだ茶席のお姉様に聞こえてしまった。「どうぞいらっしゃいませ」とささやかれて、聞こえなかったふ
りをして遠ざかることにした。「茶菓子付き800円」が気になったのだ。青春18きっぷ2300円で430キロもの節約旅をしてきた身には恐れ
多くて、それに格式ばって或いはかしこまって所望するお抹茶など庶民のわたしには不似合いで、こそばゆくて馴染めそうにないのだ。

 そんなわけで池の対岸に、どこにでもあるような土産物店の店頭にしつらえられた緋もうせんの縁台に腰をおろした。岡山名物桃太
郎伝説のきび団子付きお抹茶300円をいただきながら、庶民的な店のおばさんとざっくばらんなお話に花をさかせているうちに、気のき
いたおばさんがきび団子の追加サービスをしてくれた。 

 わたしには、この雰囲気がお似合い・・と思いつつも築島の優雅な茶室でかしこまってみたい気にもなっていた。なにせ、太平の江戸
時代、ここはお殿様の別荘の庭だったのだ。殿様気分になってみるのも悪くはなかったなあ・・などと、少しどうでもいいような後悔をひ
そかにして見た。かみさんは入場料がいらない分どこかにおとしてこないと罰があたるなどと、愉快な理屈をこね回していた。たぶん、
800円のお抹茶を遠慮したことに、やっぱり小さな後悔をしていたのだろう。

 気さくな茶店のおばさんには悪いが、庶民の感情というものは、えてしてこんなものなのだろう。決めてしまってから、あれにすればよ
かった、これにすればよかったなどと多分、過ぎてしまったことなのに気持ちの上で迷うことを楽しんでいる。800円のお抹茶を特等席の
お座敷で所望していれば、300円の存在にきがついたとき、やっぱり損したと思うにちがいないのだ。そんなことを小声でぼそぼそささや
きながら縁台できび団子をつまむのも、おつなものだと思うことにしよう。そんな客の感情を知ってか知らずか、心も体も温まる熱い日
本茶の差し入れもありました。寒い野外では、これはごちそうだ。急須や土瓶ではなく、アルマイトのヤカンで出てきた。
 あくまで庶民的!!なのです。


池の中、太鼓橋の向こうはとびきり優雅なお茶室だ。


 シーズンオフのうえに天気は回復したといいえ、強烈な寒波の来襲で閑散としている園内で、手持無沙汰なボランティアガイドさんの
懇切丁寧な案内に時間を忘れて聞き入っていて、予定の列車に乗り遅れてしまった。個人の自由な旅はそんなときも大して気にならな
いし人に迷惑をかけるようなことにもならないのが楽しい。 

 しばらく見おさめ、姫路城

 最終目的地、姫路城はさすがに世界文化遺産の貫録をほしいままに堂々と佇んでいた。
城の威容を周辺の環境整備で、いやが上にも盛り上げている。街中の案内表示板も外国語だけの表示が幅をきかせている。ここは本
当に外国人観光客が多い。なかでも、東洋系の外国人観光客は訳のわからない会話に接してようやくそれと分かるほどに溶け込んで
いる。
姫路城は解体修理を控えていて、三月から五年間は観られなくなるという。すでに、有名な百軒廊下は一部が解体工事中だった。木造
の巨大建築は管理次第で千年は持つといわれるけれど、こうした大修理や、徹底的な点検を維持されての賜物なのだろう。

それにしても、巨大建築物に使われている大きな木材を目の当たりにする度に数百年も前の巨樹大木たちの受難を思わずにいられな
い。同時に機械力のなかった時代に人海戦術ともいうべき膨大な労働力として駆り出されたであろう、農民や職人たちの命がけの強制
労働の賜物として今日に至っているという事実はあまり伝えられていないような気がしてならない。


