2003年9月13日、古墳時代前期後半の定置漁具「エリ」が見つかった滋賀県守山市の
古高・経田遺跡の現地説明会が開かれたので、行ってきました。現地説明会は、午後1時から始まりましたが、
台風14号の影響で、午前中から不安定な天気。途中、小雨もぱらつきましたが、50人ほどが訪れ、
発掘担当者の説明を熱心に聞いていました。
古高・経田遺跡は、縄文から平安時代にかけての大規模な複合遺跡で、守山市教委は土地区画整理事業に伴い、
平成12年度から発掘調査を進めています。これまでの調査で、出土した土器の形から伊勢遺跡の衰退後、
弥生時代後期から古墳時代前期にかけて大きく発展した遺跡であることが分かっています。
15年度調査で、古墳時代前期末の旧河道から「エリ」跡が見つかったのをはじめ、古墳時代前期の
竪穴住居跡や大溝、平安時代の掘立柱建物跡などが見つかりました。エリ跡が見つかったのは4、5メートルある
川幅のくびれた部分。周辺で出土した土師器から、古墳時代前期末(約1500年前)に埋没したとみられます。
エリは、川下に向かって“ハ”の字状に開く魚の誘導部分である「簀(す)」と、魚を閉じ込める「ツボ」から
できています。ハの字状に打たれた杭や葦などを敷いたツボが良好な状態で残っていて、具体的な復元が可能、
と発掘担当者は言います。
エリ跡は幅約2.5メートル、長さ約2メートルと推定されています。専門家の意見として、このエリが
仕掛けられた川の水は濁っていて、6月ごろ、産卵のために遡上してくるフナやコイ、あるいはナマズを捕らえた
のであろう、という補足説明もありました。
エリは通常、漁期が過ぎると撤収するため、出土例が少ないそうですが、この遺跡の場合は洪水があり、
はずす暇もなく土砂に埋まったため残った、と考えられています。滋賀県では、近江八幡市の加茂遺跡で
16世紀代のエリ跡が見つかっていますが、今回のエリ跡は滋賀県で最も古いものです。
さらに、2キロほど離れた弥生中期(約2200年前)の環濠集落・下之郷遺跡から、フナなど魚の骨が
たくさん出ていることから、守山市教委は、この地方でのエリ漁の始まりは弥生時代にさかのぼる可能性がある、
との見解を示しました。
このほか、北東部から南西方向に弧状に延びる大溝、方形の竪穴住居跡などが見つかりました。
大溝は幅約5メートル、深さ約2メートルで、断面はU字状。出土時から古墳時代前期中葉と考えられるとの
ことです。竪穴住居跡は一辺が4メートルほど、周辺に柱穴郡があり、掘っ立て柱建物が想定されるとしています。
この溝について、弥生時代後期と古墳時代前期の2回埋まっている。黒い色をした土の部分からは
弥生時代後期ぐらいの土器が出ている。集落の環濠かどうか分からないが、かなり大きなRを持って弧状に
住宅街を囲むように曲がっている。それが埋まった後に、古墳時代前期に掘りなおしていて、
時期の異なる二つの溝が重なっている。そのために断面が階段状に見える、と担当者は説明、
今後、環濠集落があったのかなど、慎重に調査していきたいと話しました。
また、調査区西南部で平安時代と見られる掘っ立て柱建物跡が見つかっています。さらに、調査区域全体で
栗太郡条理に沿った溝や耕作痕が見つかり、中世から近世にかけて生産域として利用されてきた場所であると
判断されています。
【写真は古墳時代前期末の旧河道から見つかった定置漁具「エリ」の跡】(2003年9月25日作成)