山と旅のつれづれ


暮らしのエッセー(4)


                               小白鳥の飛来(PC絵画)


ただいま、四編収録

帯状疱疹闘病記







帯 状 疱 疹 闘 病 記




 73歳、高齢のせいか夜中に一、二度の排尿を欠かせない。
 2.3日前から我慢できずにトイレに立ったとき、明らかに残尿感があるのに出し切れない。そんな不愉快な現象を繰り返すようになり、
いよいよ高齢の男にとってほとんど避けて通れない「前立腺肥大」が日々の暮らしに支障を来たす事態になってきたかと、うら淋しい思
いに何となく悩まされてきていた。

 そんな気持ちをかかえながら山に登った。木曽田立の瀧、標高およそ1500メートルの不動岩展望台をいただく山のふところに、大
小7つの瀧が連続していて、壮大な眺めに酔いしれたまでは良かったのだが、体力の消耗が伏兵をたたき起こしてしまったか、この程
度の登山で日ごろとは明らかに違うひどい疲れとともに臀部に発疹を伴う痛みを感じ、それが急速に拡大して激痛に悩まされる事態に
なってしまった。

 皮膚科の専門医に診てもらったところ、帯状疱疹だという。中高齢者であれば神経組織に沿ってほとんど誰でも普通に「飼っている」と
いうヘルペスウイルスが、体力や免疫機能のバランスが崩れたときに発疹というかたちで暴れだす現象を帯状疱疹ということを知りえ
た。かぶれなどのような外的な原因による疾患ではなく、体の内側からのやっかいな病変であり、よく聞く皮膚病だ・・くらいに軽くみてい
たがこれが間違っていた。インターネットで調べてみると発疹の部位によっては失明の恐れもあり、一時的な排尿障害や生涯にわたっ
て付き合わなければならないような神経痛という後遺症を伴うことも珍しくないという。

 神経細胞からの病変は皮膚表面だけではなく、内臓にも発疹を引き起こすという。
 神経を傷つけ、でん部付近に現れた発疹はたぶん内部では尿道を圧迫する事態を引き起こし、張り詰めた膀胱は、尿の排出不能に
なってしまった。
 数日前からの残尿感は内部での帯状疱疹の初期症状だったようだ。それに前立腺肥大の進行が自覚症状を増幅していたのかもし
れない。

 折から、土曜日の夜。押し出すことを忘れてしまった膀胱の緊急事態に矢も盾もたまらず、午前2時に歩いて10数分の距離にある市
民病院救急外来窓口を目指してひたすら歩いた。救急車で怪我や病人が運ばれてくるあの救急受け入れの窓口だ。自ら歩いて行ける
ような患者を果たして受け入れてくれるだろうかと、心細い思いにかられながら、もしや・と思い直して無作法だが、空き地に立ちしょん、
つまり放尿を試みた。なにせ午前2時だ。人目をはばかることもあるまい。ところが、ああら不思議。あれほど頑固に閉ざしていた尿道
が開いたのか、少しはしぶしぶ出たのだ。これなら朝まで耐えられるだろうと、救急外来窓口の灯りを遠くににらみながら踵を返した。

 夜中の散歩?

 病院の窓口にも寄らず、おまけに帰り道を気まぐれに遠回りして真夏の夜明け前の冷気を楽しみながら帰ってくるという緊急事態をか
かえた病人らしからぬふるまいに自分でもあきれるというか、人の感情というものは、とりあえず危機をいくらか脱したと思うだけで、瞬
間的にありもしない余裕を感じるものなのかと、単純思考にひたりながら帰り着いたら、明るい室内にかみさんがいない。もぬけの殻
だ。

 かみさんが、夜の夜中に排尿できず困りはてた病人を一人歩きさせるわけには行かない・・と付き添うつもりで救急外来窓口に出か
けてしまったのだ。男は出かけるときなど、あっという間に仕度ができるのに、女は、いくつになっても身支度がたいへんなのだ。まして
や、就寝中の、この事態だ。遅れて後を追ったものの、私の前述のような気まぐれな行動に合わせられるはずもなく、ひとり夜道をとぼ
とぼと帰ってきた。振り返ってみれば奇妙な「笑い話」を切羽詰った気持ちでやっていたなあ・・と、かみさんに愉快な文句を言われなが
ら、ひととき、あきれた。

