2005年8月27日午前10時から、岐阜県大垣市にある昼飯大塚古墳の第9次調査
現地説明会があった。同古墳訪問は昨年に続き2度目。この日は、晴れて暑くなったが、100人近くが
集まった。第9次調査は、3段築成の後円部2、3段目の直径を正確に計測するのと、構築法を確認するのが
主な狙い。
昼飯大塚古墳は、4世紀後半の前方後円墳で、墳長約150メートル。前期古墳では東海地方最大。
平成12年度に国の史跡に指定された。大垣市教委は、平成16年度から整備事業としての発掘調査を
進めており、今年は2年度目になる。
今回の調査では、6個所のうち3個所で復元の際に基準となる葺き石の基底石が確認できた。このことから、
同市教委は、後円部の2段目の直径は約77メートル、3段目の直径は約55メートルになり、これまでの
推定数値と、ほぼ一致する、としている。
また、葺き石が4個所で発掘された。石は墳丘内部に食い込ませるように葺いているのが確認された。さらに、
基底石付近では、重層的に葺かれていた。墳丘を強固にするのが狙いだが、場所によって石材や、その使い方に
差があることも明らかになった。
墳丘が削られた断面からは盛り土の状況が分かった。下部からおおむね黒色土、黒色と黄色が混在する土、
黄褐色に礫を含む土を用いていた。3段目斜面基底石付近で土層が変化しており、2段目の平坦面まで
を成形し、後円部全体を水平にならした後、3段目を造成している、という。
このほか、2段目平坦面に、かろうじて、高さが10センチほどに削り取られた埴輪列が残存。このことから
約20センチの間隔で、直径約30センチの円筒埴輪が3個並んでいる状態で見つかった。こうした一連の発掘
状況が、この日公開された。
なお、調査地点では発掘にかかわった学生たちが、○○大何年何がしと名前を名乗って、説明をした。こういう
やり方には、初めて接した。違和感のある説明もあったが、自分の感じたこと一生懸命伝えようとしていた。
後進を育てるという点で意義のある試みと言える。
余談だが、継体天皇陵とされる大阪府高槻市の今城塚古墳も発掘担当者が講演で、層状の盛り土が上に行く
ほど土の色が薄くなる、と話していたので、古墳の築き方は昼飯大塚古墳も同じと言える。そして、
土の色が下ほど黒くて上に行くほど薄くなるのは、掘った土を順番に積み上げていくためで、地表に近いほど
土の色は黒いので、黒い土が下になるというわけ。
ついでに、外周に濠があるのは、濠を掘るためではなく、盛り土を遠くから持ってくるのは大変なので、近くで
確保するために盛り土をする区域のすぐ外側で土を取るので濠ができる。したがって、盛り土で造る墓の外周に
は必然的に濠ができる、といえる。
【写真は20センチ間隔で並ぶ円筒埴輪の残存部分=岐阜県大垣市の昼飯大塚古墳で】