青少年の懊悩 04

観客席の熱気は、頂点に達しようとしていた。

「俺は8番!8番の子は可愛かった」

「いや、19番だって。大人の色気が、こう…」

誰彼ともなく、批評をはじめる。

審査員たちの的外れなコメントが、逆に観客を活性化していた。

「俺…俺は、25番…」

こそりと、一人の男が手を挙げる。

その瞬間、まわりの人間全てがぴたりと口を閉ざした。

それもそのはず。前方に位置するこの席には、25番、イザーク・ジュールが男であることを知らないものはいない。

「ま、まあ…気持ちは分かるよな…」

ぎくしゃくと、もう一人の男が相槌を打つ。するとそれに同調するように、他の男達からも声が上がった。

「いや、それを言うなら24番も…」

「ああ、群を抜いて可愛かったよな…」

「25番はお姉さまってカンジで…いやむしろ女王様か…」

皆、示し合わせたかのように名前ではなく番号で呼ぶ。

普段の彼らを見慣れている身としては、名前で呼ばないことで現実から目を逸らしたいのかも知れない。

そうして24番、25番と言い続けていた彼らだが、不意に顔を赤らめつつ、互いの目を窺った。

「だけどやっぱり…」

続く言葉は、喉の奥に仕舞い込む。だが誰もが、同じ数字を思い浮かべていた。

聞こえてくる微かな歓声に、イザークは目を覚ました。

どうやら気を失っていたらしい。

自分の失態に忌々しげに舌打ちすると、眦を吊り上げて部屋の中を見渡した。誰かいたら、何かを言われる前に威嚇するつもりだったが、室内には人っ子一人いない。ふん、と鼻を鳴らして、また長椅子に寝そべった。

ここは控え室のようだ。女と一緒など冗談ではないと散々騒いだことで、自分たち男性用に、急遽与えられたものである。アスランとニコルがいないということは、もう後半の部は始まっているのだろう。

アスラン、と考えたところで、先程の光景がまざまざと脳裏に蘇って、イザークは口元を押さえた。

やばかった、あれは。何がって、いろいろ。

誰もいない部屋で、一人真っ赤になるイザーク。しかしすぐに頭を大きく左右に振り、煩悩を振り払うと、すっくと立ち上がった。

「とにかく、会場に向かおう」

誰も聞いていないのに、わざわざ決意を口に出す。

今なら誰もいないのだし、「事故」が起きたからには、恥ずかしがってイザークがボイコットしても誰も咎めはしないだろう。ニコルあたりは真綿で首を絞めるようにねちねちと文句を言うかも知れないが、他の人々、アスランは置いておいても、女性陣は理解してくれるはずだ。

だが、それでも律儀に後半の部に出ようとするイザーク。彼はある意味、可哀想なまでに融通が利かない男だった。

毅然と背筋を伸ばして部屋を出ると、足音高く廊下を行く。静まり返ったリノリウムに、硬質な音が響いた。

だんだんと大きくなっていく歓声。この分だと、コンテストは大方終ってしまっているかも知れない。

危惧を抱きながら舞台袖に顔を出すと、すでに出番を終えたらしい女性たちが、わっと集まってきた。色とりどりの私服に彩られた女性たちに取り囲まれ、イザークは思わず仰け反った。

「イザーク君!大丈夫なの?」

「同情するわ…あれは私達でもやばかったもの…」

「我ながら、センスの良さにびっくりよね」

いや、違うだろう。あれはセンスどうこうではなく…。イザークはそこまで考えて、またアスランの姿を思い出してしまい、不覚にも顔を真っ赤にしてしまった。

それを見た女性たちが、慌てて他の話題に切り替える。また鼻血を出されてはたまらない。

「そうそう、今は、ニコル君が舞台に立っているのよ」

「もし大丈夫なら、イザーク君の番は次だから、舞台袖からニコル君の様子を見ておいて頂戴」

「打ち合わせ無しでも、赤を着ているイザーク君なら、ニコル君の様子から、上手くやれるでしょう?」

イザークの自尊心を微妙に刺激しつつ、舞台の方を指差した。見れば、カーテンで遮られた向こうでは、ニコルが愛想よく笑っている。

ふん、とひとつ鼻を鳴らして、イザークは舞台の方へと歩み寄った。ニコルの女装をもっとよく拝んで、無様な姿を笑ってやろうと、じっとその様子を注視する。

ニコルの衣装は、何故かナース服だった。

イザークはその自然に嵌った立ち姿に、何となく悪寒を覚える。見苦しくはないし、実際観客からは「天使」「マイエンジェル」などといったふざけた歓声が上がっているのだが、イザークにしてみればニコルは悪魔のような存在だ。

