山と旅のつれづれ



PC絵画 第六部



幼かりし頃、好きだったお絵描き。仕事の現役中は、すっかり忘れていて、50年目に出会ったそれは、
思いがけないパソコンによるお絵描きです。場所をとらず、ソフト以外の道具一式の必要もなく、
手軽に描ける面白さに浸っています。
作品はすべて自分で撮ってきた写真や旅行パンフ或いは、頭に浮かんだ架空の風景を題材にしています。
写真トレースやデッサンを省略して、キャンバスに直接色描き手法で描いています。
ただいま三点。折りに触れて追加していきます。






安曇野の初夏




 安曇野、大王わさび農園の中の観光水車。
黒澤明監督による映画のセットとして造られたものが、観光資源として保存されているものと聞く。北アルプスの豊富で清冽な湧き水
は、観光わさび農園を潤し、平らな水路をとうとうと流れ、大きな水車を押して回す。観光農園最大のカメラスポットだ。
 水辺の木造家屋と当然ながらクラシックな木製水車は限りなく郷愁を誘うが、腐食、老朽などで維持管理がたいへんだろと、つい、お
門違いかもしれないことを気にしてしまう。
 歴史的な建造物や文化財というわけではないが、風景に溶け込んだすばらしい佇まいは後々まで残しておきたい安曇野の財産といえ
るとおもう。







立てば芍薬座れば・・・




 春の訪れとともに急激に萌芽し、枝葉を広げたかと思う間もなく大輪の花を咲かせ、あっという間に消え去り忘れ去られる。繊細な紙
細工の造花をおもわせる大きな花は、昨今のデジカメブームのお陰でパソコンの中に思いっきりあでやかな美形をいつまでもとどめ
て、折に触れては登場してカメラマニアたちの目を楽しませていることだろう。
 それにしても、花の命は短くて・・それゆえに魅力に満ちているような・・・・
 最近の草花など、多くの園芸植物は早苗のうちから花を付け、ホームセンターや花屋さんの店頭を彩っているけれど、植物の専門家
たちの手によって、人間にとって都合のいいように改良されてしまって、本来の季節を忘れて延々と咲き続ける多くの一年草を見るたび
に、確実に巡ってくる季節に迎えられて、おもいっきり華やかに自己主張をした後に潔く消え去る落葉樹や宿根性の花たちにこそ、いと
おしさをおもう。







小白鳥 北への旅立ち




 琵琶湖の北部。三月は冬鳥の渡りの季節。多くの雁鴨類など、水鳥たちが、そわそわとしている。事情を知った人間の勝手な形容か
もしれないが、そんな中でおっとりと水辺に戯れる小白鳥の群れは、ちょこまかと動き回る鴨類に比べれば大きな体を純白に包んで、
オトナの落ち着きを見せていた。
 そんな動きの緩慢な白鳥たちの一瞬の表情を映し撮ろうと、カメラマンたちの高級カメラのほう列がこっけいなほどに感じるなごやか
でおだやかな春の一日でした。
 大きな琵琶湖は冬の渡り鳥が本当に多い。特に人口の希薄な湖北地域はさながら冬鳥の楽園だ。








北 の 落 日

 大平原を思わせる北海道の大地。
 畑作地帯のカラマツの防風林、迫り来る厳しい冬を前に葉をすっかり落とし寒々とした風景が夕日を背景にすると、まことに印象的な
北の大地に変身する。しかし、なんともうらさみしい風景ではある。
 真っすぐな道も、いかにも北海道らしい絶妙な組み合わせが絵になる。

 やがて、白一色の静寂に覆われる長い季節の前のほんのわずかな温もりを感じさせる、「得難い風景」を感じながら描き続けるとき、
奥の部屋からご飯が冷めるよ・・・とお声がかかった。こんな風景を描くことに没頭していると本当に時間を忘れる。
 観光案内雑誌の写真を題材にしています。
 いつの日か、こんな風景の中に身を置いてみたいものだと念願している。

 旅は人生のスパイス。日本中を旅して絵を描き、紀行文をしたため、大げさに言えば生きた証を見える形で残してきていることに自己
満足の片鱗を意識している。







山 中 湖 結 氷



 有力な旅行代理会社から勝手に送られてくる旅行商品パンフレットや年末に届くカレンダーの写真を題材にして描いたのがこの作
品。
 めったに凍らないといわれる富士山ろくの山中湖。めずらしく薄氷に覆われた静かなみずうみ。岸辺の湖中を好んで生息する植物
「ハンノキ」は、琵琶湖岸を歩いて一周する旅のときにも、湿地帯や浅瀬の湖中に多く見られた記憶がなつかしい。水の中に生える大木
だ。水草や葦のような水生植物ならともかく、立派な大木が生命体として水中に屹立する風景は一目では理解がしにくく、不思議な雰囲
気に包まれる。








富 士 厳 冬

 関東につながりを持つ私にとって、開通初期から馴染みになっている東海道新幹線の車窓から観慣れた富士山。
 それでもこんなに近くて美しく厳しさを湛えた富士には車窓からでは得られない。







新潟県妙高高原笹ヶ峰地区の晩秋


 新潟県の南部、妙高高原の一角、笹ヶ峰地区。
 周辺のカラマツ林から黄金色に染まったおびただしい落ち葉が風に運ばれて一面に散り敷く草原。
冬木立に装いを終えた白樺の樹幹の鮮やかな佇まいが印象的な風景にしばし見とれていた。
 華やかな紅葉とは裏腹に、やがて迫りくる厳しい高原の冬を控え、淋しく映るけれど、人工的な飾り気のないこんな季節のうつろいの
中に佇むひとときが、がわたしは好きだ。







