ラスティ・マッケンジーの懊悩

「いいですね、ラスティ。毎日が幸せでしょう」

部屋割りが知らされたとき、そう言ってきたのはニコルだった。少し悔しげなその笑顔が、とても恐ろしかったのを覚えている。

「いや、どうだろうな」

苦笑で返した呟きに、ニコルは不満げに顔を顰めた。

もちろんそれははぐらかすための言葉だったが、後にラスティは、真実、「毎日が幸せ」ではないことを知ることになる。むしろ、苦悩の日々であることを。

帰ってきたときから、何か気に障る出来事でもあったのだろうと予想はついた。それくらい、アスランの顔は険を含んでいた。

音もなく室内に入ってきた彼は、こちらを見ようともしなかった。衣擦れの音もささやかに羽織った軍服を脱ぐと、軽い音を立てて寝台の上に放る。

荒々しく振舞うのではなく、凪のように静かなその所作が、逆に恐ろしい。嵐の前の静けさ、とでも言うのだろうか。自分の寝台の上に寝転んで雑誌を読んでいたラスティは、思わずそれを横に置き、居住まいを正した。

たしかアスランは、例によって例の如く、今日もイザークとチェスの勝負をしていたはずだ。いつもならアスランが僅差とはいえ勝っているが、もしかしたら、今日は負けてしまったのかも知れない。

常には穏やかな彼だが、意外に負けず嫌いであることを、ラスティは、短くはない共同生活で感じ取っていた。イザークのように当り散らすことこそしないが、結構根に持つ性格であることも。

早いうちにフォローを入れておいたほうが良いかも知れない。寝台の上に畏まったまま、ひとつ軽く頷くと、ラスティは成る丈普段通りの声音で、アスランの機嫌を伺った。

「シャワーでも浴びたら…」

気分が良くなって、機嫌が直るのではないか、と思ったのだが、

「いや、いい」

一言のもとに、切って捨てられてしまう。

それでもラスティは、尚も食い下がるように身を乗り出した。

「でも…」

「いいって言ってるだろう!」

思いもよらなかった、怒鳴り声。

感電しそうなその荒々しい声に、ラスティは思わず身を竦ませた。寝台の上に膝立ちになったまま、アスランを呆然と見つめる。

正直、傷つかなかったと言えば嘘になる。だが、

「あ…」

声に出した言葉を取り戻すかのように口元を押さえ、アスランが顔を歪ませるから。

「…なあ、アスラン。気分転換でもしないか?」

諦めにも似た苦笑を浮かべ、ただ、寝台を降りたのだ。

室内には、甘ったるい雰囲気が満ちていた。床にへたり込むように座る二人、それぞれの手に握られたグラス、其処此処に転がる酒瓶。夢見心地にあるためか、二人の表情はいつになく緩んでいる。

気分転換には適度なアルコールが一番。しかし、まさかこんなに呑んでしまうとは。アルコールに霞む頭で、ラスティは、自分の有様を考えた。普段からミゲル達によって鍛えられているため、ある程度酒に耐性はあったはずなのだが、それでもやはり、「適量」というものは守らねばならなかったらしい。

まあ、でも、これで嫌なことはパーッと忘れられるよな。

ぼんやりとそんなことを考えながら、アスランを見る。すると、丁度こちらを見つめてくる彼の視線とぶつかった。その目はアルコールが回ったためか切なげに潤み、縋るような光を宿している。

「ラスティ…」

少しかすれた声に、鼓動が跳ね上がる。その赤い口元から、目が離せなくなる。

彼は、気だるげに身を起こすと、四つん這いになりながら、ラスティの元へと近づいてきた。酒に潤んだ艶やかな表情、折れそうなまでに括れた腰、その後ろで揺れる形の良い双丘。くつろげた襟元からは、白い肌が覗いている。いつにないその挑発的な姿勢に、喉が鳴った。

「え…あ、あの…」

間近に接近したアスランの顔に、胸が早鐘を打つ。徐々にではあるが、自分の理性がいつまで持つか、自信がなくなってきた。

理性が焼き切れる前に、どうにかして止めなくては。

ラスティは、彼の身体を押し戻そうと手を肩に置いた。

「アスラ…」

しかし、その手を逆に掴んで、きつく握られる。自分に圧し掛かってくる狂おしい体温に、ラスティは目の前が真っ赤に染まった気がした。

だが。

「吐く」

アスランは蒼白な顔で呟くと、ラスティの胸に縋りついた。

「…って、うわあああっ!」

傾いできたアスランの上体に、哀れなまでに尾を引く叫び声がこだました。

昨夜、一体どうやって寝台に辿り着いたのか、ラスティはまったく覚えていなかった。必死にアスランを介抱し、寝かしつけ、それから頭を冷やそうとシャワーを浴びて…。朝起きたとき、きっちりと寝台の上に収まっていたという事実が本当に奇跡のようだ。

まだ寝起きの頭のままで、布団の中で時計を確認して、そろそろ起き出すべきかと身じろぎする。ふとアスランの方を見れば、すでに寝台の上には姿がなかった。今頃シャワーでも浴びているのかも知れない。

つらつらと考えているうちに、丁度浴室の扉が開いた。釣られて目を向けて、思わず手で口元を押さえてしまう。

あれほど、その格好でうろつかないでくれと言ったのに。

アスランは、白いバスローブにしなやかなその身を包み、緩やかに波打つその髪を拭いながらこちらを見ていた。その細い四肢、湯気の立ち上る肌、上気した頬、薄く開けられた唇、浅い呼吸。一つ一つが、ラスティの鼓動を忙しなく打つ。

真っ赤になった彼にお構いなしに、アスランはラスティの寝台へと近づいてくる。

神様、助けて。

何を助けてもらうべきなのか分からないまま、ラスティが目を瞑ったそのとき。少し躊躇いながら、彼が口を開いた。

「昨日のことなんだが…その…俺は何か迷惑を掛けてしまっただろうか…?」

言われた言葉に拍子抜けして、ラスティは思わず目を開けた。それと同時に飛び込んでくるアスランの恥らいを含んだ表情に、また動悸が激しくなる。

どうやら、アスランは昨夜の記憶がないらしい。

昨夜は、本当に酷い目にあった。そう言ってアスランに恩を売っておいても良いのだが。

上気した自分の頬に手のひらを当てて、ラスティは一つ苦笑した。

「いいや、何も」

迷惑だなんて。

「いいですね、ラスティ。毎日が幸せでしょう」

そう、言われたのは何度目か。悔しげなニコルの顔を見返して、少し考えた。

「まあ…そうかもな」

苦笑で返した呟きに、やはりニコルは、不満げに顔を歪めた。

二万五千打キリリクでした〜!ありがとうございました。

「ラスティとアスランの同室話」ということでしたので、有りがちなネタを…酒…。彼らは成人なので、飲酒は合法ですよね?…まあ、合法だったとしても、アスランは弱そうです(決めつけ)。

題名はこれですが、「青少年」とはあまり関係ありません。しかし、「青少年02」でラスティが言っていた「苦悩の日々」のひとつがこれに当たるのかも知れません。


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