「本当、私達のセンスって、最高…」

ほう、と隣の女性から溜息が漏れる。確かにどこからどう見てもニコルは男性には見えなかった。だがそれはどうだろう。

舞台の上で、ニコルはゆっくりと一回りし、とろけるような笑みを浮かべた。観客席から一際大きな歓声が上がる。それに笑顔で答えながら、彼は口を開いた。

「休日は友人を呼んで、ピアノの演奏会を開きます。その後母の淹れてくれた紅茶を飲みながら友人たちと話すのが、私の一番好きな時間です」

オプションの聴診器を弄びながら、しれっとした顔で嘘を吐く。いや、嘘ではないのかも知れない。ただし、その友人とは、たったひとりに限定されているのだろうが。

げんなりとしながら、イザークは、出番を終えてこちらへと帰ってくるニコルを見返した。

真っ白になりそうな頭を、ラスティは必死な思いで抱えていた。

ニコルの冷や汗もののナース姿がようやく終わったと思ったら、今度はこれだ。

「うおおー!捕まえてくれ!」

「お仕置きしてください!」

観客席のそこかしこから上がる雄叫びに、涙が出てくる。

舞台の上でその男たちの叫びを受け取った人物は、有無を言わせぬ速さでマイクを放った。弾丸並みの速さと正確さで、それは発言者の頭に命中する。人ごみに沈む彼らの顔が、心なしか嬉しげに歪んでいた。

先ほどと同じように繰り返されたこのやり取り。彼らに学習能力はないのか。むしろ望んでやっているのか。ラスティは後者だと思ったが、あえて考えないようにしていた。

「拳銃を使わなかっただけ、ありがたく思え」

顎を高慢に反らして、イザークは観客席を見下ろした。その手には、言葉の通りの拳銃が。しかし本物ではない。これも衣装の一部である。

25番、イザーク・ジュールの衣装は、婦警の制服だった。

「もう、いやだ…」

何がとは言わずに、ラスティは両手で顔を覆う。

ニコルのナース服も衝撃だったが、イザークのこれもかなりのものだ。どちらも似合っているのがまた怖い。

しかし、二人の姿に心が躍るのもまた事実。もちろん、イザークやニコル自身が重要なのではない。問題は、二人の服装がこれならば、アスランの衣装はいかばかりのものなのか、ということだ。

それだけを希望に、彼は二人の女装姿を耐えた。その悪寒を耐え切った。

イザークは科白もそこそこに、観客席を厳しく一瞥して舞台袖に引っ込もうとした。ようやく終わるのか、とラスティはほっと胸を撫で下ろす。

だが突然、迷いなく進んでいたイザークの足が止まった。

「どうしたんだ…?」

ラスティだけでなく、観客の多くがそのイザークの様子に訝しげな声を上げる。

と、唐突に、彼は舞台の上に倒れこんだ。

自分の番が来るまで舞台袖には来るなと、アスランは皆からきつく言い含められていた。

何故そんなことを言われるのか全く分からなかったのだが、誰もがそう言うのでアスランは女性用の控え室でずっと呼ばれるのを待っていた。

手持ち無沙汰に、今回の騒ぎを思い返してみる。

突然部屋に現れたディアッカが、ミゲルを連れ出した時点で、気付くべきだったと、今にして思う。二人は普段ならそれほど仲が良いと言うわけでもなかったし、何か裏があると見るのが自然だ。