しばらく見納め、姫路城も冬枯れの風景はやはりさみしい。

 今回の観光コースは帰り道、倉敷、岡山、姫路と辿ってきたが、いずれも駅から徒歩圏内の文化遺産めぐりであり、鉄道利用の旅に
は珍しくタクシーやレンタカーのお世話にもならず、効率のいい旅程だった。
 姫路からの帰途は、途中で立ち寄る予定もないのと18切符も使い果たしているので、さすがに普通列車に乗る気が起らず、ジパング
倶楽部三割引き5500円で新幹線列車のひかり利用で旅のしめくくり。名古屋まで乗り換えなしの特急列車はやっぱり快適だ。鈍行も悪
はないが、ゆっくり旅立ち・・速やかにご帰還。そんな列車旅がやっぱりベストだ。








南の最果て、波照間島




 地の果てるところ、或いは地元では、地の果てのウルマ(サンゴ礁を地元ではウルマというのだそうです)に囲まれた島という意味合い
で波照間という。南西諸島最南端、もちろん日本列島で最南端の小さな島だ。
 ここから先は、遥かかなたのフィリピンまで人の住む陸地がない絶海の孤島であり、【孤島】のイメージに満ちた、しかし、まことに明る
い平らな島だ。「さいはて」といえば、北のさいはてをイメージしてしまいがちだが、ここは南の、そしてほとんど西のさいはてだ。

 澄んだ空気、碧い空、その青をいやが上にも強調するかのように点在する大小の白い雲の列。この日、二月四日は本州人にとって
の実感では真冬の最中だというのに日焼けを気にするほどの強烈な日射と初夏のような気温を実感しながら、日本列島の南北にまこ
とに長い距離を思う。

 太平洋を望む南側の海岸一帯は、分厚い隆起サンゴ礁の残骸に覆われ、おそろしく起伏に富んだ歩きにくい琉球石灰岩台地になっ
ている。すべるようなことはないが、踏み外して転倒するようなことがあれば、大けがは免れない危険な海岸が打ち寄せる荒波に侵食さ
れて、平らな島でありながらも、豪快な海岸美を現出している。

 内陸部、といってもほんのわずかな距離に広がるサトウキビ畑の白い穂のなびくのどかな風景を包みこんでいるとはとても思えない天
然自然の護岸のように立ちはだかる岩礁が、はるばる訪れた旅人たちを魅了している。
 一方で北側の東シナ海に面した海岸は限りなく広がる浅いサンゴ礁と白砂を海底にたたえたエメラルドの海面が織りなす十重二十重
の縞模様を描き、観慣れても観あきすることのない景観がどこまでも広がっている。はるかに黒いほどに碧い水平線が絶妙のコントラ
ストで空との境界を仕切っている。

 島の人口はわずか400人程度と聞いた。中央に割合に大きな、といっても四、五十人が入れるていどの食堂は、夜には酒場に変身し
て島の人々のたまり場になるのだという。さながら、波照間一家の宴会場だ。
「日本列島最南端の碑」の傍らには、二頭の竜が絡み合うというイメージの大きく平らな野外アートには47都道府県から持ち寄られた石
が使われ【二度と離れない】という意志を表現しているという。戦後の一時期、戦勝国米国の占領によって敷かれた国境線の存在した
時代の悲哀を物語っているようだ。

 名古屋中部国際空港から先島諸島の玄関口石垣島まで三時間。そこからさらに高速旅客、船でおそろしいほど白波の航跡を従え、
船首は船底を海面上にせり出して、身震いしながら七十分。ようやく足を踏み入れた波照間島は台湾とほぼ同じ距離。七十歳を迎えて
しまった身には、たぶん再び訪れることはないであろうこの最果ての孤島に立ち去り難い思いを残しつつ団体の一員としての残り時間
の滞在を惜しんだ。2010年2月4日。


太平洋の荒波に侵食される琉球石灰岩の台地。右は対照的な東シナ海側のエメラルドの海。
サンゴが作り出した白い砂浜は海底に沈むと青い空の色を映して、鮮やかな緑色に輝く。