 それでも、適度に運動すれば排尿を導きそうだと、少しは明るい気持ちになり、わざわざ回り道を楽しみながら歩いて帰宅したが、そ
の後はまたしてもばったり止まってしまって眠ることさえ出来ずに、日曜日の緊迫した朝を迎えた。
 午前8時に救急とは別の休日診療所に出かけて、見栄も外聞もかなぐり捨ててカテーテルを通して膨張しきった膀胱から排尿が始ま
ると、ようやく気持ちが治まった。

 700m?も出たといって看護師さんがびっくりしながらも、話してくれたところによると膀胱の収容力は2?もあるのだという。しかし、そこ
まで溜め込むと命に関わる事態になり、正気の沙汰ではないので、恥ずかしがらずに処置しましょうという。とりあえず気持ちは落ち着
いたものの、原因を取り除いたわけではないので、3.4時間もすれば生身の体は、また同じことの繰り返しだ。

 帯状疱疹による余病か、前立腺肥大の限界による症状か、或いはその双方が影響しているのか判別が難しい上に休日診療所はあく
まで救急処置なので、市民病院の救急窓口への紹介状を手渡され、直ちに受診を、と予約手続きをとっていただいた。親切な休日診
療所の手配に感謝です。前日の深夜、というより当日の未明になるが、灯りを見ながら大げさではないかと緊急受診を躊躇したあの救
急外来窓口だが、「予約しました。文字通り緊急事態です。必ず、すぐ受診してください」との休日診療所の指示で、気持ちが落ち着い
た。

 其処でもまたもや、カテーテルによる導尿だ。患部の入り口が男性のいわゆる「陰部」なだけに、そこを看護師さんの手でいじくり回さ
れるのは、いかに仕事とはいえ、なんともはや、なさけないの何の・・

 自己導尿

 週明け、通常の受診で帯状疱疹治療と導尿を促す治療を併用しつつ、治療効果が現れるまで自己導尿をやりましょう・・という。手順
は看護師さんが指導してくれるというので、こうなったら、まな板の鯉だ、と開き直った。それができなければ毎日数時間おきに病院へ
通うか入院するしか方法がないとの説明に、一気に歳を重ねてしまったようで気持ちが心底暗くなる。

 細いカテーテルによる自己導尿は、通常は出口であるはずの「入り口」から、そおっと押し込み30センチほど進むと、ちょっときつくな
る。其処に肥大した前立腺の『関所』或いは発疹のできものを感じながら、さらに慎重に押し込むと溜まった尿が堰きを切ったようにほ
とばしり出る。カテーテルには潤滑剤の粘りのある液体に表面麻酔の効果があるためか、痛みはほとんど感じないが、何とも気持ちの
悪い感触に耐えなければならない。こんなことを一ヶ月近く、自然放尿の自信がつくまで繰り返した。一度だけの使い捨てカテーテルが
百数十本溜まりこんだ。

 腎臓が機能を失った人の人工透析よりは、自宅で短時間で済ませるぶん気楽だし、一時的な処置だという見通しがたってくればいくら
かでも気持ちは晴れるが、排尿が一日に1.5〜2?になるように水を多めに飲んだ上で、3.4時間おきに繰り返し処置しなければならず、
傍目には健康体にみえても長時間の外出ができず我慢の日々が続いた。

 しかし、慣れるにしたがって、何時の間にか自己導尿が「ちょっと変わった日常」になってしまって、たいしたストレスでもなくなっている
のに自分自身で感心するやらあきれるやら、この期におよんで面白い?経験だったなどと愉快に振り返っている。
 後になって聞いた話しだが、一般的に話題にはしにくいので、世間では表面に出てこないが、病気や高齢、脳の病変などが原因で脳
細胞が尿意を発信する機能を失って自己導尿や病院施設による導尿を人工透析のように繰り返している病人もいるのだという。

