2004年11月20日、岐阜県大垣市にある昼飯大塚古墳の現地説明会に訪れた。
午後1時半から開かれ、100人ほどが集まった。朝、晴れていたが、昼近くから曇りだし、一時的に雨が
ぱらついたが、また晴れるといった秋特有の変わりやすい天気。始まるころには晴れ間がのぞいた。
昼飯大塚古墳は、4世紀後半の前方後円墳で、墳長約150メートル。名古屋市熱田区にある断夫山古墳
(墳長約150メートル)と同規模で、東海地方では最大級。断夫山古墳は5世紀末から6世紀初めの築造で、
中期から後期の古墳。前期古墳では東海地方最大である。平成12年度に国の史跡に指定された。
大垣市教委は、平成6年度から6次にわたる範囲確認調査をした後、史跡整備事業の一環として7、8次調査を
を行った。今回は10月から11月にかけての約1ヵ月にわたる8次調査の説明会。これまでの調査で、竪穴式石室
と粘土槨に納められた木棺があったことが分かっており、新たに木棺直葬を確認した、という。
この結果、三体合葬墓と分かった、と説明。これまでに確認している竪穴式石室と粘土槨は東西方向に
設けられているのに対し、木棺直葬は直交する南北方向であることが分かった、とも言う。粘土槨に納められた
木棺は、推定全長約7メートル。東側が西側より若干高くなっていて、遺体は東枕で葬られた、と推定する。
直葬の木棺の長さは、5.2メートル以上。幅は55−60センチで、北側の幅が広いことから、市教委では、
北枕で埋葬された、と説明する。また、竪穴式石棺に納められた木棺の長さは、4.5メートル以下とのこと
である。結局、東枕埋葬の2体の足下に、北枕の一体が埋葬されていたことになる。埋葬時期も、ほぼ同じという。
三つの棺が同じ墓壙内に納められた例は、三重県の石山古墳、兵庫県の行者塚古墳、大阪府の心合(しおん)寺山
古墳、滋賀県の熊野本19号墳に続く5例目という。しかし、前記4古墳は、三つの棺が並列に埋葬されていた。
一つの棺だけが、90度の角度で直交して埋められていたのは、今のところ昼飯大塚古墳だけである。
粘土槨の棺が最も長く、次いで直葬の棺、石室の棺が最も短い。一般的に、被葬者の地位は木棺の長いものほど
上位で、竪穴式石室、粘土槨、直葬の順で低くなる、といわれている。昼飯大塚古墳では、この一般論が
当てはまらない。築造場所の昼飯(ひるい)が示すように、まさに比類なき古墳といえる。
【写真は史跡整備に伴う発掘調査が行われている昼飯大塚古墳=岐阜県大垣市で】