山と旅のつれづれ




PC絵画 第七部



幼かりし頃、好きだったお絵描き。仕事の現役中は、すっかり忘れていて、50年目に出会ったそれは、
思いがけないパソコンによるお絵描きです。場所をとらず、ソフト以外の道具一式の必要もなく、
手軽に描ける面白さに浸っています。
作品はすべて自分で撮ってきた写真や旅行パンフ或いは、頭に浮かんだ架空の風景を題材にしています。
写真トレースやデッサンを省略して、キャンバスに直接色描き手法で描いています。

現在7点収録







奥能登、禄剛埼灯台



初夏の能登半島は外浦の海岸美を巡るのが観光の定番のようだが、平地がほとんどない内陸部も海岸の風景とは対照的で、その組
み合わせが魅力だ。不似合なほどに整備された「能登里山海道」をひた走って半島の先端にたどり着くと道の駅「狼煙」に車を休めて、
小高い丘を登りつめると、ぱっと開けた広い高台の一角に白亜の灯台が凛として日本海を見つめている。
島国の国境ともいうべき海に面した日本海側の半島や岬の突端には軍事レーダーなど、自然の景観にとっては不似合な施設が目立
つが、ここには、それらの施設が見られないのがたのしい。

 のんびりとした雰囲気が旅人の心を癒す、絶好のロケーションだと思う。
 翌年の早春。内陸を貫く能登里山海道を左右の雪の眩しさに翻弄されながら辿る機会を得た。人口過疎にあえぐ地域の、観光的にも
閑散期であり、あまりにもさみしい道の駅「狼煙」に、懐かしさを覚えながら駐車して再び灯台のある公園台地を目指したが、季節的に
は早春であっても、能登半島先端の刺すような冷気と強風にもてあそばれて、短い道のりでありながらも、半ばで断念してしまった記憶
が消えない。
 「狼煙」は地名であり、地域的に、いにしえの通信手段の名残が定着しているのだろうと想像してみたが、関係がないかもしれない。そ
れにしても、この最果ての岬に、狼煙(のろし)という地名は、似合っている。







椿の展望台



 能登半島木の浦県民休暇村に隣接する「椿の展望台」は半島外浦の荒磯の絶景を見下ろす、さわやかな展望台だ。くねくねと曲折を
繰り返す海沿いの山岳道路は、対向する車が少なく快適なドライブをたのしめる。
 そんなコースの小高い峠に、思わず立ち寄りたくなる一軒のしゃれた小さなレストランを見つけた。丁度昼時でもあり、立ち寄ること
に・・

 日頃、旅先での昼食は中途半端な軽食・というより、おやつのような口汚しですませてしまうのだが、たまには、こんなレストランでプチ
贅沢をしてみようとドアを押した。
 店では、出まかせ定食1000円という。お任せではなく、出まかせなのだ。さて、何が出てくるのか興味がわく。出てきたのは、焼きイ
カをメインにした昼飯としては適度なセットだった。
 これが、旨かったのだ。これで1000円也。今でもしっかりと憶えている。観光地での行きずりの客に良心的な食材でもてなしてくれ
た、峠の小さなレストランは「椿の茶屋」という。なるほど、「茶屋」のほうが周囲の雰囲気にも合っている。

 高台から見下ろす岩礁の群がりが、打ち寄せる白波を従えて、美しく見えた。
 帰りしな、海岸で拾い集めたとおもわれる平たい小石にフェルトペンで手書きをした名刺?をいただいた。
 今も、車を急停車(滅多にしないが)するたびに、ドアポケットに入れたその小石の名刺が転がってカタカタと愉快なおしゃべりを繰り返
し、またのお越しを・と誘いかけてくる。








奥能登海岸の民家


 半島最奥に近い、外海に面した海岸は、日本海の烈風とそれに伴う荒波が打ち寄せる厳しい環境にあって、篠竹を密集して垣根を
作る「間垣」の風情が冬の風物詩だが、近年はそんな奥能登らしい海岸集落を見ることが少なくなった。
 能登らしい風情を意識しながらドライブ中に、ふと、出会った板囲いの民家が、間垣に守られた古民家を容易に連想させ、思わず停
車して、助手席のかみさんを慌てさせた。

 この地域で「アテ」といわれる、翌桧(アスナロ)の木の板囲いが海風にさらされて風化し、うら淋しくも、人目につく落ち着いた風情を醸
し出している。何でもない風景だと、やり過ごしてしまえば、それまでのことだが、プロもアマチュアの絵描きたちも、不思議と描きたがる
「荒野に佇む一軒家」の風情に通じるものがある、と思う。風薫る5月の能登に、冬の能登の一端を垣間見るおもいがした。
わたしの主観では、旅の記憶として印象的な風景の一枚である。




   



安曇野、休園中の野草園


 能登半島ドライブの帰り道。
 地震か豪雨災害か、はたまた建築基準法による強度不足を指摘されたか、長野県中部をドライブ中に見つけた山野草園は、入り口
にかかる10mもなさそうな小さな橋が通行不能?になっていて、大きな案内看板だけが目立った。休園中で管理の行き届かない山野
草園は入り口から歩いて廻ったが、雑草が目立ち、淋しい限りの風景が展開していた。

 しかし、考えてみれば、展示物は山野草なのだから、自然に還る、という意味では、これでいいのではないかと、へそ曲がりかもしれな
い気持ちで誰もいない園内を鑑賞するという面白い機会を得た。
 雑草に負けじと、精いっぱいに成長して存在を誇示するアヤメかショウブかカキツバタか、その区別がわたしには分からないが、何で
もない小さな群落は鮮やかな青紫の花が印象的で角度によっては絵になる・と直感してカメラに収めた。
 緑いっぱいの風景が楽しい。

 初夏の安曇野は未だに白く輝く北アルプスの峰々を仰ぎながらも、新緑があふれる人里は絶好のドライブ日和。団体旅行と違ってミ
チクサが容易にできる自由な旅のおもわぬ収穫に、写真を手元に絵を描きつつ感慨に浸っている。







神話の郷の、のどかな佇まい



島根県奥出雲地方のローカル線「木次線」で、観光振興目的の、いわゆるトロッコ列車は、運転手が線路上降りて
主導で線路の向きを変えるという古典的なスイッチバックでN字型に高度を稼いだ先に、
昼寝をしたいなるような、のどかな山里の風景が展開する。
農耕日本の原風景といってしまえば、ありきたりだが、先祖から受け継いだDNAが、
こんな、何でもない佇まいに気持ちを揺さぶるものか、
忘れ得ない旅の記憶としていつまでも脳裏に留まっている。







大分県、原尻の瀧


大分県豊後大野市。大野川の支流、緒方川は、阿蘇カルデラの伏流水を集めて地表に現れ、
流域に広い扇状地を形成し、のびやかな田園地帯や畑作地滞の中央を貫流し
横幅の広い豪快な滝になって、他では容易に観られない風景を展開している。
深い山中ではなく、すぐ脇に広い駐車場を従えた道の駅があり、4月春爛漫の日曜日とあって、
満車状態の賑わいの中にあった。
道の駅「原尻の瀧」の窓からミニ、ナイヤガラのような風景に、見飽きのしのい異質な景観を堪能していた。







大分県、大野川源流へと辿る林間の道


ヤマザクラの季節も終わって、溢れんばかりの新緑が眩しい林間の道。
名所旧跡などを巡る旅も楽しいが、こんな風景に出会ったとき、思わず知らず、脳裏に絵を描いて
記憶しようとする自分がいる。
絵の題材としての写真を撮って持ち帰ることを忘れないように心がけている。





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