 担当の医師が「尿意はあるか」と、しきりに問いかけてきていた意味が解ったような気がした。
 人工透析と付き合いながら長期の旅行を敢行する人もいるし、まして自己導尿など、バッグの中に小さなカテーテルを忍ばせておけ
ば、簡単に乗り切れる・・と、担当の医師はこともなげに言ってくれる。ただ、それは最悪の場合のことであり、話のついでに例をあげた
だけのことであろうけれど、わたしには、空恐ろしい宣告に聞こえた。

 一病息災

 無病息災というけれど、「一病息災」のほうが難病や重病を克服した過去を持つ人々の再生の実感がこもっているようで、ことわざとし
ては数段も楽しく深い意味があるような気がする。私の場合は幸い、帯状疱疹が快方に向かうともに、長い時間がかかったものの、以
前の状態に戻ったので胸をなでおろしている。

 ただ、ヘルペスウイルスが傷つけた神経細胞による鈍痛、ときとして刺すような痛みは、これを神経痛というのだそうだが、たぶん生
涯にわたって付き合うことになりそうだ。
 片方のお尻にできた発疹の、あの叫びたくなるような激痛に比べれば、過去の病の証しとしての記念碑のようなものかも・・。
 不運にも残ってしまった病後の後遺症だ。難病克服というほど大げさな経験ではないが、鈍痛が絶えず意識の中にあるという、まさに
「一病息災」の証しだ。

 帯状疱疹には特効薬があるが、即効薬は無く、その原因であるヘルペスウイルスは退治できないという。疲労や高齢や癌などで免疫
機能が衰えたときには再発の可能性はあるという。素人目には爆弾を抱えているようなものかもしれない。
前述の「元に戻った」といっても、進行中の前立腺肥大症は改善されたわけではないのでその症状には困惑している。

 公衆トイレで後ろに順番を待つ人がいるときなど、気になって意識しないつもりでいてもいくらか緊張しているのだろう。気が弱いという
のか、そんなとき、構えていても意思とは裏腹に中々放尿の蛇口が開放してくれないのだ。これが辛い。団体行動などで、高速道路の
パーキングで一斉にトイレ休憩のときなど、困り果ててしまうが、窮余の一策で最近は奥の手を使っている。個室に入れば平気で目的
を果たすことができることに気がついた。高齢の結果か小心のためか、はたまた、前立腺の症状との相乗作用か、ことほどさようにわ
が身の気の弱さにあきれながらも、とりあえずは元に戻ったのだから、何となくめでたし・・なのです。

 何時もと違う我慢の夏がどうにか大過なく過ぎ去って、行きそびれていた山歩きの再開だ。加賀の白山の前峰「銚子が峰」。1800メ
ートルの山頂は10月27日のこの日、思いがけなく早い雪を踏みしめながら全山の紅葉を見下ろすという幸運に恵まれた。

 余談だが

 救急外来で時間待ちをしているとき、数人のひと目で暴力団とおぼしき男たちが椅子に座るでもなく、うろうろしていて、受付との間に
怪訝そうなやりとりをしていた。やがて話がまとまったのか病院側が救急車を呼び、奥の処置室からストレッチャーで運び出されたの
は、刺青が鮮やかな全身創痍の半裸の男だった。やくざの暴力沙汰の当事者に応急治療をしたものの、病院の受け入れは難しく、他
の病院との交渉の結果、話がまとまって転院していったものらしい。6万円の応急治療費をめずらしく黙って悪びれもせず、支払って出
て行き、一瞬がらんとした受付前の空間の一角に「暴力団お断り」の大きな張り紙が目立っていた。

 その他、緊急外来といっても、待合室には通常の病院待合室と雰囲気がほとんど変わらない光景にかえって違和感がした。中には医
院や病院の昼間の混雑を避けて、救急の意味を理解しようとせず、ちゃっかり利用しているご都合主義者もいるような気がする。
 そんな中で、救急車で運ばれてくる急患を優先的に受け入れていた。