沖縄、慶良間ブルーの海


 沖縄慶良間諸島の一角
 うろ覚えだが、沖縄の那覇港から貨客船で二時間程度の沖合に寄り添う無人島や小さな岩礁も含めれば40に及ぶという小島の群れ
は、きらびやかなサンゴ礁と浅い砂底が太陽光線を反射して出現するエメラルドグリーンの水面、それにすぐ沖合のクジラの子育ての
海域になっているという深い海底が織りなす黒いほどに感じる青を「慶良間ブルー」という。

 沖縄を含む南西諸島の海域は、何処に行っても、まことに海の変化に富んだ美しさに圧倒される。冷たい海の生き物というイメージが
強いザトウクジラが親子で戯れる様子を堪能しつつ巡った慶良間諸島。
 観光地ずれの印象がしない素朴な島の雰囲気も好ましく、後々まで記憶に残るであろう南の島旅でした。
 折しもこの日、この島々と海域が30番目の国立公園指定の式典が行われていた。観光地として見直されること自体は喜ばしいことだ
が、そっとしてほしい気もする。






列島最北、宗谷岬の残照


 長距離フェリーで車を持ち込んで全行程11日間の長旅。
 文字通り、列島最北の宗谷岬は、その先立つイメージとは、裏腹に平坦で解放的な明るい佇まいに満ちていた。岬の道路に面した最
北の民宿はオーナーの住宅を兼ねているようで、人の住む列島最北の建物だった。宿の階下にはシャッターに守られた二輪車の広い
車庫があり、北海道を疾走するライダーたちのたまり場というか、常宿になっているのだろう。ライダーたちにとって体の一部のようなピ
カピカに磨いた、愛しき大型オートバイは、四輪車の駐車場のような野晒しにするのは身を切るようで忍びないのだろう。

 セキュリティーの完備した車庫を用意する宿泊施設は、若者や定年後の熟年悠々ライダーたちに、マニア向けの雑誌などで知れ渡っ
ているようだ。まして、「列島最北の宿」ともなれば、いやが上にも意識される絶好の位置にある。ここには、日本海側の岬に多い軍事
レーダーが存在しないのも好感がもてる。もっとも、宗谷湾で隔てた向こう側のノシャップ岬の丘の上には、レーダー基地がにらみを利
かせているのが見えるが、軍事施設は目障り以外のなにものでもない。

 宿の女将が「今日の夕陽は見応えがありますよ」と案内してくれた。この鮮やかな風景は、ほんの数分後には灰色の世界に沈んでし
まう。写真に収めて、暮れない夕陽をじっくり観察しながら描くことになる







新潟県妙高高原笹ヶ峰地域の紅葉


 佐渡島への旅の途中の立ち寄り先。のびやかな妙高高原はウイークデーのせいか、黄葉も紅葉も終わりに近づいたからか、人出の
少ない静かな雰囲気のなかにあった。
 カラマツの黄葉が終末を迎え、雪のように降りそそぎ、地面は、さながら黄金色のじゅうたんを敷きつめたように厚化粧をしていた。迫
りくる厳しい季節を前に、精いっぱいの自然のお化粧が楽しい散策路だ。

 そんな中、季節を少し巻き戻したような不自然なまでに鮮やかな紅葉と、常緑樹の深い緑と、未だ枯れやらぬ草はらの控え目な遊歩
道の配置が印象的な風景に出合った。手前には小さく名もない透き通った水辺があり、静けさと相まって、心和む風景が展開してい
た。何年も前の旅でありながら、記憶に残っている。

 一週間の長旅?の途中の立ち寄り先は、目的地ばかりを意識するためか、意外なほど記憶に残らないことが多いが、妙高高原の一
帯は、また訪れてみたくなる魅力に満ちていた。
そんな記憶を辿りながら写真を横に置いて描いている。







湯けむりの里、鰻温泉


 薩摩半島、池田湖にほど近く、隠れ里のようなひなびた湯治場風景に独り旅の途中で偶然出会った。
鰻湖あるいは鰻池という、なんとも無粋な名称の、しかし、その名とはうらはらに幻想的な雰囲気が素敵な静寂の湖のほとりの山あい
に湯けむりに包まれて佇んでいる。
 小規模で古い湯治場とおもわれる旅館の建物、点在する民家、時代を巻き戻したような佇まいが印象的で、機会があれば今度は偶
然の立ち寄り先ではなく、意識して訪れてみたい、とっておきの山里である。

 随所から湯けむりが心地よい噴射音とともに立ちのぼり、中には斜面道路の擁壁の石垣にできた隙間からさえ熱風とともに噴きあが
っている。人工的にしつらえられたレンガやコンクリートの粗末な釜から噴出する熱風を利用して、だれもが自由に煮炊きもできるような
こしらえになっているのも見るだけで楽しい。

そんな好ましい佇まいが控え目な案内表示とともに、心に残る風景として脳裏に焼き付いている。
隣接する鰻池は巨大ウナギの伝説に由来するようだ。
ほど近い池田湖のほとりの商業施設には蒲焼にする鰻とは別種だろうけれど、人間の腕ほどもある大ウナギが生きた状態で展示され
ているのには驚嘆する。池田湖の怪獣「イッシー」はすっかり忘れられて久しい。




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