西表島、小浜島探訪


南のさいはて波照間島の旅の続き

島の汽水域至るところに見られるマングローブの森。

 大きな島の人口は2300人

 西表島といえば、西表山猫を連想してしまう。しかし、百頭ないしは二百頭程度しか生息していないといわれている上に夜行性の動物
を一観光客の立場でお目にかかれる機会などあるはずがないし、よほどの幸運にめぐまれて遭遇するようなことがあっても飼いネコよ
りも少々鋭い目つきをした唯の猫にすぎないだろう。数少ない民家集落の中に猫を見る機会があるとすれば、それは【西表野良猫】に
過ぎない・・・とは、観光バスの運転手兼ガイドさんのダジャレの一部でありました。

 南西諸島の中で石垣島に次いで大きく屋久島に匹敵する面積の西表島の人口はわずかに2300人という。山に覆われ、したがって川
も多く、その河口の汽水域は例外なくマングローブが水辺を覆う、亜熱帯のジャングルムードが素晴らしい島だ。
 主にふたつの集落を結ぶ道路は島の五分の三程度を辿っていて、一周できる道路さえ設備されていない。ここには、あるがままの自
然がある。そして、鬱蒼とした原始の自然林は、踏み込むことさえ難しいほどに、シダやツル性の植物に覆われ、明らかに本土の森と
の違いを感じ取ることのできる楽しさに満ちている。

 島の北部、仲良川(南部の仲間川ではない)のマングローブに覆われた川岸を底の浅い遊覧船に揺られながら、その上流、多分、唯
一の観光遊歩道をマリュドゥの滝カンピレーの滝へ、現地ガイドさんの案内で歩きながら、そんな雰囲気を堪能していた。

 巨大ホテルが客を独り占め?

 人口の希薄なこの島に、ただ一か所の豪華で規模も大きなホテルが、観光客を独り占め?している。風景に溶け込むように外観につ
いての配慮は行き届いているようだが、小さくて素朴な、或いは島の雰囲気に拘って主張を前面に出している個性的な宿泊施設を飲み
込んでしまわないかと、気にかけながらも、贅沢なホテルでの宿泊を何となく後ろめたいような気分で、それでも楽しんでしまった。

 支線がほとんどない幹線道路の両側はゆるやかな起伏が美しい草原になっていて、ここではサトウキビではなく、黒毛和牛が人間同
様にのんびりと草を食んでいた。年中牧草が成長する亜熱帯のこの地では、冬に備えての干し草を蓄える必要もなく、牛たちは大げさ
にいえば、ほったらかしで育つのだという。南西諸島一帯の牧場は繁殖牛がほとんどで子牛たちは石垣島や本土に送られ、多くはその
地の銘柄牛として肥育し、流通するという、子牛の供給地だ。

 陸路が無く、船でしか到達できない美しいビーチで背後の木立の中に、隠れるように組み上げた粗末な掘っ立て小屋で、真じかに迫
った海水浴シーズンに小さな渡船で運ばれてくるわずかな客を当て込んでか、電気も無さそうな地で売店ともいえないような飲料水を売
る店が、のんびりと準備作業をしていた。その素朴さとのどかさにどこか懐かしいものを素直に感じ取っていた。


青空に映えて美しいサンゴ礁と白砂の海。沖縄の海はどこへ行っても観られる風景だ。


 運転しながらのガイドは当たり前

 先島諸島の小さな島々の観光ワゴン車やマイクロバスは、運転手がガイドを兼ねていて、狭く、曲がりくねった粗末な道でマイクを握り
ながら、片手でハンドル操作を繰り返す。本州人にはその光景が危なっかしくてはらはらさせるのだが、なにせ、ほとんど車らしい車と
すれ違うことのないのんびりした時間の流れのなかで、法的にもいわゆる柔軟解釈で許容されているのだろう。帰りに立ち寄った小浜
島では、サトウキビの収穫作業の車が道を塞いでいれば、クラクションを鳴らすこともなく停止し、向こうの畑から長いサトウキビを担い
で来る人を待ち続ける。いらいらしているのは本土で使い古して第二のお勤めとして使われているマイクロバスやワゴン車に分乗して車
窓から観光をしている忙しい観光客の面々たちだ。