 誤解を招かないために

 帯状疱疹とは区別して、陰部ヘルペスとか単純ヘルペスとかいう男性器の周辺に発疹を見る病変は排泄障害を伴い、性交渉の10
日前後に発症するという。性病のようなものかもしれないが良くわからない。担当の医師は当初それを疑った。医師としては当然の想
定かもしれないが、無神経で迷惑千万だ。歳が歳でそんな元気はないし、73のこの歳になるまで、「女」は、かみさんしか知らないうぶ
な男に、世間はありもしない裏側を興味本位に覗きたがる。

 この度の闘病でとなりの町に暮らす息子夫婦にたいへんお世話になった。
元気な親父でも、息子からみれば、危なっかしいお年寄りなのだろう。
率先して色々気遣ってくれて、親子の絆を確認する機会でもあったような気がする。


同人誌「ちいさなあしあと」掲載済み






マダニ(絵です。目盛は1センチ)

  マダニと山ヒル

 夏に山道でとりつかれたか、マダニにしがみ付かれた。ゴマ粒ほどの何物かが皮膚から離れない。
 膝関節の裏側、見えにくい部位なので、手指による感触で、こんなところにいぼなどあったかなあ・・と何となく気にしていたら三日目に
は茹でた大豆ほどの大きさにふくらんで、静脈瘤がとび出してきたかと思った。母が存命中、両足のふくらはぎの皮下に気味が悪いほ
どふくらんで、ミミズばれのようにのたうち回っていた太い静脈の群れを思い出し、体質か或いは争えない遺伝かと、気が滅入る思いが
した。皮下の静脈瘤は、動脈瘤と違って差し迫った危険はないと認識してはいるものの、見た目に気持ちのいいものではないのだ。

 歳だからそんなこともあるのかとあきらめつつも、詳しく観察してみようと床に鏡を置いてレンズで拡大すると何本かの虫の足らしきも
のが見えるではないか。初夏のころ、テレビや新聞紙上で話題になった、ダニが媒介するウイルス感染による死者もあったという、あの
マダニのようだ。

 ダニ一匹に手術とは

 ゴマ粒ほどの小さなダニが、人を含む動物に取り付くと吸血器が皮膚深く侵入し軽く引っ張った程度では容易に外れなくなり、急激に
成長して寄生虫のように離れなくなる。
外科医院で麻酔とメスで取ってもらった。
 野原など、自然界の何処にでも普通に生息しているというマダニ。滅多に人には取り付かないはずなのに、よりによってこんな年寄り
のしわがれた足が選ばれて?しまった。

 外科医もこんな例は初めてだ・・と珍しがって、「記念に持って帰りますか」と、脱脂綿にくるんでくれたけれど、数秒間観察しただけで
遠慮した。愉快なお医者さんだ。マダニは体に取り付かれたとき、不用意に引っ張ると口(針)がちぎれて残り、化膿やウイルス感染の原
因になるというので、医者のお世話になるのが無難という。それにしても、けっこう高齢な外科医だったが、マダニを見るのが始めてだと
いう。こんな例は、よっぽど珍しいのだろう。そうでなければ、評判のよくない暇?な医者だ。

 マダニを除去するだけなら皮膚をほんの僅かに切るだけで始末できるであろうに、当初は医者も成長して思わぬ大きさになったダニ
とは思わなかったようで、大げさに麻酔注射まで打って、取り除いてみたら看護師さんとの会話に、「なんだこりゃ、ダニか・足がありま
すねえ、動いていますよ」だと。それでも安心したら笑っちゃいました。手術代は後日市役所から送られてきた医療費の明細によると、
10割で6800円也。自己負担は僅かだが、医療費はほんとに高いことを実感する。

 不用意に草むらを歩いたとはいえ、長ズボンの下には年寄りらしくステテコを履いていたし、厚めの靴下にトレッキングシューズで入り
込む隙などないと思うが、それでもひざ関節まで這い上がって柔らかい皮膚に取り付くのだから、防ぎようがない。
 取り付いたマダニは短時間に大きく成長しても、痛くも痒くもなく、お風呂の湯で窒息することもなく、石鹸とタオルでゴシゴシ洗っても変
化がないのには驚かされる。

