2006年は、3月に入っても寒暖の差が激しく、名古屋近郊は30日朝にも少し積雪が
あった。そうした中で、春の到来を感じた25日、愛知県豊橋市の牛川町を訪れた。この日は、朝から晴れ
上がった。少し風はあるが、春らしい陽気である。今では、発見された骨が人骨ではない、との指摘もあるが、
かつては教科書にも登場した“牛川原人(1)”の里である。約8,000年前の縄文早期前葉の集落跡と
される眼鏡下池北遺跡の現地説明会を聞くためである。
周辺は、住宅密集地と田畑が混在、宅地化が進みつつある。東方に“塩尻(2)”の形をした山が見える。
地元の人に聞くと、石巻山(3)だという。「標高300mを超える程度の低い山だが、この辺りから見る
のが、いちばん美しい」とのこと。「“三河富士”と呼びませんか」と聞くと、「いやー」と否定された。
中腹に建つのは旅館で、かつては何軒もあったが、今は2軒しかない、と教えてくれた。
現地説明会は午後2時から開かれ、目算で100人ほどが集まった。眼鏡下池北遺跡は、豊川(とよがわ)と
支流・眼鏡川の合流点から東約1キロの河岸段丘の縁にある。標高は18〜20m。発掘調査は、牛川西部土地
区画整理事業に伴い、平成17年12月から今年3月末までの予定で行われた。調査区域は約1,800uである。
縄文時代のものは、竪穴住居跡、炉穴、集石炉などが見つかった。配布資料などによると、炉穴は、屋外で
食物の調理をするために火を焚いた場所、つまり屋外炉跡を言う。この日までに67基が見つかった。発見
された炉穴は、ほとんどが焚き口となる開口部から煙を出す穴をトンネル状に掘った煙道付き。
この煙道付炉穴(4)は、県内では小牧市浜井場遺跡、豊川市三河国府周辺の遺跡で見つかっているが、
眼鏡下池北遺跡での発見が最多。東海地方では、静岡県の中通遺跡(5)で200基ほどが出土しており、
それに次ぐ規模である。【写真は、遠くに“塩尻”の形をした石巻山が望める眼鏡下池北遺跡=豊橋市
牛川町で】
<つづく>