見てきました                   猷々自的

密蔵院で落慶法要

 2002年11月9日、愛知県春日井市熊野町の密蔵院で、国の重要文化財である多宝塔の 修復を祝う落慶法要と晋山式があり、見に行ってきました。午前10時少し前に行きますと、着飾った稚児が 親たちに連れられて、次々と訪れ、祈祷を受けていました。

 時折、強い北西の風が吹く肌寒さを感じる天候でしたが、境内のあちこちで、記念撮影をする親子連れの姿が 見られました。地元の人たちによるぜんざいの接待もあり、大変な賑わいでした。

 今回の修復は屋根の葺き替え。多宝塔の屋根は、板を使ったこけら葺きで、作業は2月13日から 始まり、7月25日に完成しました。葺き替えに使われた板は、約4万枚にのぼりました。 板は竹の釘を使って固定されました。

 工事費は約3000万円。国が7割、残り3割を県、市、密蔵院が出しました。多宝塔の修復は、 解体工事が約100年ごと、屋根の葺き替えが約30年ごとで、前回の葺き替えは1978年に行われました。

 晋山式は、先代住職の死去に伴うもの。本堂では、新住職の就任を祝い、読経が流れる中、 参拝者が相次ぎました。

 密蔵院は、天台宗の由緒ある寺で、全盛期には11カ国700余の末寺を数えたといいます。 年配者には小説家としても知られる故今東光師も、以前に住職を務めたことがあります。

 幕末から明治にかけて生きた名古屋の随筆家・細野要斎の感興漫筆などによると、密蔵院は、 嘉暦3(1328)年の創建で、開基は慈妙法師。慈妙は、常陸国神田庄の住人、 鹿島氏の子、とあります。

 さらに、中興の住持、珍祐権僧正の時から名古屋東照宮の別当職を兼帯。珍祐は尊寿院に住み、密蔵院は 代僧を置いて寺務を執らせたため、後世の華燭を加えず、古色を残している。塔頭は36坊あったが、 乱世に廃絶して今は5院、とあります。

 修復された多宝塔は、室町時代(1338−1573年)初期の建立。高さが16.5メートル。 屋根の軒の反りや勾配が急なのが特徴、といいます。この日、中に納められた仏像が公開されました。

 また、国の重要文化財である本尊の秘仏・薬師如来立像も、一般公開されました。藤原時代 (894−1185年)後期の作で、ヒノキの一木造り。高さ97センチ。彩色はなく、全体に彫りが浅いのが特徴。 昔から、日照りが続くと、雨乞いに開帳されたそうです。

 「写真もいいですよ」と案内の女性。感興漫筆には「本尊薬師仏は秘仏にて開扉することなし」とあります。 それが公開され、写真撮影も許すという姿勢は、葬式・法要仏教といわれる中、庶民に密着した仏教への 足がかりにもなるすばらしいことだ、と思いました。  


©2002 Yuusuke Niinomi

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