トワイライトエクスプレス

  ついに乗車当日になった。地震は分からないが、洪水や土砂崩れを引き起こす大雨は大丈夫そうだ。大阪までの東海道線が事故でストップなんてことは ないだろうな。ひどい目に遭い続けると、疑心暗鬼になってくる。やたら用心深い人っているんだけど、よほど運が悪く過ごしてきたのかと思ってしまう。

 ま、さすがにこれは考えすぎで、大阪駅には無事に着いた。いよいよだ! ここまで来ればもう乗れる! 乗車案内に表示される「トワイライト エクスプレス」や「札幌」の文字。そして、駅員による放送。ワクワク感が高まってくる

 ついに入線時刻になった。大阪駅10番線。神戸方の端でスタンバイ。入ってくるトワイライトエクスプレスの撮影のためだ。
 
 「まもなく10番線には、寝台特急トワイライトエクスプレス、札幌行が入ります。」

  カーブの向こうから2つの光が見えてきた。来た!!!!!!! 本当に乗れるんだ!!! 今度こそ乗れるんだ!!! カメラを構えるが視界がにじむ。 目から汁が出てきた。にじんだ視界のままどうにかシャッターを切る。ゆっくりと小生の横を通過していく。2号車の乗車位置へ小走りで向かう。 ちょうど停車のため速度を落としつつあるトワイライトエクスプレスと並んで走る格好になった。
 「今日こそ一緒に北の大地へ!」 列車と手をつないで一緒に走っている気分になった。感傷に浸りすぎてまた目頭が…

 2回も運休でポシャられた末の乗車。T駅で真剣にマルスに向かってくれた若い係員。北海道まで行きながら運休が分かり、途方に暮れたあの日。 2回目の運休が決まった土砂崩れを伝えるニュース…これまでのさまざまなことが脳裏に浮かんだ。  

 停車した車両に近づく。「何度も待たせたね。今日はちゃんと乗れるよ」 そんなふうに列車から言われた気がした。


入線! いよいよ乗れる!

ドアが開き、いざ中へ! 小生らは2号車。

通路を通り…

A個室ロイヤルの室内へ

 検札がすんだら他の車両も! 
 

お隣3号車は食堂車「ダイナープレヤデス」

4号車はサロンカー「サロン・デュノール」

 琵琶湖を眺めながらの昼食、日本海の車窓、ディナー、青函トンネル、翌朝の北海道内の車窓と、22時間近い乗車がうそのように短く過ぎていった。
 浮かれて楽しんでいたが、さすがに新潟県中越地方を通過した時だけは反省した。車窓からはまだブルーシートがかかった家も見え、運休が決まった 時に「やっとれん。しばらく仕事はテキトーだ」「いいことはすぐ消えるくせに、面倒なこと(≒面倒な行事担当という立場)だけは残りやがる」 「何が地球にやさしくだ! しばらくエコはやめ」などと好き勝手に文句言い放題だった自分が恥ずかしくなった。
 車窓から見えるのはまだ復旧が完全には済んでいない現実。こちらは願いもかなってトワイライトエクスプレスに乗っている。いかんだろ、いま乗車 できていることに感謝しなきゃ。
 

 2年後の平成21年9月5日、再びトワイライトエクスプレスに乗った。今度は復路、札幌から京都まで。トワイライトエクスプレス運行20周年の年にな り、いい機会だということで乗車したのだ。これもまたいい記念になった。札幌〜京都という区間、B寝台ツインという設備、 まさに最初に乗ろうとしていたそのもの。3年遅れで楽しむこととなった。
  トワイライトEXP20周年記念乗車旅行3日目 には記事としては書かなかったが、車内で事件があった。何も、西村○太郎の世界ではない。現実の事件だ。 とはいっても、さすがにコロシではなく、窃盗未遂みたいな事件。車内スタッフにより取り押さえられ、途中の停車駅でドヤドヤと警官が乗り込んできて、 容疑者を引っぱっていったのだ。何と、引っぱられていったほうも警官だったという…(後日懲戒免職)。
 

 ということで、語れば長くなるので長々と書いてみたお話は終了。
 トワイライトエクスプレスは小生にとって、思い出も思い入れも多い(大きい)列車なのだ。引退までにまた乗ってみたい気もするが、 はたしてどうなるか……

平成26年6月時点ではここまであったが、続きができてしまった!
 

                                  その6へ続く