 手間のかかるサトウキビの収穫作業は、各地からの助っ人の力を借りて無償労働で乗り切るという。食事と酒盛りだけの提供で、助
け合いの精神がここではしっかりと生きている。本土の各地で普通に行われていた田植えどきの共同作業が、サトウキビの収穫という
かたちであたたかく当たり前のように受け継がれて来ている。
 また、のんびりゆったりしているのは人間たちだけではない。

 運転手掛け持ちガイドさんが車を止めて指さしてくれる先には、電線に止まっているカンムリワシがやっぱりのんびりと羽を休めてい
た。カラスやスズメならともかく、誇り高い猛禽類と電線の組み合わせは、どう見ても【絵】にならない。渡り鳥の習性がなく、留鳥のカン
ムリワシは先島諸島のシンボルなのだそうです。以前に宮古島を旅したときも感じたことだが、渡り途中のノスリやハヤブサなど鷲鷹類
が島でしばしの休息をしている風景に出合ったことがあるが、そのときも、意外なほど人を恐れない風情に、人間も多すぎなければ野
生動物たちと、こんなに近づけるのかと感心していたことを思い出した。野生の鳥たちにとってはいちばん怖い人間たちの分布状況を
空からしっかりと把握しているようだ。

 小浜島のホテルで観賞用に飼われていたクジャクが逃げ出して野生化して自然繁殖し、島のあちこちで、あの大きな体をひけらかし
てわがもの顔に駆け回っていた。
 畑を荒らすので嫌われ者だというけれど、姿かたちの美しさに免じて許容しているのだろうと思った。もうひとつ、ヤギたちがほんとに
可愛い。それぞれ飼い主があるのだそうだけれど、自由勝手に動き回って観光客に愛嬌をふりまいている。

 満天の星

 夜、幸いにも晴れ渡った真っ暗な空に満天の星を観て子供のころ、家の中庭にむしろを敷いて仰向けに寝転び、流れ星を数えた記憶
をたどっていた。中小の街でさえ、人工的な明かりに消されて、それに、老眼も手伝ってか晴れていても光源の強い星しか見えなくなっ
てしまった星空は、いまや海や山のリゾート地でしか得られない楽しみになってしまった。
 人工の明かりが全くない島の夜は、漆黒の闇の中にきらめく星空が遠いリーフに囲まれた浅いサンゴ礁の鏡のような海面に映し出さ
れて、視界がすべて星空になるという。
旅人には滅多に出会えないそんな風景を、島の人たちの話を聴きながら、脳裏に描いてみた。

 波照間島でも、西表島、小浜島でも現地でガイドなど、観光関係者たちとの世間ばなしのなかで得た限りでは、そのほとんどが地元民
ではなく、本州やその他、各地から島の暮らしに惚れ込んで移り住んだ人たちだった。意外や意外、積極的に島々の宣伝に関わり、日
常の暮らしにも溶け込んでいる人々は外部からの流入びとなのだ。

 先島諸島は十年ほど前に部分的には訪れたことがあり、記憶もしっかり刻まれている。目的地を再訪するときは、何時の場合でも風
景や街並みも変化していて、がっかりしたり、感心したりと複雑な思いにかられることが多々あるのが普通だけれど、ここの島々はほと
んど変化がないのが楽しい。

 西表と小浜島には大きなホテルの出現が一見では不似合いな感じがしないでもないが、豪勢な室内設備とはうらはらに外観について
は、自然の景観に対する配慮がみられ、それはそれで時代に合わせた進歩なのかもしれない。
 沖縄本島が曇りや雨がちな天気がつづくなかで、400キロ以上西南方向に離れた先島諸島は晴れ間も多く、まずまずの旅日和だっ
た。
 沖縄の離島の魅力は何と言っても海。その海を限りなく美しく引き立てるのは、まぶしく碧い空だ。予報に反して、いい方向にはずれ
た天気に二人で大枚260000万円をはたいた今回の旅のさいわいを思う。


浜辺を彩るつる植物。残念ながら名前が分からない。