 それに、人体や動物に取り付いて吸血を始めてしまえば、マダニは行動の自由を自ら放棄してしまったことになるので、急激な成長は
その環境に合わせて変化するのだろう。胴体ばかりが大きくなって、クモの仲間である8本の足は虫眼鏡で拡大してみても、ようやくそ
れと判る程度にゴミかホコリのように固まってくっついている。

 動物に取り付くことで根が生えたようなかたちになり、移動する必要がなくなっているので足が成長しないのは納得だ。拡大して不恰
好な暗紫色の物体に足を発見したときには、瞬時にあの有効な治療法がないというウイルス感染による死亡記事を思い出し、慄然とし
たが、そういう悲惨な事態に立ち至るようなことは稀なようだ。一時はギョッとしながらも、一件落着してみれば、得がたく面白い?経験
ではありました。

 吸血したマダニはやがて人体や動物から離れて産卵を終えるとまた元のゴマ粒大に戻るという。一生の間にそれを3回繰り返すとい
うことをネットで調べて知り得た。


カルスト台地の霊仙山(絵です。写真ではありません)



  マダニのついでに山ヒルのおはなし

 久しぶりに鈴鹿山脈の北端、霊仙山に登った。
 山ヒルが異常繁殖していて取り付かれるとえらい目に会う・・という情報をインターネットや本誌メンバーの久保田さんからも得ていた
ので、ヒルの活動期を避けて11月18日、紅葉見物を兼ねて10数年ぶりの再登山だ。

 1084メートルの霊仙山は、なだらかな山頂一帯がクマザサに覆われていて、背の高い樹木など視界をさえぎるものがなく、海のよう
に広がる琵琶湖の大展望をほしいままに見渡せる絶好の高原大地だ。すくなくとも、二三度登った記憶の中の霊仙山はそんな山のは
ずだった。それが、以前にもまして雄大さを印象付ける琵琶湖の大観はともかく、山肌を覆っていたはずのクマザサは葉っぱの一枚さ
えも確認できず、茎だけが生け花で使う剣山のようにむなしく密集して枯死している。

 鹿か或いはウサギかと思われる大きな豆粒のような排泄物がそこらじゅうにばら撒かれていて、山仲間から聞き及んでいた動物の異
常繁殖による食害と思われるが、その被害の徹底ぶりに唖然とする思いだ。或いは、60年に一度開花して結実すると地下茎でつなが
る範囲すべてが枯れるという竹笹類の自然現象かとも思われるが、そういう現象が一度に全山を覆うというのは考えにくいような気がす
る。それに、植物の世代交代という自然現象であれば、開花の次には種がばら撒かれて次の世代の幼苗が見られるはずだが、そんな
兆しもない。

 関西の山でも同じような光景に接したことがあるので、鹿による食害が当たっているのではないかと思う。また、一説にはクマザサや
チシマザサは鹿の食草ではない・との見方もあるようだが、そのあたりのことは良くわからない。
 代わって、シダ類やその他の雑草の繁茂が目立つが、たぶん、それらは野生の動物たちの食草ではないのだろう。

 山ヒルとモルヒネ?

 登山者にとりついてひどい目にあうという山ヒルは、この異常繁殖した鹿などの野生の動物たちが持ち込んだものという。真夏の蒸し
暑く湿気の多い日など、何処から潜り込むのか10数匹も下着の中に忍び込まれて吸血されていて、帰宅してからようやく気がつくとい
う。あとの処置が大変なのだ。中には信じられないことだが、100匹以上も取り付かれてパニック状態だったという話も聞き及んでいる。

 山ヒルは吸血しながらモルヒネのような物質を出していて、そのせいか取り付かれても噛み付かれても、ほとんど何も感じないという厄
介な毒虫だ。吸血跡は癒えるのに長い日数を要して我慢の日々を強いられる。
 さいわい、私はひどい目に会ったことはないが、夏にヒルの蔓延が報じられている山中で、何時の間にか手の甲に張り付いたヒルを
大慌てで払いのけた経験はある。2.3センチもある水っぽい山ヒルが接触したときには、冷やっこいような感触などでその瞬間に気が
つきそうなものなのだが、多くの経験者によると、それがないようだ。

