2006年3月4日、愛知県豊田市市木町にある堂外戸遺跡の第2次発掘調査の現地説明会が
あったので訪れた。午後2時から開かれたが、4百人ぐらいは訪れたように思う。これまで見てきた中では最高の
人出であった。若い人や子供連れも多く、西三河地方の考古学に対する関心の高さが窺えた。
この遺跡は、標高55メートルの河岸段丘に位置する。北西800メートルのところを矢作川が流れる。市営
市木住宅の建て替えに伴い、平成15年度に試掘を行い、平成16年7月末から本調査が始まった。初年度は、
4000平方メートルを調査、大溝のほか竪穴建物跡21棟分、掘立柱建物跡35棟分などが見つかった。中
でも、東日本初という古墳時代(6世紀代)の独立棟持柱付建物が、話題となった。
第2次の本年度は、初年度調査区域の北西側5600平方メートルが調査された。その結果、古墳時代
6世紀中葉の1辺が9メートルに及ぶ大型の竪穴建物跡が見つかった。通常の竪穴建物の4倍という巨大さ
である。このほか、旧賀茂郡下で初めて、弥生時代中期末の方形周溝墓が発掘された。弥生時代の方形周溝墓は、
市木川の対岸台地上の高橋遺跡で発見されているが、弥生時代終末期である。
巨大竪穴建物跡の西側には、田の字型に9つの柱穴を持つ小型の高床倉庫跡12棟分が見つかった。市教委の
説明によると、独立棟持柱付建物跡と、西側の巨大竪穴建物跡との間に何もない25メートル四方の空白地帯が
あり、さらに西側に集中する2間×2間の総柱建物(高床倉庫)跡ある。このエリアは、ムラの中でも特別な
場所で、一体となって、何らかの役割を果たしていたことが想像される、という。
また、方形周溝墓は6基発掘され、最も小さいのが1辺が7メートル、最も大きいのが17メートル、
残りは10〜12メートル。いずれも軸方位を南北に揃えている。埋葬施設は、いずれも削平されており、全形も
不明だが、周溝の角を掘り残して、出入り口としているものがある。2ヵ所に出入り口を設けたものもあった。
平成18年度は、南西側の台地を発掘調査する。市教委では、方形周溝墓郡のさらなる広がりや、集落の移り
変わり、2次調査では見つからなかった4世紀に掘削された大溝の展開などの解明ができそう、と期待している。
【写真は平成17年度の第2次発掘調査で見つかった巨大な竪穴建物跡】