ある少女のものがたり

物心ついたとき、すでにその人は私の家族の一部となっておりました。感情的でよく笑う母、寡黙というより物静かな父、そして、二人の間で柔らかく笑う、その人。

彼が母の兄弟、私から見れば叔父にあたる人だと知ったとき、ひどく驚き、俄かには信じえなかったことを、随分と鮮明に覚えています。その人、叔父の持つ雰囲気は、母のものとはあまりにも異なっていました。顔かたちこそ瓜二つではありましたが、髪の色も瞳の色も全く違います。纏う雰囲気だけ見れば、男女の差を差し引いたとしても、むしろ、父にこそ近いような。

「ああ、それは当たり前なんだよ。僕とお父さんは、幼馴染だから」

兄弟みたいなものだから、と、叔父は、まだ幼い私をその膝の上に乗せながら苦笑しました。どこか寂しげなその笑顔は、それから暫くの間、私の脳裏から離れませんでした。

父はけして饒舌な性質ではなく、どちらかというと、私の存在に戸惑っているような気配を見せる人でした。愛していないのではなく、ただ本当に、どう接すれば良いのか分からない。不器用な人だったのです。ただ、自惚れではなく、確かに私は父の深い愛に包まれていましたから、寂しさを感じることはほとんどありませんでした。

いえ、ほんの少しだけ、ごくたまに、私は父の不器用さから、小さな胸を痛めねばならないこともありました。ただ、そういった時には、必ずと言って良いほど、傍に叔父の姿があり、ひどく自然に、私の気持ちを掬い上げてくれたのです。

「おいで、一緒に話をしよう」

叔父は、父と彼との会話に入れず戸惑う私を抱き上げ、その膝の上に乗せてくれました。思えば、父からあまり抱き上げて貰った覚えのない私は、スキンシップという面で感じていた寂しさをも、叔父に埋めて貰っていたのでしょう。

鳶色の髪に、紫水晶を思わせる不思議な色の瞳。母と双子であるというのに、どこか少年のような雰囲気を残した、優しい叔父さん。幼い私は、本当に彼のことが好きでした。

「君は、本当にお父さんに似ているね」

叔父はよく、私の容姿について、そう口にしました。

「髪は肩くらいで、そう、服装はブレザーとか、そういうのがいいな。幼年学校のときみたいに」

きっと、将来はお父さん似の美人になるよ。

そう叔父に微笑まれると、私はどこか誇らしいような、むずがゆいような心地になりました。父は、子供の目から見ても整った顔立ちをしており、私はその特徴をそのままに受け継いでいました。青とも黒ともつかない深い色合いの髪に、翡翠のような緑の瞳。母は性格そのままのさっぱりとした金髪に、感情豊かな茶の瞳をしていましたので、その特徴が全く混じることのない私の容貌は、どこか不自然ささえ感じさせるほどでした。

「僕に息子がいればなあ。お婿さんとして立候補させるのに」

叔父には、子がありませんでした。結婚こそ一度したものの、すぐに別れてしまい、子をつくる間もなかったのだと聞きました。父によく似た私に、叔父によく似た居もしない息子。その二人の結婚話を嬉しそうにする叔父の様子に、私は何か喉の奥の小骨のような痛みを感じましたが、次第にそのことも記憶の片隅に追いやられていきました。ただ、母似の弟が欲しいと、その頃からよく両親に我侭を言い、困らせるようになりました。母に似ていれば、叔父にも似ている。叔父に似た男の子がいれば、彼は喜ぶのではないか。幼い私は、そう思っていたのです。

しかし、私に弟が生まれることは、ありませんでした。父も母もまだ若く、望めば可能であるはずですのに、どうしてだか、新たに子を儲ける気はないようでした。なぜ、弟を生んでくれないのか。そう言っては顔を歪める私に、母は、彼女らしくもなく、ただ悲しげな微笑を浮かべるだけでした。

その理由を知ったのは、私が幼年学校を卒業した、その年の春、桜の美しい季節でした。麗かな春の日差しを受け、もう、お前も大人だからな、と微笑む母の顔を見て、私は、何か恐ろしいことを聞かせられるに違いないと、何も知らないまでも、本能の部分で確信に近い思いを抱いていました。

被爆。

「分かったのは、君の出産のときなんだって。以前の検査では陰性だったのに、お産で産婦人科に掛かるようになったら、検査で陽性に…」

酷く冷静に言葉を紡ぐ叔父の口を、私は、一心に見つめておりました。唇を噛んで俯いてしまった母に代わり、彼はゆっくりと私の背を撫でてくれました。呆然とそれを受けながら、私は、父に肩を支えられた母から、目を離すことが出来ませんでした。

そんなことない。酷い冗談だ。そう言って、何とか笑いとばそうとしましたが、がんがんと音を立てて痛む頭に、私は、いびつに顔を歪めることしか出来ませんでした。

そして、叔父が続けた言葉を最後に、ついに私の意識は途切れてしまったのです。

「お父さんも」

両親はしきりに私までもが核に犯されてはいないかと恐れを抱いていたようですが、幸いにも、そのような兆候は一切現れて来はしませんでした。母も父も、それならば良い、と暖かく微笑むのです。その様子がまったく病を得たものの顔とは思えませんでしたから、そのことがまた逆に、胸に深く迫ってくるのでした。

可笑しな話ではありますが、私は、母よりもむしろ父のほうが心配でした。父はどことなく儚げな雰囲気を纏い、ともすればすぐにでも消えてしまうのではないかと、そのような危惧を、私に抱かせずにはおられない人でした。頼りないのではなく、儚い。何の気もなしに叔父にその話をしたところ、彼はひどく驚いているような、戸惑っているような、そういった表情を見せました。ああ、この人も父と同じくどこか儚い。私はそのとき唐突に、そう思ったのです。