 カルスト台地

 無残に変貌してしまった霊仙山だが、ササ枯れと草原の冬枯れで石灰岩の山らしく、むき出しになった山頂の山肌一帯は山口県の秋
吉台のような広大なカルスト台地に変貌していた。白い石灰岩の岩塊の群れは、それはそれで、意外な景観ではある。
懐かしさを求めて辿った霊仙山だが、良かれ悪しかれ別の山のような雰囲気に接して、初めての登山のような新鮮さを感じた。草木が
萌え始める5月ごろ、登山コースを違えて再訪を心に刻んで下山した。

 鹿の異常繁殖も問題だが、最近は人里に近い低山帯でもイノシシによる地面の掘り返しがどこででも見られる。
 ゴルフ場など、芝生の下のミミズを狙ってあの強靭な牙と出っ張った鼻でひっくり返されてはかなわない・・と、時おり脅しの空砲を発砲
していて登山者を驚かす。

 去年の秋ごろの新聞で愛知県と長野県の県境にそびえる茶臼山の草原で野生の鹿が何と100頭もの集団で群れている写真に接し
た。まるでアフリカのサバンナを見ているようだった。晩秋の山中で発情期の雄鹿が雌を呼ぶ甲高いラブコールが登山者には気味が悪
く聞こえてぞっとすることもしばしばだ。山道で時としてばったりと出会う野性の鹿に「子鹿のバンビ」を連想して楽しくなったものだが、イ
メージを変えなければならない事態が来ているようだ。帰化動物のハクビシンやアライグマも人里に出没しているというし、適切な管理
が行き届かなくなってしまった山林は野生動物の生息バランスが崩れてきているのだろう。

 やがて人里に身近な低山も、これらの動物たちが持ち込む山ヒルに占領されて、おいそれと気軽なトレッキングさえ出来なくなるので
はないかと気になっている。

同人誌「ちいさなあしあと」掲載済み







希少な難病と付き合うことに・・・

 


PC絵


  およそ1万3千分の1

 10数年前から継続してきた任意の定期健診の結果、病名が確定した。
当初はまったく正常値で推移していた肝機能検査による各種の数値の内「γGTP」が、およそ10年前に突然それまでの3倍の値を
示した。80を「受診勧奨値」100以上を「要治療」としているので、かかりつけの医院は、血液検査の期間を縮めて様子を見ましょう
という。
 以来、昨年(2017年)1月までの10年間上下のブレはあるものの130を軸として平行線を辿ってきていた。
 それが、また突然上昇を始めて、2か月の間に240と急上昇するに至って、かかりつけの医師として紹介状を用意するので、緊急に
市民病院へ詳細な検査の予約してくださいという。

 3月には血管造影剤を注入しながらのCT検査、超音波検査、それに試験管に4本も取られる血液検査。まるで、献血みたいな詳細
な検査の末に、ようやく確定した病名が「原発性胆汁性肝硬変」略してPCBといういかめしい病名の宣告を受けてしまった。
 この病気について話をするとき、原子力発電所の事故と関係があるのか?と、決まっていぶかられる。

 原発性というのは、原因が体の内側にある、ということのようだ。
 厚生労働省指定の希少難病という。全国で推定患者数が6万人。そのうち7対1の割合で圧倒的に中高年の女性に多い。それを男性
の人口比率で割り出してみたら、冒頭の数字になった。宝くじでも、もう少しは当たりくじの割合が多いのではないかと思うのに・・です。
 原因が分からず、効果的な治療法もないという自己免疫疾患のひとつ。

 対症療法として、胆汁の流れを良くする薬を生涯に渡って服用し続けるというきついお達しを受けてしまった。
 不治の病とはいえ、これでも発見が早く、自覚症状は、まったくないので、未だにまるで他人事のようだ。
 高度医療の市民病院でも、薬の服用以外に治療法がないのでと、日ごろからかかりつけの開業医にカルテを回されてしまった。
 診断の間違いではないかと、頻繁に検査を繰り返してみたが、見えない病変は数値の上で再三にわたって確認している。