だが一方で、まさかこんなことを考えているとは思いもよらなかったのだと、諦めにも似た気持ちに胸を塞がれる。

「どうどうめぐりだな…」

苦笑して、頭を振った。

考えていても仕方がない。もう実際にコンテストは始まってしまったのだから。

気持ちを整理して頭を上げると、出入り口が控えめに開けられた。

「アスラン、いますか?」

「ニコル…」

おずおずと入ってきたナース姿の同僚に、苦笑を向ける。まだあどけない感のある彼には、女性の服も違和感なく似合っていた。

しかし自分は…。考えて、また沈みそうになる思考を、無理矢理引き上げた。

「ニコルの出番は終わったのか?」

「…え!あ、はい」

尋ねると、ニコルはびくりと肩を震わせて、夢から覚めたかのようにこちらを見る。

「…どうした?」

彼らしくもなくぼんやりしているその様子に、思わず声を掛けると、はにかむような微笑が帰ってきた。

「アスラン…綺麗です…」

「ありがとう。でも、お世辞にもならないぞ」

冗談だと思って、軽く笑い返す。しかしニコルの瞳は真剣だ。

だが、彼はそれ以上言葉を重ねようとはしなかった。気を取り直したようににこりと微笑んで、アスランの注意を促す。

「ええと、今はイザークが舞台に立っています。ですから、もうアスランの出番ですよ」

「そうか…なら、もう行かないとな」

微笑んで立ち上がろうとすると、ニコルが手を差し伸べてきた。

「俺はレディじゃないんだから」

苦笑して見返せば、悪戯っぽい彼の瞳と目が合う。

やれやれと、その手に自分の右手を重ねた。

舞台袖に行くと、すでにイザークがこちらに帰ってこようとしているところだった。

慌てて舞台に向かい、彼と交代に出るために間合いを計る。すると、向こうもこちらに気付いたようだ。目を見開き、何事かを口にする。

「何…?」

この距離では何を言っているのか聞き取れない。無意識に足を進めると、イザークが立ち止まった。

「あ、おい…」

そんな所で立ち止まっては、観客が不審がる。アスランは何とかイザークにそう伝えようとするが、彼は何やらこちらを見て顔を真っ赤にし、放心状態にあるようだ。

どうしたのだろう。さっきと言い、今と言い。

何かの病気なのでは、とアスランは心配になってまた一歩舞台に近づいた。

「どうしたんだ、イザー…」

続けようとした言葉は、驚きに呑み込まれた。

イザークがその場に倒れこんだのだ。

正直、そこでイザークが倒れるとは思っていなかった。

もちろん、彼が倒れた理由はよく分かるし、ある意味ニコル自身も彼の二の舞になりそうな状態ではあった。だがプライドの高いイザークのこと、少なくとも舞台の上では醜態を曝さぬよう、耐え切るのではないかと思ったのだ。

