ある少女のものがたり 間奏

その女性が私の前に現れたのは、留学に一区切りがつこうかという春先のことでした。すでに父がプラントで過ごした年数を超え、私は二十歳を迎えておりました。春に調整された穏やかな空の下、花のように微笑むその女性を見たとき、私は、一瞬そこに叔父が立ち現れたのではないかという錯覚を起こしました。

綿飴のような桃色の髪に、青灰色の夢見るような瞳。柔らかく整えられた、飴細工のように美しい造形。よくよく見れば、叔父と似通った点など一つもありはしませんでした。それでも私は、叔父とその女性との間に、性別すら超えた共通の何かを感じました。母と叔父の間にあった、表面のみの共通性ではありません。以前、父と叔父との間に見た儚さとも違う、むしろそれとは正反対の何かを感じたのです。

私は言われずとも確信しておりました。彼女は、叔父の知人、それも母と同等か、もしくはそれ以上に近しい者だと。

叔母と呼んで欲しい、とその人は言いました。彼を叔父と呼ぶのなら、自分は叔母と呼んで欲しい、と。そう口にしたときの彼女の顔は確かに微笑んでいたというのに、どうしてだか、私には、彼女が泣き叫んでいるかのように映りました。ですから、私は言葉を返すこともできず、ただ深く頷いたのです。

その人、叔母は、自分に関することは何も教えてくれませんでした。叔父との関係も、そして、名前すらも。それでも何故か、彼女を不審に思うことはありませんでした。ただ、ときどき、私の顔を見つめては、切なげに目を細める姿だけが、脳裏に引っかかってはいましたが。

たまに会って、食事や買い物をして。叔母と姪というよりは、歳の離れた友人のように、私たちは数ヶ月を過ごしました。叔母は自分のことと同様、父のことも、母のことも、そして叔父のことも、ほとんど口にはしませんでした。それはどこか奇妙な関係でしたが、私は何もかも許されたような安心感を覚え始めていました。父も、母も、そして叔父も関係のない、私だけを見てくれる存在。考えてみれば、そういった人は、今まで唯一人すらいなかったのです。

ですがそれも幻想に過ぎませんでした。私は、彼らの影から逃げることなど、出来はしなかったのです。

叔父のもとに、帰って欲しい。

叔母の口からそう聞かされたとき、私は別段驚きはしませんでした。その頃には、彼女がそう望んでいるだろうことを、薄々ながら感じとるようになっていました。むしろ、そのためだけに自分に近づいたのだと言われても、納得したであろうほどには。

泣きもせず笑いもせず、ただ無表情に私に頼む叔母の姿に、不思議と怒りは湧いてきませんでした。利用されたと、そう詰っても良かったのかも知れません。ですが、何もかもが、どうでも良かったのです。何もそれは、虚脱感からの思いではありません。ただ本当に、もう、全てのことがどうなろうと構わなかった。彼女は確かに、私との時間を大切にしてくれていたのですから。

私は今でも忘れることが出来ません。緑色ではないの、と、私の髪を見て言った、初めて会ったときの、叔母の少女のような瞳を。

叔母と最後に話してから、数日を経た、昼下がりのことです。喫茶店で何の気もなしに雑誌に目を落としていると、不意に肩に手を置かれ、私は身を強張らせました。驚いて振り返れば、そこには、叔母ではなく、養父の姿がありました。

さらりとした銀髪に、澄んだ青い瞳。その美しい瞳に、今は動揺が浮かんでいます。彼は、私の過剰とも言える反応に、戸惑いを感じたようでした。ですが、かと言って、この養父に叔母の話をするつもりにもなれず、私はただ、向かい合った席を勧め、ちょうど目の前を通った給仕に、声をかけたのです。

彼は正しくは、私の養父ではありませんでした。プラントへの留学を望んだとき、私の後見役を名乗り出てくれた人物、それが、父の戦友であったという、彼だったのです。私はすでに成人しており、保護を必要とする年齢ではありませんでしたが、そうは言っても、やはり見知らぬ土地では何らかの後見が必要であろうと、そういった配慮からのことでした。しかし、留学先でそれを逐一説明することが煩わしく、結果私は彼のことを、表向き養父と呼んでいたのです。

かちゃりと音を立てて、給仕が養父の前に紅茶を差し出しました。その音に我に返った私は、それと知れぬように息を細く吐き、目の前の彼の姿を、盗み見るようにして観察しました。養父はその秀麗な眉を顰め、じいっと目の前の紅茶を見ています。いえ、違います。よく見てみれば、紅茶ではなく、彼が注視しているのは、それに添えられた給仕の手なのです。そこまで考えて、音か、と、私は思い至りました。気にもしていなかったことですが、先ほど給仕が立てた茶器の音は、確かに下品とも取れるものでした。養父の性格からすると、また何かそのような振る舞いがあれば、この給仕に口を出しかねません。私は、知らぬ振りをしながら、給仕に下がるようにと目配せをしました。

しかし給仕が下がってしまうと、私たちの間には、するりと気詰まりな雰囲気が寄り添うように滑り落ちてきました。沈黙が落ち、思考はあらぬほうへと向いていきます。叔母のことや、これからの私の進退。いつの間にか私は、それらを養父に話すべきかと、自問しておりました。しかし、言い出そうと口を開いても、出てくるのは関係のない話ばかり。なぜ、こんなところにいらしたのですか。お仕事は。長いことお会いしておりませんでしたが、お元気でお過ごしでしたでしょうか。そのような私らしくもない言葉を耳にしても、養父は苦笑するだけで、何も問うてはくれませんでした。いっそ訊いてくれれば、楽になれたでしょうに。

何故か無性に泣きたくなり、私は唇を噛み締めました。その私を見て、養父は静かに紅茶を置き、席を立ちました。そのままこちらへ歩み寄り、私の顎に手を添え、硝子細工を扱うように、この顔を上向かせました。父に酷似しているという、この顔を。

よほどきつく噛んだのか、口の中に鉄の味が広がりました。次第にそれに塩の香りが混じり、私はついに、自分が泣き出したことを知覚しました。でも、止まらなかった。そして養父も、止めようとはしなかったのです。

烈火のようだと、そう聞いていた養父は、しかし私の前では、波一つない水面のように静かでした。そしてその静かな口調のまま、叔母に会ったと、そう言ったのです。叔母と話をし、それで私のもとに来たのだと。あまりに静かでしたので、私は、何も言い返すことが出来なくなりました。

養父は多分、私を叔父のもとへは行かせたくないのだと思いました。それでも、行かせねばならないと思っているのだと。彼の中にも葛藤があり、それは叔母とは対極に位置するものなのでしょう。そしておそらく、同一のものなのでしょう。

噛み締めて切れた唇を、養父は無理やりにも開けさせようとしました。もう、感覚のなくなりつつある強張った口が、彼の手に導かれ、開いていき、そして如何にもしがたい感情が、堰を切ったように溢れてきました。

叔父のもとへ帰るのだと、明確な言葉でもって。

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