 ただ、病名の「ーー肝硬変」については、「胆管炎」と書き直したほうが正しいという。理由は、定期健診が普及していなかった時代には
原発性胆汁性胆管炎が悪化したため肝硬変に移行して、ようやく自覚症状に悩まされるに至って受診し、突然の闘病を強いられた上に、
寿命を縮めることが多かったため、病名は国際的にも「ーー肝硬変」と認識されているので、勝手に病名の変更はできないという。
 消化器科の医師は「−肝硬変」の下に「−胆管炎」と書き加えて説明してくれた。不幸にして慢性疲労、黄疸、全身の痒み、骨粗しょ
う症など、肝障害による自覚症状が出てしまったら、終りの始まり・・になりそう。

 沈黙の臓器といわれる我慢強い肝臓は、危険信号を発したときには、すでに命に係わる状態なのだという。
 さいわい、胆汁の流れを良くする薬を服用し続けることで、肝硬変には至らず、無症候性のまま天寿を全うする患者も少なくないという
説明なので、もはや長くもない向こうの世界まで、なだめすかして連れて行くことにしている。

 抗ミトコンドリア抗体

 病名の宣告を受けたときには、他人事だ・と思いつつも、一時は動転して体が震えたが、時間の経過とともに落ち着きを取り戻して、
意外に平気になってしまった。振り返ってみれば、この先、何が起ころうと、すでに78歳まで、つまり、人生の大半を大過なく生きてき
たうえで、今さらじたばたするようなことでもなかろうと、構えることにした。まことに、「年の功」です。

 病気の宣告によって関心を持ち、素人なりに知り得た知識の一端を書いてみる。
 病名を知り得たうえでは、インターネットでその病名で検索してみれば、難なく情報を得られるし、その情報が百パーセント信頼できる
かどうかはともかくとして、希少な難病でありながら、いとも簡単に得られて参考になるのは、まことにありがたい。
 通常の検査では対象になっていない詳細な血液検査で、抗ミトコンドリア抗体が数値の上で320検出された。これは、健康体であれば、
ほとんど検出されないのが普通という。そのうえ、この抗体は現代医学ではコントロールできない自己免疫疾患のひとつという。

 ミトコンドリアは、体の隅々まで栄養を送り届ける大事な体内物質であり、そのミトコンドリアを免疫細胞が外敵と誤認識して攻撃して
いるという。その度合いが「抗ミトコンドリア抗体」の数値ということになるようだ。あくまで、素人の即席知識だけれど。
 その結果として、肝臓内に張り巡らされた胆管が壊れて、胆管の中で生産され、胆嚢を通じて十二指腸へ送られる胆汁の一部が浸み
だし、肝臓組織の中にうっ滞することで肝障害を引き起こし、血液検査にそれが現れ、病名に結び付いた、ということになるようだ。

 抗ミトコンドリア抗体が10年もの長期間にわたって隠密行動よろしく潜んでいたものが、助走段階は終わった・とばかりに三段跳びで大
っぴらに動き出した危険な動きを、さいわいにも定期健診でキャッチしたことになる。
 この段階を見落とすと、確実に肝硬変に進み、有効な治療法は肝臓移植しかないという、恐るべき病であり、病状によっては、厚生労
働省に申請すれば、医療費は公費負担の難病であることも知り得た。

 わたしの場合は現段階では、薬の連用でしのげそうなので、症状が無いからといって他人事のようにあまく見ないように毎食後の服用
を習慣づけることが絶対に必要という。
 ウルソデオキシコール酸という胆汁の流れを良くする薬は、その昔、漢方薬の「熊の胆」に代わるもので、ほとんど副作用も無く、連用に
差支えはないということなので、毎食後の服用を忘れないようにしている。

 習慣的な飲酒を卒業

 ここまで書いてくると、多くの読者からは、アルコールの飲み過ぎだろうと、お叱りを受けそうだし、インターネットや家庭の医学だのとい
ったテレビの情報や文献でも、殆どが肝機能の病変はアルコールの飲み過ぎでなければ、疲労によるストレスか薬害が原因としている。
何しろ、10年以上ものあいだ、正常値をわずかとはいえ、超えた状態の肝機能の数値に無関心ではいられないので、折に触れて、素人
ながらも調べてきている。