ですが、やはり最も儚い命を持っていたのは、父ではなく、もちろん叔父でもなく、母だったのです。

父と母の何が生死を分けたのか、それは、言うまでもないことでした。父はコーディネーターであり、母はナチュラルだったのです。いかに活発で溌剌とした母であっても、父よりも長く病に耐えることはできませんでした。

いえ、母は、耐えんとしていました。父よりも早く死してなるものかと、凄まじい気力でもって、長の時を過ごしました。死すらも乗り越えんとするその姿は、どこか悲壮でもあり、そしてまた崇高にも映りました。

最期の床で、母は、父ではなく私を傍に呼びました。縋るような父の視線を背に受けつつ、私は、唯一人で母の最期の言葉を聞いたのです。

「私の代わりに、あいつを、守ってやってくれ」

ただ、それだけ。

「あいつ」というのが父を指しているのは、疑う余地もないことでした。しかし、一体何から守るのか、その時の私には分かりませんでした。ただ、漠然と孤独という言葉を思いました。

熱を失った母の手を握りながら、私は、深く頷きました。それを見て微笑んで、そうして、もう二度と、母がその目を開けることはありませんでした。

母の死から間を置かず、その年の夏頃から、父が体調を崩すようになりました。無理もないことです。それほどまでに強く、母は父を支えてきたのですから。

布団に横たわる父の顔は紙のように白く、本当に血が通っているのか不安になった私は、何度もその浅い呼吸を確かめました。頬に触れるとひんやりとした感触が手のひらに伝い、触れる呼気に生の兆しを感じながらも、やるせなさが胸を打ちました。徐々にではありますが、父の呼気が薄くなり、生命が失われつつあることが、私にも知れました。

長くは、ないのかも知れない。

考えまいとしていた言葉が、ふいに現実感を伴って胸に迫ってきました。それを否定する力も、人形のように横たわる父を見るたびに、私の体から抜けていきました。母の残した言葉が、どうしようもなく私を責めました。私には、父を守る力もない。母が果たせなかったことを、受け継ぐことも出来ない。

父はしきりに、私の心配をしていました。それが逆に、不甲斐ない私を責めているように感じられました。そんなことはないのに、そう、私は、父から目を逸らしたかったのです。

自分がいなくなったあと、私はどうなるのか。病の床にありながら、自らよりも娘の将来を考えるその姿は、痛ましさすら伴っていました。

「大丈夫だよ、この子のことは、僕に任せて」

叔父は、父が床に就くようになってから、自分の家には帰らず、ずっとその枕元で看病を続けていました。本来なら私がすべきことだったのでしょうが、叔父の強い希望により、父の看病の一切は彼が取り仕切ることになりました。私は、どこか解放されたような心地になりました。そしてまた、そう感じている自分に、嫌悪感を募らせました。

私が逃げたその苦しみを、叔父が被っているのだとも気付かずに。

母がそうであったように、彼女と双子の兄弟である叔父も、父を支えようと必死になっていました。いいえ、支えるなどという生易しいものではありません。叔父のそれは、父の腕を掴み、倒れようとする身体を無理やり立たせようとするような、そういった強引さをはらんだものでした。

「許さない…君がいなくなるなんて、認めない…」

うわ言のように呟きながら父の枕元に座すその姿は、私に修羅を思わせました。叔父こそが、父を黄泉へと連れて行ってしまうのではないか。すでに成人を迎えたにもかかわらず、私は、そのような子供じみた思いを抱かずにはいられませんでした。母が何故、より頼りになるであろう叔父ではなく、自分に父のことを頼んだのか。そのことも、私の意識には引っかかっていました。

しかし一方で、父をこの世に繋ぎとめるのもまた、叔父であろうという気持ちもありました。私を引き取ると言ったのも、父を安心させ、療養に専念させるための言葉に違いありません。ですが、その思いもむなしく、父は、最期まで私のことを案じ、私の手を離そうとはしませんでした。

叔父こそが、父の手を取り続けていたかったのでしょうに。

母を喪い、父を喪い、私には、莫大な遺産と、がらんとした大きな家だけが残されました。両親の友人は、まったくの好意から私を引き取りたいと言ってくださいましたが、それをすべて断り、私は、プラントへの留学を望みました。両親の思い出の残る場所に居ることが辛いのが半分、自分の知らぬプラント時代の父を知りたいのが半分。我侭で勝手なことは分かっていました。第一、望んだからといって叶えられることでもありません。しかし、父の友人だという男性が、留学中の私の面倒を見ようと言い出してくれ、話は、面白いほどとんとん拍子に進んでいきました。

ただひとつ気がかりだったのは、残していく叔父のことでした。

「君の、好きにするといいよ」

父の葬儀を行い、財産の整理をし、私の後見役として世話を見て。叔父はごく冷静であるように表面上は見えましたが、その内面が空っぽになってしまっていることは、他ならぬ私が知っていました。無理もありません。叔父の心の大部分を占めていたのは、父だったのですから。

訂正を、せねばなりません。この場所が辛いのと、父の育った場所を見てみたいのと、それから、私は、叔父が恐ろしかったのです。彼に巣食う、深い空っぽの闇が怖かった。だから、逃げ出したのです。

しかし、逃げ出してはならなかった。このとき叔父を一人にしてしまったことを、私は、今でも悔やまずにはいられません。私さえ、残っていればと。

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