「…腰抜け」

ぼそりと、いつも言われている単語を口にしてみる。だが、どうも自分の声で聞くと違和感があった。

やっぱりイザークのあの煩い声でないと、いまいちしっくり来ませんね。そう、アスランに笑いかけるつもりで首を巡らせた。だが。

「イザーク…!」

小さな叫び声と、髪を揺らす残り香。

それだけを残して、アスランの姿は舞台の上へと消えていた。

自分を呼ぶ彼の声が聞こえた、気がする。それで意識が浮上した。

「ん…」

霞む視界に眉を顰めながら、軽く頭を左右に振った。

あれしきのことで倒れるなんて。しかも二度目で、舞台の上。なんたる失態。

極力倒れることになった原因については考えないようにしながら、イザークは立ち上がろうと上体に力を込める。その段になって違和感に気付いた。

もう、上体は起こされている。それどころか、その背には気遣わしげな手がまわされていた。

ディアッカか、それともミゲルか。どちらかだろう、と思っていまだ霞んだままの目を凝らした。

しかし、視界に広がったのはそのどちらの顔でもなかった。

「イザーク…良かった、気が付いたんだな…」

優しげな面立ちに、ほっとした表情。

「あ…あああアスラン…!」

叫んだ途端に、また意識が遠のいていく。

「え…あ…イザーク…!」

慌ててアスランが叫ぶが、もうすでに遅かった。話しかけても反応のない彼に、焦りが募る。どうしてしまったと言うのか。やはり何かの病気なのだろうか。

とにかく、舞台袖に運ばねばとイザークを横抱きに抱え上げようとした。しかし、普段履き慣れないパンプスを履かされているため、足に思うように力が入らない。

「ミゲル…」

助けを求めて、膂力のありそうな年上の同僚へと視線をやるが、何故かこちらを見たまま固まっていた。その隣にいるディアッカも同様だ。

怪訝に思って辺りを見渡すと、観客席までもが、しんと静まり返っていた。時折、ごくりと唾を飲み込む音が、厭に明瞭に響く。

その段になって初めて、アスランは今の自分の格好を思い出した。

「あっ…」

恥ずかしげに小さな叫び声を上げて、耳まで真っ赤に染めてしまう。

途端、我に返ったかのように、会場はどよめきに包まれた。

ラスティは心底、突然倒れたイザークの気持ちが分かる気がしていた。

これは、その、何と言うか。

思考がぐるぐると回ってしまい、どうにも落ち着かない。知らず口元に手を伸ばしていた。鼻血が出ているか、そうでなくとも鼻の下が伸びているのではないかと慮って。

だが、彼がそのような行動に出れたのも、ひとえに日々の鍛錬の賜物だった。すでに左右の同僚は放心状態であるし、見える範囲でも何人か、倒れこんでいる者がいる。

「ア…アスラン…」

綺麗だとか、可愛いだとか、適切な表現が出てこなくて、ラスティは喘ぐように彼の名を呟いた。

もちろん、普段からアスランは綺麗だ。そして、可愛い。

だが、隙のない軍服姿と違って、いまのアスランの衣装は、彼にいつもとは違った柔らかな雰囲気を添えていた。

いや、その衣装も制服といえば制服だった。ニコルやイザーク同様、けして私服と呼べる代物ではない気もするが。

紺色のツーピースに、白いエプロン。それと揃いのヘッドピース。

そう、それはメイド服だった。

「や…やば…」

イザークを支えて舞台に座り込んでいるその姿は、無防備でどこか危うい。

ラスティは意識を飛ばしかけて、だが寸前で踏み止まった。心の中で、「苦悩の日々を思い出せ」とひたすらに念じる。しかし、耳まで真っ赤に染めて困り顔でいるアスランが目に映ると、それすらも霞んでしまいそうになった。

アスランの衣装は、ニコルやイザークのものよりスカートの裾も長いし、全体的に肌の露出は控えめだ。色合いも、随分地味だといえる。だがそのフレアスカートの裾から覗く伸びやかな脚が、紺と白に引き立てられた白い肌が、ラスティの思考を掻き乱した。

「ご主人様」

そんな幻聴を聞きながら、ラスティは今度こそ意識を手放した。

「さすがアスランですわ」

何が「さすが」なのか。判然としなかったが、今この場にラクスに意見するものはいなかった。

「やはり!やはり26番だな!」

熱に浮かされたように立ち上がって叫ぶ国防長官と、

「ぬ…しかし…!25番もあのようにか弱く倒れた様が…」

「いやいや24番が…!」

必死に反論する最高評議会議員のみ。

ラクスは放っておいたらいつまででも論争をしていそうな彼らには目もくれず、どこか陶然とした瞳で舞台の上の婚約者を見詰めた。

「私としては、ウエディングドレスやチャイナドレスも素敵だと思うんですけれど…」

まあ、後々いくらでも着せて差し上げれば良いですわね。

アスランが聞いたら卒倒しそうな言葉を呟いて、歌姫はその形良い唇に笑みを刷いた。

誰もが息を潜めて、熱い視線を舞台の上に集めていた。時折ごくりと唾を飲み込む音だけが、いやに明瞭に響く。

その静寂を破る、切るような叫び声。

「アスラン!」

舞台の上で途方に暮れていたアスランに、一筋の光が差し込んだ。舞台袖から駆けてくるのは、緑の髪にナース姿の彼。

「ニコル…」

あからさまにほっとした表情をしてしまったのだろう、ニコルは目を瞬かせ、その頬が薄く染まった。だがすぐに真顔になると、アスランを助けてイザークを支え起こした。そのまま、「僕に任せてください」と耳打ちして、イザークの襟首を掴む。

