見てきました                   猷々自的

豊川市の三河国分尼寺跡

 愛知県豊川市の三河国分尼寺跡が、中門と回廊の一部復元を機に2003年8月24日、 八幡砦発掘調査現地説明会に合わせて公開されました。八幡砦跡と数百メートルしか離れていないので、 説明会に行くついでに見て来ました。市民らが訪れ、ビデオやカメラに収めたり、市教委による説明を聞いたり して、天平の昔に思いをはせていました。

 国分尼寺は、国分寺とともに聖武天皇の勅願により、天平13(741)年、国家鎮護のため、国ごとに 建立されました。配布された市の資料によると、三河国分尼寺跡は三河国分寺とともに、大正11年に国の史跡に 指定されました。昭和42年の発掘調査で、諸国に置かれた国分寺に匹敵する規模の金堂基壇や複廊の回廊跡が 見つかりました。

 豊川市は、平成7年度に「史跡見川国分尼寺跡保存整備基本計画」を策定、発掘調査結果に基づき、 史跡公園化するための保存整備事業を平成11年度から進めています。中核事業の中門と回廊の実物大復元工事は 平成13年9月に着手、平成15年6月に完成しました。復元は文化庁の補助事業として、法隆寺、東大寺などの 現存建造物を参考に、奈良時代の建築様式を再現する形で実施した、といいます。

 復元された中門は桁行が3間(約5.5メートル)、梁行が2間(3.6メートル)。壁を挟んで両側通行の 複廊の回廊は、中門の両脇に配され、それぞれ3間ずつ。桁行総長は約28メートル。中門の棟の高さは 約7.8メートル。回廊の棟の高さは約5.5メートル。中門の中央に板扉が設けられ、回廊は蓮子窓で 飾られています。

 市では、復元にあたって、柱材は国産のヒノキを使い、木部はヤリガンナ仕上げ、柱などの部材は朱塗りにする、 瓦はわざと色むらをつけるなど、古代寺院の雰囲気作りに留意した、とのことです。建物復元は、ほぼ完成。 今後、残りの回廊や南大門の基壇整備、地形復元模型設置などを行い、平成17年春にオープンさせたい、 としています。

 復元された中門・回廊は、きれいすぎて、古さが感じられず、今ひとつピンときませんでした。 建築当時の感じは出ているのでしょうが…。これまでに復元された金堂基壇などからは、建物の広大さが イメージすることができ、当時の国家権力の強さを感じました。  【写真は復元された中門・回廊】(2003年9月11日作成)


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