  どこかに原因がある・と同時に、それでもこの年齢になるまでたぶん同年代の人より生きてきたのだという自負というか、開き直ったと
言えるかも知れない気持ちになってきている。アルコールの飲み過ぎという疑問については、実験してみようと、晩酌を一週間、二週間、
一か月と、しつかり続けた後に検査しても変化なし。それならと、一か月間完全に禁酒してみても、やっぱり変化がなく、アルコールが原
因ではないことは長い年月をかけて繰り返し実証している。

 かかりつけの医師からは、実験の内、前者については二度とやらないようにと、きついお叱りを受けてしまったが。
 そんなことを繰り返している内に、お酒のない暮らしに抵抗がほとんどなくなってしまった。変化がないといっても、肝臓に負担がかかる
ことには違いがないと思うし、アルコールの誘惑よりも、我が身の可愛さのほうが勝ったようだ。

 盆暮れなどに息子家族が来た時にと、用意しておいたビールや焼酎の残りがケースごと、何時まで経っても台所の片隅に鎮座してい
て、時おり思い出したように350ml缶ビールひとつを冷蔵庫に遠慮がちに入れて、夕食時にたしなむ楽しさに浸るとき、それが、最上の
アルコールの楽しみ方ではないかと、しみじみと思うようになった。


同人誌「ちいさなあしあと」掲載済み



                 



我が家の敷地で野良猫が子を産んだ

PC絵


 我が家の小さな敷地の片隅で野良猫が4匹の子を産んだ。
かわいい子猫たちだが、ここで子育てをやられては、我が家は猫屋敷になってしまう。市の担当課に処理を依頼するというか、相談を
持ちかけたら、「飼い猫ですか?野良猫ですか?」という。どちらかは、猫ちゃんに聞いてみなければわからないけれど、こんなところで産
むくらいだから、野良か野生かのどっちかでしょう。どっちも同じようなものだけれど、と応えたら、野生化していれば、市としては扱うこと
が出来ません、という。

 理由は、飼い猫であれば、飼い主の所有物なので、保健所に処理を依頼することができるけれど、猫といえども、野生化した動物は、
処理どころか、野生動物の保護に関する法律による保護の対象になるので、見守ることしか出来ないのだという。
 それでは、猫屋敷を助長するようものではないかと、食い下がってみたら、しばらくの間沈黙したあとで、
「大きな声では言えませんが、ゴミとして・・・つまり・・」という答えが返ってきた。

 「証拠を残さずに殺せばゴミだ、ということですか?」
と、応じたら、「だから・大きな声では・・」と歯切れが悪い苦渋の返事だった。
 さて、どうしたものかと途方暮れていたら、たまたま通りかかった通行人のおばさんが、家で育てるからと、そのうちの一匹を抱き上げた。
 産まれて間もないので無理でしょう・というのに、育てた経験があるからと、持ち帰った。

 4匹とも引き取ってくれれば一件落着だが、これでは解決の足しにもならない。それでも1匹は無事に育てば、幸せなペットになるかと安
堵したが、残った3匹、何とかならないものかと、集まってきたご近所さん共々思案していたら、先ほど持ち帰ったおばさんが、家族に反対
されて、自信がなくなったといって返しに来た。
 そうこうしているうちに、親猫が、人間たちが覗き見ることに危険を感じたか、何処か別の所に運び出した。

 一匹目、二匹目と子猫の背中をやさしくくわえて、けなげに移動した。やれやれ、これでひとまずは解決かと思ったら、一匹だけ残している。
何度も様子を見に来るのだが、その子だけは近づいてはみるものの、躊躇している。
 人間のニオイが付いた子猫は、もはや、わが子でも警戒の対象になってしまったようだ。
 覗き見ることを遠慮していれば、そのうちに運んでいくだろうと静観していたが、か弱い泣き声がさらに消え入りそうになり、ついに、沈黙し
てしまった。

 哀れな仔猫は二日後には綿くずを詰めた段ボールの箱の中で冷たくなっていた。
 良かれと思って人間たちのしたことで、幸運が転じて不幸を招いた。
 やりきれない思いで、小さな命を埋葬してやりました。





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