ここに来て、ようやく立ち直った男がいた。

「ちょっと待て!ニコル」

叫んで駆け寄って来たのは、ディアッカだ。ニコルの動作を見て、イザークを引きずって舞台袖まで下がる気だと踏んだ彼は、それを阻止すべく彼の手から婦警姿のイザークを奪い取った。引きずられるくらいで怪我をするような軟な体をしてはいないが、起きた後に、そのような扱いを受けたと知ったときのイザークの反応が怖い。そして何より、ニコルの貼り付けたような笑みが怖い。

「何ですかディアッカ。イザークなら僕が連れて行きますから、あなたは司会に戻ってください」

「いいや、俺が連れてく。俺のほうが力があるだろ」

及び腰になりながらも、精一杯虚勢を張る。正直に言おう、ニコルは怖い。怖いがしかし、今ここで阻止しておかないと、イザークと同室の自分は、また彼が暴れた後の後始末をしなければならなくなる。それは御免だ。

すると、ディアッカの胸中を知ってのことではないだろうが、アスランも助け舟を出してくれた。

「そうだな、ニコルにはイザークは重いだろう?」

ディアッカの言葉には表情を微塵も動かしもしなかったニコルだが、アスランがディアッカに賛成するやいなや、途端に目を伏せ眉根を寄せた。

「アスランがそう言うのなら…」

儚げな笑みを浮かべて、上目遣いにアスランを見る。計算ずくだ。ディアッカは薄ら寒いものが背筋を這い上がってくるのを感じた。

案の定、アスランはニコルの様子に保護欲を掻き立てられたようだ。困ったような表情で、ニコルの肩に手を置いた。

「ありがとう、ニコル。イザークも、君のその気持ちだけで、十分喜ぶと思う」

「そうでしょうか」

「も…もちろんだ!だから連れてっていいよな。な?」

ディアッカはニコルの言葉尻を掴んで、一刻も早くこの場を逃げ出そうとした。引き攣りつつも、何とか笑顔で断って、そそくさとイザークを横抱きに抱える。そしてそのまま、一目散に舞台袖へと向かった。

幸い、アスランはもちろんのこと、ニコルも別段引き止めはしなかった。

「じゃあ、僕ももう戻りますね。アスラン、頑張ってください」

「ああ、ありがとう」

いつも通りのどこか困ったような笑顔で見送るアスランに手を振りながら、ニコルもディアッカの後に続いた。小走りで途中追いついて、ディアッカの腕の中のイザークを覗き込む。その顔には、例の笑みが貼り付いていた。

「まあ、別にアスラン以外なら良いんですよ、僕じゃなくても。アスラン以外なら」

嫉妬とは恐ろしいものである。イザークをニコルに預けていたら、どうなったのか。考えたくもないと、ディアッカは思った。

ニコルとディアッカのやり取りの後の舞台上。さすがにここまで来ると、彼も我に返っていた。

「た…大変失礼致しました!ハプニングがございましたが、このままステージのほうを続けたいと思います!」

勢い良くマイクを振り上げたのは、言わずと知れたミゲルである。

観客の多くはこの騒動の間も放心状態にあったらしく、ミゲルのマイク越しの声でようやくアスランから視線を逸らした。それまでずっと数多くの視線に縫いとめられていたアスランも、そこでようやくほっと肩を下ろすことが出来た。しかし、すぐにマイクを向けられて、また無数の視線に晒される。

「それでは気を取り直して、アスラン・ザラさん!」

「は、はい…」

勢いの良いミゲルに押されて、身体ごと仰け反るような姿勢になりながら、アスランは必死に笑顔をつくる。後半が始まる前に、「とにかく笑ってなさい。それで万事オーケーだから」と参加者の一人が言っていたのを思い出したからだ。なぜ、どういう風に「オーケー」なのかは知らないが、とりあえず従っておくのが無難だろう。

そんなアスランの胸中を知る由もなく、ミゲルが軽快にあらかじめ用意されたセリフを言う。

「休日は何をして過ごされますか?」

「ええと、休日…ですか…」

この「休日」の話題は、すでに前もって参加者に知らされていた。ニコルは偽り交じりの真実を、イザークは真っ直ぐな性格そのままに事実のみを答えたが、一体アスランはどうするのか。

ミゲルは、真実を言うだろうと思った。アスランの性格からして、ニコルのように笑顔で嘘をすらすらと並べ立てるのは不可能だ。ならばたとえ一日中機械いじりをしている、というような答えでも、真実をそのまま答えてくれたほうがマシだ。

案の定、アスランの答えはイザーク同様事実だった。ただ、その内容はミゲルが考えていたようなものとは違っていた。

「…母の墓参りに行きます」

途端、会場が今までとは違った静寂に包まれる。水を打ったよう、とはこのことだ。ミゲルも、予想だにしないアスランの答えに、咄嗟に反応できず、目を瞬かせることしか出来なかった。

「母が好きだった花を持って…」

そこで言葉を切り、アスランの視線が落ちる。何かを確かめるように床をじっと見詰める姿が、画面に大きく映し出された。それを見た客の多くは、密やかに切なげな溜息をついた。

薄幸の美少女―――不幸は、時として美しさを飾る最高の装飾具となる。繊細で儚げな容姿に愁いの表情が加われば、危うい色香が漂うと言うもの。

だが、アスランはそのまま沈み込むような真似はしなかった。一つ軽く首を振って、微笑を取り戻す。その気丈に振舞おうとする仕草も、観客の目には健気な少女として映る。

「それから、婚約者の…」

だが、それが不味かった。

「と、と、ちょっと待て!」

「え?な、何だ、ミゲル…」

急いで止めるが、時すでに遅し。「婚約者」の言葉に場内が色めき立つ。ざわざわと不満を含んだ雰囲気に、ミゲルは小さく舌打ちした。

「婚約者とか、そーゆー話は黙っとけよ!」

「何で…」

ああ、もう、これだから。

ミゲルは額に手をやりながら、年下のエースを見やった。

だいたいこの少年は、俗物的な感情が理解できていないのだ。アイドルや、果ては二次元の少女にまで恋心に似た感情を抱き、野太い声で叫ぶよぷな気持ちを味わうようなことは、きっと彼には一生ない。結婚するだけでアイドルの人気が下がる理由も、まったく分かってない。当然、結婚まででなくとも、婚約だって十分マイナス要素になるのだという事実は、考えもしない。

会場のざわめきは大きくなるばかりだ。このままでは収集がつかなくなるかも知れない。ミゲルはこれ以上の質問は諦めて、強引にまとめに入ることにした。

「え、えー…それでは、アスラン・ザラさん、ありがとうございました!」

「は、はい…」

一体どうしたんだろう。突然話を切り上げたミゲルに釈然としないものを感じながらも、ぺこりと頭を下げると、アスランは小走りに舞台袖へと下がっていった。

「私達の出番ですわね」

そう言って肩にかかった髪を背中へとやりながら、ラクスが他の審査員たちを見やった。

「うむ」

「そのようだな」

相槌を打ちながら、銘々が口の端を上げる。

マイクを通したその声は、会場に高らかに響き渡っていた。ようやくアスランが舞台袖に戻ったことを確認したミゲルは、それにはっとして審査員席を仰ぎ見る。

「え、あ…は、はい。確かに審査に入っていただきますが…」

自分が話を振るまで、待っていて欲しかった。どうにも先ほどから、予定が狂い通しだ。

まごつくミゲルを余所に、審査員たちは互いに牽制を始める。

「まあ、結果は見えているがな」

「どういう意味かな、ザラ長官…いや、パトリック」

「そうだぞ、聞き捨てならん」

またか、と思いながらも、ミゲルは一応割って入ることにした。ある意味この状況でにこにこと笑っているラクスこそが、最強なのかも知れないと、心の奥底で呟きながら。

「あのー…ちょっと良いですか?」

「何だ」

「え、いや、その…審査に入っていただく前に、観客への説明をですねぇ…」

「そうか、分かった」

本当に分かってくれているのだろうか。不安になりながらも、ミゲルは気を取り直し、観客へと向かった。

「大変お待たせいたしました。では、これより審査の説明をしたいと思います」

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